「大神山神社奥宮」は国造りの神を祀るご利益の高いパワースポット!
▲大神山神社奥宮説明板
「大神山神社奥宮」の創建は、平安時代に修験者が山の中腹に遥拝所を設けたのが始まりとされています。
▲大神山神社奥宮拝殿
社殿は日本一の権現造りで御祭神に国造りの神を祀る
「大神山神社奥宮」は、もとは大智明大権現の宮で大山信仰の中心を担っていましたが、神仏分離や廃仏棄釈で明治八年九月三十日に大山寺号廃絶となり、大智明大権現の社殿は大山寺から分離し、本社が米子市尾高にある大神山神社の奥宮となりました。
神仏混合であった明治時代までは大山寺だったため、現在、神社であるがお寺の様式が混在しているのが大変珍しい。
御祭神は、大己貴命(おおなもちのみこと)で大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名です。
ちなみに、米子市の本社の「大神山神社」の御祭神は大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)で、これも大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名です。
大国主神は、国造りの神であることから五穀豊穣・産業発展・医薬療法・牛馬畜産・邪気退散の神格を持つ神様で、勝運・病気平癒・商売繁盛・縁結び・夫婦和合・子授・産業開発・交通航海守護・厄除など多くのご利益がいただける開運スポットです。
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神仏混合のなごり!寺社混在の建物様式が珍しい
▲大神山神社奥宮拝殿と左長廊下
高くそびえる老杉の中に雄大で歴史ただよう社殿は、文化二年(1805年)に建立されたもので、間口52.4m・奥行33.5mもあり、寺院建築様式を色濃く受けた※権現造りでは日本最大級のものです。
※権現造りとは:拝殿と本殿の2棟を一体化し、間に「石の間(いしのま)」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが特徴。(by wikipedia)
昭和28年に県の文化財、昭和63年に国の重要文化財に指定されています。
拝殿の軒下には、勇壮な龍の彫刻に目を奪われる。
拝殿内は、畳式70畳もあり広く、豪華な装飾が施され、天井には花鳥風月の絵234枚が色彩豊かに画かれています。
▲大神山神社奥宮外観
社殿は、前方に拝殿、後方が本殿となりこの二つを幣殿で連結している。
拝殿の屋根の妻側の造形は、日本特有の破風形式の唐破風(からはふ)をつけた三間で、中央入口の柱の間は両側より広く、柱は直径約50cmの円柱が基礎に立っています。
▲大神山神社奥宮・左長廊下
左右に14.5mの長廊下がついており、柱間は2.5mとかなり大きな社殿です。
▲大神山神社奥宮右側長廊下
この長廊下は、鳥が翼を広げた姿に似ていることから翼廊(よくろう)とも呼ばれています。
▲大神山神社奥宮右側長廊下隅
▲大神山神社奥宮本殿
本殿は、桧皮茸(ひわだぶき)で、妻飾りが大瓶束(おおへいずか)二重虹梁となっています。
▲拝殿前の灯籠
拝殿前の石段横には、重厚で大きな青銅製の獻燈(けんとう:献灯)が、両側に置かれています。
美女三女神が祀られる「弁財天社」福が授かる開運スポット!
▲弁財天社
昔から女神の中でも最も美しい三神と伝えられ、海上交通の目標であった大山は同時に生活と農耕の水の神でもあり、福を授けられる神として現在地にお祀りしてあったが寛政八年(1796年)に本社共に焼失し、現在の社は平成十年(1998年)に寄進により再建されたものです。
▲弁財天社拝殿
弁財天社の御祭神と相殿神
弁才天社の御祭神と相殿神 | |
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御祭神 | 多紀理毘売命 |
市寸嶋比売命 | |
多岐都比売命 | |
相殿神 | 大山津見命(山王権現) |
美しい三女神(みはしらのひめがみ)は、日本神話で天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)が、誓約(うけい)をした際に須佐之男命の十拳剣から生まれたとされている。
あらゆる『 道 』の最高神として道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、航海安全や交通安全のご利益はもとより縁結び・商売繁盛・技能向上などのご利益も授かる神です。
相殿神の大山津見神は、山を守り給う神として古くより信仰のある神様です。
夢のお告げによりこの地に奉還した霊験豊かな下山神社
▲末社・下山神社
下山神社の由緒
「下山神社」の由緒がこう説明板に書かれています。
元徳二年(1330年)大神山神社を尊信した、備中郡司の渡邉日向守一子照政公は参拝の帰路、奇過に遇い不慮の最後を遂げ、人々これを憐れみ大山下山の地に子祠(ほこら)を建て下山神社と呼んだが数々の霊験あり、後、夢のお告げにより、此の地に奉遷したもので、多くの武将の信仰があり現在の社殿は代々の信仰が篤かった石州津和野の領主 亀井隠岐守公が文化二年(1805年)に再建されたもので重要文化財に指定されて居ます。
御祭神は、下山大明神(渡邉源五郎照政命)です。
御祭神である下山大明神の御神徳は、勝運・除災 病気平癒です。
▲正面右側の狛犬
拝殿前の右側の狛犬は、可愛らしい顔で口を開けている。
▲正面左側の狛犬
こちらの口は閉じています。
片方が口を開け片方が口を閉じる「阿吽(あうん)」形式となっています。
参道の石段を下れば神門が見えてくる!
▲階段下から見た拝殿
参道の石階段横には、石灯籠と大きな杉の木が並び静寂と清い空気が流れる中、少しづつ拝殿の姿が見え厳かな感じがする位置です。
▲大神山神社奥宮・神門を裏から
社殿をあとにし、石階段を下ると大神山神社奥宮の神門が見えてきます。
神門裏両脇には出雲丹後の迫力ある狛犬が来る者を見張る!
▲大神山神社奥宮側から見た左の狛犬
出雲丹後のお座り方の狛犬で、来待(きまち)石製で砂岩系の比較的軟らかい石のわりには風化の状態が良い方です。
▲大神山神社奥宮側から見た右の狛犬
「阿吽(あうん)」形式としては、若干口の開きが小さいのでわかり難い。
出雲丹後の特徴は、前足が太くて真直ぐで大きな獅子鼻、垂れた耳に体毛はたてがみのみで瘤(こぶ)があります。
逆門と言われる大神山神社奥宮の神門
▲大神山神社奥宮・神門裏
この神門は、本坊西楽院の宮家お成り門を移転したものです。
前後に唐破風をつけた四脚門で、日野郡の豪農(財力のある)農家の近藤平右衛門吉長と近藤喜八郎吉通が寄進による。
▲神門の閂・正面左側
移転の時に、門の閂(かんぬき)を外側にしたまま設置したため逆門(さかさもん)や違い門と呼ばれています。
▲神門の閂・正面右側
▲大神山神社奥宮・神門表
1000年以上毎年続く大神山神社奥宮の奇祭「もひとり神事」
▲神門横の説明板
こちらの説明板にも書かれている7月の古式祭は、神社のお祭でも奇祭の一つで「もひとり神事」と言われます。
「もひとり神事」は、大山の頂上からお水をいただき、一緒に薬をいただく神事で1000年以上毎年欠かさず行われています。
もひとりとは水のことで、7月14日の深夜から神官らが大山に登り、9合目にある池(梵字ヶ池)でお水を汲み、そして池のまわりに植えている薬草(ヒトツバヨモギ)を刈取ります。
水も薬草もこの神事のみ取ることが許されており、取った薬草は神事で待つ人達に分けられます。
この薬草を乾燥させお茶にしていただくと、体が浄化し、自然の中の大山の頂上でしかない神の力をいただくことが出来ると言われています。
霊峰大山の神力が融合し湧き出た御神水
▲手水舎
本殿参拝には、手水舎(てみずしゃ)で身も心も清めましょう。
▲神門を少し下った石段の参道
▲御神水
延命長寿の御神水
参道脇には、延命長寿と書かれた「御神水」の湧水があります。
大山は近代まで、人が入ることも樹木の伐採も一切禁止されていたため、大自然が残されおり、降った雨や雪はブナや杉などの樹木がゆっくりと地面に浸透させて、いつまでも枯れることのない湧水を作り出しています。
そして、樹木や落葉の堆積で浄化された清い水と霊峰大山の神力が融合し湧き出た水がこの御神水です。
名水と言われる大山の水、その御神水ですので飲んで見てください。
きっと延命長寿となるのではと思います。
5ページ目⇒約700mの自然石の参道を歩けば邪気が祓われると言う!