大神山神社は、鳥取県には二つあり一つは大山山麓の米子市にある本社と標高約900mの大山山腹の深いブナや杉の大木が生茂る原生林の中に鎮座する荘厳な奥宮があります。
奥宮を正式には「大神山神社奥宮(おおかみやまじんじゃおくみや)」といいます。
神仏おわします霊峰大山を御神体とする「大神山神社奥宮」は、山からの巨大なパワーと信仰者の念力が集結した神社であるため強力な浄化力と重みのある空気感、そして参道を歩くだけでもパワーが感じられます。
運気を上げ大きな願い事が叶うパワースポットして、中・四国から多くの人が訪れる人気の神社です。
その、伯耆大山「大神山神社奥宮」の参拝を紅葉の時期に下の参道からでなく、大山登山道から登って下るルートで行って見ましたのでご紹介します。
①大山寺の支院の一つ圓流院からスタート!
▲圓流院へ向かう入口
大山環状道路沿いのこの道が圓流院への入口につながりますが、少し大山寺側へ行った夏山大山登山口からでも行けます。
もう少し行った階段脇には、「弁慶地蔵」が立っています。武蔵坊弁慶が、愛馬を繋いだ場所が今の弁慶地蔵付近であったためこの名がついたといわれてます。
▲圓流院と霊木・昇龍杉
霊峰大山の気を感じることができる霊木
圓流院の入口には、妖怪天井画と並び圓流院のパワースポットとして有名なのが、「霊木の昇龍杉」です。
樹齢約400年で直径が2m程あろうかと思われる杉の大木で、この木が有名になったのは樹皮の剥がれた跡が天に昇る龍に似ていることが評判になって、大山寺の住職が「霊木の昇龍杉」と名づけられたそうです。
「この木の幹に触れれば大山の気が感じられる」霊木ですので、手で触れて霊峰大山の壮大な気をいただきましょう。
▲圓流院の入口付近
▲圓流院入口
生まれ変わった200年以上の歴史を持つ圓流院
江戸後期の圓流院(円流院)は、大山寺西明院谷派に属し知行高三十石で嗒然(とうねん)が住職でした。
嗒然は、十一歳の時に大山寺西明院谷の観解院に入り、翌年二月には仏門に入り台貫(だいかん)と称した。
仏学や詩文書画に優れていた嗒然は、その一端として五十一歳の時に大山の由来・伝承・行事など十四話を収めた「大山雑記」を記しています。
天台宗に属し、ご本尊は地蔵菩薩。
200年以上の歴史を持つ円流院は、大山寺支院の10ヶ院の一つとして明治の廃仏毀釈を乗り越えて残されましたが、建物の老朽化により2009年8月4日の「落慶法要」後、新しい圓流院として生まれ変わりました。
妖怪との融合「妖怪天井画」
その代表的なものが、妖怪との融合です。
ゲゲゲの鬼太郎の作者で、鳥取県境港出身の漫画家水木しげるさん作の108枚の妖怪が天井に画かれた「妖怪天井画」です。
何故、お寺に妖怪?と疑問視される方もいるかも知れませんが、実は圓流院(円流院)の住職であった嗒然は絵師としても優れた才能を持っていたこと、また、大山が神仏のいる山であり偉大な気の力が宿っている山であるため、この三つを融合させることで大山観光の目玉の一つとしています。
上写真の上から二段目中央には、水木しげるさんが圓流院のためだけに画いた「カラス天狗」が飾られています。
ただ、2018年から7年間続いた一般拝観は中止となるようです。
大山の観光スポットと定着していただけに拝観出来なくなるのは残念です!
▲宿坊・洞明院
洞明院入口の門に時代が伺える彫刻が施されている
現在、宿坊となっている「洞明院(どうみょういん)」は、江戸時代中期「禅澄」により開かれた大山寺の支院の一つで西明院谷寺院群に属します。
大山寺は、南光院・中門院・西明院の3つの院から構成されており、3院谷と42の諸院あったようです。
時代が伺える入り口の門は、猿や花の彫刻が画かれた江戸期の1600年ごろのものであると伝えられています。
▲登山・下山届ポスト
大山の所々にある登山・下山ポスト
大山登山道の最初にあるのが、赤い登山・下山届ポスト。
登山中、万が一遭難された場合に救助活動をスムーズにするためのものです。
登山の初めと下山に提出しておけば安全ですね。
大山登山道から行者谷コースを経て大神山神社奥宮参拝(マップ)
▲大山登山口~大神山神社奥宮の行程マップ
1から16の赤丸は名所や絶景・パワースポットとなっています。
記事の見出しに記載していますので、チェックしてみて下さい!
大山登山道に入り大神山神社奥宮へ約3時間
▲大山登山道最初の階段
この石階段から大山登山道の頂上へと続きます。
阿弥陀堂や利生水・風穴などの歴史探訪ルートの分かれ道!
▲利生水・風穴・阿弥陀堂案内板
最初の階段を100m程の登ると利生水・風穴・阿弥陀堂案内板があります。
この看板を左に行けば、歴史探訪ルートで利寿現跡や利生水・風穴などの史跡が見られます。
また、右側に行けば阿弥陀堂を拝むことができます。
▲立正地蔵
登山の行き帰りに拝んでおきたい「立正地蔵」
上記案内板の向かいには、「立正地蔵(りっしょうじぞう)」が立っています。
この、「立正地蔵」は遭遇者の慰霊のために建てられたお地蔵様です。
▲三宝荒神神社跡と鳥居
かまど神「三宝荒神」
仏教では、「仏」「法」「僧」を三宝と言い、その三宝を守る神が「三宝荒神」様です。
不浄や災難を除去してくれる仏様で、日本仏教で独自に発展した尊像です。
▲三宝荒神神社跡の礎石
「荒神」は、怒りの表情をしており、火を好むといわれ「かまどの神」としても祀られています。
▲阿弥陀堂説明板
「三宝荒神跡」の右横。
▲殿様殿
殿様の供養等「殿様殿」
阿弥陀堂の北側にあるのが「殿様殿」です。
高さ1.5m程の石垣に囲まれた、台地に立つ三基の石塔を「殿様殿」と呼ばれます。
右側の石塔は、鳥取藩主池田光仲の叔父で播磨宍栗郡山崎六万石の藩主・松平石見守(池田輝澄)のもので、中央はその奥方のもので二基とも供養塔です。
左側は、万霊塔。
②大山に存在する最も古い建物「阿弥陀堂」金色が美しい阿弥陀如来像
▲大山寺阿弥陀堂
92年ぶりの大規模修理を終えた大山寺・阿弥陀堂
H30年11月に、大山の紅葉巡りで立ち寄った時には、92年ぶりの屋根の全面ふき替えや建物の縁回りなど大規模修理はほぼ終えていました。
大山寺に現存する最古の建物だけに、歴史と風格がただよう素晴らしい建築物です。
阿弥陀堂紹介記事⇒「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット
2ページ目⇒大山登山道を登り五合目過ぎの行者谷コースへ