「倭文神社(しとりじんじゃ)」は、鳥取県の中央部の東伯郡湯梨浜町に鎮座する神社で、正式名は「伯耆一ノ宮倭文神社(ほうきいちのみやしとりじんじゃ)」です。
湯梨浜町には、周囲12kmある淡水湖「東郷湖」があり、湖底から温泉が噴き出ているため「東郷温泉」や「はわい温泉」の2つの温泉を有しています。
その、「東郷湖」のわずか1kmの範囲に「倭文神社」があります。
「倭文」と名の付く神社は、全国には16社(延喜式神名帳)程あり、鳥取県内でも3社ありますが、格式が高く安産祈願のご利益は県内一といわれています。
出産を控えたママさんたちの強い味方、「倭文神社」をご紹介致します。
倭文神社は元来織物の神を祀る神社
元々、この地に氏族である倭文氏が住み着き織物を生業としていたため、機織の神である「建葉槌命(たけはづちのみこと)」を祀ったのが始めとされています。
しかし、出雲より渡ってきた下照姫命(したてるひめ)を加え祭神としましたが、倭文の織物業が次第にすたれてきたため、安産信仰だけが残り安産守護として崇拝されるようになりました。
昔、常に難産に苦しむ婦人が願をかけ、満願の日に下照姫命が姿を現され、参詣の帰途この安山岩で簡単に出産し、以来、安山岩と称するようになった云われています。
倭文神社由緒説明板:写真をクリックすると拡大しますので読めます。
駐車場から境内まで近い!駐車スペースは約20台
「倭文神社」までは、東郷湖湖畔道路(県道234号線)から神社案内板が出ていますので、そこからやく曲がって1kmです。
宮内集落方面へと進み、迷うことなく真っすぐ進んで下さい。
駐車場手前の右側に「安産岩」、少し進んで左側に「夫婦岩」見えると駐車場は直ぐです。
一ノ宮倭文神社参拝!風格ある隋神門は150年の歴史
笠木に反り増しがあり、柱上部に台輪がないので鳥居は「明神(みょうじん)鳥居」のようです。
神額には、「伯耆一ノ宮倭文神社」と書かれています。
「一ノ宮」とは、地域の中で最も由緒があり社格の高い神社のことで、「倭文神社」の旧格式は国弊小社です。
鳥居を越え、神の領域に入ると空気感が違い凛としパワーが感じられます。
一対の狛犬が隋神門の前で番をしています。
右の狛犬は、左手で毬(まり)を持ち口を開け、左側は右手で毬を持ち口を閉じています。
一方が口を開け、他方が口を閉じている狛犬の形式を「阿吽(あうん)」といいます。
明治5年(1872年)に建てられました。
基本的には、神社の門を隋神門や桜門といいます。
ちなみに、お寺の門は山門や仁王門です。
隋神門は、邪悪な者が入らないように門番の神(隋神)を祀る門です。
こちらの随神様は、可愛らしいお人形さんのようです!
格子戸から少し見えます。
ここから、本殿までは約150m程で、参道両脇には樹木が生い茂り新緑効果もあってか、清々しい空気に気持ち良さを感じます。
「手水舎(ちょうずや)」
ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃなどとも読まれ、手水(ちょうず)で手や口を漱ぎ清める場所です。
社殿を取り囲むように石柵が施され、参道横に燈籠と狛犬が並んでいます。
格式の高さが伺えます。
御朱印やお守りは4時迄です。
お守りには、倭文神社だけの麻で作ったお守り袋に、かおりの元と願い事を書いた紙を入れてご利益を授かる「かおり袋」があります。
社殿前の狛犬は、隋神門前の狛犬と違ってお尻を上げ威嚇のポーズをしています。
邪悪な者は、ここから先は絶対通させないといった感じです。
こちらの狛犬も左右の片方が口を開け・もう一方が口を閉じた「阿吽(あうん)」形式です。
社殿は風格のある権現造り!本殿裏に乳神さま
倭文神社の創建は明らかではありませんが、寛永2年(1625年)に社殿を再建し改築をしました。
今現在の本殿は、文化15年(1818年)に建てられたものです。
大社や一ノ宮など社格の高い神社は、独自の社殿形式となっていることが多く、その中でも「倭文神社」は、社殿形式でいえば本殿の前に拝殿を置き、間に屋根を掛けた権現造り形式の部類です。
祭神は主祭神1名と配神6名
祭神名 | 御神徳 | |
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主祭神 | 建葉槌命(たけはづちのみこと) | 織物の神 |
配神 | 下照姫命(したてるひめのみこと) | 安産の神 |
建御名方命(たけみなかたのみこと) | 軍神・農耕神・狩猟神・風の神 | |
事代主命(ことしろぬしのみこと) | 海の神・五穀豊穣商売繁盛の神 | |
天稚彦命 (あめのわかひこのみこと) | 穀物の神 | |
少彦名命(すくなびこなのみこと) | 国造りの協力神・酒造の神 | |
味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと) | 農業の神・雷の神・不動産業の神 |
主祭神を始め、各配神には色んなご神徳がありますので、安産のご利益のみならず商売繁盛・職業守護・夫婦円満などなど開運のご利益がいただけます。
乳神さんと呼ばれていた御神木
神殿の裏には、「乳神(ちちがみ)」さんといわれ崇められている御神木あります、というより有りました。
周囲6.7m・推定樹齢600年であったが、折れたのか枯れたのか?今は無残にもこのようなお姿になっています。
この木には、乳房状の突起物が数個みられており、モチノキやナナカマドなど多くの草木が実生していた貴重な古木であったようです。
老いても乳神さま、まだまだパワーが感じられます!
お参りの時は、裏参道より乳神さまも参拝されると良いと思います。
伯耆一宮経塚を拝見!雨・雪の日は要注意!!
隋神門から本殿への途中に、「伯耆一宮経塚(きょうずか)」があります。
経塚とは
経典を主に経筒・経石・経瓦などを土中に埋納した塚
説明板より
国指定史跡・伯耆一ノ宮経塚
埋納年月日 平安時代後期
康和五年十月三日(西暦1103年)
発掘年月日 大正4年12月11日
史跡指定年月日 昭和10年12月24日
構造(石棺)長方形で長さ1.2m 幅0.9m 四方は約5cm程で輝石安山岩で構築
出土品
昭和28年に国宝指定(東京国立博物館に保存)
●銅経筒(平安時代)1口
●金観音菩薩立像(白鳳時代)1躯
●銅造千手観音菩薩立像(平安時代)1躯
●銅板線刻弥勒菩薩立像(平安時代)1面
その他
●銅鏡 2面
●桧扇残片 一括
●短刀刀子残闕 一括
●瑠璃玉 一括
●銅銭 2枚
●漆器残片 一括
説明板には、この地は倭文神社の御祭神の下照姫命の墓だと云われていた場所が経塚であることが判明したと書かれています。
「元旦の朝に金の鶏が鳴く」金鶏伝説の場所でもあったようです。
経塚から出土された物は、当時の層や京尊が埋納したものです。
金観音菩薩立像や銅造千手観音菩薩立像など国宝が発掘さてたことで、今やこの経塚はパワースポットとしても有名で、観光ガイドツアーの一つにもなっています。
経塚へは、行きもかなりの急坂なので息切れがするほどなんですが、雨などで地盤が緩んでいると帰りはもっと大変!滑ります。
参道横に謎の巨大な石!
隋神門から社殿に行く途中、伯耆一宮経塚(きょうずか)より少し手前の参道脇に長さ約2.5m位の巨大な石があります。
説明看板などもないので謎の石なんですが、何故かピーンときたので、何か云われがあるものなのかもしれません。
大小の石が重なる夫婦岩!夫婦円満のパワースポット
「安産岩」のすぐ近く、斜め向かい側にあるのが「夫婦岩(めおといわ)」といわれるパワースポットです。
説明板が無いので詳しい言い伝えはわかりませんが、下の石に上の大きな石が夫婦のように寄り添い離れないためそう呼ばれているのではないかと思います。
昔から、この石の前で夫婦円満・夫婦和合のお祈りをしていた場所ではないでしょうか。
社殿参拝前に、こちらも参拝を。
「伯耆一ノ宮倭文神」は、一ノ宮として格式ある神社であることが境内に入ればわかります。
隋神門があり、広さや立派な社殿建造物など小さな神社では見られないものです。
また、安産祈願では県内一で遠方からも訪れる人が多く、経塚や安産岩・夫婦岩などパワースポットも多く点在しています。
東郷湖もすぐ目の前で、周りにはレジャー施設や温泉もあり、参拝後は湖畔周辺でのんびり一日過ごせます。
出産を控えている方なら、是非「伯耆一ノ宮倭文神」に訪れてみてはいかがでしょうか。
素晴らしい神社です。
【伯耆一ノ宮倭文神社】 | |
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所在地 | 〒689-0707 鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754 TEL 0858-32-1985 FAX 0858-32-1985) 公式ホームページ⇒こちら |
参拝時間 | ●境内は24時間いつでも。 ●境内を見るだけなら無料。 ●ご祈祷受付:09:30~15:30( 5000円~/一件)郵送可 ●安産祈願:ご本人がご参拝になるか、お腹帯を持参 ●お守り・ご朱印他:09:30~16:00 ●毎年5月1日(例祭)10:00本祭典 14:00神輿渡御 |
アクセス | 電車:JR山陰本線・松崎駅下車~車で約10分 バス:松崎駅前から藤津入口停留所~徒歩20分 マイカー:倉吉市内から約20分 駐車場:伯耆一ノ宮倭文神社の駐車料金は無料(約20台) |
お宿情報 | >>伯耆一ノ宮倭文神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】 |
周辺観光地 | 鳥取砂丘・白兎神社・鳥取城跡・魔尼寺・さじアストロパーク・わかさ氷ノ山 雨滝・砂の美術館・とっとり賀露かにっこ館・浦富海岸(山陰海岸ジオパーク) 東郷湖・若桜神社・竹田城跡 |