感動必至!日本の三大大仏
日本は「仏像の国」と呼ばれるほど、全国に数多くの仏像が存在しています。そんな中でも特に有名なのが、三大大仏です。今回は、その三大大仏を紹介します。
最近では、若い世代の中でも「仏像ガール」と呼ばれる人々が増え、仏像めぐりが盛んに行われています。仏像の美しさや、その意味や歴史など、多くの人々が興味を持ち、全国各地を訪れる人が増えています。
このように、日本にはたくさんの仏像があり、その中でも特に感動を与えてくれる三大大仏は、ぜひ一度は訪れたいスポットです。その美しさと歴史的価値に触れることで、心が洗われるような体験ができることでしょう。

「仏像の国」日本の大仏と巨大仏の違い
中でも、大きな仏像を「大仏」といい、それよりも特に大きなものを「巨大仏」と言います。
仏像が大仏と呼ばれる大きさの基準は、「広辞苑」では丈六(1丈6尺=約4.85m)以上が大仏と定義されていますが明確なものはなく、この大きさ以下の仏像でも大仏と言われるものもあります。
巨大仏も同様で、明確な大きさの基準はありませんが、「目安としては、40m以上のものが巨大仏」だと言われます。
数多くある仏像の中でも大仏や巨大仏は、見た目の大きさや迫力と同時に神徳パワーも大きいので開運のパワースポットにもなっています。
大仏の起源は日本三大大仏の一つ東大寺の「奈良の大仏」
大仏の起源
大仏(だいぶつ)は、大きな仏像を指す通称。中国などアジアの仏教圏では、天然の岩壁を彫刻した磨崖仏などが古くから造られてきた。日本においては、奈良時代に聖武天皇が、国家の安寧と民の幸福を祈願して東大寺に奈良の大仏(東大寺大仏)を造立したのを嚆矢とする。
以降、現代に至るまで、大きな功徳を求めた願主によって各地に大きな仏像が造られてきた。(ウィキペディア)
誰もが知ってる大仏の有名なものに、東大寺の「奈良の大仏」や鎌倉の「鎌倉大仏」がありますが、この二尊を含めた三尊の大仏が日本三大大仏となっています。
三大大仏のもう一尊は、時代と共に変わっており戦前と戦後で違う大仏が挙げられています。
江戸時代の日本三大大仏
江戸時代には、「京の大仏」が「奈良の大仏」「鎌倉大仏が」と共に日本三大大仏の一尊でした。
「京の大仏」は豊臣秀吉によって造営されましたが、慶長元年7月13日の慶長伏見地震を最初に度重なる地震や落雷・事故で何度も造営はするも、最後は昭和の中頃の昭和48年(1973年)に火災で消失しその後の造営はない。
戦前の日本三大大仏
戦前には、「京の大仏」のあととなる明治24年に造営された「兵庫大仏」が三尊目の日本三大大仏として名が挙げられました。しかし、太平洋戦争中の金属類回収令によりその姿は消える事となります。
戦後の平成3年に再建されますが、この2代目の「兵庫大仏」は歴史的に見ると日が浅いため日本三大大仏とは言えなくなった。
戦後の日本三大大仏
戦後に入り、富山県の大佛寺の「高岡大仏」や岐阜県の正法寺にある「岐阜大仏」の名が挙がるも、日本三大大仏としての知名度が少し足りないようです。
☆奈良の大仏は圧倒的存在感と神々しさで日本NO.1
誰もが知っている「奈良の大仏」は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊で、正式名は「東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」と言います。
近くで実物を見るとその大きさもさもあるのですが、圧倒的な存在感と大仏様の前では素直な気持ちになれる気がします。
その神々しさは、やはり日本一なのかも知れません。
日本一の大仏様は木造軸組建築では世界一の大仏殿に鎮座
<東大寺大仏殿>

「銅造盧舎那仏坐像(どうぞうるしゃなぶつざぞう」名として、彫刻部門の国宝でもあり、世界最大の木造軸組建築の大仏殿の中に鎮座しており、銅色の光沢がまるで後光をさしているかのように見え神々しい。
聖武天皇の発願のもと、奈良の大仏が開眼されたのは天平勝宝4年(752年)で、治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)に2回大仏と大仏殿は焼失されたのですがその都度修復が行われています。
天平17年(745年)の造営から、7年の年月と総勢260万人がかかわり、大仏殿と大仏には今のお金にして総額4657億円もの莫大な費用がかかってています。
大仏は青銅に金メッキを施され、高さ約14.7メートルで、仏像が乗る基壇の周囲は70メートル重量は250トンにもおよぶ。

手の形、手印は施無畏与願印(せむい よがんいん)の形で、右手は「励まし」左手は「願いを叶える」を表しています。
大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルと木造軸組建築では世界最大ですが、焼失前の当時の幅は約86メートルと今よりもさらに大きかった。
奈良の大仏様の横には木造製の巨大な脇侍が守護

東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)の両脇には、脇侍として木造の2つの像が安置されています。
大仏の右手側には「虚空蔵菩薩像(上の写真)」が、左手側には「如意輪観音菩薩像」が大仏を守るように配置され、左右の手の印と足の組方が逆になっている。
【如意輪観音菩薩像】:完成は元文3年(1738年)頃で、像高約7.2メートルの木造製
【虚空蔵菩薩像】:完成は宝暦2年(1752年)頃で、像高約7.1メートルの木造製
奈良の大仏の横の柱(北東方向にある柱)には、鼻の穴と同じ大きさの穴が空いていて、ここを通ると頭が良くなったり、無病息災の御利益があると言われています。
お寺に行った気分になれる⇒東大寺の3Dバーチャル参拝
<奈良の大仏身拭い動画>
毎年8月7日に、120人程の僧侶たちが集まり大仏様のお掃除「お身拭い」が行われます。
お身拭いをする僧侶たちと比較すれば、大仏様の大きさがよくわかります。
人気の大仏プリン本舗に「プリンのおうち」が誕生!
今や奈良に来れば、「大仏プリン」と言われるほど人気の商品です。
大仏プリンを製造する、「まほろぼ大仏プリン本舗」に2015年7月1日「プリンのおうち(プリンの森・カフェ)」が誕生しました。
下の写真を見てわかるように、おとぎ話の絵本から出て来たお菓子ようなおうちで、ここが本店となります。
出来るだけ添加物を使用しない、濃厚でトロリとして甘くやさしい味わいはお土産に大人気です。
ビン詰めの蓋には、やさしそうな大仏様の絵が書かれていてほんわかな気分になります。

<ビン詰めプリンのサイズは2種類>
まほろぼ大仏プリン(大)864円
まほろぼ大仏プリン(小)378円
他にも、白い鹿のプリンやさくらプリン・MASAリン(縁結びプリン)など種類も沢山ありますので、奈良・東大寺の大仏さま巡りに言った祭は、お店に寄ってみてはいかがでしょうか。
まほろばのホームページ⇒「まほろぼ大仏プリン本舗」
住所:〒630-8587 奈良市雑司町406-1
TEL(0742)-22-5511
FAX(0742)-22-0808
東大寺公式ホームページ:http://www.todaiji.or.jp/index.html
お宿情報:>>東大寺・奈良の大仏の周辺宿はこちら【楽天たびノート】
<東大寺・奈良の大仏マップ>
☆鎌倉大仏(高徳院)大仏の背中には不思議な窓が2つ

神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある「鎌倉大仏」は、浄土宗の寺院である高徳院(こうとくいん)の銅造阿弥陀如来像で国宝に指定されています。
鎌倉市長谷(はせ)にあるため、「長谷の大仏」とも呼ばれている。
「鎌倉大仏」の造立当初は、大仏殿の中に安置されていたようですが、地震や台風・津波などによって大仏殿と共に倒壊しており、江戸中期に復興を行い今の場所に安置された。
大仏は青銅に金箔を施しており、高さは、11.39メートルで台座を含めると13.35メートルでその重量は約121トンとなる。
当初の鎌倉市材木座の光明寺から「高徳院」の院号になってから浄土宗となるが、元は、真言宗に属していたためか、鎌倉大仏は膝上で両手を組む定印(じょういん)を結んでおり瞑想を表していて、浄土宗の来迎印(右手を挙げ、左手を下げる)を結ぶのとは違っています。

鎌倉大仏を後ろから見るとこんな感じです。

背中には、窓のようなものが二つ見えます?
これは、中の空気を喚起する喚起窓です。
鎌倉大仏の胎内拝観
そう実はこの大仏、胎内を拝観することが出来るのです。
大仏様の胎内拝観料は一人20円と安い!
午前8時から午後4時30分まで拝観できます。
<鎌倉大仏の胎内>

大仏様胎内は、外観とはまた違った風景を見せます。
まるで、建物の中を移動しているような感覚です。
住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
TEL(0467)-22-0703
FAX(0467)-22-5051
高徳院・鎌倉大仏の公式ホームページ:https://www.kotoku-in.jp/
<高徳院・鎌倉大仏マップ>
☆兵庫大仏(能福寺) 2代目大仏は初代建立後100年目に再復活
兵庫県神戸市兵庫区にある能福寺(のうふくじ)に「兵庫大仏」(薬師如来)が鎮座しています。
能福寺は天台宗の仏教寺院で、能福護国密寺として805年(延暦24年)に最澄によって創建された日本で最初の密教教化霊場です。
平清盛が福原京遷都計画を実施するに伴い福原宮が創建され、平家一門の祈願寺となり大伽藍(だいがらん)も建設されここ一帯が大変栄えたと言われています。
※伽藍(がらん)とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味で、寺院または寺院の主要建物群の意味でもある。
現在の大仏は2代目で、当初の大仏は1891年(明治24年)に南条荘兵衛の寄進により建像されましたが、世界二次大戦中の1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に徴収され姿を消しました。
<初代兵庫大仏>
今の2代目の大仏は、初代大仏が建像されて100年目の1991年(平成3年)に「兵庫大仏」(毘廬舎那仏)として再建されました。
その大きさは座高11メートル、蓮台と台座を含め18メートル、重量約60トンと「奈良の大仏」「鎌倉大仏」に引けを取らない大きさです。
住所:〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39
TEL(078)-652-1715
神戸公式観光サイト:http://www.feel-kobe.jp/
<能福寺・兵庫大仏マップ>
☆京の大仏(方広寺)四代続いた19mの今無き大仏
「京の大仏」は、豊臣秀吉が奈良の東大寺「奈良の大仏」にならい建立された大仏で、文禄4年(1595年)から昭和48年まで存在しており、現在の京都市東山区の方広寺大仏殿に安置されていました。
正式名称は、「方広寺盧舎那仏像(びるしゃなぶつぞう)」
大仏殿の大きさは、全高:約49メートル・全幅:南北約88メートル・東西約54メートルと奈良東大寺の大仏殿と同等の大きさで、奥行に関しては約38mも広い。
上の写真は、「京の大仏」最後となる4代目で昭和48年3月の火災によって、このように焼かれ壊れてしまった。
この後、「京の大仏」の再興はありません。
京の大仏の歴史
建立者 | 完成日 | 倒壊・焼失日 | 製造法 | 像高 | |
---|---|---|---|---|---|
初代 | 豊臣秀吉 | 文禄4年(1595年) | 慶長元年(1596年) | 木製金漆塗坐像 | 約18m |
※ | 豊臣秀頼 | 慶長7年(1602年) | 完成前に事故で融解 | 銅製 | |
二代目 | 豊臣秀頼 | 慶長17年(1612年) | 寛文2年(1662年) | 銅製金張坐像 | 約19m |
三代目 | 徳川家綱 | 寛文7年(1667年) | 寛政10年(1798年) | 木製胸像 | 約19m |
四代目 | 尾張の有志 | 天保14年(1843年) | 昭和48年(1973年) | 木製胸像 | 約6.5m |
四代目を除けば、初代から三代目までは約19メートルと「奈良の大仏(14.7m)」や「鎌倉大仏(11.39m)」よりも遥かに大きいことがわかります。
また、初代の木製から二代目が銅製になったというのも興味深い。
秀頼が秀吉を越えるためなのか?「奈良の大仏」を越えるためなのか?権力を見せるためなのか?謎です。
現在日本三大梵鐘の一つが京の大仏の跡地に吊られている

現在、「京の大仏」が有ったあかしとして焼失したあとの地に、梵鐘の銘文が引き金となり豊臣家と徳川家の争いに発展した大梵鐘「国家安康の梵鐘」が鐘楼(明治再建)に吊られています。
この大梵鐘は、奈良県奈良市の東大寺や京都府京都市の知恩院にある梵鐘と並ぶ日本三大梵鐘の一つです。
<方広寺・京の大仏マップ>
☆高岡大仏(大佛寺)すべての工程を高岡の職人が作った大作

「高岡大仏」は、富山県高岡市の大佛寺にある像高約16メートルの「銅造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)」です。
高岡市指定有形文化財になっていて、市民から親しまれているので「だいぶっつぁん」とも呼ばれています。
高岡市民の方は、まぎれもなく日本三大大仏の一つと信じています。

「高岡大仏」は、1221年(承久3年)に源義勝が二上山の麓に約5mの木造大仏を像立しことから始まる。
その後、移転・焼失が繰り返され、1907年に松木宗左衛門が発願し荻布宗四郎などの協力のもと、1933年(昭和8年)に現在の「高岡大仏(銅製)」が完成しました。
1900年(明治33年)の高岡大火など、木造であったこと大仏の焼失に繋がったため、再建には火災に強い大仏を望む声が高まり銅製の仏像となった。
製作には、古式鋳造法といわれる焼型重ね吹きの技法により、塗装にいたるまで全てを高岡の職人さんたちの手で行った大傑作です。
多くの仏様が同じように、遠くで見れば伏目がちの眼も近ずくとあなたと仏像様の眼が合います。
特に、「高岡大仏」の参道はまっすぐに台座へと伸びており、仏様が良く見えるのでわかりやすいかも知れません。
住所:〒933-2139 富山県高岡市大手町11-29
TEL(0766)-23-9156
富山観光ナビ:http://www.info-toyama.com/
<大佛寺・高岡大仏マップ>
☆岐阜大仏(正法寺)珍しい竹で編んだ大仏 胎内には薬師如来像

「岐阜大仏」は、京都宇治黄檗山万福寺の末寺で、岐阜県岐阜市の金鳳山正法寺にある「釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)」です。
岐阜県の指定重要文化財になっています。
この大仏様の製造法は、他の大仏様の造りとかなり違った製法で、周囲1.8メートルの大イチョウを真柱として骨格は木材で組み、外側は竹材で編んで粘土をぬっており、その上に一切経阿弥・陀経・法華経・観音経などを張って漆を塗り金箔を施したものです。
竹で編んでいることから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」とも呼ばれている。
また、大仏様の胎内には薬師如来像(胎内仏)が安置されています。
岐阜大仏の建立には二代に渡る和尚の思いと長い年月がかかっている
「岐阜大仏」の1832年(天保3年)に建立されましたが、その道のりは長く完成まで38年もの時間がかかっています。
江戸時代の寛政の頃に、天災や飢餓で亡くなった人々を弔うために、金鳳山正法寺の第十一代惟中和尚は大釈迦如来像を建てることを決意します。
大仏に使用する経本を集めのため、各地へ托鉢を行ない1800年(寛政12年)にはお堂が完成するものの、大仏はまだ頭部のみしか出来ていませんでした。
1815年(文化12年)に、惟中和尚は志の半ばで亡くなるが、第十二代の肯宗和尚が後を継ぎ13年後の1832年(天保3年)ついに完成することとなります。
大仏の開眼供養は、織田信長の居城以来の盛大な儀式であったようです。
住所:〒500-8018 岐阜市大仏町8
TEL(058)-264-2760
岐阜観光コンベンション協会:http://www.gifucvb.or.jp/index.php
<正法寺・岐阜大仏マップ>
大仏様の大きさ比較
高さ | 高さ(台座含) | 重量 | 正式名 | お寺 | |
奈良の大仏 | 14.98m | 約18m | 250t | 東大寺盧舎那仏像 | 東大寺(奈良県) |
鎌倉大仏 | 11.39m | 13.35m | 121t | 銅造阿弥陀如来像 | 高徳院(神奈川県) |
京の大仏 | 約19m | 方広寺盧舎那仏像 | 方広寺(京都府) | ||
兵庫大仏 | 約11m | 約18m | 60t | 薬師如来像 | 能福寺(兵庫県) |
高岡大仏 | 7.43m | 15.85m | 約13トン | 銅造阿弥陀如来坐像 | 大佛寺(富山県) |
岐阜大仏 | 約13.7m | 釈迦如来坐像 | 正法寺(岐阜県) |
大仏のまとめ
日本には、全国各地の数多くの仏像があります。
人々が、仏像に願う気持ちは何だったのだろうか?
貧困や悲しみ・自由を求めて仏像に願いを託したのだろうか?
歴史を見てみると、日本の地形状訪れる天災や火災で仏像や仏殿は何度もなくなっていますが、その度に仏様へ願いを求め復興されています。
特に大仏は、大きさゆえ再建には長い時間と労力がかかります。
そのため、素晴らしい大仏でありながら今は存在しない大仏もありますが、歴史の狭間をくぐり抜け倒壊と復興の歴史を延々と続けながら、人々の思いと一緒に今に引き継がれているのが日本三大大仏と呼ばれている大仏様です。
仏像より遥かに大きいこの大仏は、小さな人間の願いを大きな心で優しく包んでくれる存在なのです。
そんな大仏様に、会いに行ってみてはいかがでしょうか。
見れば大きさに感動し、優しいお顔に心が癒されます。
大仏様は、間違いなく開運のパワースポットだと思います。

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