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大山寺の創建と華やかなる時代と衰退
▲大山寺本堂
ご利益と礼所
「大山寺本堂」は、本尊を地蔵菩薩とする大山寺信仰の中心をなすお堂です。
【ご利益】
厄払い・家内安全・牛馬繁栄・所願成就・除災招福・国家安穏
御先祖・水子供養
礼所 |
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中国観音霊場二十九番礼所 |
伯耆観音霊場十四・十五番礼所 |
出雲國神仏霊場十番礼所 |
大山寺の創建と歴史
大山寺の創建は、養老2年(718年)に金運上人が地蔵菩薩を祀り、修験道場として開基建立したのが始まりです。その後、貞観7年(865年)に天台宗の第四代座主の慈覚大師が、唐より帰国して引声阿弥陀教を伝え天台宗となる。
平安時代以降、寺院も兵力を持たなければ保護できないようになり、大山寺も最盛期には僧坊106・衆徒(しゅと)は3000人を越え一大勢力擁していました。
平安時代には、神仏混交(こんこう)が行われており、大山寺も大智明大権現や地蔵信仰が盛んで、現在の大神神社奥宮が大山寺の本殿でした。
江戸時代には、大山寺中興の祖、豪円層正が幕府より寺領三千石の安堵の朱印状を得て、鳥取藩の治外法権となり益々隆盛を極めます。
▲大山寺本殿内
しかし、明治維新後、神仏分離・廃仏毀釈の風潮が高まるにつれ衰退をたどり、明治8年に大山寺号は廃絶となります。
そして、大智明大権現の社殿は大山寺から分離され大神山神社奥宮となり、大山寺は大日堂を本堂とします。
▲大山寺本堂右側
大山寺号は、明治32年に復活しましたが、本堂は昭和3年に焼失。
現在の本堂は、昭和26年に再建されたものです。
現在、参拝堂は4ヵ所で10の支院が残っています。
撫でるれば病が治る賓頭盧尊!
▲賓頭盧尊(びんずるそん)
本堂右側に、「賓頭盧尊(びんずるそん)」が座っています。
通称、おびんずる様と呼ばれ、お釈迦様の弟子の一人で、日本ではこの像を撫でると病気が治る徳があるとされているため、ここ大山寺のおびんずる様も部位によってかなり赤色が剝げているところがあります。
上から見た下山観音堂
▲大山寺本堂側から見た下山観音堂
緑に囲まれ、浄化された空気と穏かな光が心地よさを感じさせます。
大山寺の立派な山門はまだ新しく完成後5年!
▲山門(仁王門)裏
大山寺の山門は、平成12年に落慶法要されたまだ新しい総檜造りの2階建てです。
堂々とした立派な山門は、大山寺にふさわしい入口で参拝される人に印象ずけます。
4ページ目⇒<大山寺最古のお堂「阿弥陀堂」と周辺パワースポット!>