瀧が三葉を探すためスケッチ片手に飛騨で立ち寄った気多若宮神社
瀧は、三葉との入れ替わりが止まったことが気になってしょうがなく、記憶を頼りにスケッチを持って飛騨に向かいます。
三葉を探す途中に、瀧が立ち寄ったのが「気多若宮神社」で、三葉の住む糸守町の「宮水神社」ではありませんが、映画の中では大事な場面スポットで聖地巡礼のスポットにもなっています。
神社へと続く石段がとても似ている「気多若宮神社」。
スポンサーリンク
気多若宮神社は通称杉本様と呼び増島城と共に栄えた古川の産土神
「気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)」は、通称:杉本様とも呼ばれ、JR飛騨古川駅から徒歩で13分の安峰山西麓に鎮座します。
本社創建は不詳ですが、平安時代ではないかとされる。
気多若宮神社の主祭神は国譲りの神の大国主神
主祭神 | 大国主神(おおくにぬしのかみ)別名:大巳貴神 |
摂末社祭神 | 御井神(みいのかみ) |
天照皇大御神((あまてらすすめおおみかみ)) | |
広幡八幡大神(ひろはたやわたのおおかみ) | |
加須賀大神(かすがのおおかみ) | |
高田大神(たかだのおおかみ) |
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、別名も多く大己貴命(おほなむち)・大穴持命(おおあなもち)などとも呼ばれ、須佐之男命(スサノオノミコト)の息子で、出雲大社の祭神でもあります。
国造りの神、農業神、商業神、医療神として信仰され、縁結びの神としても広く知られています。
気多若宮神社の由緒・由来
古川町は、1586年(天正14年)に初代高山城主の金森長近が、養子の金森可重の居城として「※増島城」を創建し城下町として栄えた町で、1589年(天正17年)に増島城が完成後、古川城から入城した長近の養子の金森可重が城の鬼門鎮護と古川の産土神として「気多若宮神社」を崇拝したことで栄えました。
※増島城:古川国府盆地の中央、荒城川沿いに位置する岐阜県飛騨市にかつて存在した日本の城で、北飛騨唯一の平城。現在は、増島城跡として県の史跡に指定されています。
<気多若宮神社境内>
その後、1872年(明治4年)郷社となり、1907年(明治40年)に「※神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)」 に指定され1926年(大正15年)に県社へと昇格された。
※神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ):郷社、村社を対象に明治から終戦に至るまで勅令に基づき県令をもって県知事から、祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社の事。
<拝殿>
「気多若宮神社」の主祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)で因幡の白兎の話などが有名ですが、別名も多くこの名前が多いほど力も強く、出雲大社の祭神でも有るように縁結びの神であり、神仏習合の際には仏教の守護神の大黒天と習合され「大黒さま」と同一視されるようになった財福の神でもあります。
縁結び・商売繁盛・子宝・五穀豊穣・病気平癒・交通や航海守護などさまざまなご利益をもたらすパワーのある神様で、「気多若宮神社」は気が強く雰囲気の良いパワースポットです。
一国一城令で増島城は石垣とお堀のみに!
江戸幕府が制定した法令の一国一城令(いっこくいちじょうれい)により、城郭を残し廃城となりお城は取り壊されてしまいました。
現在の増島城は、増島城跡として天守台の石垣とその周囲にお堀があるのみです。
三つの行事からなる古川祭の目玉は屋台行列と起し太鼓
岐阜県飛騨市古川町で、毎年4月19日と20日に開催される気多若宮神社の例祭「古川祭」は、天下の奇祭といわれ全国に名の知られるお祭です。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている「古川祭」は、三つの行事からなりたっており、一つ目は「神社での神事」、二つ目は「御神輿行列」、三つ目は「起し太鼓と屋台行列」で起し太鼓は日本三大裸祭りの一つに数えられています。
4月19日は、9台の屋台はそれぞれの地域で曳行(えいこう)されますが、4月20日にはまつり広場に曳き揃えられる。
絢爛豪華な屋台(山車)曳行(えいこう)は9台からなり、先頭は気多若宮神社の御分霊を安置した神楽台(向町組)が行い、2番目には三番叟(壱之町上組)の女三番叟のからくり人形と猩々緋大幕が曳揃えられますが、この屋台は明治三十七年の古川大火により廃台となったため台名旗(屋台の名称を記した旗)のみが屋台曳行に参列します。
<屋台曳行>
祭屋台の名称と特徴
曳行順 | 祭屋台 | 組 | 特徴 |
---|---|---|---|
先頭 | 神楽台 | 向町組 | この屋台だけが屋根がなく、気多若宮神社より御分霊を安置 |
二番目 | 三番叟 | 壱之町上組 | 古川大火で屋台焼失し、台名旗のみ曳行 |
鳳凰台 | 壱之町中組 | 名前のとおり屋根の前後に大鳳凰が金色に輝き目を引く | |
麒麟台 | 壱之町下組 | 獅子頭をかぶって乱舞するからくり人形があやつれる | |
三光台 | 弐之町上組 | 日、月、星の三光に因んで名づけら小ぶりの形は町並みに調和 | |
金亀台 | 弐之町中組 | 屋台の中で最も古く金具や彫刻、刺繍などに楽しい亀が多い | |
龍笛台 | 弐之町下組 | 最も大きい屋台で、大きな昇龍、降龍の彫刻がひときわ目立つ | |
清曜台 | 三之町上組 | 蜂矢理八の牡丹と唐草の彫刻は一木彫で見事清曜とは清く輝くの意味 | |
白虎台 | 三之町下組 | 源義経の武者人形を飾り、舞台では子供歌舞伎「橋弁慶」が奉納 | |
青龍台 | 殿町組 | 金森氏の家紋の梅鉢を台紋とし黒塗りに金箔模様が美しい外御所車 |
からくり奉納!匠な製作と熟練の操作は必見
麒麟台と青龍台の2つの屋台は、題目が「花籠運び」と「外方の梯子剃り」をからくり奉納をします。
繊細かつ匠に製作されたからくり人形とそれを操作する10人程の人たちの熟練技は、一見の価値があります。
<麒麟台>
可愛いくも好演技の子供歌舞伎「橋弁慶」!
<白虎台>
白虎台では、上段には源義経の武者人形を飾らており、中段の舞台で弁慶と牛若丸が橋の上で決闘する子供歌舞伎「橋弁慶」が演じられ、可愛らしさと演技力に目を奪われます。
古川祭・豪華さを放つ「屋台曳き揃え」と可愛い「子供歌舞伎」(動画)
<屋台曳き揃え>
<子供歌舞伎(弁慶と牛若丸)>
古川祭の目玉「起し太鼓」!熱気に満ちた男達の迫力に観客も興奮
起し太鼓は、4月19日夜から4月20日の未明にかけて行われる勇壮で迫力のある神事で、国指定重要無形民俗文化財にも指定されています。
長さ8m、幅2.8m、高さ3mの櫓(やぐら)に、直径80cmで重さが70kgもある大太鼓をくくりつけ、勇ましく打ちながら数百人のサラシを巻いた男達が担いで町内を練り歩き、深夜まで続く。
起し太鼓は、初めにまつり広場で安全運行を祈願した「出立祭」が行われ、「打ち出し」が始まります。
いよいよ「起し太鼓」の始まりに、参加する男達は高揚し熱気も高まっていきます。
ちなみに、櫓の上で太鼓を打つ人は「太鼓打ち」呼ばれ、この祭の主役的存在で一生に一度あるかないかの名誉のある役目です。
見所は、「付け太鼓」と呼ばれる30cmの小太鼓を持った若者が、大太鼓をめがけて櫓に突っ込み「付け太鼓」を櫓の直後に付けることが名誉となるため、町内12の各組が作戦を立てて我組先にと櫓に進むが、それを阻む各組の「付け太鼓」と櫓を守る「後衛」との場所取り争奪戦が大迫力で勇ましく素晴らしい!
棒上で舞う勇ましい男達の演技が古川祭「起し太鼓」打ち出し(動画)
「気多若宮神社」の詳細情報
【気多若宮神社】
住所:〒509-4212 岐阜県飛騨市古川町上気多1297番地
TEL:0577-73-2568
「起し太鼓の里」協会:飛騨古川まつり会館ホームページ
【利用可能時間】
境内年中参拝可能
【アクセス】
マイカー:東海北陸自動車道の飛騨清見ICを降り約30分
北陸自動車道の富山ICを降り国道41号経由約90分
中部縦貫道の高山ICを降り国道41号経由約35分
JR:JR高山線飛騨古川駅から徒歩13分
【お宿情報】:>>気多若宮神社の周辺宿はこちら【楽天トラベル】
【気多若宮神社周辺マップ】