
鳥取県の米子市に、天守閣跡の山頂から望めば市街を360度の大パノラマビジョンで堪能できる絶景ポイント「米子城跡」があり、城跡は国史跡に指定されています。
建物は残っていませんが、本丸石垣など城郭の形をとどめた城跡で、お城があった頂上には天守の礎石が残されています。
本丸エリアまで登って来た時、最初に見える立派な石垣は美しく、大きさに圧倒されます。
城跡の中でも、ここまで原型をとどめている石垣は少なく貴重で、かつてのお城の姿を創造させる。

「米子城跡」は、JR山陰線米子駅から比較的近い場所にあり、タクシーで5分弱、歩いても約20分程で行け、そこから山頂までは約15分ですので1.5~2時間位あれば、城跡と素晴らしい景色の両方を満足することができる観光ポイントで、春には桜の美しい名所として隠れスポットにもなっています。
標高90mの湊山(みなとやま)山頂に、山陰で最初に築城された米子城は、天守のある本丸を中心にした典型的な平山城で、高さ20mの五重の天守閣と高さ15mの四重の副天守閣を持った山陰随一の名城であったいわれています。
米子城は別名「久米城」と呼ばれ大小二つの天守閣を持つ壮麗な名城

上記の米子城絵図で、当時は山頂に四層五重の天守閣と四重櫓(しじゅうやぐら)の副天守閣の二つの天守を持っていた壮麗なお城であることがわかります。
二つの天守を持つものは、全国でもまれで希少なお城であったといえます。

米子城の配置
標高90mの湊山山頂には、総石垣の本丸と北尾根に内膳丸(ないぜんまる)、東尾根の飯山(いいのやま)に采女丸(うねめまる)、山麓には二の丸・三の丸・船手郭(ふなてくるわ)が配置されていました。

北側には丸山があり、東側には飯山、そして南西側には中海を配する天然の要衝で囲まれた立地で、内堀・外堀を巡らせ外郭に武家屋敷のある、典型的な平山城としての形態をなすお城です。

米子城絵図と城跡現在のマップを比較して見ると全体的に森で囲まれてはいますが、標高90メートルの湊山の頂上にある、本丸の石垣や輪郭はしっかりと当時を面影をとどめています。
米子城の築城と廃城の悲しい歴史
米子城のはじまりは、応仁から文明年間に山名宗之(やまなむねゆき)が飯山(いいやま)に砦として築いたとされ、その後、本格的な城として築城が開始したのは天正19年(1591年)西伯耆の領主であった吉川広家(きっかわひろいえ)で、関が原の合戦で敗れ完成をみずに国替えとなった、この時7割程の完成だったといわれます。
慶長6年(1601年)に、伯耆国の領主となった中村一忠(なかむらかずただ)が、築城を再会し慶長7年(1602年)に、米子城の完成となる。
明治2年(1869年)に藩庁へ引き渡されるまで、城主は3人変り、最後の城主は鳥取藩の家老であった荒尾成利(あらおなりとし)でした。
その後廃城、士族に払い下げられた米子城は、明治6年(1873年)にわずかな値段で建物の大部分が売られ、数年後には解体となり風呂屋の薪になってしまったという、悲しくもはかない米子城だったのです。
天守台のある湊山頂上へ!絶景を360度大パノラマで眺める

西登山口側からの登山入口。

西登山入口側(下記写真赤字)の直ぐ前に湊山公園の駐車場がありますので、マイカーで来られる方はこの駐車場を利用して登るのが良いです。

西登山口側付近にある案内板。
山頂まで約15分ですが、比較的斜面が急なのできついです。
西登山口から登る

西登山口側から本丸へ出発です。

幾重にも曲がった石段を登っていきます。
こんな階段や斜面が続きますので、ヒールや革靴は足が痛くなります。
運動靴や登山靴がお勧めです。
本丸の守りを強化した内膳丸

本丸への途中に、「内膳丸跡(ないぜんまる)」があります。
内膳丸は、本丸の守りをより強くするため丸山に作られた郭で、伯耆城主の中村一忠の家老であった横田内膳が築いたので内膳丸と呼ばれます。

「内膳丸」入口階段の左右に石垣が設置されている。
一の段郭と二の段郭の二段に構成された「内膳丸」は、二の段郭に角櫓と蔵がありました。

階段上は「内膳丸虎口」の左右の石垣。

「内膳丸虎口」を入ると内膳丸下段は広い平地で、奥にもう一つ石段と左右に石垣が見える。

内膳丸上段も広く、当時は二重櫓がいくつか建てられいたといいます。
西の防衛のため、「内膳丸」から本丸にかけて石垣が設けられていました。
現在は、一部を残し崩落しています。
中海の美しい景色を眺めることができます。

市営湊山庭球場。
東側にも入口!東登山口から登る
二の丸は、現在、市営湊山庭球場になっており、テニスコート裏側にもう一つ、「東登山口」があります。
米子駅から徒歩で来た場合は、東登山口側から登る方が近いです。

こちらも、急斜面が続く道となっています。

途中、本丸跡の案内板が見えてきました。
山頂まで、約8分です。
下から見えてくる本丸跡は大きくて感動の素晴らしさ!

本丸が見えてきました。
ここまで来ると本丸山頂までもう少しですが、普段、運動していないせいか息が切れ足がパンパンでした。

本丸は、天守郭・水手郭・遠見郭・番所郭を高石垣で囲った構成で築城されていす。

本丸には崩れることなく、しっかり石垣が残されていて見て感動で、また当時のお城も創造させられる。
右上側が天守台の石垣、左側の石垣が副天守台です。
番所や蔵が配置されていた番所郭

番人が詰めている施設があった「番所跡」。
天守郭の東下段にあたる番所郭には、当時、番所や蔵が配置されていました。
番所は、本丸を警備する他、領内の産物が他領へ流出するのを監視したり,出入りする物資に一定の割合で徴税をしていたといわれています。

本丸南虎口のようす。
天守の入口をかためる鉄御門

「鉄御門跡(くろがねごもん)」
天守の入口を厳重にかためる鉄張りの堅固な門で、間口約12m・奥行4.5mの2階建。

右手を見れば、副天守台の石垣がそびえる。

「鉄御門跡」左に曲がれば本丸が見えてきます。
広い本丸には天守台と副天守台が当時の形を残す!

本丸のようす。

本丸と礎石。

左の石垣が天守台で、右側が副天守台となります。

本丸の天守台は広く、石垣が当時の形態を保っている。
天守台から眺める絶景ポイント!

天守台の先端近くにベンチが一つ設置されています。
この位置が、景色を最も楽しめる絶景ポイントとなります。

天守台から見る米子市街。
まさに、360度大パノラマの眺望には感動します。

米子市街には大きな建物が無いので、天守台先端から見る景色は絶景!
北に日本海、西に中海や弓ヶ浜半島、東に大山、出雲の平野部や島根半島も一望でき、見下ろせば城下町の米子と圧巻の眺望です。
春はこのポイントの桜が美しい遠見櫓跡

天守郭の北下段(写真奥の下段)に遠見櫓跡が見えます。

桜の名所でもありますので、春には美しい桜が咲き誇り多くの人々で賑わいます。

「遠見櫓跡(とおみやぐら)」
遠見郭には、遠見櫓と二重櫓を配していて「着見櫓跡」とも呼ばれます。
船小屋へ通ずる水手御門

本丸から、こちら石垣を抜ければ水手御門跡へ。

中海側に配置される「水手御門跡」。
ここから船小屋へと続く道があります。
昔内堀だった場所に今は医大病院が建っている!

内膳丸方面の内堀には、現在、鳥取大学医学部付属病院が建っています。
米子駅前

米子駅前の米子市文化ホールと前方にハーベストINホテル。
米子駅から徒歩であれば、米子市文化ホール前の道を真直ぐ北へ進めば、約20分程で「米子城跡」に到着します。
まとめ
「米子城跡」は、米子市街地にあるため米子駅から近く、立地の良い場所にあります。
のんびりと季節の木々や花を楽しみながら湊山を登れば、目の前に名城といわれた城跡が現れます。
大きさや保存状態が良く、下から見る石垣や天守台の素晴らしさに感動です。
そして何と言っても、天守台からの眺望は絶景で360度見渡せる大パノラマです。
また、昼のみならず初日の出のスポットでもあり、夜には市街地のネオンが美しく、ロマンティックな場所としておすすめです。
湊山公園や日本庭園、36基の彫刻作品のある米子彫刻ロード、中海などの見所も隣接していますので、カップルや子供連れでも楽しい場所となっています。
米子城跡の詳細情報
【米子城跡】
所在地 | 〒683-0824 鳥取県米子市久米町 TEL:0859-23-5436(米子市・文化課) |
料金・時間 | 無料・時間自由 |
アクセス | JR:山陰本線・米子駅より徒歩約20分 タクシーで約5分 |
お宿情報 | 米子城跡の周辺宿詳細☞【楽天旅ノート】 |
周辺観光地 | 米子水鳥公園・水木しげるロード・大山と大山寺 トムソーヤ牧場・鳥取花回廊・ 足立美術館 |
<米子城跡周辺マップ>