【近畿】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 生まれてから、行動することでおこりえる後天運をより良いものにするため開運(金運・愛情運・仕事運・健康運・人気運) に関する情報をお届けします。 Fri, 01 Sep 2023 06:48:10 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 https://kaiun.website/wp-content/uploads/2015/10/cropped-torii2-32x32.jpg 【近畿】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 32 32 【比叡山延暦寺】パワースポット巡りと根本中堂に隠された5つの秘密 https://kaiun.website/archives/3092 Wed, 30 Aug 2017 23:11:21 +0000 http://kaiun.website/?p=3092 「比叡山延暦寺」は、京都市と滋賀県大津市をまたぎ東山三十六峰(標高848m)の北側に位置する比叡山にあり、平安京の鬼門を守護するために創建された天台宗の総本山。

1200年間、今も尚、最澄が祈りを続けていると言われる日本仏教の一大聖地です。

1994年(平成6年)に、古都京都の文化財の一部であり、代表的な日本仏教の聖地としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

比叡山全体が延暦寺の境内で、500ヘクタールもある広大な敷地の中に約150ものお堂が並び、大きく分けて東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三つのエリアで形成されています。

織田信長の焼き討ちなど多くの戦国武将とも関わりを持ち、又、多くの著名な僧を輩出している延暦寺は、日本仏教の母山とも言われるだけに多くのパワースポットも存在しますのでご紹介致します。

比叡山延暦寺は幾度の苦難を乗り越えてきた日本仏教の母山


延暦寺の開山は、788年(延暦7年)に最澄が薬師如来を本尊とする「一乗止観院(いちじょうしかんいん):現在の根本中堂」を創建し比叡山を開いたのがはじまりです。

延暦寺という寺号は、開創時の年号の延暦から付いており、最澄が亡くなった823年(弘仁14年)からです。

ここで最澄は、仏教によって国家を守護し安定させるため、指導者を育成する12年間の教育制度を作り、日本仏教に名を残す親鸞(しんらん)・法然(ほうねん)・日蓮(にちれん)・道元(どうげん)・一遍(いっぺん)・栄西(ようさい)などが修行をしたことから「日本仏教の母山」と仰がれています。

<親鸞聖人修行の地>

3000もの寺院が立ち並らんだ最盛期には、武力化も進み僧兵も大きな勢力となっていきます。

しかし、織田信長と敵対し1571年に織田信長の焼き討ちにあい、「一乗止観院」の跡に比叡山の総本堂である根本中堂を建てるも、瑠璃堂を除く全ての堂塔は焼失してしまいましたが、「不滅の法灯」は消えることなく1200年経った今でも柔らかな光を放ち灯り続けています。

その後、根本中道は1642年(寛永19年)に徳川家光により再建されました。

 

延暦寺境内は三つのエリアに分かれるご利益スポット!


境内は、あまりに広いため大きく三つのエリアに分けられ、「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の三塔とさらに細かく三塔十六谷二別所の堂塔が流麗な寺観を形造っています。

そして、境内全域がパワースポットになっています!


4000人いる天台宗の僧侶は、現在でも、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」や「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」の厳しい修行を続けている。

東塔(とうどう)エリア


比叡山の中心的な堂の根本中堂を中心としたエリアで、延暦寺発祥の地です。

その根本中堂は、最澄の開いた一乗止観院の場所にあたり、創建1200年以来一度も消えたことのない「不滅の法灯」が灯されています。

文殊楼・大講堂・阿弥陀堂・大黒堂・戒壇院や昭和55年に再建された法華総持院東塔などが堂々たる風格を感じさせる。

また、延暦寺の数々の国宝や重要文化財が収蔵された現代的なコンクリート作りの国宝殿もあります。

<東塔エリア-北谷・東谷・南谷・西谷・無動寺谷>

主なお堂 詳細
根本中堂 三塔の中堂の中でも最大の仏堂で、延暦寺の総本堂
大講堂 1964年に坂本の讃仏堂を移築したもので、ご本尊は大日如来
阿弥陀堂 檀信徒の先祖回向の道場で、1937年(昭和12)に建立され本尊は丈六の阿弥陀如来
法華総持院東塔 1980年(昭和55年)に再建された多宝塔型の塔で下層に大日如来と五智如来が祀られる
文殊楼 延暦寺の山門で二階建てとなっており、階上には文殊菩薩を安置されています
大黒堂 日本の大黒天信仰の発祥の地で、本尊は、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった「三面出世大黒天」

 

<大講堂>

<阿弥陀堂と法華総持院東塔>

西塔(さいとう)エリア


比叡山の中でも歴史的な建築物が残るエリアで、今でも古くからの修行が行なわれています。

東塔エリアとは違い、老杉に囲まれ静けさを感じさせる西塔エリア。

西塔は、第2世天台座主・寂光大師円澄によって開かれ、本堂は釈迦堂(転法輪堂)で第5世座主・智証大師円珍が三井寺の園城寺の金堂を西塔に移築したものです。

唯一、織田信長の焼き討ちに免れた瑠璃堂もあります。

<西塔-東谷、南谷、南尾谷、北尾谷、北谷>

主なお堂 詳細
釈迦堂 西塔の本堂にあたり、延暦寺に現存する建築中最古のもので、ご本尊は釈迦如来
浄土院 56歳で入寂された最澄の遺骸を安置した場所で今では十二年籠山の僧が毎日仕えている
常行動・法華堂(にない堂) 同形の2棟のお堂が左右に並び、法華堂の本尊は普賢菩薩で常行堂の本尊は阿弥陀如来
瑠璃堂(るりどう) 信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂

 

<にない堂>

<瑠璃堂>

http://lucky-day.at.webry.info/201510/index.html

横川(よかわ)エリア

横川エリアは、東塔や西塔より北へ少し離れた場所にあり、第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開かれました。

神秘的な感じの横川エリアは、修行地としての色合いが強く、鎌倉新仏教の親鸞や道元・道元などが修行をした場所で静寂な雰囲気に包まれています。

おみくじ発祥の地と言われる元三大師堂などがあり、比叡山の鬼門を守っています。

<横川エリア-香芳谷・解脱谷・戒心谷・都率谷・般若谷・飯室谷>

主なお堂 詳細
横川中堂 横川の本堂で、舞台作りは船の浮かぶ姿に見え、本尊は聖観音菩薩
四季講堂(元三大師堂) 元三大師堂は、慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡で、四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれます。
恵心堂 恵心僧都源信の旧跡で、仏三昧の道場、本尊は阿弥陀如来を祀る

 

<四季講堂(元三大師堂)>

<恵心堂>

 

日本仏教の礎を築いた天台宗開祖・伝教大師最澄とは!


767年に、最澄は近江国(滋賀県)の渡来人(とらいじん)家系で門前町の坂本に建つ生源寺に生まれ、12歳より地元の国分寺で学び、20歳になった時に東大寺にて具足戒(ぐそくかい)を受け正式な僧になります。

788年、比叡山に現在の延暦寺となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建立。

故郷の比叡山で修行中、中国天台宗の開祖である智顗(ちぎ)の法華経の利他(りた)「他人の救済を優先する」の教えに深く感銘する。

12年間の延暦寺での修行中に「一隅を照らす」の悟り開く。
「悪事を己に向かえ 好事を他に与え 己を忘れて他を利するには 慈悲の極みなり」

やがて、世俗化する南部六層の嫌気をさしていた桓武天皇と出会い、「空海(弘法大志)」と共に遣唐使として唐に渡り、天台学を学び大乗菩薩戒(だいじょうぼさつかい)を授かります。

帰国後、中国天台宗の法華経を基礎に善や密教・戒律を融合し日本独自の総合仏教を体系化、805年に天台宗を開く。

延暦寺を拠点に各地を布教、鎌倉新仏教となる名だたる開祖、法然(ほうねん)・親鸞(しんらん)・一遍(いっぺん)・栄西(えいさい)・日蓮(にちれん)・道元(どうげん)らが学び巣立っていきます。

最澄死後(767年~822年)、日本で初となる大師号「伝教大師」の称号を朝廷より贈られました。

 

普通の山門とは違う「文殊楼」は受験合格のパワースポット!


「文殊楼(もんじゅろう)」は、延暦寺全体の玄関にあたる建物で、延暦寺の正式な参拝ルートは門前町坂本から登り、比叡山にお参り後、この文殊楼を参り根本中堂へと向かいます。

文殊楼には、他のお寺の山門と違うポイントがある、それがお堂になっていることです。

二階へ上がれる山門は、昔、90日間の座禅を続ける「常座三昧(じょうざざんまい)」の修行が行われていました。

二階には、知恵を司る「文殊菩薩」が祀られており、受験合格・学業成就のパワースポットとなっているため多くの受験生が訪れます。

 

「大黒堂」祀られる大国様には三つの顔がありご利益も多い!

文殊楼から歩いて1分程の所にある「大黒堂(だいこくどう)」は、豊臣秀吉ゆかりのお堂で、日本で最初に大国様をお祀りしたお堂でもあります。

大黒天は、仏教では天部に属する神であり、神道では七福神の一柱の大国様として食物・財福・商売繁盛のご利益をもたらす神様です。

「大黒堂」の大黒天は少し変わっており、三つの顔を持った三面大黒天で「三面六臂大黒天(さんめんろっぴだいこくてん)」と呼ばれています。

三つの顔は、三つの仏が合体したもので、左側に毘沙門天・中央に大黒天・右側に弁財天の顔となります。

どうしてこの姿になったのか?逸話があります。

『最澄が、比叡山で修行を行っていた時に現れたのが大黒天で、世のため人のために頑張るのなら1000人の修行僧が来ても困らぬように食事の面倒を見ると告げられたのです。

しかし最澄は、もっと多くの人材を育てたいので1000人では足りないことを言うと、大黒天は毘沙門天様と弁財天様をお連れになり、3人合わせて3000人の修行が出来るように三体の仏様が一体となったと言われています。』

「三面六臂大黒天」一体で、大黒天の食物・財福・商売繁盛、毘沙門天の力と勇気、弁財天の美と才能のご利益が授かります、また、豊臣秀吉が深く信仰し活躍したことから出世運のご利益も授かります。

「開運の鐘」撞けば誰でも運が開けるご利益スポット!

東塔エリアの大講堂の近くにある鐘楼(しょうろう)には、「開運の鐘」または「平和の鐘」と呼ばれる梵鐘(ぼんしょう)があり、誰が撞(つ)いても名前のごとく運が開けると言われるパワースポットです。

梵鐘は、法要など仏事の予鈴として撞いたり、時報を知らせるなど仏教では重要な役割があります。

梵鐘の梵と言う字は、梵語(サンスクリット)で「神聖・清浄」という意味が込められており、この音に包まれているだけで心を浄化し清らかにしてくれます。

また、「魔」が逃げて行くという音でもあるのです。

By: James Gochenouer

延暦寺に訪れたなら、是非、試しておきたい開運スポットです!

撞くときは、願い事をしながら遠くまで音が響くよう力いっぱい撞けば、開運効果もUPするようです。ちなみに一叩き50円が必要です。

 

「根本中堂」最澄が仕掛けた5つの秘密が隠されている

「根本中堂」は、1200年前に最澄が比叡山を開くため最初にお堂を建てた「一乗止観院」の場所なので、比叡山の中心的なお堂となります。

現在の「根本中堂」は、織田信長による焼き討ちで焼失したため、徳川家光が9年の歳月をかけて1642年に再建したものです。

1955年(昭和30年)の昭和の大改修以来約60年振りに、2016年(平成28年)より10年かけて平成の大改修が始まりました。大改修中も参拝はできますし、工事間中だかこそ、普段見ることの無い貴重な改修作業も目にすることができますのでこの機会も見逃せません。

比叡山の中心となすお堂だけに、パワーを一番感じる場所なので、謙虚な気持ちなれ心が落ち着き思考も冴えてきます。また、「根本中堂」の内部には、ご利益が最大限に得られるよう最澄がお堂に仕掛けたものなど5つの秘密が隠されています。

「根本中堂」は三つのお堂が集まったもの(秘密①)

「根本中堂」を外観から見ると一つのお堂のように見えますが、実は経堂・薬師堂・文殊堂の三つのお堂が集まって建つ造りとなっています。

これは、比叡山の冬は雪の多い厳しい環境から考えられたもので、三つのお堂を大きな一つのお堂で囲ったので、建物の中にさらに建物がある造りとなっています。

仏様の高さはお参りされる人と同じ高さになっている(秘密②)

お堂内の内陣の床は外陣より3m低くなっており、内陣の厨子(ずし:仏像を安置する仏具)に安置される薬師如来像と参拝者の高さが等しくなっています。

法華一乗では、仏様と人は同じであるという教えがあり、誰でも等しく人は仏様になる素質を持っている、その意味で同じであることを「同じ高さ」で表しています。

本尊は薬師如来ですが最澄がそれを選んだ理由(秘密③)

普段は、最澄が一刀三礼して彫ったご本尊の「薬師瑠璃光如来」は秘仏のため拝めませんが、拝めるのは「御前立」の仏像です。

最澄がご本尊に薬師如来にした理由があり、それは過去でも未来でもなく、現在の世の中を良くしたい人々の悩みを救いたいという気持ちから、身体や心の病を治す薬の仏様である薬師如来を選ばれたのです。

天井に彩色で描かれる百花の図は仏様のお供えもの(秘密④)

根本中堂内は外陣・中陣・内陣に分かれており、中陣の天井には仏様のお供えとして「百花の図(花天井)」が描かれています。

「百花の図」は、織田信長の焼き討ちで焼失したお堂は徳川家光により再建さますが、この時に大名たちがそれぞれの地域を表す花として献上したものです。

生花と違い、いつまでも枯れない花として極彩色の二百もの草花が、静寂な雰囲気の中で仏様のお供えものとして天井に飾られています。

1200年間途絶えたことのない灯火「不滅の法灯」(秘密⑤)

ご本尊である薬師如来像の正面には、3つの釣燈籠が並び最澄が灯してから1200年間一度も絶えたことのない灯火があります。

これを「不滅の法灯」と言い、比叡山焼き討ちにより途絶えたかと思われた「不滅の法灯」は、6人の僧侶の努力によって山形県の立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていました。

<山形・立石寺>その後、根本中堂が復興されされたため、延暦寺に持ち帰り再びその火を灯し現在まで受け継がれています。

伝教大師最澄と根本中堂(動画)

 

比叡山で一番の聖地「浄土院」は過酷な修行の場でもある

「浄土院(じょうどいん)」は、根本中堂から歩いて約15分の東塔と西塔の境目にあり、比叡山の一番の聖地と言われています。

それは、今も人々の幸せを祈り続けている最澄の遺骸が、この裏の「伝教大師御廟(でんきょうたいしごびょう)」にあるからです。

「浄土院」には、12年間一人で生身の最澄に仕える僧侶の「待真(じしん)」「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」の修行を行っています。

待真は、約4000人いる天台宗の僧侶の中でたった一人しかなれません。

比叡山には、7年間山を歩き回り、途中9日間は食事も睡眠も取らず不動真言を唱える「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」がありますが、「十二年籠山行」はそれよりも更に厳しい修行となります。

毎日、厳しいお勤め行う修行僧の決意と最澄の思いが感じられる「浄土院」からは、静寂の中、厳そかな雰囲気の空気が流れているパワースポットです。

 

比叡山延暦寺の宿坊「延暦寺会館」で写経や座禅を体験!

延暦寺を一日ゆっくりと各エリアをお参りするのなら、境内の東塔エリアにある宿坊「延暦寺会館」一泊するのがおすすめです。

延暦寺にも一番近く、清い空気の中、宿坊ならではの写経や座禅の体験は自分を見つめなおす良い経験となるからです。

また、琵琶湖を望む景色の良さや精進料理を堪能して、朝の根本中堂でのお勤めを行えば、身も心も浄化され忘れえぬ旅の思いでになるのではと思います。

お寺参りの宿泊なら、一度は試してみたい宿坊ですね!
詳細⇒宿坊「延暦寺会館」

 

比叡山「延暦寺」の詳細情報

【天台宗総本山・比叡山延暦寺】
所在地 <延暦寺>〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町 4220
TEL:077-578-0001 (代)
FAX:077-578-0678
公式ホームページ⇒http://www.hieizan.or.jp/
参拝時間 【東塔エリア】
3月~11月:8:30~16:30
12月:   9:00~16:00
1月~2月: 9:00~16:30【西塔・横川エリア】
3月~11月:9:00~16:00
12月:   9:30~15:30
1月~2月: 9:30~16:00

拝観料:三エリア共通券(大人700円・中学生500円・小学生300円)
国宝殿拝観料:大人500円・中学生300円・小学生100円

アクセス 電車JR京都駅(湖西線)~比叡山坂本駅乗換~江若バス~
ケーブル坂本駅~坂本ケーブル~延暦寺駅~徒歩約8分マイカー名神自動車道(京都東I.C)降り~藤岡南ランプへ
西大津バイパス~近江神宮ランプ~山中越え~田の谷峠~
比叡山ドライブウェイ~延暦寺
駐車場比叡山・奥比叡ドライブウェイ内の駐車料金は無料
    東塔駐車場(270台)・西塔駐車場(75台)・横川駐車場(80台)
    他、比叡山登仙台・夢見ヶ丘・比叡山頂の全6箇所
お宿情報 >>比叡山延暦寺の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 日吉大社近江神宮琵琶湖ミシガンクルーズ滋賀近代県立美術館
ガーデンミュージアム比叡三井寺琵琶湖花噴水柳が崎湖畔公園庭園

 

<比叡山延暦寺の周辺マップ>

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春日大社のご利益に迫る!開運必至のパワースポット10選 https://kaiun.website/archives/2900 Tue, 01 Aug 2017 12:41:05 +0000 http://kaiun.website/?p=2900

「春日大社(かすがたいしゃ)」は、全国に約1000社あるとされる春日神社の総本社で、奈良市街地の東方に広がる連山の中央の三笠山(古名:三蓋(みかさ)山・春日山)より西麓の奈良県奈良市春日野町に鎮座します。

境内約30万坪という広大な聖域内には、神鹿(しんろく)である鹿が共存し、御祭神の4柱を祀る本殿他、若宮神社と人気の若宮15社めぐり、春日の燈籠呼ばれる3000基の燈籠、また摂社・末社は全部で六十一社もあり、まさに春日信仰の聖地と言うべきものです。

古都奈良の文化財として1998年(平成10年)に世界遺産に登録され、回廊が特徴的な春日造りに朱色の社殿の美しさで、国内はもとより多くの外国人も訪れています。

境内には、女性的で穏かな気が流れており、女性が参拝すれば
「仕事や才能が開花し出世運がアップするご利益」
授かるので女性におすすめのパワースポットでもあります。

男性には、「強い精神力・実行力がいただけ権力」
を手にできるご利益があります。

また、縁結びや夫婦円満・開運招福」など多くのご利益も授かる春日信仰の聖地、「春日大社」の開運スポットをご紹介します。

春日大社

〇境内約30万坪に、神鹿と共存する春日大社は、春日信仰の聖地として知られる。
〇女性には仕事や才能の開花、男性には強い精神力や権力を手にするご利益がある。
〇美しい朱色の社殿と回廊で有名な春日大社は、1998年に世界遺産に登録されている。
〇境内には60以上の摂社・末社があり、若宮15社めぐりや春日の燈籠など見所が豊富。〇 穏やかな気が流れる境内は、女性におすすめのパワースポットであり、多くの外国人も訪れる。

30万坪の広大な境内!しかし驚くことに明治新前は今の10倍

パワースポット!

原始林が広がる神山の三蓋山や草原の飛火野(とびひの)・御社頭・萬葉植物園・鹿苑などを含めた境内地は現在約30万坪と広大で、一之鳥居から社殿まで続く表参道も約1.4kmもありその大きさが伺える。

明治維新前にさかのぼれば、数多くの武将に庇護された春日大社は戦乱の世において一度も焼討ちに遭っておらず、国家鎮護の春日大神様として境内地は今の10倍の約300万坪に及んでいました。

しかし、都が東京となり明治迎えると春日山の花山と芳山が国へ上地されることとなり、境内は現在の広さとなっています。

都会の中にあって人と自然が共存するこの場所には、御神山の三蓋山から清らかな空気が流れ込み、人の心を落着かせてくれるそんなパワーが感じられます。

 

奈良公園!奈良だからこそできる貴重な体験

見所スポット!

奈良公園は、奈良市街の東側地域の総称で、その面積は660ヘクタールにおよび都市公園では国内では最大級です。

都市と自然と文化遺産が一体となった奈良公園は、春日大社の境内を含み、若草山や東大寺・正倉院・奈良国立博物館なども全てこの公園内に入ります。

中でも、奈良公園ならではの貴重な体験と言えば鹿と身近に触れ合えることです。

奈良公園の鹿の凄いところは、人間が飼育しているわけでなく、また、鹿はただ居るわけでもなく、人間と鹿とが共存しているのです。

都市のど真中に動物と人間が共存している場所は、世界を見ても奈良公園しかないと思います。
そんな凄い場所なんです。

そもそも何故、奈良の市街地に鹿が放たれているのか?

説によれば、奈良時代に平城京鎮護するため鹿島神宮(茨城)より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神として勧請する際、白い鹿に乗って奉還されたそうです。

奈良の鹿は白鹿の子孫と言うことで、それからは、神鹿(しんろく)として敬愛され、大切に保護し現在に至ります。

戦後の混乱期には、食糧難や野犬などで絶滅の危機に追いやられていましたが、現在は約1200頭程となり、奈良公園の重要な顔として観光客に親しまれています。

春日大社の創建と御祭神!本殿は平城京と同じ思想で建立

「春日大社」の始まりは、平城京遷都の際に、鹿島神宮より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を三蓋山に御祀りしたことからで、その後の768年(神護景雲2年)十一月九日に、藤原房前の息子の藤原永手(ながて)により香取の経津主命(ふつぬしのみこと)と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(あめのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)を併せ、御蓋山の麓に四つの社殿を創建したことからです。

日本の古社 春日大社

通常、御本殿に行くには三条通を突き当った所にある、第一之鳥居から入り参道を歩いて第二之鳥居・南門へと進んでいきます。

第一之鳥居から本殿まで約1.4km程あり、普通に歩いて約20分位かかります。

途中に、見所も沢山ありますので時間が有れば立ち寄るのも良いですね。

参道沿いの名所

見所スポット!

御神木の影向の松(ようごうのまつ)・・若宮おん祭では、この松の前で「松の下式」が行われます。

勝敗榊(しょうはいさかき)・・若宮おん祭の競馬の決勝点。

飛火野(とびひの)・・東西に芝生が広がる場所で、御祭神が春日へ着くさい日が暮れたため火を灯したが、その火は消えず飛び回ったのでこの名前になったと伝えられる。

萬葉植物園(まんようしょくぶつえん)・・昭和7年に日本で一番古い萬葉植物園として開園。春日大社の社紋は藤の花であることから、約9000坪の園内には、20品種・約200本の藤の木が植えられています。

 

御本殿には4柱の御祭神を祀る朱色の4殿が色鮮やかで美しい!

パワースポット!

御本殿は、写真右から第一殿・第二殿・第三殿・第四殿となり、式年造替(しきねんぞうたい)制度によって二十年に一度、御殿の建て替が行われ今までに60回を数え、現在、平成19年の一ノ鳥居から造替が始まっていて平成28年の御本社御本殿の正遷宮をもって終了します。

本殿配置  御祭神:春日神(4柱の総称) 藤原氏氏神 勧請元神社 
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 藤原氏守護神 常陸国鹿島の神(鹿島神宮)
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 藤原氏守護神 下総国香取の神(香取神宮)
第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 藤原氏の祖神 河内国平岡の神(枚岡神社)
第四殿 比売神(ひめがみ) 天児屋根命の妻 河内国平岡の神(枚岡神社)

 

ご本殿は、唐の思想に習った平城京と同様の考え方で建てられているため、南に正面を向き北が御本殿の背になる天子南面で建てられています。

色は鮮やかな朱色で施されており、これも平城京の大極殿(だいごくでん:朝廷の正殿)と同色となっています。

朱色は命の尊さを表す色で、「春日大社」は朱色を社殿に取り入れのが日本の中で最も早い神社の一つにあげられます。

<平城宮跡・大極殿>

「春日大社」は、奈良から明治時代の千年以上は「春日社」と呼ばれており、その後「官幣春日神社」となり、現在の「春日大社」と呼ばれるようになったのは戦後で、全国の春日神社の総本山であることからです。

社頭の大杉

パワースポット!

「社頭の大杉」は、中門の横にある樹齢約1000年とも言われる御神木です。

鷹さ25m・周囲8.7mの大木で、写真では見えませんが、この裏では一本の槙柏(しんぱく:伊吹といわれる)が斜めに伸びたため屋根に穴を開けて大切に保護しています。

1000年もの間生き続ける「社頭の大杉」のパワー強く、触れるだけで全てを浄化して貰える気がします。

本殿へ入る前に、一度立ち寄り御神木に触れ心の浄化してから、御祭神のご利益いただければ開運もアップするのではないでしょうか。

春日祭!古式ゆたかな祭は日本の三大勅祭の一つ

見所スポット!

「春日祭」は、平安時代の古式にのっとた例祭で、毎年三月十三日に宮中より天皇の勅使(ちょくし)をお迎えして行われます。

京都の賀茂祭(葵祭り:上賀茂神社・下鴨神社)石清水祭(石清水放生会:石清水八幡宮)と共に、日本の三大勅祭(さんだいちょくさい)の一つです

歴史は古く、奈良時代から行われてきた例祭ですが、現在のように盛大な「春日祭」となったのは、文徳(もんとく)天皇の時代の嘉祥(かしょう)二年(849年)で、毎年春の二月と冬の十一月の上の申(さる)の日に行われていました。

<春日祭は、中門前に高倉天皇が植樹した林檎の木(林檎の庭)を中心に行われる>

しかし、明治三年(1870年)に全国の神社の祭典の合一化によって年一回と変わりましたが、その後、明治天皇が明治十九年(1886年)に古い時代のものに戻され、この年の旧暦二月上の申の日が三月十三日であったため、以後この日を「春日祭」の祭日と定めました。

このような歴史から奈良市民は、「春日祭」を親しみをこめて「申祭(さるまつり)」ともよびます。

三月十日・十一・十二に前儀・十三日に本祭・十四日に後儀を古式ゆかしく行われます。

春日祭行事日程⇒こちら

「春日祭」勅使を迎えての儀(動画)

★御戸開之儀(みとびらきのぎ)・・御祭りにあたって御殿を開く重要な儀
★祓戸之儀(はらえどのぎ)・・二之鳥居内の祓戸神社にて中臣祓いを受ける儀
★御棚神饌(みたなしんせん)供進・・勅使みずから黒楉(くろもじ)の木の台にのせて、熟饌を本殿へ運ぶ式

祓戸神社!罪を祓ってくださる神がいる

パワースポット!

「祓戸神社(はらえどじんじゃ):末社」
は、第二之鳥居を入るとすぐ左手に見えます。

春日祭での勅使における祓戸の儀はこの神社の前で行われ、また、年々の大祓式もここで行われます。

御祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で祓いの神

犯した罪を改めて祈るとその罪をお祓いしてくださる、聖母様のような神様です。
自分が気ずいていない罪もあるかもしれません、是非、参拝しておきましょう。

 

若宮神社!奈良生まれの若く強い御子神様

パワースポット!

「若宮神社(わかみやじんじゃ)」は、本社南門から東南へ御間道(おあいみち)を歩いて約100mの所に鎮座しています。

「若宮神社」の始まりには誕生秘話があり、御本殿である第四殿の大床より3升ほどの水の塊りができ、その中から神様の化身が現れ第四殿内に入っていったのを中臣是忠が拝見したそうです。

その40年後、6歳の童子が神がかりとなり高く浮き上がり、「春日大明神は神饌(しんせん:お供え物)を受け入れない」とおっしゃられ、神よりの御加護はないことを知った者たちは大騒ぎとになり、新しく誕生された五所王子(ごしょのみこ)に神饌がお供えしていなかったことにきずきます。

それまでは、比売神(ひめがみ)の子として第四殿の相殿とし、一緒に神饌をお供えしていたのですが、子供が大きくなるのと同じようにその時期は過ぎていたのです。

そして、御本殿の第二殿と第三殿の間の「獅子の間」に五所王子を奉祀して、神饌を丁寧にお供えしました。

その後も、丁重に御祀りしましたが、天災や飢餓・疫病が流行るようになり、神霊新たかな春日の若宮様の御加護を得るために新しい御殿の建設に入り、保延元年(1135年)2月27日完成し本殿東南に御遷座されました。

これが若宮社で、若宮本殿は本殿の第一殿とほぼ同じ大きさで大宮(本殿)と若宮は同格とされています。

「若宮神社」の御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」で、第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神(みこがみ)です。

「天押雲根命」は生命の根源である水から生まれたため、生命力や知恵のご利益が授かります。

春日若宮おん祭!約900年間途切れずに続く贅をつくす大祭

見所スポット!

「春日若宮おん祭」は、若宮の御祭神(天押雲根命)のお祭で、若宮本殿が創建された次の年の保延二年(1136年)九月十七日に、若宮の御神助を願って五穀豊穣・天下泰平・万民和楽(全ての人が和やかに楽しく過ごせる事)を祈願し始められたものです。

当時、洪水や飢餓・疫病が流行っており政情も不安定であったため、水神の力を持つ若宮様の力が必要であったのです。

おん祭を開始してからは晴天が続き、人々の不安や同様は収まり、以後900年弱の間途切れることのなく毎年十二月十七日に行われれる贅を尽くした大祭です。

若宮おん祭行事日程⇒こちら

 

若宮15社めぐり!神々をまわれば一生の苦難を助けて下さる

※円形外側のピンク色は、納礼社名で円形内側の黄色は御神徳。

パワースポット!
「若宮15社めぐり」
とは、若宮神社の若宮様を中心に、人が一生を送る間に起こるさまざまな難関・難所・試練をお助けをして下さる神様が集まって鎮座しており、その神社15社を順番に参拝して自身の人生をたどりながら一生安泰を祈願するものです。

若宮15社めぐり手順

順路

1.「夫婦大國社」で、15社めぐりの受付を行います。
受付用紙をいただき名前・住所・電話番号・生年月日を記入し、初穂料1,000円を添えて申し込みます。

2.各神社・遥拝所に収める15枚の玉串木札の入った袋をいただきます。

3.「夫婦大國社」近くの手水舎で体と心を清めます。

4.納礼社の一番は若宮神社で、次に一童社(三輪神社)と続き15社全てを参拝します。(順番は下記参照)

5.15社全て満願すると15社最後の礼拝所となる「夫婦大國社」で「おしるし」がいただけます。
「おしるし」は、「若宮15社の御朱印」と「夫婦大國社」の御祭神である大国主命の「福杓字と福小槌」のお守り。

 

順番 納札社 御祭神 御利益
第一番 若宮(わかみや)神社 天押雲根命(あめのおしくもねのみこと) 正しい知恵
第二番 一童社(三輪神社)   少彦名命(すくなひこなのみこと) 子孫繁栄・子の成長 
第三番 兵主(ひょうす)神社   大巳貫命(おおなむちのみこと)  延命長寿
第四番  南宮(なんぐう)神社  金山彦神(かなやまひこのかみ)  金運守護
第五番 広瀬(ひろせ)神社   倉稲魂神(くらいなたまのかみ)  衣食住の守護
第六番  葛城(かつらぎ)神社  一言主神(ひとことぬしのかみ)  心願成就
第七番 三十八所神社 
(さんじゅうはっしょ)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと) 
 正しい勇気と力
第八番 佐良気(さらけ)神社   蛭子(ひるこのかみ)神:えびす神 商売繁盛・交渉成立 
第九番  春日明神遥拝所
(かすがみょうじん)
 春日皇大神(かすがすめおおかみ)  ひらめき
第十番  宗像(むなかた)神社  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 諸芸発達 
第十一 紀伊(きい)神社  五十猛命(いたけるのみこと)
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
抓津姫命(つまつひめのみこと) 
命の根源を守る 
第十二 伊勢神宮遥拝所 
(いせじんぐう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ) 
天地の恵みの感謝所 
第十三 元春日 枚岡(ひらおか)
神社遥拝所 
天児屋命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ) 
 延命長寿
第十四 金龍(きんりゅう)神社   金龍大神(きんりゅうおおかみ) 開運・財運の護守 
第十五 夫婦大國社
(めおとだいこくしゃ) 
大国主命(おおくにぬしのみこと)
須勢理姫命( すせりひめのみこと)
良縁・夫婦円満
福運守護 

 

若宮15社めぐりは、本殿参拝後に必ず訪れたい大人気のパワースポットです。

自分の歩んできた人生を振り返り、これからの人生の中であるであろう試練や苦悩を少しでもより良いものにするため、15社満願で自分の一生を開運へと導いて見てはいかがでしょうか。

 

末社で人気の開運スポット!

夫婦大国社!縁結びから夫婦まで男女の願いが叶う

パワースポット!

「夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)」は、若宮15社めぐりで最後の礼拝所となっており、御夫婦の大国様を祀っている日本唯一の神社です。

御祭神は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「須勢理姫命(すせりひめのみこと)」で、御厨子(みずし:仏像をあんちする仏具)に二人の彫刻像を安置しお祀りしたことが始まりです。

縁結びや夫婦円満・家内安全など男女に関するものにご利益があります。

夫婦大国社では、古くはしゃもじに願い事を書いて奉納していましたが、今ではハート型のピンクの縁結び絵馬も登場しています。

金龍神社!今人気の金運スポット

パワースポット!

「金龍神社」は若宮社の末社で、15社めぐり14番目の神社です。

南北朝時代の後醍醐天皇ゆかりの神社で、金龍名は天皇の御座所の禁裏(きんり)が発音がなまり「きんりゅう」になったと言われています。

御祭神は「金龍大神」で、開発・発達の神であるが最近では金龍名から金運や財運の神様として知られるようになり、15社を巡らずこの一社を目当てに参拝に訪れるという人気の金運スポットです。

白乳神社と赤乳神社!名前だけで女性のご利益が想像できる

パワースポット!

夫婦大国社の東側、礼拝所5番と6番の間に遥拝所が設けられ、社は境内南側の能登川沿いに鎮座します。

古くは、和歌山県の淡島(あわしま)神社とあったとされ、「白乳(しらち)神社」御祭神は志那斗弁神(しなとべのかみ)で、女性の腰から上の治してくださる神様

「赤乳(あかち)神社」御祭神は稚日咩神(わかひめのかみ)で、女性の腰から下を治して下さる神様です。

女性なら、15社めぐりの途中に訪れれば病気も安泰のパワースポットです。

 

春日大社の灯篭!その数驚きの3000基は歴史の証し

見所スポット!

「春日大社」は、通称「お春日さんの万灯篭」とも呼ばれるだけに、「灯篭」は境内と御本殿を合わせるとその数は約3000基もあると言われ、その内訳は境内に2000基の石灯篭、御本殿には1000基の釣灯篭があります。

神社仏閣の中でも、「春日大社」は数多くの灯篭を置いた最初の神社で、その後、全国の社寺に広がっていきました。

「春日大社」は、奈良で一番明るいところと言われ時代があり、3000基の灯篭の灯りは、幻想的で境内そのもを示す神聖な聖域となっていたのです。

言い伝えによれば、「一日で灯篭の数を正確に数えることが出来たなら長者様になる」と言われています。

約3000基の内、多くは商人や一般からの寄付で約8割を占めており、一部は貴族や武士などの有名な灯篭もあります。

灯篭が多種多様に揃う「春日大社」は、奈良時代から現在に至る歴史を灯篭により垣間見ることができ、また、時代における技巧の素晴らしさが伺える唯一の場所です。

3000基の灯篭が灯され幻想的な世界「中元万灯篭」

パワースポット!

「中元万灯籠(ちゅうげんまんとうろう)」は、石灯篭約2000基と釣灯篭約1000基の計約3000基が一斉に灯される幽玄で美しい神事で、年に2月の節分と8月14・15両日の夜7時から9時半まで行われます。

夜の静けさと暗闇の中に浮かぶ灯篭の火は、幻想的な優美な世界へと導いてくれます。

また、その前の夕方には「林檎の庭」にて、庭火を焚いて神楽や舞楽の奉納があります。

この時期に行けない人には、万灯籠を再現した「藤浪之屋(ふじなみのや)」で気分を味わうことができます。

江戸時代に神職の詰所であった「藤浪之屋」が開放され、多くの釣灯篭が灯されてます。

 

「砂ずりの藤」見頃には紫の花が2m以上も下がり地面を舞う

見所スポット!

は、「春日大社」の社紋であるため大事にされています。

社殿西回廊側の慶賀門を入ると棚が作られ藤の木があります。

この藤は、「砂ずりの藤」と呼ばれ、花の房が六から七尺ほど下がることからこの名が付けられ、摂関近衛家より奉納されたと伝えられる樹齢700年以上の名木です。

5月初旬が見頃となる藤なので、何時も見れるわけではありませんが、ゴールデンウィークに参拝されるのであれば立派な下藤の花が咲きますので、見落とさないようにしましょう。

 

「春日大社」の詳細情報

【春日大社】

所在地 〒630-8212
奈良県奈良市春日野町160
TEL:0742-22-7788
FAX:0742-27-2114
公式ホームページ⇒http://www.kasugataisha.or.jp/
参拝時間 【開門時間】
夏期(4月~9月)6:00~18:00 冬期(10月~3月)6:30~17:00
本殿前特別参拝は、8:30~16:45(初穂料500円)

【国宝殿】 <旧称春日大社宝物殿>
10:00~17:00(入館は16:30まで)
一般/500円・大学生・高校生/300円・中学生・小学生/200円

【萬葉植物園】
3月~11月 9:00~17:00(入園は16:30まで)
12月~2月 9:00~16:30(入園は16:00まで)
大人 /500円・小人 /250円

アクセス

【電車とバス】
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(春日大社本殿行:約12分)
        ⇒春日大社本殿下車
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(市内循環内回:約13分/外回:約8分)
        ⇒春日大社表参道下車⇒徒歩(約10分)

【マイカー】
名神高速道「京都南IC」⇒京奈和自動車道経由(約60分)
京奈和自動車道「木津IC」⇒県道754号線経由(約7km:約20分)
第2阪奈有料道路「宝来IC」⇒東方面へ(約8km)

【駐車場】
バス・乗用車合わせて100台(車駐車料金1,000円/1日)
利用時間:2月~11月(7:30~17:00)・12月~1月(7:30~16:30)

お宿情報  >>春日大社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地  平城宮跡・奈良公園・若草山山頂・萬葉植物園・東大寺・氷室神社・元興寺

 

<春日大社周辺マップ>

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「下鴨神社」癒しの森を通って縁結び!7つのパワースポットでご利益 https://kaiun.website/archives/2504 Mon, 08 May 2017 09:10:11 +0000 http://kaiun.website/?p=2504

「下鴨神社(正式名:賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】)」は、京都で最も清らかで尊導きの神様としてのご神徳を持ち、縁結びのご利益を頂けるパワースポットとして女性に大人気の神社です。

京都の最古の神社である「下鴨神社」は、紀元前から神々のおられる地で山城国一ノ宮として崇められ、JFA(日本サッカー協会)のシンボルである3本足の八咫烏(やたがらす)の伝説や七不思議など話題も豊富で、浄化・必勝・開運・子宝・美容・縁結びなど様々なご利益を頂ける神社です。

そんな「下鴨神社」に訪れたら、是非、行って欲しいパワースポットをご紹介します。

癒しの空気が流れる広大な「糺の森」

おすすめパワースポット!

「下鴨神社」の正式な参拝は、出町から賀茂川に架かる葵橋を渡り、十二万四千平方メートルの広大な「糺(ただす)の森」から表参道を社殿方面の北へと歩いて行くのが正しいとされています。

その理由は、社殿参拝と共に平安時代以前の原生林をそのまま残し、古代より精霊が住むとされる糺(ただす)の森を訪れ歩くことが身を清め心を癒してくれるからです。

表参道の両脇には、瀬見の小川と泉川が流れ、静かなせせらぎと共に癒しの空気が流れ込んでくるパワースポットです。

「下鴨神社」境内マップ

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 

メイクをすれば美人のご利益が得られる絵馬

人気スポット!

糺(ただす)の森の中、「下鴨神社」の境内に入り少し歩くと左側に「河合神社」が鎮座します。
この神社には、日本一美しいと言われる神様の玉依姫命(たまひめのみこと)が祀られています。

「河合神社」には、美人になるとされる絵馬の「鏡絵馬」があり、訪れた女性のほとんどが美のご利益を頂くため奉納しています。

手鏡に似せ顔が描かれた鏡絵馬に、自分の美しくなった顔を想像し、自分の持っているメイク道具で絵馬の顔にメイクします。(メイク道具が無い人には、色鉛筆が借りられます。)

裏には願い事を書き、出来上がった絵馬は飾られ、後日お焚上げが行われます。

女性の美への憧れは昔も今も同じ、美人になれるなら「鏡絵馬(初穂料800円)」メイク挑戦しておきたいですね!

「河合神社」は、古くから安産や育児など、女性ならではの願い事を叶えてくれる神社として信仰されています。

サッカー必勝の神様を祀る任部社

おすすめパワースポット!

「河合神社」の奥には、日本サッカー協会のシンボルマークである八咫烏命(やたがらすのみこと)を祀る「任部社(とべしゃ)」が鎮座します。

専女社とも呼ばれ、「河合神社」の創祀(そうし)と同時期から祀られている古いお社です。

八咫烏は三本足を持つ鳥で、初代天皇である神武天皇の東征の際に、黒い衣をまとって道案内をした八咫烏賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされてます。

この導き勝利の功績によって、天皇より八咫烏の称号が与えられた言われています。

御祭神である八咫烏命の御神徳により、勝利・武芸上達・交通安全・旅行安全のご利益が得られます。

 

ちょっと変わった参拝方法で縁結びのご利益が凄いご神木!

おすすめパワースポット!

縁結びのご利益が高いと評判のパワースポットが、境内にある「下鴨神社」の末社の「相生社(あいおいしゃ)」です。

「相生社」は、桜門のすぐ手前にあり、神皇産霊神(かむむすびのかみ)を祀るお社で、隣には神様のご神徳で結ばれたと言われる霊木「連理の賢木(れんりのさかき)」が立っています。

根元は2本に分かれた別の木が、途中で一つに結ばれた珍しい木で、縁を結ぶ力が強くて一つに成った言われ、夫婦和合を表しています。

又、現在の「連理の賢木」は四代目で、不思議なことにに寿命が来ると、糺(ただす)の森のどこかに自然と跡を継ぐ霊木ができるそうです。

そのため、「連理の賢木」は京の七不思議にも数えられパワースポットです。

他とは違う特徴的なここの参拝作法!

絵馬(初穂料500円)に願い事を書く。

絵馬の赤と白の糸を良縁の願いを込めて結ぶ

絵馬を持ち「相生社」の正面へ。

「連理の賢木」の周りを男性は右回り(時計方向)、
  女性は左回り(反時計方向)
に願い事を唱えながら回る。

まず、2週して3周目に後ろの絵馬掛けに絵馬を奉納します。

お社の正面に戻って、二礼二拍手一礼で参拝。

「連理の賢木」の正面より御生曳き(みあれびき)の綱を2回引いて終わり。

「縁結びや子宝・安産・家内安全・夫婦円満など縁を結ぶもの」のご利益を授かります。

 

可愛いと評判の女性に大人気の「媛守」

人気スポット!

中門横の授与所には、女性に大人気のちりめん生地の「媛守(ひめまもり)」があります。
ちりめん生地で作られたこのお守りは、女性用のお守りです。

一つとして同じ絵柄はなく、小振りでデザインも可愛いので、「下鴨神社」では評判の人気お守りです。

 

干支の守護神からご利益が得られる7つのお社

おすすめパワースポット!

舞殿の裏の中門を入ると社殿に向かって左側に3つ、正面に2つそして右側に2つ、合計7つのお社が鎮座します。

このお社は、「言社(ことしゃ)」で、大国主命の略称から大國さんとも呼ばれ人気のパワースポットです。

大国主命は、働きによって7つの名前があり、その名前事に7つのお社があります。
十二支の守り神を祀っており、それぞれのお社にご神徳があることから古くから多くの人に信仰されています。

7つのお社詳細

言社名 社名 神名 干支のお社とご神徳
一言社 東社 大国魂神
(おほくにたまのかみ)

巳歳の守護神
(国土創生と大地の神で、命の躍動の象徴)
未歳の守護神
国土創生と大地の神)

  西社 顕国魂神
(うつしくにたまのかみ)

午歳の守護神
(国土の守り神で物事をうまく運び営む力の神)

二言社 北社 大国主神
(おおくにぬしのかみ)
子歳の守護神(国づくりと縁結びの神)
  南社 大物主神
(おおものぬしのかみ)
丑歳の守護神(物を司り神仏のお使いの神)
亥歳の守護神(物を司り力を与える神)
三言社 北社 志固男神
(しこのかみ)
卯歳の守護神(天下一の強者で力の神)
酉歳の守護神(天下一の強者で希望のシンボルの神)
  中社 大巳貴神
(おほなむちのかみ)
寅歳の守護神(国づくりや医薬の神)
戌歳の守護神(国づくりや医薬の神)
  南社 八千矛神
(やちほこのかみ)
辰歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神で天子の象徴の神)
申歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神)


言社の参拝方法は、まず自分の干支、それから今年の干支を参拝
することで一度に多くのご利益が頂けます。

 

酉歳には特に参拝したい必勝・開運の本殿

http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka

社殿は、神社形式の代表的な形式で建てられ東西の本殿は国宝に指定され、「下鴨神社」は世界文化遺産でもあります。

平成27年には、21年に一度、社殿を修復する34回目の式年遷宮が行われました。
元来、式年遷宮はご神体を除く建物、社殿を造り替えるものですが、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されているため江戸時代以降は修復にとどめられています。

通常、本殿は言社の前の幣殿からしか拝めず、参拝はここで行います(上記写真)。

「下鴨神社」は賀茂建角身命とその娘の玉依媛命の二人をお祀りする神社

おすすめパワースポット!

ご本殿は、「下鴨神社」で最強のパワースポットです。

御本殿 御祭神
西本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと) 

 

<御本殿:西と東に分かれている>

「賀茂建角身命」は、神話で八咫烏に化身して重要な役割を担った神様のため、酉年には特に参拝をお勧めします!

「玉依媛命」の玉依(たまより)は、霊憑(たまより)からきているとされ、神に仕える巫女(みこ)のことだと言われています。
巫女の役割と共に子供を生む力など女性に関する総称でも有り、玉依媛命の祀られる神社は水と深い関係があることから、水や縁にも強いご神徳を持っています。

又、玉依媛命が鴨川の上流で流れ着いた丹塗りの矢を祀っていたところ、美しい男神となったため結婚したと伝わる。
二人の間に生まれた子供が、現在の「上賀茂神社」の祭神である賀茂別雷大神(かもべついかずちのおおかみ)です。

御祭神 ご利益
賀茂建角身命 導びきの神・勝利の神・方除・厄除け
入学・受験合格・交通・旅行・操業の安全
玉依媛命 縁結び・子宝・安産・育児・開運・方位除け
商売繁盛・豊作豊漁・災難除け

 

みたらし団子は「御手洗社」の井戸の泡から生まれた

みたらし団子は、「下鴨神社」が発祥の地です。

境内奥の東本殿側にある、「御手洗社(みたらししゃ)」の下には井戸があり、井戸から湧き出る白い泡を見て、みたらし団子が考えられたと言われています。

ここに来たら、是非、食べておきたいみたらし団子ですが、昔は神前に供えてご祈祷後、家に持ち帰っていただいたそうです。

上記写真でもわかるように、串に5つのお団子が付いていますが、1つ目から2つ目の間が少し離れているのが特徴的です。

みたらし池の湧きあがる白い泡が、1つ浮き少し経ってから2つ3つ4つと泡が湧き出る様子を表して作られたためで、人間の五体を表しているともいわれ縁起物です。

西参道にある「加茂みたらし茶屋」が人気のお店で、焼いて焦げ目をつけた米粉の団子に、蜜のたれをスプーンですくい、団子にたっぷりつけていただきます。

加茂みたらし茶屋
住所 京都府京都市左京区下鴨松ノ木町53
営業時間 9時30分~19時(定休:水曜日)
メニュー みたらし団子(3本420円)
わらび餅(550円)
磯巻(620円)

 

おすすめパワースポット!

「御手洗社」は、みたらし川から湧き出る井戸の上に建っていることから「井上社」とも呼ばれ、お祓いの神様の「瀬織津媛(せおりつひめ)」をお祀りしています。

南側に御手洗川が流れ、そこからお社の下を通って、前側にある「みたらし池」と続いており、この池を舞台に毎年土用の丑の日に「みたらし祭(別名:足つけ神事)」が催されます。

<みたらし池に架かる輪橋>

昔から、神の池「みたらし池」で手や足を洗い、罪や穢(けが)れを祓い落とし、病気を厄払いする夏のお祭りです。

「みたらし池」は、普段流れない水が、土用の丑の日は池から湧いてくるといわれ「鴨の七不思議」の一つになっています。

「さざれ石」生命力の象徴で神霊の宿る石

おすすめパワースポット!

南口鳥居を入った直ぐ左側には、神霊の宿る石「さざれ石」があります。

「さざれ石」とは、小さな石という意味があり、石灰石が長い年月をかけて雨水により溶けて固まり、岩石へとなったものです。
年月と共に成長する「さざれ石」は、神霊が宿る石とされています。

又、「さざれ石」を詠んだ古今和歌集があり、日本の国家の原典となっている。

古今和歌集<古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番>
「我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

そして、日本の国家の「君が代」
「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」です。

違いは、初めの部分だけですね!

「さざれ石の 巌となりて」は、石に宿る力、生命力は永遠で小さな石も大きくなることを表し、石には神霊が宿る神聖なものとして昔から崇められてきたのでしょう。

 

3つの的を神馬一体で打ち抜く勇壮な祓い清めの神事

糺の森に設けられた500mの馬場に100m間隔で3つの的が置かれ、公家装束をまとった射手(いて)が勇ましく駆けながら、馬上から厄けの「イン、ヨー(陰、陽)」の掛声と共に次々と矢を放ち、50cm四方の的を射る「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は、勇壮でその光景は平安時代にタイムスリップしたような感覚にもなります。

「流鏑馬神事」は毎年5月3日に行われ、「葵祭(あおいまつり)」が安全に行われるよう祓い清めるための神事で、約2万人もの多くの人が集まる「下鴨神社」の人気の行事です。

的に当たれば、豊作や諸願成就のご利益が得られ、 当たり的は縁起物として授与されるそうです。

年によっては、勇敢な女性や中学生の射手も登場します。

葵祭

「葵祭(正式名:賀茂祭)」は、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つで、下鴨神社(賀茂御 祖神 社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭。

♦王朝絵巻さながらの衣装をまとった総勢500名以上の人が行列をなして、 京都御所から出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かうお祭り。

8キロに渡る沿道には、約8万人以上の人が集まり華麗で優雅な平安王朝絵巻に見入ってしまいます。

 

下鴨神社の詳細情報

【下鴨神社(賀茂御祖神社)】

所在地 〒606-0807
京都府京都市左京区下鴨泉川町59
TEL: 075-781-0010
公式ホームページ⇒【下鴨神社】
参拝時間 開閉門時間:夏は午前5時30分~午後6時
      冬は午前6時30分~午後5時
大炊殿拝観:午前10時~午後4時迄
ご祈祷:午前9時~午後4時迄
アクセス

市バス:京都駅(4or205系統)~下鴨神社前下車
(糺ノ森を歩くなら葵橋西詰バス停下車)

電車:JR京都駅(JR奈良線)~東福寺駅(京阪電車に乗り換え)
   ~出町柳駅下車(徒歩約13分)

電車・バス:京都駅(地下鉄鳥丸線)~北大路駅(市バス1or205系統)
      ~下鴨神社前下車(所要時間約40分)

マイカー:名神高速京都東インター下車(三条通経由約30分)
     名神高速京都南インター下車(河原町通経由約31分)
駐車場:境内西駐車場(300台有料30分/200円)

お宿情報  >>下鴨神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】  
周辺観光地  上賀茂神社・京都市動物園・京都国際マンガミュージアム
六角堂頂法寺・京都国立博物館・京都御所 

 

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「貴船神社」本宮から奥宮までパワースポット12選と見所まとめ https://kaiun.website/archives/2058 Tue, 31 Jan 2017 05:34:43 +0000 http://kaiun.website/?p=2058

貴船神社は京都の名所のひとつですが、その魅力を知っていますか?

貴船神社は水の神様を祀っている神社で、水占いや水分けの儀式など、水に関する神秘的な体験ができます。
また、貴船神社の周辺には美しい自然やおいしい料理を楽しめるスポットもたくさんあります。

このブログでは、貴船神社の歴史や見どころ、パワースポット、アクセス方法などを紹介します。貴船神社に行ってみたいと思ったら、ぜひこのブログを読んでくださいね。

貴船神社の総本社で三大縁結びの一つでもある

全国でもパワースポットとして人気の高い貴布禰総本宮「貴船神社(きふねじんじゃ)」は、京都の北側の鞍馬山と貴船山のほぼ中間に位置する左京区鞍馬貴船町に鎮座する旧社格は官幣中社の神社で、鞍馬寺と共に北方を守護しています。

全国にある貴船神社(約450社)の総本社で、御祭神が澄んだ水の神様の「高龗神 (たかおかみのかみ)」であることから地名の貴船(きぶね)ではなく、濁らず(きふね)と呼びます。

キフネは元々は氣生根(きふね)であり、気が生じる根源で万物のエネルギーの源を意味し水神のパワーと共に聖なる気が溢れている水源地なので、「貴船神社」のパワーだけでなく貴船の山や川からも良い気が充満しており、この地に訪れるだけでも心地よさを感じるはずです。

また、「貴船神社」は、島根県の出雲大社や石川県の氣多大社と並ぶ日本三大縁結びの一つとされるため、毎年多くの御縁を求める人々が参拝に訪れる縁結びでも強力なパワースポットです。

社殿は三社に分かれ参拝の順番でご利益も高くなる

社殿は、鴨川につながる貴船川の上流に下から本宮・中宮(結社)・奥宮の三つに分かれ建ち、この三社の参拝を三社詣(さんしゃまいり)と言い、昔からの習わし通り本宮⇒奥宮⇒結社の順番に参拝すれば、よりご利益も高くなり願い事も叶えやすいようです。

本宮から奥社へ向かう川沿いを歩けば、神聖なる気を発する清流と澄んだ空気が清々しく心を癒してくれ、又、道沿いには多くの茶屋や旅館・食事処もあり、休憩を交えてゆっくりと参拝することができます。

そして、ここは結城光流さんの小説を原作としたアニメ「少年陰陽師」の聖地で、聖地巡礼としても沢山のファンが訪れる場所となっています。

主人公の安倍昌浩は、安倍晴明の末の孫にあたり、じい様の晴明に教えをこいながら修行に励む中、毎晩丑の刻に釘を打つ鬼女がでるとの噂を聞いて、向かったのが「貴船神社」で、御祭神の高龗神 (たかおかみのかみ)もよく登場する。

このように、アニメの聖地であったり水の神、氣の発生する根源、縁結びなど多くのパワーをいただける「貴船神社」は、本宮から奥宮までの全てがパワースポットの宝庫になっています。

貴船口駅から歩いて貴船神社以外の見所も満喫!

「貴船神社」へは、叡山電鉄鞍馬線「貴船口駅」で下車後、徒歩約30分程(約2km)です。

「貴船口駅」よりバス(約5分・160円)も出ていますが、天気が良ければ貴船の地の氣と自然を感じながら歩いて行くのがベストです。

「貴船神社」へと続く貴船川沿いを歩けば、川のせせらぎも聞け梶取社や蛍岩・烏帽子岩などの名所も観賞できます。

 

マイカーの場合、本宮10台・奥宮15台と駐車場(2時間500円)が少なく、土日・祝日などは特に空きがないので地下鉄・JR・市バスを使うほうが良いと思います。

宿泊も兼ねてであれば、近隣の貴船ふじや・ひろや・ひろ文さんなどの旅館に駐車して参拝もできます。

第一ノ鳥居のそばの「梶取社」には人生の梶を取る神が祀られている

おすすめ開運スポット!

貴船口駅の手前の川には梶取橋が架かっていて、橋の入口側には貴船の入口を示す第一ノ鳥居が立ち、「梶取社(かじとりしゃ)」が鎮座します。

梶取社は、貴船神社の末社で玉依姫命(たまよりひめのみこと)が乗った黄色の船を上手に操ったとされる、梶取大神である宇賀魂命(うがのみたまのみこと)が祀られています。

航海安全の神、人生の梶を取る神、人生進路を守る神として崇められ、今では車のハンドルを操作する神として交通安全や旅の安全の神としても信仰されています。

和泉式部がこの光景を見て名歌を残したとされる「蛍岩」

見所スポット!

貴船口駅から貴船神社方向の上流へ向かって、100m程歩いた右側に「蛍岩(ほたるいわ)」が見えます。

ここ蛍岩周辺は、蛍の観賞ができる名所で、毎年、6月下旬から「貴船の水まつり」がある7月7日頃までが見所となっています。

また、女流歌人・和泉式部が不仲となった夫のことを悩み「貴船神社」に夜参の際、蛍岩に飛んでいる蛍をみて詠んだされる和歌が残されています。

「もの思へば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞみる」(和泉式部

この歌を訳せば、こんな感じなんでしょう。

「不仲となった夫のことを悩みながら、沢の蛍を見ていると、ふと一匹の蛍が自分の中からさまよい出て行ったような気がする、今出て行ったのは、はかない蛍の光ではなく自分の魂ではなかったのかと思う。」

夫との事で悩み苦しみ、魂の抜け殻となった我が身を詠んだ切ない歌です。

<結社に建つ和泉式部の歌碑(この歌が刻まれている)>

そして、和泉式部の歌に対し貴船の神の高龗神が本殿より歌を返したと伝えられています。
そのがこの歌です。

「おく山に たぎりて落つる滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ」
                          (貴船
明神)

「奥山のしぶきをあげ飛び散る滝の水玉ように、そんなに深く思いつめることはなさらぬな」と言われたという。
その後、夫婦のよりが戻り復縁された。

このように、人と神との交流が伝説となるほど貴船神社は、身近に神を感じる神社なのです。

「本宮」へと続く階段は燈籠との調和で昼でも夜でも美しい!

本宮は諸願成就の開運スポット!

「貴船神社」は、昔は貴布禰や木船・黄船と書かれていましたが、明治4年に改称され貴船となりました。

初めの貴船神社は、今の奥宮を指しており現在の場所が本社になったのは、第七十代後冷泉天皇が天喜三年(1055年)に奥宮から遷座したものだといわれています。

御創建は不詳ながら、社伝によれば第十八代反正(はんぜい)天皇(406~410年)の時代に創建され、天武天皇白鳳6年(677年)に社殿を作り変えた記録があり、1300年以上前と御創建はかなり古い。

起源においては、第十八代反正天皇の時代に神武天皇の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、黄船(黄色の船)に乗ってたどり着いた地に水の神をお祀りした伝説にまでさかのぼる。

社殿はあるものの貴船山全体が御神体あり、貴船川の川上の神と言われるように主祭神の「高龗神 (たかおかみのかみ)」は水の神様で、雨乞いと雨止みが特に霊験あらたかとされています。

貴船山の雨乞の滝で行われていた「雨乞の儀」

見所スポット!

祈願では、祈雨の際には雨雲を表す黒い馬を、祈晴の際には晴天を表す白い馬を、神馬として奉納されたと伝えられています。

本宮には、その由緒と神馬の像が建っている。

祈雨の修法は貴船山の「雨乞の滝」で行われ、本社の北300mのところにあり、その北側200mのところに奥宮がある。

一の滝・二の滝・三の滝と三段に分かれている「雨乞の滝」に、酒を滝に一升ずつ(計3升)流し、鈴や鉦(かね)や太鼓を鳴らして祈願する雨乞の儀が行われていました。

現在の「雨乞の滝」は、草木が生茂り道も閉ざされた禁足地となっています。

明治までは、「雨乞の滝」で祈願が行われていましたが、現在では毎年3月9日に「雨乞祭(あまごいまつり)」として本殿で行われ、適度な雨と農作物が豊かに実る1年の順調な天候を祈願します。

神社で目にする絵馬は貴船神社が発祥の杜

雨乞い雨止み祈願で、生きた馬の奉納が習わしであったが、時には生馬に換えて馬形の板に色を塗った「板立馬(いたたてうま)」を奉納したと平安時代の文献に書かれており、この「板立馬」が現在の絵馬の原型といわれています。

<【貴船神社】絵馬の種類は三種類>
左上:和泉式部の絵馬
右上:水神・竜神様の絵馬
下:雨乞いの黒馬・雨止みの白馬を描いた絵馬

「雨乞祭」に続き、一年間の間に奉納された絵馬のお焚き上げの儀式「古絵馬焼納式」が執り行われます。
雨乞と絵馬との深い関係から、引き続き行われる行事です。

御神木の桂!龍が天に昇る姿に似ている

おすすめ開運スポット!

本宮にある「御神木の桂」は、高さ30m樹齢約400年の歴史ある巨木で、根元からいくつもの枝となって天へと伸びて上方では大きく広がり、御神氣がまるで龍が天に昇っていく姿に似ているといわれ、古くから貴船は「氣生嶺」「氣生根」と書かれており御神木が御神徳を表す由縁です。

御神木には、大地のエネルギーが充満した氣を持っているので、手で御神木に触れることで衰えた氣力が回復し、開運へと導いてくれるパワースポットです。

「貴船神社」には、三社の全ての境内に「御神木の桂」がそびえていることから、重要な守護木であることがわかる。

神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージした石庭

見所スポット!

昭和の作庭家の第一人者といわれる、故・重森三玲氏が古代人の斎場を感じるままに原始の庭をイメージした石庭で、庭全体が舟形をしており、中央には椿の樹で帆柱を施し、神が降臨する場所となっています。

石組みには、貴船川から産出された美しい名石とされる貴船石が使用され、船は神の神聖な乗り物として、中宮の「天の磐船」や奥宮の「船形石」と並び、貴船には大事な船を表す象徴となっています。

貴船の御神水には不思議なパワーエネルギーが満ちている

おすすめ開運スポット!

全国でも有数の名水で、夏は冷たく冬は暖かさを感じさせる弱アルカリ性の水は、これまで一度も枯れたことがないといわれています。

そして不思議にも、3年以上前の組み置きの水を検査したところ、腐っておらず雑菌や変色もなく良質の水であったとの結果がでており、氣生根の大地の満ちた氣が水に入り御神水となっていることがわかります。

御神水には、特殊なメンタル波動があるようで、眼病や婦人病などにも力があるいわれる評判の名水のため、全国からも御神水を目当てに訪れる人も多い。

御神水の横には、水五訓(みずごくん)が書かれた看板があり、水になぞって自らへの教訓が書かれています。
黒田官兵衛(黒田如水)が、残したものであるという説もあります。

水五訓

①自ら活動して他を動かしむるは水なり
②障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
③常に己の進路を求めて止まざるは水なり
④自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

⑤洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

貴船のパワーエネルギーの入った御神水は無料なので、是非持ち帰ってご自身やご家族の健康水にしてみてはいかがでしょうか。

持ち帰りの場合、オリジナルの御神水容器300円(1本/600ml)を神社で購入することができます。

当ると人気の水占みくじ

おすすめ開運スポット!

「貴船神社」に来たら、よく当ると言われる女性に大人気の運試し「水占みくじ」をやって見ましょう。

ここは水の神様なので、運勢も水で表します。

社務所で、文字のない水占みくじを200円で授与してもらい、水占斎場(みずうらゆにわ:上の写真)の霊泉に浮かべます。

すると真っ白だった紙に文字が浮かび上がってきます。

水の神からあなたへ、願望や恋愛・病気など10項目の占いと真中の丸の中に吉や凶など運勢が告げられます。

神聖な水の神のお言葉ですので、よく読んで悩み事の参考にされると良いのではないでしょうか。

奥宮は貴船神社最大のパワースポット

当初の貴布禰神社は、現在の「貴船神社」の奥宮のことを称し、今の本宮になったのは七十代の後冷泉天皇の天喜三年(1055年)に、奥宮より遍座したものだといわれています。

奥宮へ向かう大杉並木の手前には、朱色の鳥居と思ひ川に架かる思ひ川橋があります。

和泉式部が身を清めた思ひ川

見所スポット!

「思ひ川」は、元は「おものいみがわ」と言われ禊(みそぎ)の川でしたが、平安時代の宮廷の女流歌人であった和泉式部が不仲であった夫(橘道貞)との愛を取り戻すために、奥宮の参拝にあたりこの谷川で手を洗い、口をすすぎ身を清めて恋の成就を祈ったとされたことから「思ひ川」と呼ばれるようになりました。

【和泉 式部(いずみ しきぶ)】
天元元年(978年)頃 – 没年不詳)
幼名:御許丸(おもとまる)
平安時代中期の歌人で中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人
宮中に仕えた王歌歌人で、親王らの求愛を受けた女性、恋歌の評判が高い
夫:橘道貞(後に破綻) 娘:小式部内侍
父:越前守・大江雅致 母:越中守・平保衡の娘

和泉式部は、恋愛遍歴が多かったようで、恋歌には情熱的な和歌が多くみられる。

溶岩が固まってできた「つつみヶ岩」

見所スポット!

思ひ川を渡ってすぐ左側に見えるのが、貴船名石の「つつみヶ岩」です。

比較的見落としがちになりますが、この「つつみヶ岩」は海底火山が噴火して流れ出した溶岩が枕状の形となり固まったもので、昔は貴船が海底火山だったことを証明するなごりの岩。

ぼこぼこした表面で、高さ4.5m重さが43tと巨大な水成岩は年月と共に紫色に輝き見せる名石となっています。

二つの杉が一つになる「相生の杉」は夫婦円満の御神木

おすすめ開運スポット!

結社から奥社の間にあるのが「相性の杉」(結社から歩いて5分程)。

樹齢千年の御神木は、根っこから二つの杉が一つになる二体一心で根ずいている珍しいものです。
二つの木が仲良く寄り添う姿は、「相生」が「相老」に通じ仲の良い老夫婦に例えられ夫婦円満を表し、また男女の縁のみならず因縁のある二人が固く誓うことで、生涯を通じ仲の良い縁が続くといわれています。

奥宮の本殿周辺は氣のパワー集まる御利益の高い場所

思ひ川橋を渡り大杉の並木道を歩いていくと、鮮やかな朱色の神門「桜門」が見え奥宮はもう間近。

奥宮は、「貴船神社」最大のパワースポットと言われるだけに、並木道周辺にも凛とし空気感が伝わる。

貴船最大の開運スポット!

奥宮の境内は広く、本宮や結社とは緊張感が違い、静寂な雰囲気の中にひんやりとした空気が漂い強いパワーを感じさせる。

主祭神には闇龗神(くらおかみのかみ)を祀っています。

闇龗神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神であった火之迦具土神(ほのかぐづちのかみ)の首をはねたとき、剣の柄に残った血が指の間から流れ落ちて生まれた神様で、古事記では闇淤加美加美(くらおかみのかみ)となっています。

また、日本書紀には高龗神(たかおかみのかみ)名であり、闇は谷、高は山峰で龗は龍神の雨を司る神をさしており、対比する神であるが、実は本社と奥宮の二神は同一の神であるという説もあります。


誰も見ることが許されない本殿の真下の「龍穴」

伝説のスポット!

本殿の真下の地下には、「龍穴」の洞窟があり誰も見ることは許されてはいません。

伝説によれば、文久年間に本殿修理中に大工があやまってノミを落としたところ、突然風が吹きだしノミを空中へと巻き上げたといわれており、その後、この大工は亡くなったといわれる。

本宮の修復時には、隣の権地に宮を移し龍穴には板をはめて、誰も見ることができないようにするそうです。

風水で龍穴は、大地の気が集まっている場所をさし、一番高い山の太祖山(たいそざん)から龍脈(りゅうみゃく)へ流れた大地の気が龍穴で噴出します。

龍脈とは山脈であり、なだらかな一直線上のものよりも、でこぼこのうねりのある所の方がパワーがあり、川のように大きな山から小さな山々へ自然に流れて地にたどり着くようなもので、気でも同じように地に落ちた場所が龍穴で大きな力を持つパワースポットです。

古来は、この場が祭祀場として神事が行われていたと思われる。
そのため、奥宮の本殿周辺はパワーのある気が集まっているので、御利益の高い場所となっています。

貴船の龍穴は、大和の室生龍穴と岡山備前の龍穴と共に日本三大龍穴の一つでもあります。

貴船神社は丑の刻参り発祥の地

伝説のスポット!

「丑(うし)の刻(こく)参り」とは、丑の刻(午前2時前後)に神社にて、∗特別な衣装を身に付け藁人形を怨みの相手とし7日間、鉄槌で五寸釘を心臓に打ち続ける呪いの儀式。

∗丑の刻参りの特別な衣装
白衣を着る・五徳を逆さにしロウソクに火を灯し3本を頭につける・櫛をくわえる(女のみ)・胸に鏡をかける・一本足の高い歯の足駄を履く・五寸釘と鉄槌

http://indoor-mama.cocolog-nifty.com

昔、夫を取られた「宇治の橋姫(はしひめ)」が、妬ましい女を呪い殺すために、生きながら鬼神になることを祈り行った儀式であったとされる。

そして、この橋姫が丑の刻参りに訪れた神社が貴船神社であったことから、丑の刻参りの発祥の地だともいわれています。

しかし、本来の貴船神社の丑の刻参りは、闇龗神(高龗神)が貴船山に降り立った「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻」に心願成就を願う儀式であり、呪いの儀式ではありません。

種類の違う杉と楓がくっついた御神木「連理の杉」

おすすめ開運スポット!

奥宮境内にそびえ立つ、御神木の「連理の杉」

連理と言われる所以は、種類の違う杉と楓がくっついて上えと伸びてまるで夫婦のようである、別々の木が一つになっていることから名付けづけられています。

紅葉シーズンも終わる頃、他のもみじが落葉している中この「連理の杉」の楓だけは美しいもみじを残しており、参詣に訪れた貞明皇后様がそれを見て大変感動したといわれています。

違うものどうし二つが一つなることから、夫婦和合や男女良縁などの御利益のある御神木ですので、じかに手で触れパワーをいただいておきましましょう。

玉依姫命が乗った黄色の船が隠されている「船形石」

おすすめ開運スポット!

「船形石(ふながたいわ)」は、拝殿・本殿正面から見ると左側にあり、船を模した石組みです。

約1、600年前に、初代神武天皇の皇母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が水源を求め、黄色い船に乗って大阪湾から今の奥宮の地にたどり着き「黄船の宮」として水神様を祀るため社殿を建立しました。

黄船が、貴船神社名の由来でもあり起源だとも伝えられる。

そして、乗ってきた黄色の船は人目に触れぬように石で囲んで隠しました。
それが、この「船形石」です。

謎も多く、宇宙から来たUFOが隠されているのではないかという噂もあるようです。

長さ約10m・約幅4m・高さ約2m・外周約24mの「船形石」は、昔より船乗り達から航海安全を守護する神の「船玉神」として厚く信仰されているため、交通安全や航海安全・旅行のお守りとして小石を持ち帰る人が多いようです。

奥宮内末社(三社)

おすすめ開運スポット!

【日吉社(ひよししゃ)】 御祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
・山の地主神であり農耕を司る神様

【吸葛社(すいかずらしゃ)】 御祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
・農耕と雷の霊力を合わせた神様

【鈴市社(すずいちしゃ)】 御祭神:姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
・神武天皇の皇后

こちらの三社も、しっかり参拝しておきましょう。

「結社」日本でも屈指の縁結びのパワースポット

縁結び開運スポット!

貴船神社の中でも、縁結びで知られる女性に人気の高い「結社(ゆいのやしろ)」は、本社と奥宮の中間に位置しすることから中宮(なかみや)とも言われます。

結社には、御祭神の磐長姫命(いわながひめのみこと)が縁結びの神として祀られています。

そびえ立つ林の中の石段を上がって行けば、鮮やかな朱色の鳥居や燈籠が目を引き付ける。

神話によれば、磐長姫命が縁結びの神として信仰されるようになったのは、磐長姫命と妹の木花開耶姫(このはなさくやひめ)の二人の姉妹を父親の大山祇命(おおやまつみのみこと)が天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に薦めたが、瓊瓊杵尊は磐長姫命をこばみ器量好しの妹の木花開耶姫だけを娶(めと)ったため、磐長姫命は「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」とこの地に身を隠し縁結びの神になったとされています。

磐長姫命は、器量の悪さで嫁に行けなかった何とも不運な女性で、こんな辛いことは私だけで十分だと思い、人々が幸せな縁を結ぶ神として身を捧げたけなげな神様です。

心は、綺麗な方だったんですね。

結社の名の由縁は縁結びから来ており、平安時代には貴族から庶民まで大勢の人々が、縁結びの御利益を頂戴するため参詣されていたいわれています。

今では、日本でも屈指の縁結びのパワースポットなっており、人と人、男と女のみならず入学や就職などあらゆる御縁に御利益があるため全国からも参拝者が多い。

結び文と結び守り

おすすめ開運スポット!

昔は、境内の草の葉(ススキなど)を結んで恋愛成就を祈願していましたが、今は「結び文」(写真左上200円)を本宮社務所にて授与していただき、裏に願いと名前を書き結社(写真右)にて結び処に奉納します。

願いは、男女の縁・関係する縁のみならず、現在の悩み事を書いても問題ありません。

「結ぶ文」と形が似た「結び守」(写真左下1000円)が人気のお守りとなっています。
色は、ピンクとブルーの2種類がありますので、男女がお互いに持っていると縁も深くなり恋愛成就できるといいます。

「天乃磐船」貴船の象徴である結社の船

見所スポット!

貴船神社には、船との関わりが強く、本宮には「石庭」、奥宮には「船形石」そして中宮には「天乃磐船」と全てに配されています。

船が、神様の乗り物として神聖な物であり、貴船の象徴的な物だからです。

「天乃磐船(あめのいわふね)」は、貴船山から発見された珍しい舟形の石を、結社の御祭神である磐長姫命の御料船として平成8年に結社の境内に奉納されました。

船と人は古くから交通機関の要として利用され、人と人、文化と文化を結ぶ尊いもの、縁を結んでいくもので、全てのえんむすびとの関係性も高い。

夏は貴船川のせせらぎを聴きながら川床での食事を体験

四季折々で違う顔を見せる貴船ですが、特に夏の川床(写真左右下)は、貴船川のせせらぎと清涼感を満喫しながらお料理が楽しめます。

川床料理には、鮎・ごり・鯉を使った活造りや牛しゃぶや地鶏すきやきなど魚・肉とバラエティーにとんだ内容で、川床での食事は夏でしか味わえない最高のもてなしです。

また、6月から9月までは、名物の流しそうめん(写真右上)が堪能できます。

自然の素晴らしい景色の中で食べる料理は、今までの何倍も美味しく感じられと思います。

上記写真は、中宮(結社)に近い「料理旅館 ひろ文」さんです。

【七夕笹飾りライトアップ】光で笹と短冊が煌き揺れる風情に心落着く

七夕笹飾りライトアップは、多くの人が参拝に訪れる貴船神社恒例の夏のイベントです。

夕暮れから夜8時までライトアップされ境内全体が照らし出され、周りの緑、厳かな本殿、風に揺れる笹や短冊に光があたり煌く風情は何とも美しく心を和ませます。

短冊は一枚100円、思い思いの願いを書いて笹に吊るしましょう!

七夕笹飾りライトアップ
開催場所 貴船神社 本宮のみ
開催期間 7月1日~8月15日
開催時間 夕暮れ~20:00(土・日・祝日は21:00迄)

 

【貴船神社】冬の風景!静寂した積雪の神社がライトアップされ美しい

【雪の氣生根 積雪日限定ライトアップ】

開催期間 1月1日~2月28日 夕暮れから午後8時まで
開催場所 貴船神社 本宮のみ
★開催は積雪日のみで不特定
★開催は当日の午後3時決定
★開催日のみfacebook・twitterで告知

 

【貴船神社】秋の風景!ライトアップされた紅葉が美しい燈籠の階段

貴船神社の詳細情報

【貴布禰総本宮「貴船神社」】
所在地:〒601-1112 京都市左京区鞍馬貴船町180
TEL:075-741-2016 FAX:075-741-3596
公式H.P⇒貴船神社

【参拝】
参拝時間:無休6:00~20:00
(御朱印・御守りなどの受付時間は9:00~16:30)
参拝料金:無料

年間主要行事
1月7日 若菜神事 11:00
2月3日 節分祭 11:00
3月9日 雨乞祭 10:00
4月1日 春季御更衣祭 10:00
6月1日 貴船祭〔例祭〕 11:00
7月7日 貴船の水まつり 10:00
7月7日 七夕神事 13:00
11月1日 秋季御更衣祭 10:00
12月31日 師走の大祓式・除夜祭 16:00

 

【アクセス】
JR京都駅→地下鉄烏丸線京都駅→国際会館駅(約20分)→京都バス3番乗り場(52系蔵馬温泉又は貴船口行)→貴船口(約20分)→京都バス乗り換え(33系)→貴船バス停下車(約5分)

マイカー:名神高速道京都南インターより約50分(21.9km)名神高速道京都東インターより約60分(20.4km)
駐車場は本宮10台・奥宮15台(2時間500円)

【お宿情報】>>貴船神社の周辺宿はこちら【楽天トラベル】

<貴船神社の周辺マップ>

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高野山のパワースポット巡り!ここを知っていれば開運効果が倍増 https://kaiun.website/archives/1725 Thu, 17 Nov 2016 00:59:07 +0000 http://kaiun.website/?p=1725 高野山・紀伊山地

「高野山」は、平安時代のはじめに弘法大師(空海)よって開かれ、開創1200年を迎えた真言密教の聖地で日本屈指のパワースポットです。

そんな高野山には、ご利益のある開運スポットが数多くあり、中でもご利益の高いこの三つのエリアのパワースポットをご紹介していきます。

ご利益の高い三つのエリア

平成27年には、開創1200年記念大法会もあり、参拝者数は199万人を越えました。

世界的旅行誌のミシュランガイドでは、日本で「わざわざ訪れる価値の場所」として三星に輝くなど外国の方にも人気の場所で、年々観光客も増加し、今では年間約5万6千人の外国の方が訪れています。

外国の方に人気の理由は、神秘的な景観やここにいるだけで不思議なパワーを感じるという人が多く、そんな特別なパワーに魅了されるようです。

高野山は、和歌山県北東部の伊都郡高野町に位置します。

高野山を山だと思っている人も多いのではないかと思われますが、実は山ではなく、四方を八つの山に囲まれた盆地のことを高野山と呼びます。

高野町の人口は、平成28年度約3、200人でその内約700人を僧侶が占め又、高野山境内にはコンビニが有ったり、国道も走り駐車場も点在する高野山一体そのものが宗教の町。

高野山は、聖域内に入る大門をくぐって最初に壇上伽藍(だんじょうがらん)エリア総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)エリアそして弘法大師が今も瞑想されていると言われる奥之院(おくのいん)エリア三つのエリアに分けられます。

壇上伽藍エリアと奥之院エリアは、山内の二大聖地とされ信仰の中心的存在です。

聖地高野山の第一歩は大門から始まる

高野山・ガイドマップと三エリア

普通思い浮かぶお寺には、本堂の建物がありその敷地を境内という概念ですが、高野山は通常のお寺違い「一山境内地」で高野山全体がお寺であり、境内地になっています。

山内にあるお寺は117ヶ所あり、これらのお寺を塔頭寺院(たっちゅうじいん)といい、高野山全体を大寺(だいじ)と見ればこの点在するお寺は小院です。

また、この内52ヶ寺には宿坊が完備され、参拝者の泊まれる宿となっています。

弘法大師・空海が開いた「真言密教」は、平安時代初期に大成され、「真言」とは、仏の真実の「ことば」を意味しており、さまざまの事柄の深い意味、隠された秘密の意味を知ることのできる教えが「密教」です。

空海以前の仏教は、国を守るなど国の繁栄祈願のような大きな話のものでしたが、空海の登場により、自分やその周辺の願いである病気平癒・出世・御縁など、個人の祈願もできるようになったきっかけの場所がこの高野山です。

高野山・大門

高野山の入口の第一歩は総門の大門から始まり、神聖な聖域に足を一歩踏み入れれば空気感も変わり清々しさを覚えます。

大門は、国の重要文化財で少し怖い感じの金剛力士像(仁王像)が、入門される人々を左右からあたかも監視しているかのよう立っています。

壇上伽藍(だんじょうがらん)エリア

「壇上伽藍エリア」は、弘法大師が真言密教を開くために最初に整備したエリアで、真言密教のシンボルとして創建された根本大塔(こんぽんだいとう)や金堂(金堂)・御影堂(みえいどう)などがある二大聖地の一つです。

高野山・壇上伽藍エリア詳細マップ

 

壇上伽藍をもう少し細かく見てみましょう。

高野山・壇上伽藍エリア拡大マップ

根本大塔(こんぽんだいとう)お賽銭を立てればご利益が高くなる開運スポット!

高野山・根本大塔

真言密教のシンボルの「根本大塔(こんぽんだいとう)」は、高さ48.5mの巨塔で空海が創建した日本初の多宝塔です。

「根本大塔」の外見の特徴は、一階部分が四角なのに対して二階部分が円形となっおり、この形式は真言宗ではよく使われる宇宙の中心の形で、宇宙は丸く回転していく思想を表しています。

大塔内は、真言密教の仏様である「大日如来像」が鎮座し、左右に2体、前後に2体の仏様が座り、そして菩薩様が画かれた16本の柱に囲まれています。

正方形の囲まれた中に、仏像を平然と並べることで真言密教の世界観である仏の世界・宇宙の世界を立体的に表現した、立体曼荼羅となっています。

こちらのお賽銭の供え方に特徴があり、仏様のすぐ横の壇上にお金を立ててお参りすると開運のご利益があると言われています。
仏様は、単にお金を供えるより難しい作業をこなしたあなに願いを叶えてあげましょうということらしく、いつからかこのお参り方法となったようです。

三鈷の松を拾うと幸せが訪れる開運スポット!

根本大塔のすぐ隣で、赤い柵の中に松の木があります。

通常松の葉は二つに分かれていますが、ここの松には三つに分かれた松の葉があり「三鈷の松」と呼ばれ、柵周辺に落ちている松の葉の中から三鈷の松を見つけ大事に持っていると幸せになれると言われています。

どうして、三つに分かれた松の葉にご利益があるのかは、弘法大師・空海が高野山開創の際のある伝説によるもので、中国・唐の浜辺より、真言密教を広めるための場所を探しておくれと法具の三鈷杵(さんこしょう)を日本に向けて投げた。

その後、帰国し高野近辺に訪れた時に、松の木を見上げると唐から投げた三鈷杵が掛かっていました。
そこで、この地が真言密教を開創する場所にふさわしいと決めたそうです。

その逸話から三鈷杵と同じ三葉の松の葉は、縁起が良いと言われ「三鈷の松」として祀られてきました。

回すだけで頭が良くなるご利益スポット!「六角経蔵」

「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」(別名:荒川経蔵)は、鳥羽法皇の供養のため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された経典を収納する目的で建立された経蔵です。

現在の六角経蔵は、1934年(昭和9年)に、再建されたものです。

六角経蔵の基壇(きだん)部分に把手がついていて、比較的軽い力でも回すことができ、一周すれば中の経典を一通り読んだことになり、頭が良くなると言われています。

高野山の総本堂の「金堂」御本尊がご開帳されたのは1200年の歴史で一回だけ!

By: na0905By: na0905

重要な行事はほとんどここで行われる、高野山の総本山である「金堂」

現在8代目となる入母屋造りの建物は、高さ23.73m・梁間23.8m・桁行30mで、1926年(昭和元)に火災により全焼しましたが1934年(昭和9年)弘法大師千百年御遠忌に合わせ再建されました。

再建と同時に、金堂の御本尊である「秘仏・薬師如来(阿閦如来)」も、大仏師の高村光雲仏師によって造立された。

1200年という長い歴史の中で、初めて「秘仏・薬師如来」のご開帳が、平成27年の高野山開創1200年記念大法会で行われました。

薬師如来のご利益は病気平癒、さまざまな病気を治すお医者様なので、この歴史的イベントを目にした人たちは健康となるご利益を授かったに違いありません。

高野山を開創する際に空海が守り神とした御社

弘法大師・空海が、高野山に真言密教の聖地を開創する際に、丹生明神と高野明神を守り神として寺社に迎え奉安したお社。
お社には、丹生明神と高野明神、十二王子・百二十供神が祀られている。

このお社の前には「山王院」というお堂があり、お社に祀られる地主神の拝殿となっています。
神仏習合姿勢が見られる場所です。

蓮池の太鼓橋

高野山・蓮池の太鼓橋

蓮池は、壇上伽藍・中門の東側にあり、真中の小島を中心に二つの太鼓橋が架かっています。
この一直線上に架かる二つの太鼓橋は、遠望から見ると二つの太鼓を描く形となっている。

また、小島には祠(ほこら)があり善女竜王が祀られています。

総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)エリア

「金剛峯寺(こんごうぶじ)エリア」には、平成11年に平成の大修理落慶大法会以来、16年ぶりの平成27年にご開帳された、持仏の間に祀られる御本尊(弘法大師座像)や日本最大級の規模を誇る石庭の「蟠龍庭」・真田幸村が過ごしたとされる「蓮華定院」・豊臣秀吉の甥の豊臣秀次が自害した居間などがあります。

高野山の壇上伽藍・金剛峯寺エリア

金剛峯寺(こんごうぶじ)

金剛峯寺・正門

金剛峯寺の境内に入る正門。

金剛峯寺の建物の中でも一番古く、当時この正門から入ることができるのは、天皇や貴族・高野山の重職のみでした。
一般の僧侶は、右側にある小さな門から出入りしていたそうです。

金剛峯寺・大玄関と小玄関

「金剛峯寺」の奥側(ひさしが直線的)が大玄関(だいげんかん)で手前側(ひさしが曲線的)が小玄関(こげんかん)になります。

玄関にも決まりがあり、大玄関は天皇や貴族・高野山の重職が出入口、小玄関は上綱(じょうこう)職、一般の僧侶は裏口から出入りしていたようです。

高野山・金剛峯寺

写真でもわかるように金剛峯寺の屋根の上には、天水桶(てんすいおけ)という桶が設置されています。
普通は下に置いてある場合が多いのですが、金剛峯寺のように上に置いてあるのは非常に珍しいことです。

この天水桶には利用法があり、火事などが起きた場合に僧侶が屋根に上って水を組み消火するためのものです。
また、桶に7分ほどの水を入れておき地震で揺れると水がこぼれることを利用し、当時の地震計としても使われており震度4以上になったときに水があふれると言います。

<金剛峯寺の拡大図>高野山・金剛峯寺拡大マップ

金剛峯寺には、1943年(昭和9年)に別殿が建てられ、1984年(昭和59年)には、新たに大勢の参拝者の接待所として新別殿が建てられました。

日本最大級の石庭「蟠龍庭」奥殿の前でとぐろを巻く雄雌一対の龍

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別殿・新別殿・奥殿の間にある「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」は、日本最大級の石庭で2,340平方メートルの広さがあります。
蟠龍庭は、新別殿と同時期に造園されました。

名前の蟠龍とは、天に昇らず地上にうずくまりとぐろを巻いた龍のことで、奥殿を守るかのように左側に雄と右側に雌の一対の龍が、雲海のなか向き合っている姿を石で表現しています。

雲海には京都の白川砂が、龍には四国の花崗岩が使用されている。

金剛峯寺の台所の一度に僧侶2、000人分のご飯が炊ける釜

 

金剛峯寺の台所には、僧侶2、000人分のご飯が一回で炊けるというお釜があります。
写真のお釜がそのお釜で、一つのお釜で約七斗(98kg)三ついっぺんに炊けば約二十一斗(二石)となり、約2、000人分のご飯を炊くことができます。

三基並ぶお釜の上には、台所の神様の三宝荒神が祀られています。

触ると絆が深まるパワースポット!六時の鐘の石垣内に大泥棒が隠したもの

高野山・お寺の前の石垣内のかすがい

金剛峯寺入口の手前に、少し高い石垣の上に「六時の鐘(ろくじのかね)」があります。

福島正則が、父母の冥福を祈り1618年(元和4年)に建てた鐘楼で、今でも朝6時から夜の10時までの偶数時間に時刻を知らせています。

そして、この六時の鐘の下の石垣はパワースポットなっています。

あの天下の大泥棒と言われた石川五右衛門が、お寺に忍び込む時に見つかってしまい身体を調べられた際、泥棒であることをかくすためお寺へ昇る道具を石垣に隠したとされる。

この道具が「かすがい」というもので、写真の矢印の石垣内に残っています。

かすがい

 

鎹(かすがい)は、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む金具で、「つなぎ」「つなぐ」という意味で、触ると夫婦の絆がより深まると言われています。

弘法大師が自ら刻む仏像に命を救われた!最強パワーの秘仏「浪切不動明王」

高野山・浪切不動尊・南院

 

弘法大師が、自ら彫ったとされる秘仏「浪切不動明王」があります。
香木で、赤い色をした赤栴檀(しゃくせんだん)の木で作られた約1m程の仏像です。

この仏像があるのは、金剛峯寺の北西に位置する「浪切不動尊・南院」で、山外不出でめったに見ることのできませんが、6月28日のみご開帳できます。

「浪切不動明王」には、弘法大師を救ったとされる伝説があり、中国・唐から帰国時に嵐に遭い船が沈没しそうになったので、波を押さえるため自ら彫った「浪切不動明王」に祈りを捧げながら、不動明の剣から出る火焔で波を切り裂きながら無事帰国の途についたといわれています。

現在の「浪切不動明王」は、赤色ではなく黒色に染まっています。
それは、1200年間護摩壇に安置され、毎日焚く護摩のすすで染まった祈りの色で、弘法大師・空海から受け継がれる最強パワーの秘仏です。

高野山最強パワースポット奥之院エリア

高野山の奥之院エリアマップ

高野山最大のパワースポット「奥之院エリア」には、今も弘法大師・空海がいるという「御廟(ごびょう)」があります。

奥之院の終点の御廟までは、一の橋から約2kmの道のりが続きゆっくり歩いて約30分、その参道にはあらゆる階層の20万基のお墓が立ち並び高く伸びた杉と相まって神聖な澄んだ空気間をかもしだす。

一の橋の正式名は大橋と言い、御廟へ行く最初の橋で、弘法大師がこの橋まで送り迎えしてくれるといわれています。

<一の橋>

一の橋は、澱川に架かっており、日本人は古来から川を現世・来世・浄土の世界の境界とし、高野山はこれを象徴する三重構造を形成している。

橋は、安全に行く浄土への架け橋となっています。

<奥之院参道>高野山・奥之院参道

織田信長や豊臣秀吉・武田信玄・上杉謙信など戦国武将の名を連ねる墓所がある中、織田信長と謀反(むほん)を起こした明智光秀の墓所が同じ場所に存在したり、一般の人の墓所があったり、宗教・有名無名・敵味方・身分など関係なしに誰もがやすらげる場所、現世にこだわない高野山の寛大さがあり弘法大師・空海の思想が受け継がれています。

<奥之院・石田光成墓所>
高野山奥之院・石田光成墓所

いつも汗をかいている「汗かき地蔵」


中の橋を少し越えた所に、いつも汗をかいているお地蔵様「あせかき地蔵」が地蔵堂の中にいます。

何故いつも汗をかいているんでしょうか?
それは、この世の人々の苦しみや悲しみをこのお地蔵様が一身に背負い受け止めているため、汗をかいているんだと伝わっています。

顔が映らなければ怖い「姿見の井戸」!高野山七不思議の一つ

汗かき地蔵堂の左側後ろ(向かって右側)に、世にも奇妙な伝説をもつ井戸があります。

この小さな井戸は「姿見の井戸」と呼ばれ、言い伝えによれば、井戸を覗き込み自分の顔が井戸の中の水に映らないときは、3年以内に亡くなると言われています。

さてあなたは、この井戸に顔を覗き込む勇気はありますか!?

ご先祖の供養は「水向け地蔵」

By: Kadano

「水向け地蔵」は、御廟橋のすぐたもとの清流・玉川を背にした場所にある仏像様で、観音菩薩様や地蔵菩薩様などが鎮座し亡くなった方の御供養をします。

御供所で水向塔婆を求め、亡き人の名前を書きお地蔵様の下にある箱に供え、柄杓で水を手向けてご先祖様の冥福を祈ります。

「弥勒石」持ち上げれば願いが叶う開運パワースポット!

四角い小さなお堂の中に、持ち上げれば何でも願いが叶うといわれる「弥勒石(みろくいし)」があります。

この石に触れば、生命・未来の救世主である弥勒菩薩様とつながり、お堂の中は下の段と上の段に分かれていて、下から上へ石を持ち上げると願い事が叶うと言われています。

片手のみで石を持つので、女性は意外と難しいかもしれません。

高野山最大の聖域!空海が今も瞑想する「御廟」

弘法大師・空海は、今尚生きて瞑想を続け人々の救済をしているとされ、その瞑想を行っている場所こそ「御廟(ごびょう)」です。
そのため、御廟橋から先は高野山最大の聖域となり、写真撮影はできません。

高野山参拝に来て、奥之院に来なければ参拝に来た意味がないと言われるほど、弘法大師にとって重要で大切な場所です。

高野山・御廟橋

 

橋は、金剛界の37尊を表し、橋板36枚に橋そのものを1として足した37となる。
金剛界37尊は、多くの仏たちの代表的な緒尊で、金剛界曼荼羅を構成し、奥之院こそが清らかな世界であると昔より信じられている場所です。

これは、奥之院エリアの一の橋・中の橋も同様です。

ここからは、聖地に足を入れることになるので渡る際には一礼や合掌をしましょう。

御廟橋を渡れば、そこは聖域としてふさわしい雰囲気が漂い、深閑しピンと張りつめた空気の神秘的な空間。
この聖域の中では、誰もが心が清く洗われ、弘法大師・空海の有り難く強いご利益パワーを感じるといいます。

「燈籠堂」弘法大師のいる御廟を灯火で礼拝するお堂

弘法大師・空海へのお供えには、ロウソクの火が一番尊いものとされているため、常に灯火を灯しているのが「燈籠堂」で、御廟におられる空海に願いを聞いていただく拝殿です。

堂内には、数え切れないほどの燈籠があり、祈親(きしん)上人の祈親燈(きしんとう)や白河上皇の白河燈の他、一般の方々からの寄付による燈籠が所狭しと並び、その一つ一つに祈りが込められています。

出典:http://www.vt81.com/view/363373.htm出典:http://www.vt81.com/view/363373.htm

 

燈籠堂の正面はガラスになっており、ここから奥にある御廟の建物が見えます。
そして、御廟の地下には今も尚、空海は人々の幸せを祈り日々瞑想を行っています。

弘法大師のいる「御廟」は高野山最大最強のパワースポット!

空海は、生死の堺を越え魂の存在となり、これからも人々を救い続けるため西暦835年3月21日(満62歳)でご入定(にゅうじょう)されました。

その瞑想するお住まいが「御廟(ごびょう)」です。

この場所は、空海が今も生き続けていると信じる人々の最大信仰の場で、高野山最大最強のパワースポットです。

御廟の地下にいる空海へは、燈籠堂の地下階段を通って行けるようになっており、瞑想されている部屋の前には御影(ごえい)が飾られています。

1200年間続く生身供!お供え前に味見

高野山では、空海がご入定後、1200年間一度も欠かしたことがない儀式があります。
それは、空海が生きていると信じられているため朝6時と朝10時30分にお食事のお供えする「生身供(しょうじんく)」です

http://peacefullife.blog.so-net.ne.jp/2015-04-07http://peacefullife.blog.so-net.ne.jp/

お食事は、御廟橋近くの御供所と呼ばれる所で作られ空海のもとへ運ばれるのですが、その前に面白いのが「嘗試(あじみ)地蔵」というお地蔵さまに味見をしてもらいます。

よく時代劇で、殿様の食事前に味見役が毒味をするのと同じような意味合いでしょう。

「御衣切」弘法大師空海が着る衣の切れ端は最強の開運アイテム!

毎年一度、弘法大師はお衣替えをしているそうで、お衣替えになった衣を細かく切ったものが「御衣切(おころもぎれ)」です。

高野山奥之院・弘法大師の衣の布

弘法大師が身近に着けていたものなので、そのご利益は高くお守りとしては最強のアイテムです。
「御衣切」は、奥之院の燈籠堂で販売されていますので、訪れたら必ず購入しておきたいお守りです。

首都圏における弘法大師信仰の拠点「高野山 東京別院」

東京の港区高輪三丁目にも、首都圏における大師信仰の拠点である「高野山 東京別院」があります。

高野山学呂の江戸在番所として慶長年間に開創され、1673年(延宝元年)に、高野山江戸在番所高野寺として建立。
その後、火災により焼失・再興・礼所などを経て、1927年(昭和2年)に高野山東京別院と改称されました。

高野山・東京別院遍照殿

御府内八十八ヶ所の1番札所・江戸三十三観音の第29番札所・関東八十八ヶ所の特別霊場でもあります。

境内には、弘法大師の法号「遍照金剛(へんじょうこんごう)」に由来する遍照殿や不動堂・鐘桜などがあり、常に写経会やお茶会などの教室も開かれており、都民の心の拠り所となっています。

高野山開創1200年名所を訪ねて(動画)

誕生から弘法大師の諡号(しごう)賜るまでの簡略空海史

(誕生)
宝亀五年(774年)6月15日、讃岐の国(現在の香川県善通寺市)で誕生しました。
父は佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀家(あとうけ)の出身で、お大師さまの幼名は真魚(まお)といいました。

(空海改名)
各地で苦しい修行を続け、22才で名を『空海』に改め、最高の教えを求めて祈願したところおつげを得て、奈良の久米寺東塔にて「大日経」を発見します。

(唐へ渡る)

804年、31才の年、ついに努力と才能を認められ留学生(るがくしょう)として遣唐使船に乗り入唐。唐の都長安の名僧、真言密教第七祖・恵果阿闍梨を訪ねました。

(真言宗開宗)

810年、立教開宗の勅許を得て「真言宗」を開宗。多くの学僧が集まり、天台宗の最澄も高雄山寺にて空海の灌頂(かんじょう)をうけます。

(高野山)

816年、都に近からず遠からず、清逸な水が湧き霊感あふれる高野山を『密教修行の道場』と定め、勅許を得て伽藍造営に着手し、弟子と共に密教の流布に尽力しました。

(東寺)
823年、嵯峨天皇より東寺を賜ります。「教王護国寺」と称し『鎮護国家を祈る道場』とし、高野山を中心に両道場を往復する流布活動は朝野の尊崇を広く集めました。

https://kaiun.website/archives/1439

(ご入定)
835年3月21日寅の刻。高野山にて、かねてより決意のとおり一週間の精進潔斎を済ませ、結跏趺坐(けっかふざ)して生身のまま金剛定に入ります。御年62才。

(奥の院)

入定から五十日後、弟子達は空海自身が定めた奥之院の霊窟にその御定身を納め御廟としました。今も日に2回、大師の召される食事を運ぶ生身供(しょうじんぐ)が続けられています。

(弘法大師)
入定から86年後の921年、醍醐天皇より『弘法大師』の諡号(しごう)を賜りました。

神秘的な宗教都市の高野山と僧侶の営みを描く映像

高野山の詳細情報

【高野山真言宗 総本山金剛峯寺】

所在地:〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132
TEL:0736-56-2011 FAX:0735-56-4640
公式ホームページ:高野山

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【参拝時間・料金】
基本参拝時間無休・料金無料
参拝所によっては参拝時間有・料金有

<料金の掛かる拝観所>

拝観場所 参拝時間 参拝料金
金剛峯寺 午前8時30分~午後5時 一 般:500円 小学生:200円
未就学児無料
金堂 午前8時30分~午後5時 一 般:200円
根本大塔 午前8時30分~午後5時 一 般:200円
霊宝館 5~10月:午前8時30分~午後5時30分
11~4月:午前8時30分~午後5時
一 般:600円
高校生・大学生:350円(要 学生証)
小学生・中学生:250円 未就学児無料
高野山大師教会 午前8時30分~午後5時 無料(ギャラリー別料金) 授戒料:500円
徳川家霊台 午前8時30分~午後5時 一 般:200円

【アクセス】
電車:南海高野線「難波」(特急85分)~「極楽橋」ケーブルカー乗り換え(5分)~高野山
南海高野線「天下茶屋」(特急80分)~「極楽橋」ケーブルカー乗り換え(5分)~高野山

マイカー無料駐車場:壇上伽藍駐車場・金剛峯寺駐車場・中の橋駐車場・奥之院駐車場
<マイカーでのアクセスは下図参照>
高野山・車でアクセス

<高野山周辺マップ>

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東寺の立体曼荼羅は圧巻!境内は空海の気が満ちたパワースポット https://kaiun.website/archives/1439 Tue, 20 Sep 2016 01:38:12 +0000 http://kaiun.website/?p=1439 東寺京都駅から徒歩約15分の南区九条町に、日本の仏教の原点・古い仏像の宝庫と言われる寺院「東寺」があります。

「東寺」全体はパワーに満ち溢れ場所パワースポットで、境内にある五重塔は現存する木造では日本一高く、京都のシンボルにもなっており京都駅を降りればその姿が見えてきます。

東寺は、「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」ともいい、桓武天皇が平安遷都(794年)とともに建立した官立(国立)の寺院です。
823年に嵯峨(さが)天皇より下賜(かし)され、弘法大師「空海」が作り上げた日本で始めての密教寺院で、1994年には世界遺産にも登録されています。

東寺を作り上げた伝説のお坊さん弘法大師空海!密教の伝道者

 

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遣唐使として唐に渡った空海は密教を学び、9世紀の初めに東寺を日本初の密教寺院として活動を始め、日本中に密教を広めて行きました。

空海は、真言密教を開いた偉大な伝説のお坊さんでありながら、芸術や文学から社会事業などさまざまな分野で活躍され、また庶民にも学問の門を開くため日本で初めての民間教育学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設しています。

弘法大師空海と高野山

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弘法大師空海と言えば「高野山」ですが、弘法大師にとって高野山は修行の地いわば聖地。
さとりを求める修行の地であり、そして入寂(亡くなった)の地です。

※「高野山」(和歌山県)
約1200年前に、弘法大師空海が開山し修行をした日本仏教の聖地で、現在も瞑想を続けていると伝わる場所。
高野山真言宗 総本山金剛峰寺は「一山境内地」と称し、高野山全体がお寺であることを意味する。

弘法大師空海と東寺

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一方で東寺は、都の民衆のために密教という新しい仏教を発信するための拠点、都の密教の発信基地なのです。

空海(弘法大師)
空海(くうかい)<宝亀5年(774年)~ 承和2年3月21日(835年4月22日>は、平安時代初期の僧。
弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。讃岐の国、今の香川県に生まれ、俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。-ウイキペディア-

皇族の信仰が強かった東寺も、鎌倉時代に入ると庶民の信仰も広がり、今では庶民信仰のお寺として愛されていて空海の思いが伝わっています。

東寺境内は空海パワーが充満!見所は盛だくさん

東寺境内の伽藍(ガラン)は、ほとんどが焼失して創建当時のものは残っていませんが、その後に再建され当時と同じ平安京の遺構を残しています。

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南大門から東寺境内に入ると右手に、ひときわ高くそびえる五重塔が目に入ってくる。
そして目の前には、東寺の本堂である堂々とした姿の金堂が見え、あらゆる病から人々を守る本尊の薬師如来像が鎮座する。

他にも、空海が居住していた御影堂(みえいどう)や夜景が綺麗な不二桜など見所満載の境内です。
また、境内に入れば空海の気を感じ、特に御影堂は空海の気が強いパワースポットです。

上にある東寺の境内図で分かるように、全てが無料拝観ではなくオレンジの点線内は有料拝観となります。
講堂・金堂は有料拝観となりますが、金堂の黄金に輝く巨大薬師如来三尊像や講堂の立体曼荼羅は圧巻です!
是非、見てご利益を授かって下さい。

有料拝観料(講堂・金堂・五重塔)
大人500円・高校生400円・中学生以下300円

※五重塔内に入ることは出来ません!近くからの観覧です。

東大門はあかずの門

一般的には南大門から境内に入りますが、東側にも東大門(ひがしだいもん)があります。

この門は、建武3(1336年)に足利尊氏が後醍醐天皇方の新田義貞の軍に攻められ、東大門から境内に逃げ込み門を閉じて以来、不開門(ふかいもん)あかずの門とよばれ、災害などの時以外人の手で開けられたことがありません。

しかし、2010年の4月に解体修理を行うため、670年ぶりに開門された事が大きな話題となりました。

http://www.shikoku-np.co.jp/http://www.shikoku-np.co.jp/

 

弘法大師空海の住居だった伝説の御影堂!東寺最強の開運スポット

 

東寺・御影堂(大師堂)入口門

境内の北西に位置する西院とよぶ一角に、弘法大師空海が約10年間住み密教を広めたと伝わる国宝「御影堂(みえいどう)」があります。
「大師堂」ともよばれ、お参りすると空海のパワーを頂け運が開ける特別な開運パワースポットです。

年間500万人以上の参拝者が訪れる、庶民信仰の拠点でもあります。

朝6時に、弘法大師空海が住まわれていた時と同じように、「生身供(しょうじんく)」という法要が行われます。
生身供は、御影堂の大師像に一の善・二の膳・お茶をお供えする40分程の法要で、空海が唐より持ち帰った仏舎利を頭と両手に授かります。

男女・年齢問わず、どなたでも無料で参拝することが出来ます。

【御影堂・南側の後堂】

http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/406f1c5c9b3e6bd1c375922c8ab54660http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/406f1c5c9b3e6bd1c375922c8ab54660

御影堂の南側の後堂には、空海の念持仏である国宝の「不動明王座像」が安置されています。

【御影堂・北側の礼堂】
東寺・御影堂(大師堂)北側の礼堂の奥には、現存する最古の「弘法大師空海の座像(国宝)」が祀られています。

この木製の弘法大師空海の座像は、運慶(うんけい)の四男の「康勝(こうしょう)」が1233年(天福元年)に、一刀三礼(いっとうさんらい)という手法で心を込めて作成しました。
※一刀三礼(いっとうさんらい)・・・仏像をひと彫りごとに三度の礼拝をする。

毘沙門堂は幸福の神である兜跋毘沙門天像が鎮座する

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御影堂の前に、「毘沙門堂(びしゃもんどう)」という小さなお堂があります。
堂内には、室町時代作の財宝と富貴をつかさどる「兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてんぞう)」が鎮座します。

七福神の中で、唯一武具を身に着けている神で幸福をもたらす神様です。

東寺の本尊は黄金に輝く巨大な薬師如来!病気平癒のご利益を拝受

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本尊である黄金の巨大な薬師如来三尊像が鎮座するのは、東寺が796年に創建後に最初に建立された「金堂」です。

金堂は、文明18年(1486年)の土一揆で仏像と共に一度焼失しましたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により再建。 
再建と同時に、東寺大仏師の康正(こうしょう)が、本尊の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)と日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)の両脇侍像を復興安置されました。

この三尊像は、木製仏像の中でも最高傑作といわれ重要文化財に指定されています。

【薬師如来三尊像】
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薬師如来坐像の像高は2.88mで、台座と光背を合わせると約10mと巨大の仏像であることがわかる。

金堂に入って薬師如来三尊像を見た瞬間、その輝きの美しさと大きさではっと息をのんでしまいます。

薬師如来は、別名に医王如来ともいわれる医薬兼備の仏様ですので、身体以外に心の病にも病気平癒のご利益があるので是非、拝んでおきたい仏様です。

講堂の空海プロデュース!21体の仏像が並ぶ立体曼荼羅は圧巻!

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金堂の直ぐ北側にあるのが「講堂」で、空海によって天長2年(825年)に着工し承和2年(835年)頃完成しました。
しかし、土一揆により文明18年(1486年)に火災で焼失し、現在の講堂は室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたものです。

講堂は、密教を広く庶民に伝えるために建立されました。

講堂での見所は、幅24.5m、奥行6.3mの壇の上に21体の巨大な仏像が配置された世界でも類を見ない「立体曼荼羅」です。
平面に絵がかれた2Dの曼荼羅を実際の仏像を並べて作り上げた、まさに空海が絵がいた仏の世界を3Dで表しています。

21体の内、16体が国宝で5体が重要文化財に指定されています。

曼荼羅とは

密教(仏教)において、仏の世界や悟り世界観を仏像や菩薩・文字などを用いて絵など視覚的・象徴的に表したもの。

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立体曼荼羅とは

しかし空海は、図として画かれた平面の曼荼羅をもっと分かりやすくするために、仏像を並べ立体的に表現したもの、それが立体曼荼羅です。

曼荼羅は2Dで視覚化⇒立体曼荼羅は仏像を並べ3Dで視覚化したもの。

講堂には、1200年前に空海が手がけた立体曼荼羅が、創建当時と変わらない形で現在も東寺に残されています。

立体曼荼羅21体の配置

真中には、宇宙の神・真理である「大日如来」を中心とした五智(ごち)如来、右側に「金剛波羅密多(こんごうはらみった)菩薩」を中心に五大菩薩、左側には「不動明王」を中心に五大明王が配置されている。
※大日如来・・・密教で信仰される宇宙そのものをあらわす仏

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左の須弥壇の真中に「帝釈天半跏像」、右の真中に「梵天坐像」を配し、四方に四天王立像が配置される。
※四天王・・・広目天像(左上)増長天像(左下)多聞天像(右上)持国天像(右下)

 

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講堂内に入れば21体の立体(3D)曼荼羅の迫力に感動

講堂に入れば、目の前に現れる21体の仏像の大きさや美しさに圧倒されます。

講堂内の通路幅は比較的狭く、立体曼荼羅の前には多くの柱があるため全体を人目で見渡すのは難しい。
少しずつ移動しながら仏像の前に立ち、仏像様の姿を下から見上げれば迫力と壮大さに感動します。

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立体曼荼羅は、見る人によってどう感じるかは違ってきます。
ただ仏像が並んでいるだけという人もあれば、心が落ち着き癒されるという人もいるでしょう。

感じ方は人それぞれ、どう感じるかは自分の心しだいです。
自分の素直な心で感じれば、心に何かを感じさせてくれる素晴らしい場所だと思います。

仏像界のイケメンNO.1が帝釈天

仏像ガールが気になる超イケメンの仏像があります。
それが、「帝釈天」です。

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見て分かるように、他の怖い仏像様とは違って人間ぽい男前の仏像様です。
帝釈天こそ仏像界のNO.1の呼び声の高いイケメン仏像様なのです。

東寺の五重塔の高さは約55m!現存する木造塔では日本一

 

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境内の中で、ひときわ高く目を引くのが「五重塔」です。
現存する木造の塔で高さ約55mは、日本一。

東寺のシンボルともいえる五重塔は、空海により天長3年(826年)に講堂の次に着手した建造物ですが、実際に完成に至ったのは空海が入寂された後の9世紀末。

天災などで過去4回焼失しており、現在の五重塔は5代目で寛永21年(1644年)に徳川家光の寄進によるものです。

五重塔の初層内部は、心柱に大日如来が鎮座し、心柱の周囲に4体の如来と8体の菩薩を配置した曼荼羅を形成する弘法大師空海が表現した仏の世界があります。

http://www.my-fav.jp/spot/69441/http://www.my-fav.jp/spot/69441/

 

心柱は最上部まで貫いており、五重塔を支える要となっていて、心柱の下には仏舎利(お釈迦様の骨)が納められています。
空海は、唐から80粒の仏舎利を持ち帰ったとされる。

約2500年前から、仏舎利を持っているものは世界を治め権力を手にすることが出来るいわれおり、後醍醐天皇や足利義満・豊臣秀次などの天下人などがこの仏舎利の奉請(ぶっしゃりのぶじょう)を受けている。
※仏舎利の奉請・・・東寺にお願いし仏舎利を貰い受けること。

<足利義満の自筆仏舎利奉請状>

http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=26537http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=26537

足利義満直筆(上の写真)の仏舎利奉請状が残っており、鷹永13年9月10日に全部で18粒の仏舎利を東寺から受けています。

新春や京の冬の旅の特別拝観時や春や秋の特別展のある期間以外は、基本的に五重塔の初層内部を見ることは出来ません。外観のみの拝観です。

特別展は、毎年春と秋の2回行われており、この期間に訪れると五重塔の初層内部の拝観ができます。
講堂の立体曼荼羅とは違った、普段見ることのできない密教空間、空海が表現したの曼荼羅を見ることができますのでお勧めです。

五重塔初層特別公開(2016年度)
春期特別公開 4月29日~5月25日
秋期特別公開 10月28日~12月25日

 

拝観料金(金堂・講堂拝観含)
大人800円・高校生700円・中学生以下500円

 

美しさに感動!夜のライトアップ「春の桜」「秋の紅葉」

東寺のもう一つの見所は、春と秋に開催される夜のライトアップです。

春に開催される夜のライトアップは、拝観料金所を入ってすぐの場所、昼間の桜も綺麗で美しいのですが、ライトアップされると金色の輝きを見せる五重塔をバックに、樹齢120年高さ13mの不二桜(八重紅枝垂桜)の共演が幻想的で圧巻の美しさです。

<ライトアップで五重塔をバックに不二桜の美しさが映える>%e6%9d%b1%e5%af%ba%e3%83%bb%e6%94%af%e5%9e%82%e3%82%8c%e6%a1%9c%e3%81%a8%e4%ba%94%e9%87%8d%e5%a1%94

<昼間の不二桜と五重塔>%e6%9d%b1%e5%af%ba%e3%83%bb%e4%ba%94%e9%87%8d%e5%a1%94%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a0%e3%82%8c%e6%a1%9c

<昼間では見れない金色に輝く五重塔>%e6%9d%b1%e5%af%ba%e3%83%bb%e6%98%a5%e3%81%ae%e5%a4%9c%e6%99%af%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%88%e3%82%a2%e3%83%83%e3%83%97

 

<秋の紅葉と五重塔が美しい夜景ライトアップ>

http://ei88.exblog.jp/25020113/

春には全体がピンク色に染まる夜景が、秋には紅葉のレッド色に染まり季節の移り変わりを様ような色合いで見せてくれます。
美しさは一見の価値あり!おすすめのスポットです。

季節 2016年度(開催期間) 開催時間
夜桜ライトアップ 3月18日(金)~4月17日(日) PM6:30~PM10:00
紅葉ライトアップ 10月28日(金)~12月4日(日) PM6:30~PM9:30

 

東寺・春のライトアップ動画

 

弘法さんで親しまれる東寺の縁日!露店数1000軒・来客数20万に以上

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毎月21日に、東寺境内で開催される「弘法市」

「弘法さん」で親しまれるこの骨董市は、出店の露店数が1000軒以上、来客数が20万人以上も訪れる大縁日です。

弘法大師空海が、835年3月21日に入滅されたこと偲んで行われた法要の「御影供(みえいく)」が始まりで、700年もの歴史があります。

露店の種類は様ようで、洋服や着物などの衣料店や骨董・美術品の店、小物やアクセサリー・雑貨・履物、食器や植木などさまざまお店が並び珍しいものも少なくはありません。
食に関しても充実、たこ焼きや焼きそばなどの屋台も出店されており、食べて・見て・買って一日中楽しめます。

朝5時頃には開店され、16時頃位までお店は続きます。

1月21日の初弘法(はつこうぼう)12月21日の終弘法(しまいこうぼう)の際は、全国各地から来客され特別なにぎわいになります。

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「東寺」の詳細情報

【東寺(正式名:教王護国寺)】
所在地:京都市南区九条町1番地
TEL:075-691-3325 FAX:075-662-0250
公式ホームページ⇒東寺

【休日】
年中無休

東寺開門時間
夏期 3月20火~4月17日 AM5:00~PM5:00
4月18日~9月19日 AM5:00~PM6:00
冬期 9月20日~3月19日 AM5:00~PM5:00

 

【参拝料金】
境内参拝は無料
金堂・講堂の拝観は有料

金堂・講堂・五重塔拝観料金
大人 500円
大学生 500円
高校生 400円
小・中学生 300円

※五重塔内部の初層は特別公開時のみ拝観可能

東寺有料拝観時間
夏期 3月20日~4月17日 AM8:30~PM5:00(受付PM4:30迄)
  4月18日~5月25日 AM8:30~PM6:00(受付PM5:30迄)
  5月26日~9月19日 AM8:30~PM6:00(受付PM5:30迄)
冬期 9月20日~3月19日 AM8:30~PM5:00(受付PM4:30迄)

 

【アクセス】
<マイカー>
名神高速道京都南ICから国道1号線経由し北へ3.5km
東寺境内駐車場50台(2時間600円以降30分毎に300円)
毎月21日の「弘法市」は駐車不可

<電車>
JR京都駅下車徒歩約15分
近鉄東寺駅下車徒歩約10分(近鉄京都線)

お宿情報:>>東寺の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<東寺の周辺マップ>

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雲海の竹田城跡へ車でアクセス!山城の郷ルートから望む城郭巡り https://kaiun.website/archives/1334 Tue, 23 Aug 2016 08:50:48 +0000 http://kaiun.website/?p=1334

兵庫県朝来市和田山町に、天空の城と呼ばれる「竹田城跡」があります。
秋の晴れた朝に濃霧が発生し、この霧が城跡周辺を取り囲み空の中に浮いているように見えるためこう呼ばれています。

雲海が見れる時期は、特に9月下旬から12月頃の明け方から朝の8時頃までで、朝が冷え込み昼には気温が上がった晴れた日によく見られる。

竹田城跡とは?

竹田城跡は、標高353.7mの古城山山頂に築かれた山城です。古城山の山全体が虎が伏せているように見えることから、別名「虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)」とも呼ばれています。

天守台・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪が配置されており、縄張りの規模は東西に約100m、南北に約400m、「完存する石垣遺構」としては全国屈指の規模を誇ります。築城当時は土塁で守られていた城が、最後の城主赤松広秀により、今に残る総石垣造の城に改修されたとされます。
<竹田城跡公式H・Pより>

朝来(あさご)市のシンボルでもある「竹田城跡」は、廃城から400年以上経ちながらも石垣が良い状態で保たれている日本でも数少ない山城で、2006年には日本100名城に指定され、映画「天と地と」や高倉健主演の「あなたへ」のロケ現場にもなっています。

明け方の雲海に浮かぶ城跡は絶景で素晴らしく、その評判で今や年間30万人を越える大人気の癒しのスポットです。

タモリさんやハリウッド俳優のトミー・リー・ジョーンズさんが出演するCM「プレミアム城跡」編(サントリーコーヒー)は、ここがロケ地となっていて雲海の中に浮かぶ城跡がまさに天空の城の風情を見せます。

そんな「竹田城跡」へ登って見ることにしました。

竹田城跡への登山道ルートは四つ!観覧料金所まで最短で40分

竹田城跡へ登るルートには、4つの登山道があります。
どのルートに置いても、料金所入口まではかなり斜面が続くので軽い気持ちで登ると後悔するかも知れません。

また、観覧料金所入口から天守台(353.7m)まで急な登りが続き不安定な階段状になっていますので、登りやすい靴と夏ならタオルや飲み物は必需品です。

竹田城跡への4ルート

上記地図に示す赤丸ナンバーの4つが、料金所入口までの登山ルートになります。

JR竹田駅の南側から登るルート

①駅裏登山道・・・料金所入口までの距離0.9km 徒歩約40分
JR竹田駅から降りて登る通常の登山道です。

②表米神社登山道・・・料金所入口までの距離1.2km 徒歩約45分
坂がきつく階段もあり脚力に自信がある人向き。

③南登山道・・・料金所入口までの距離長い 徒歩約60分
こちらの道路は一方通行で、車両で城跡へは行けません。

「山城の郷」の北側からルート

④西登山道・・・料金所入口までの距離2.1km 徒歩約40~50分
「山城の郷(やましろのさと)」には、駐車場の他、レストラン・売店・トイレも完備されていますので、行き帰りの拠点になります。
「山城の郷」に駐車して、ここから竹田城跡がある頂上へと進んで行きます。

竹田城跡・売店第一~第三駐車場まであり、約110台の駐車が可能です。
マイカーで来るなら、こちらのルートが良いのではないかと思います。

またここには、タクシーが控えていて中腹の第二駐車場まで乗せてもらえるので、ご年配の方や足に自信のない方は利用されるも良いと思います。

山城の郷
施設内容 レストラン・売店・トイレ・駐車場・グランドゴルフ
営業時間 9:00~16:00
定休日 年中無休
所在地 兵庫県朝来市和田山町殿字新井土13-1
電話 079-670-6518

 

<第一駐車場(レストラン・売店前の駐車場)>竹田城跡・駐車場


<第三駐車場>
竹田城跡・駐車場入口前道路

今回は、こちらの西登山道ルートを利用して登って見ました。

車で来るなら西登山道ルートを選びたい!森林浴も堪能

竹田城跡への西登山道ルートは、「山城の郷」の案内板から始まります。

竹田城跡・案内板

案内板には、ルートや距離・時間・休憩所などが書かれています。

 

竹田城跡・ここからスタート

「山城の郷」からも山頂の竹田城跡がかすかに見えます。
正面の山の頂です。

 

下から見る竹田城跡少し拡大するとはっきりと見えてきます。

 

竹田城跡・ここから登頂まで2.2km

これから登って行く西登山道から、「山城の郷」を見下ろすとこんな感じです。

 

竹田城跡・ここからスタートはここから上がる

この斜面を料金所入口まで登って行きます。

 

竹田城跡・登頂途中の道

曲がりのある、こんな道路が続きます。

 

竹田城跡・途中の道路から

途中の道路沿いからも所々城跡が見え、少しずつ近くなっている感じです。

 

竹田城跡・登頂途中のタクシー降り場

「山城の郷」から歩いて20分位過ぎた所にある、天空バスやタクシーの乗降所。

 

竹田城跡・途中の休憩所が近い

タクシー乗降所を少し過ぎると、トイレ・自販機やアイスクリームを売っている中腹の休憩所があります。
この道を左に行けば休憩所、真直ぐ進めば竹田城跡へと続きます。

 

竹田城跡・途中の休憩所2

「山城の郷」から1.5kmの所にある中腹の休憩所。
売店には、アイス200円・バニラモナカ150円・記念タオル300円や天然水を売っています。

竹田城跡・休憩所内普段登らない坂道を歩くのでかなりバテます、特に夏の暑い時は水分補給、冬の寒い時は体を温めるためにここで一旦休憩を取っって頂上へと目指すの方が良いと思います。

ここから料金所入口まで700mです。

 

竹田城跡・竹田城門

この休憩所の竹田城山門が、竹田城跡散策の大手門コースの出発地点。
門をくぐってもうひと踏ん張りです。

 

竹田城跡・史蹟案内板

観覧料金所までの散策道路沿いにある史蹟案内板。
竹田城跡の遺構(過去の建築物、工作物、土木構造物などが後世に残された状態)や城主について書かれています。

城主は築城後、太田垣光影→以後7代→桑山重晴→赤松広秀と移っていったことが記されてる。

竹田城跡内の見学順路!城内は一方通行で入口と出口は別

竹田城跡の見学順路です。
城内は、北千畳から本丸へそして南千畳へと続いていき、その大きさは南北約400m、東西約100mの大規模な城跡です。

全体の面積は、面積は18,473㎡に及び北千畳曲輪・南千畳曲輪・花屋敷曲輪の3つは標高が331mとほぼ同じ高さで、本丸の標高は351mなので標高差は20mあります。

赤の矢印方向に下記番号箇所を見学していきます。

参考:http://www.oyadohakusan.com/index.html参考:http://www.oyadohakusan.com/index.html

 

竹田城跡観覧料受付所

竹田城跡・観覧料金所

2.1kmの道のりを歩き、竹田城跡観覧料受付所に到着。
山門からここまでの道路斜面はきつくなりますので、700m程の道のりですがかなり疲れます。
城跡内には、トイレが有りませんので不安な方はトイレ休憩を!

竹田城跡観覧料は以下の料金となります。

竹田城跡観覧料
大人(高校生以上) 500円
中学生以下 無料
年間パスポート 1,000円

 

観覧料金所を通過したら、いよいよ竹田城跡の見学です。

城跡までは、高さのある石段と土道が続くので高さのある靴は危険、また、濡れていると滑るので注意が必要です。

城跡内は一方通行で、入口と出口は別々の所となります。

<見学順路登り②北千畳・大手門へ

竹田城跡・頂上までもうすぐ

北千畳へ登る石段。石の大きさの違いや土道面もあって足元が不安定です。

 

竹田城跡・大手門付近

大手門付近の石垣。
石垣の出角部分は、長方体の石の長辺と短辺を交合に重ねる「算木積」みという技法で作られ、この方法は強度が高く壊れにくい。

 

竹田城跡・城跡が見えてきた

北千畳付近では、安全上黒いシートが敷かれています。
ここを上がって右側が北千畳、左側へ行けば大手門と続く。

<見学順路登り③北千畳

竹田城跡・城跡の広場

「北千畳郭」は広く、ここから城下への眺めも絶景です。

 

竹田城跡・北千畳広場

「北千畳」のこの石垣の向こうが大手門です。 

<見学順路登り④三の丸

竹田城跡・城跡の上にがる

三の丸入口の「大手門」

 

竹田城跡・城跡の最上が見える大手門を上がった三の丸から見る本丸。

<見学順路登り⑤弐の丸

竹田城跡・城跡の最上はもうすぐ

三の丸から弐の門へ。

 

竹田城跡・弐の門

「弐の門」と石垣。

 

竹田城跡・城跡の最上は近い

「弐の丸」

 

竹田城跡・城跡の最上が目前3

 「弐の丸」からみる南千畳・南弐の丸方向。

<見学順路登り⑥本丸と天守台

竹田城跡・城跡の最上はそこ

左に弐の丸、正面が本丸です。

 

竹田城跡・本丸近い「本丸」とその上の「天守台」までもうすぐです。
本丸の石垣は、「穴太積み」という技法の重ね方をしており、姫路城や安土城も同じ技法の石垣作りです。

高倉健主演の映画「あなたへ」では、高倉健さんがこの位置から天守台を眺めるシーン撮った場所です。
知っている人は、ここで同じようなポーズをして記念写真を撮るようです。

 

竹田城跡・本丸内

本丸内は意外と狭い。

 

竹田城跡・城跡の最上積3

本丸内にある「天守台」
木製の階段を上がれば、一番高い天守台353.7mの頂上に到着です。

 

竹田城跡・城跡の最上積からの風景

「天守台」から見下ろす南弐の丸と 南千畳。
絶景のスポット!日本の「マチュピチュ」と言われるのも分かる気がします。

「マチュピチュ」は下記の記事で

https://kaiun.website/archives/564


竹田城跡・本丸から左を見る「天守台」から左側を見れば、今歩いてきた弐の丸・三の丸が見える。

<見学順路登り⑦花屋敷

竹田城跡・城跡の最上が目前6

この木製の階段を上がれば本丸です。 

竹田城跡・弐の丸から見た北千畳

木製の階段通路から見た北千畳方面。

 

竹田城後・花屋敷

北千畳と南千畳の曲輪に対して、北部に位置する曲輪が「花屋敷」です。
南北の防御性を高めるためのものだったようです。

<見学順路下り⑧南弐の丸

竹田城跡・城跡の最上積を下る

 本丸から下って行きます。

 

竹田城跡・城跡の最上積を下る3

右側の木が何本か立っている所が、「南弐の丸」になります。

<見学順路下り⑨南千畳

竹田城跡・南の正門

「南の正門」
左の石垣の上が南弐の丸で、南千畳はこの手前にあります。

 

竹田城跡の南千畳

 「南千畳」

雲海に浮かぶ竹田城跡の美しい映像

 

竹田城跡巡りを終えて思うこと

竹田城跡は、8年程前は観光客も年間2万人位でしたが、映画のロケ地になったり雲海に浮かぶ城跡の素晴らしさが少しずつ評判を呼び、2年前には年間30万人を突破、今もなお増え続けてい大人気のスポットです。

雲海を見るなら秋の9月~12月の朝方、それ以外の季節なら散策や城跡巡りが楽しめます。

また、パンフレットに載っているような雲海に浮かぶ竹田城跡全体を眺めるなら、円山川を挟んだ向かいの朝来山の中腹にある立雲峡からが絶景ポイントになっていますので、時間があればこちらも一度訪れて見てはいかがでしょうか。

竹田城跡は、城も無い廃城でありながら、雲によって見出された絶景が今や多くの人の集める観光地となり、但馬及び朝来市周辺に観光客の恩恵をもたらす史跡です。

増え続ける観光客で、素晴らしい城跡を形どる石垣や城郭・自然が損なうことなく後生に伝わるよう願うばかりです。

 

「竹田城跡」の詳細情報

【竹田城跡】

所在地: 〒669-5252 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地
問い合わせ:情報館 「天空の城」
TEL: 079-674-2120  FAX: 079-674-0130
竹田城跡公式ホームページ⇒こちら

【城跡見学時間】

時期 見学時間
3月1日~ 5月31日 午前8時~午後6時(最終登城 午後5時30分)
6月1日~ 8月31日 午前6時~午後6時(最終登城 午後5時30分)
9月1日~11月30日 午前4時~午後5時(最終登城 午後4時30分)
12月1日~翌年1月3日 午前10時~午後2時(最終登城 午後1時)

※雲海の見れる秋の9月1日~11月30日は午前4時から登城可能。

【観覧料・登山ルート】記事内にて

【アクセス】
マイカー:播但連絡有料道路「和田山IC」から国道312号線へ「山城の郷」第1駐車場まで約10分
電車:
・JR山陽本線・新幹線利用(約95分)
JR姫路駅でJR播但線へ乗り換え「JR寺前駅」へ「和田山行き列車」へ乗り換えて「JR竹田駅」で下車
・JR山陰本線/JR福知山線利用(約7分)
「JR和田山駅」でJR播但線に乗り換え「JR竹田駅」下車

【天空バス】
運行ルートは、竹田駅⇒山城の郷⇒竹田城跡⇒まちなか駐車場⇒上町⇒竹田駅⇒山城の郷

天空バス行先 運賃
JR竹田駅~竹田城跡 大人260円(小人130円)
山城の郷~竹田城跡 大人150円(小人80円)
JR竹田駅~山城の郷 大人200円(小人100円)

※一日乗車券:大人500円(小人250円)

天空バスは一方向の運行ですので、行き帰りでは時間が違っています。

竹田城跡・天空バス

【雲海バス】
竹田城跡の雲海シーズン利用したい運行バス
運行期間:9月3日(土)~11月27日(日)までの土日祝日
運賃:大人:片道500円 小児:片道250円
<運行先と時間>
行きはイオン和田山店⇒山城の郷:午前4時(始発)~午前6時20分(終発)まで
帰りは山城の郷⇒イオン和田山店:午前7時(始発)~午前9時20分(終発)まで

【お宿情報】>>竹田城跡の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<竹田城跡の周辺マップ>

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シン・ゴジラが巨大化!その大きさに匹敵の日本の巨大仏像ランキング https://kaiun.website/archives/1052 Thu, 28 Jul 2016 12:45:48 +0000 http://kaiun.website/?p=1052

新作のゴジラ映画「シン・ゴジラ」では、身長が118.5mとこれまでで最大の大きさになっていますが、唯一これよりも大きい大仏が日本に一体あります。

それが「牛久大仏(うしくだいぶつ)」です。
像高120mの巨大仏像で、わずか1.5m程ですがゴジラを上回ります。
実物の牛久大仏を見れば、「シン・ゴジラ」内でのゴジラの大きさがいかに大きいのかがわかると思います。

他にも、100m級が2体など日本では西暦2000年迄に、シンボルとして数多くの巨大仏がバブルの景気と共に建立されました。

そんな日本の巨大仏像の中で最も高い順に、ベスト10をご紹介します。

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高さダントツ一位は牛久大仏!日本には50M以上が10体もある

日本の巨大仏ベスト10までが50m以上で、100m以上は3体もあります。

1位は「牛久大仏」の120mで、2位と3位に100m級の「仙台大観音」「世界平和大観音」が続きます。
立像が多い中、10位の「うさみ大観音」は坐像でありながら50mは立派です。

こうしてみると、巨大仏像は各地のシンボル的存在として点在しているようです。

順位 大仏名 像高 所在地 像型  像立日
1位 牛久大仏 120m 茨城県牛久市 立像 1993年
2位 仙台大観音 100m 宮城県仙台市 立像 1991年
3位 世界平和大観音像 100m 兵庫県淡路市 立像 1991年
4位 北海道大観音 88m 北海道芦別市 立像 1989年
5位 加賀大観音 73m 石川県加賀市 立像 1988年
6位 小豆島大観音 約68m 香川県小豆郡土庄町  立像 1994年
7位 久留米大観音 62m 福岡県久留米市 立像 1982年
8位 会津慈母大観音 57m 福島県会津若松市 立像 1987年
9位 東京湾観音 56m 千葉県富津市 立像 1961年
10位 うさみ大観音 50m 静岡県伊東市 座像 1982年

 

【1位】牛久大仏!名実共に日本一の巨大仏像でブロンズ製では世界一

開運・牛久大仏

「牛久大仏」は、茨城県牛久市にある日本最大の巨大仏像で、台座(20m)含めると像高が120mにもおよび、巨大仏といえば「牛久大仏」と言うほど今では有名です。

他の大仏、例えば奈良の大仏(14.7m)と比べれば約8倍、鎌倉大仏(13.35m)ならば約9倍もの大きさで、手の上にはこれらの大仏様が乗ってしまいます。

立像の高さとしては、世界第3位ですがブロンズ製としては世界1位を誇り、ギネスにも登録されている。

像建者は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺で霊園の牛久浄苑のエリア内に鎮座しています。

牛久大仏像上部から

こちらの仏像は、人型の建造物になっているので胎内にも入ることもでき、中は5階建で階毎に写経体験や大仏様の模型が展示されています。

胸にあたる85m部分は、展望台になっておりこの高さから見晴らす景色は絶景です。

牛久大仏をもっと詳しく見る!

https://kaiun.website/archives/1028

「牛久大仏」を動画でみてみよう!

【牛久大仏の詳細】

お寺 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 公式H・P⇒こちら
大仏 牛久大仏(うしくだいぶつ)
住所 〒300-1288 茨城県牛久市久野町2083
電話 TEL:029-889-2931 FAX:029-889-2935
参拝時間 年中無休 3月~9月9:30~17:00 10月~2月9:30~16:30
参拝料金 大人800円・小人400円(胎内参拝含) 無料駐車場有
お宿情報 >>【楽天たびノート】牛久大仏の周辺宿

【牛久大仏の周辺マップ】

【2位】仙台大観音!龍の口から胎内に入れば開運が訪れる

仙台大観音

「仙台大観音」は、牛久大仏に次ぐ大きさの像高100mで宮城県仙台市泉区に像立されています。

正面は、7km離れた仙台駅を向いており、仙台中心部の高いビルから「仙台大観音」を望むことができる。

「牛久大仏」同様、大仏内部へ入ることができます。

龍の口をした入口は、迫力満点で昇龍・登龍門で出世の道を表し、開運が訪れると言います。

出典:http://blog.livedoor.jp/ke1zo出典:http://blog.livedoor.jp/ke1zo

大仏胎内部は、12層に分かれていてエレベーターが利用できます。

3層から11層には108体の仏像が安置され、心臓部にある御心殿には、大仏様が右手に持っている如意宝珠(にょいほうじゅ)の珠と大日如来が鎮座する。

「仙台大観音」をスライドで見てみましょう!

【仙台大観音の詳細】

お寺 新界山大観密寺 公式H・P⇒こちら
大仏 仙台大観音(せんだいだいかんのん)
住所 〒 981-3217 宮城県仙台市泉区実沢字中山南31番地の36
電話 TEL 022-278-3331 (代) / FAX 022-278-7162
参拝
時間
夏季5/1~10/31 午前10時~午後4時
冬季11/1~4/30 午前10時~午後3時30分
参拝料金 観音様のご参拝は無料 但し、胎内ご参拝にはお札(守護札)を
受けて頂くため500円必要

【仙台大観音の周辺マップ】

【3位】世界平和大観音像!ユニークさでは1位 周辺には自由の女神も

出典:http://find-travel.jp/

「仙台大観音」の像高100mと同じ高さを誇るのが、兵庫県淡路市にある「世界平和大観音像」です。

他の大仏様と違い、写真を見ても分かるとおり、お顔や像全体の威厳のなさが伝わります。
又、大仏様の隣に見える十重の塔が目を引きます。

入口に、店名が「アメリカ」というレストランの看板が見えますが、お寺がつける名前にしては少々違和感があります。

違和感を感じつつも、ここにはもう一つアメリカンがあります。

出典:http://minkara.carview.co.jp/

これですね!
大仏様の近くには、小振りですがニューヨークの自由の女神も鎮座します。

「世界平和大観音像」に目を向けると、首周りには、大仏様にはそぐわない展望台のための欄干が付けられており、そのため「ムチ打ち観音」とも呼ばれています。

これらを見るだけで、寺院が像立したものではないことが見えてきます。

「世界平和大観音像」は、実業家で財をなした奥内豊吉が私財を投じて作った施設で、5階建ての博物館というのが実体です。
クラシックカーや時計・民族物を展示していました。

「豊清山平和観音寺」という寺院も併設されたのですが、宗教法人の認可はありません。

創業者である奥内豊吉は63年に亡くなり、所有者不在で2006年2月26日の閉館後は廃墟化しており、倒壊の恐れも出て処分には淡路市も頭を痛めているとか。

「追記」2021年6月
世界平和大観音像は2020年に国の所有となりましたが、老朽化が進み台風などの災害によって倒壊や外壁の崩れなど、周辺への危険が増したため惜しむ声もありますが2021年6月14日から解体工事が始まりました。

撤去が終わるのが2023年の予定ですので、実物の世界平和大観音像を見ることができるのはそれまでの間だけとなります。

「世界平和大観音像」を空撮動画で見てみましょう!

【世界平和大観音の詳細】

大仏 世界平和大観音
住所 〒656-2334 兵庫県淡路市釜口2006-1
参拝 現在廃墟

【世界平和大観音の周辺マップ】

【4位】北海道大観音!当時は大仏様までモノレールが繋がっていた

出典:http://www.dremi.jp/

「北海道大観音」は、当時の芦別レジャーランドの中に像立された高さ88mの立像の大観音様です。

芦別市の観光化を目指して、1970年に芦別レジャーランドを建設、その後バブル景気と共に中国風庭園の十二支苑やホテル五重の塔など宿泊施設を拡大し、1989年には計画から14年間かかったが、世界の平和と北海道の発展のシンボルとして北海道大観音が像立された。

この北海道大観音の像立により、ファミリー的なテーマパークから年配者をターゲットにした仏教的なテーマーパークとなり、名称も「芦別レジャーランド」から「北の京(みやこ)芦別」に変更されました。

宿泊施設ホテル三十三間堂や大観音様へ続くモノレールなど、施設は拡大されて行くもバブル終焉(しゅうえん)期を迎え、2008年以降は経営者が次々と変わり、北海道観大音は石川県金沢市の曹洞宗系の宗教法人・天徳育成会が購入して名前も「北海道天徳大観音」と改名される。

<当時は大観音様へと繋ぐモノレールが有った>

出典:http://kei.txt-nifty.com/daibutsu/

北海道大観音は胎内めぐりもあり、26階建てだが一般の参拝は展望台のある20階までになっており、エレベーターで上がることができる。

ここは一番礼所が20階になっていますで、エレベーターで一気に20階まで上がり、歩いて降りながら10番礼所のある入り口まで参拝して行きます。

礼所毎に、色んな観音様が祀られていますので、一階の十番礼所の千体観音様までお参りすれば全ての願いが叶うようです。

北海道大観音・御本尊

【北海道大観音の詳細】

大仏 北海道大観音(現在:北海道天徳大観音)
住所 〒075-0036北海道芦別市旭町31番1
施設 宗教法人天徳育成会 天徳院

【北海道大観音の周辺マップ】

【5位】加賀大観音!高さ73mは日本で5番目で金色の珍しい大仏

出典:http://www.panoramio.com/

石川県加賀市作見町にある「加賀大観音」は、立像の高さが73mと日本では5番目の大きですが、他の巨大物との違いに色が金色であると言うことです。

「加賀大観音」は、JR加賀温泉駅から直線で1Kmも満たない場所にあるため、駅からでもよく見えます。

1987年に、関西土地建物の社長が総工費280億もかけて、ホテルや遊園地を併設した総合レジャーランドとしてユートピア加賀の郷が作られました。
その中の加賀寺に、「加賀大観音」があります。

赤ちゃんを抱いた姿に、聖母マリアを意識させる「マリア観音」で子を授かる御利益があります。

当然胎内への霊場巡りも出来ますが、56mの最上階まで徒歩で螺旋階段を昇るので、足腰の弱い人はきついかも知れません。
階段外側の壁には、祈願された金色の観音様のパネルが所狭しと貼られている。

加賀大観音・螺旋階段-胎内

胎内には、四国八十八礼所などの各霊場があり、こちらでいっぺんに礼所参拝ができます。

しかし、ここでも開業当初の賑わいがバブルが消えると共に経営は悪化し、2000年頃には施設は閉鎖され廃墟化し、今では「加賀大観音」と加賀寺のみの拝観となっています。

「加賀大観音」を動画で見てみましょう!

【加賀大観音の詳細】

施設 観音院加賀寺
大仏 加賀大観音
住所 石川県加賀市作見町観音山1-1 TEL:0761-72-7001
入園料 500円
駐車場 約2000台無料

【加賀大観音の周辺マップ】

日本の巨大仏像、大きさランキング5位までをご紹介しました!
続いて6位から10位までのランキング2をご覧ください。

https://kaiun.website/archives/1246

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【首大仏】和歌山・無量光寺!ユーモアな顔でも受験生に人気の仏様 https://kaiun.website/archives/1075 Tue, 28 Jun 2016 08:51:24 +0000 http://kaiun.website/?p=1075

和歌山県和歌山市「寺町通り」の無量光寺境内に、首から上だけの願いなら何でも叶うと言われる首大仏様が鎮座しています。
ここ「寺町通り」には、多くの寺院が立ち並んでいますが、中でも無量光寺の「首大仏」様が有名です。

2代目となる「無量光寺の首大仏(むりょうこうじのおぼとけ)」は、約3mの首から頭部のみの大仏で盧舎那仏の銅像です。

首から上の大仏ですので、受験に関する合格や頭痛持ち・首や頭の病気などの病気平癒にもご利益があるため、沢山の人がお願いに訪れている人気の寺院です。

無量光寺の首大仏様は全身の座像なら約13mと鎌倉大仏よりも高い

和歌山・無量光寺・首大仏様

元々は、江戸時代に大福寺に建立された丈六佛(じょうろくぶつ)で、初代は高さ約5mの坐像でしたが天保6年(1835年)に火災で焼失後、2代目として初代の青銅を使って天保11年7月24日(1840年)に同寺に再興されました。

しかし、2代目の大仏さまは全身像ではなく約3mの首から頭部だけの大仏さまでした。

首から上だけの理由として、全身の仏像を製作する予定であったが、途中(首まで)で地震に遭いお寺側が費用を捻出することが困難になったためのようです。

もし、全身の座像が出来ていれば像高は約13mとなり、鎌倉大仏の11.39m(台座無)よりも高い大仏となります。
また、この首大仏のモデルになっているのが鎌倉大仏であるというのも興味深い。

鎌倉大仏様とお顔を比べてみると!

By: Ellie


<鎌倉大仏様>
開運スポット・鎌倉大仏上部
確かに似ている?ていうことはないですね。
きりっとした鎌倉大仏様に比べると少々ユーモラスな感はありますが、これも首大仏様の特徴でしょう。

和歌山県・無量光寺境内・首大仏

元々は大福寺にあった首大仏

「無量光寺」は浄土宗のお寺で、阿弥陀如来が本尊です。
文政12年(1829年)に、紀州藩10代藩主徳川治宝が日高郡出身の大行者徳本上人の功徳を讃えて建立された。
和歌山西国三十三箇所の八番目の礼所でもあり、明治19年に本堂は焼失、現在の本堂は傳法院から移築されたもの。

元々、大福寺にあった首だけの大仏が現在「無量光寺」にあるのは、安政元年(1854年)に発生した安政大地震によって大福寺が倒壊し維持することができなくなり、明治41年(1908年)廃寺に至ったため、首大仏様を本山である「無量光寺」に移されたためです。

無量光寺の首大仏様を動画で見てみましょう!

無量光寺「首大仏」の詳細情報

【無量光寺】

〒640-8137 和歌山県和歌山市吹上5-1-35
TEL:073-423-5738

拝観時間: 7時~16時30分(無休)
拝観料:無料

【アクセス】
マイカー:阪和自動車道和歌山ICを降りて約11分(駐車場20台無料)
列車:JR和歌山駅下車和歌山バス紀三井寺行15分

【お宿情報】:>>無量光寺「首大仏」の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<無量光寺の首大仏周辺マップ>

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日本の三大大仏と呼ばれる大仏たち!見れば感動のパワースポット https://kaiun.website/archives/974 Wed, 08 Jun 2016 13:34:03 +0000 http://kaiun.website/?p=974

感動必至!日本の三大大仏

日本は「仏像の国」と呼ばれるほど、全国に数多くの仏像が存在しています。そんな中でも特に有名なのが、三大大仏です。今回は、その三大大仏を紹介します。

最近では、若い世代の中でも「仏像ガール」と呼ばれる人々が増え、仏像めぐりが盛んに行われています。仏像の美しさや、その意味や歴史など、多くの人々が興味を持ち、全国各地を訪れる人が増えています。

このように、日本にはたくさんの仏像があり、その中でも特に感動を与えてくれる三大大仏は、ぜひ一度は訪れたいスポットです。その美しさと歴史的価値に触れることで、心が洗われるような体験ができることでしょう。

「仏像の国」日本の大仏と巨大仏の違い

中でも、大きな仏像を「大仏」といい、それよりも特に大きなものを「巨大仏」と言います。

仏像が大仏と呼ばれる大きさの基準は、「広辞苑」では丈六(1丈6尺=約4.85m)以上が大仏と定義されていますが明確なものはなく、この大きさ以下の仏像でも大仏と言われるものもあります。

巨大仏も同様で、明確な大きさの基準はありませんが、目安としては、40m以上のものが巨大仏」だと言われます。

数多くある仏像の中でも大仏や巨大仏は、見た目の大きさや迫力と同時に神徳パワーも大きいので開運のパワースポットにもなっています。

大仏の起源は日本三大大仏の一つ東大寺の「奈良の大仏」

大仏の起源
大仏(だいぶつ)は、大きな仏像を指す通称。中国などアジアの仏教圏では、天然の岩壁を彫刻した磨崖仏などが古くから造られてきた。日本においては、奈良時代に聖武天皇が、国家の安寧と民の幸福を祈願して東大寺に奈良の大仏(東大寺大仏)を造立したのを嚆矢とする。
以降、現代に至るまで、大きな功徳を求めた願主によって各地に大きな仏像が造られてきた。(ウィキペディア)

誰もが知ってる大仏の有名なものに、東大寺の「奈良の大仏」や鎌倉の「鎌倉大仏」がありますが、この二尊を含めた三尊の大仏が日本三大大仏となっています。

三大大仏のもう一尊は、時代と共に変わっており戦前と戦後で違う大仏が挙げられています。

江戸時代の日本三大大仏

江戸時代には、「京の大仏」が「奈良の大仏」「鎌倉大仏が」と共に日本三大大仏の一尊でした。

「京の大仏」は豊臣秀吉によって造営されましたが、慶長元年7月13日の慶長伏見地震を最初に度重なる地震や落雷・事故で何度も造営はするも、最後は昭和の中頃の昭和48年(1973年)に火災で消失しその後の造営はない。

戦前の日本三大大仏

戦前には、「京の大仏」のあととなる明治24年に造営された「兵庫大仏」が三尊目の日本三大大仏として名が挙げられました。しかし、太平洋戦争中の金属類回収令によりその姿は消える事となります。

戦後の平成3年に再建されますが、この2代目の「兵庫大仏」は歴史的に見ると日が浅いため日本三大大仏とは言えなくなった。

戦後の日本三大大仏

戦後に入り、富山県の大佛寺の「高岡大仏」や岐阜県の正法寺にある「岐阜大仏」の名が挙がるも、日本三大大仏としての知名度が少し足りないようです。

☆奈良の大仏は圧倒的存在感と神々しさで日本NO.1

開運スポット・奈良の大仏
誰もが知っている「奈良の大仏」は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊で、正式名は東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」と言います。

近くで実物を見るとその大きさもさもあるのですが、圧倒的な存在感と大仏様の前では素直な気持ちになれる気がします。
その神々しさは、やはり日本一なのかも知れません。

日本一の大仏様は木造軸組建築では世界一の大仏殿に鎮座

<東大寺大仏殿>

開運スポット・東大寺大仏殿

「銅造盧舎那仏坐像(どうぞうるしゃなぶつざぞう」名として、彫刻部門の国宝でもあり、世界最大の木造軸組建築の大仏殿の中に鎮座しており、銅色の光沢がまるで後光をさしているかのように見え神々しい。

聖武天皇の発願のもと、奈良の大仏が開眼されたのは天平勝宝4年(752年)で、治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)に2回大仏と大仏殿は焼失されたのですがその都度修復が行われています。

天平17年(745年)の造営から、7年の年月と総勢260万人がかかわり、大仏殿と大仏には今のお金にして総額4657億円もの莫大な費用がかかってています。

大仏は青銅に金メッキを施され、高さ約14.7メートルで、仏像が乗る基壇の周囲は70メートル重量は250トンにもおよぶ。

手の形、手印は施無畏与願印(せむい よがんいん)の形で、右手は「励まし」左手は「願いを叶える」を表しています。

大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルと木造軸組建築では世界最大ですが、焼失前の当時の幅は約86メートルと今よりもさらに大きかった。

奈良の大仏様の横には木造製の巨大な脇侍が守護

開運スポット・奈良の大仏全体

東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)の両脇には、脇侍として木造の2つの像が安置されています。
大仏の右手側には「虚空蔵菩薩像(上の写真)」が、左手側には「如意輪観音菩薩像」が大仏を守るように配置され、左右の手の印と足の組方が逆になっている。

【如意輪観音菩薩像】完成は元文3年(1738年)頃で、像高約7.2メートルの木造製

【虚空蔵菩薩像】完成は宝暦2年(1752年)頃で、像高約7.1メートルの木造製

奈良の大仏の横の柱(北東方向にある柱)には、鼻の穴と同じ大きさの穴が空いていて、ここを通ると頭が良くなったり、無病息災の御利益があると言われています。

<奈良の大仏身拭い動画>

毎年8月7日に、120人程の僧侶たちが集まり大仏様のお掃除「お身拭い」が行われます。
お身拭いをする僧侶たちと比較すれば、大仏様の大きさがよくわかります。

人気の大仏プリン本舗に「プリンのおうち」が誕生!

今や奈良に来れば、「大仏プリン」と言われるほど人気の商品です。

大仏プリンを製造する、「まほろぼ大仏プリン本舗」に2015年7月1日「プリンのおうち(プリンの森・カフェ)」が誕生しました。

下の写真を見てわかるように、おとぎ話の絵本から出て来たお菓子ようなおうちで、ここが本店となります。

出典:http://ameblo.jp/ripplesea/entry-12057882603.html

出来るだけ添加物を使用しない、濃厚でトロリとして甘くやさしい味わいはお土産に大人気です。
ビン詰めの蓋には、やさしそうな大仏様の絵が書かれていてほんわかな気分になります。

開運スポット・奈良・まほろぼ大仏プリン

<ビン詰めプリンのサイズは2種類>
まほろぼ大仏プリン(大)864円

まほろぼ大仏プリン(小)378円

他にも、白い鹿のプリンやさくらプリン・MASAリン(縁結びプリン)など種類も沢山ありますので、奈良・東大寺の大仏さま巡りに言った祭は、お店に寄ってみてはいかがでしょうか。

まほろばのホームページ⇒「まほろぼ大仏プリン本舗」

「奈良の大仏」の詳細情報

住所:〒630-8587 奈良市雑司町406-1
TEL(0742)-22-5511
FAX(0742)-22-0808
東大寺公式ホームページ:http://www.todaiji.or.jp/index.html

お宿情報:>>東大寺・奈良の大仏の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<東大寺・奈良の大仏マップ>

☆鎌倉大仏(高徳院)大仏の背中には不思議な窓が2つ

開運スポット・鎌倉大仏全体像

神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある「鎌倉大仏」は、浄土宗の寺院である高徳院(こうとくいん)の銅造阿弥陀如来像で国宝に指定されています。

鎌倉市長谷(はせ)にあるため、「長谷の大仏」とも呼ばれている。

「鎌倉大仏」の造立当初は、大仏殿の中に安置されていたようですが、地震や台風・津波などによって大仏殿と共に倒壊しており、江戸中期に復興を行い今の場所に安置された。

大仏は青銅に金箔を施しており、高さは、11.39メートルで台座を含めると13.35メートルでその重量は約121トンとなる。

当初の鎌倉市材木座の光明寺から「高徳院」の院号になってから浄土宗となるが、元は、真言宗に属していたためか、鎌倉大仏は膝上で両手を組む定印(じょういん)を結んでおり瞑想を表していて、浄土宗の来迎印(右手を挙げ、左手を下げる)を結ぶのとは違っています。

開運スポット・鎌倉大仏壇座

鎌倉大仏を後ろから見るとこんな感じです。

開運スポット・鎌倉大仏後ろ

背中には、窓のようなものが二つ見えます?
これは、中の空気を喚起する喚起窓です。

鎌倉大仏の胎内拝観

http://4travel.jp/travelogue/10898917

そう実はこの大仏、胎内を拝観することが出来るのです。

大仏様の胎内拝観料は一人20円と安い!
午前8時から午後4時30分まで拝観できます。

<鎌倉大仏の胎内>

開運スポット・鎌倉大仏胎内様子

大仏様胎内は、外観とはまた違った風景を見せます。
まるで、建物の中を移動しているような感覚です。

「鎌倉大仏」の詳細情報

住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
TEL(0467)-22-0703
FAX(0467)-22-5051
高徳院・鎌倉大仏の公式ホームページ:https://www.kotoku-in.jp/

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<高徳院・鎌倉大仏マップ>

☆兵庫大仏(能福寺) 2代目大仏は初代建立後100年目に再復活

http://www.hiro-sakurai.com/2014/10/6317

 

兵庫県神戸市兵庫区にある能福寺(のうふくじ)「兵庫大仏」(薬師如来)が鎮座しています。

能福寺は天台宗の仏教寺院で、能福護国密寺として805年(延暦24年)に最澄によって創建された日本で最初の密教教化霊場です。

平清盛が福原京遷都計画を実施するに伴い福原宮が創建され、平家一門の祈願寺となり大伽藍(だいがらん)も建設されここ一帯が大変栄えたと言われています。

※伽藍(がらん)とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味で、寺院または寺院の主要建物群の意味でもある。

現在の大仏は2代目で、当初の大仏は1891年(明治24年)に南条荘兵衛の寄進により建像されましたが、世界二次大戦中の1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に徴収され姿を消しました。

<初代兵庫大仏>

兵庫津風土記 高田静夫著

 

今の2代目の大仏は、初代大仏が建像されて100年目の1991年(平成3年)に「兵庫大仏」(毘廬舎那仏)として再建されました。

その大きさは座高11メートル、蓮台と台座を含め18メートル、重量約60トンと「奈良の大仏」「鎌倉大仏」に引けを取らない大きさです。

「兵庫大仏」の詳細情報

住所:〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39
TEL(078)-652-1715
神戸公式観光サイト:http://www.feel-kobe.jp/

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<能福寺・兵庫大仏マップ>

☆京の大仏(方広寺)四代続いた19mの今無き大仏

出典:kyoto-brand.com

 

「京の大仏」は、豊臣秀吉が奈良の東大寺「奈良の大仏」にならい建立された大仏で、文禄4年(1595年)から昭和48年まで存在しており、現在の京都市東山区の方広寺大仏殿に安置されていました。

正式名称は、「方広寺盧舎那仏像(びるしゃなぶつぞう)」

大仏殿の大きさは、全高:約49メートル・全幅:南北約88メートル・東西約54メートルと奈良東大寺の大仏殿と同等の大きさで、奥行に関しては約38mも広い。

上の写真は、「京の大仏」最後となる4代目で昭和48年3月の火災によって、このように焼かれ壊れてしまった。
この後、「京の大仏」の再興はありません。

京の大仏の歴史

  建立者 完成日 倒壊・焼失日 製造法 像高
初代 豊臣秀吉 文禄4年(1595年) 慶長元年(1596年) 木製金漆塗坐像 約18m
豊臣秀頼 慶長7年(1602年) 完成前に事故で融解 銅製  
二代目 豊臣秀頼 慶長17年(1612年) 寛文2年(1662年) 銅製金張坐像 約19m
三代目 徳川家綱 寛文7年(1667年) 寛政10年(1798年) 木製胸像 約19m
四代目 尾張の有志 天保14年(1843年) 昭和48年(1973年) 木製胸像  約6.5m

 

四代目を除けば、初代から三代目までは約19メートルと「奈良の大仏(14.7m)」や「鎌倉大仏(11.39m)」よりも遥かに大きいことがわかります。

また、初代の木製から二代目が銅製になったというのも興味深い。
秀頼が秀吉を越えるためなのか?「奈良の大仏」を越えるためなのか?権力を見せるためなのか?謎です。

現在日本三大梵鐘の一つが京の大仏の跡地に吊られている

開運スポット・方広寺の大梵鐘

現在、「京の大仏」が有ったあかしとして焼失したあとの地に、梵鐘の銘文が引き金となり豊臣家と徳川家の争いに発展した大梵鐘「国家安康の梵鐘」が鐘楼(明治再建)に吊られています。

この大梵鐘は、奈良県奈良市の東大寺や京都府京都市の知恩院にある梵鐘と並ぶ日本三大梵鐘の一つです。

「方広寺」の詳細情報

住所:〒605-0931 京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2
TEL(075)-561-1720
京都観光情報:https://ja.kyoto.travel/
 
 

<方広寺・京の大仏マップ>

☆高岡大仏(大佛寺)すべての工程を高岡の職人が作った大作

開運・高岡大仏

「高岡大仏」は、富山県高岡市の大佛寺にある像高約16メートルの「銅造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)」です。

高岡市指定有形文化財になっていて、市民から親しまれているので「だいぶっつぁん」とも呼ばれています。
高岡市民の方は、まぎれもなく日本三大大仏の一つと信じています。

パワースポット:富山県高岡市 大佛寺の「高岡大仏」

「高岡大仏」は、1221年(承久3年)に源義勝が二上山の麓に約5mの木造大仏を像立しことから始まる。
その後、移転・焼失が繰り返され、1907年に松木宗左衛門が発願し荻布宗四郎などの協力のもと、1933年(昭和8年)に現在の「高岡大仏(銅製)」が完成しました。

1900年(明治33年)の高岡大火など、木造であったこと大仏の焼失に繋がったため、再建には火災に強い大仏を望む声が高まり銅製の仏像となった。

製作には、古式鋳造法といわれる焼型重ね吹きの技法により、塗装にいたるまで全てを高岡の職人さんたちの手で行った大傑作です。

多くの仏様が同じように、遠くで見れば伏目がちの眼も近ずくとあなたと仏像様の眼が合います。
特に、「高岡大仏」の参道はまっすぐに台座へと伸びており、仏様が良く見えるのでわかりやすいかも知れません。

「高岡大仏」の詳細情報

住所:〒933-2139 富山県高岡市大手町11-29
TEL(0766)-23-9156
富山観光ナビ:http://www.info-toyama.com/

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<大佛寺・高岡大仏マップ>

☆岐阜大仏(正法寺)珍しい竹で編んだ大仏 胎内には薬師如来像

パワースポット:岐阜県岐阜市 金鳳山正法寺の「岐阜大仏」

「岐阜大仏」は、京都宇治黄檗山万福寺の末寺で、岐阜県岐阜市の金鳳山正法寺にある「釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)」です。
岐阜県の指定重要文化財になっています。

この大仏様の製造法は、他の大仏様の造りとかなり違った製法で、周囲1.8メートルの大イチョウを真柱として骨格は木材で組み、外側は竹材で編んで粘土をぬっており、その上に一切経阿弥・陀経・法華経・観音経などを張って漆を塗り金箔を施したものです。

竹で編んでいることから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」とも呼ばれている。

また、大仏様の胎内には薬師如来像(胎内仏)が安置されています。

岐阜大仏の建立には二代に渡る和尚の思いと長い年月がかかっている

「岐阜大仏」の1832年(天保3年)に建立されましたが、その道のりは長く完成まで38年もの時間がかかっています。

江戸時代の寛政の頃に、天災や飢餓で亡くなった人々を弔うために、金鳳山正法寺の第十一代惟中和尚は大釈迦如来像を建てることを決意します。
大仏に使用する経本を集めのため、各地へ托鉢を行ない1800年(寛政12年)にはお堂が完成するものの、大仏はまだ頭部のみしか出来ていませんでした。

1815年(文化12年)に、惟中和尚は志の半ばで亡くなるが、第十二代の肯宗和尚が後を継ぎ13年後の1832年(天保3年)ついに完成することとなります。

大仏の開眼供養は、織田信長の居城以来の盛大な儀式であったようです。

「岐阜大仏」の詳細情報

住所:〒500-8018 岐阜市大仏町8
TEL(058)-264-2760
岐阜観光コンベンション協会:http://www.gifucvb.or.jp/index.php

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<正法寺・岐阜大仏マップ>

大仏様の大きさ比較

  高さ 高さ(台座含) 重量 正式名 お寺
奈良の大仏 14.98m 約18m 250t 東大寺盧舎那仏像 東大寺(奈良県)
鎌倉大仏 11.39m 13.35m 121t 銅造阿弥陀如来像 高徳院(神奈川県)
京の大仏 約19m     方広寺盧舎那仏像 方広寺(京都府)
兵庫大仏 約11m 約18m 60t 薬師如来像 能福寺(兵庫県)
高岡大仏 7.43m 15.85m 約13トン 銅造阿弥陀如来坐像 大佛寺(富山県)
岐阜大仏 約13.7m     釈迦如来坐像 正法寺(岐阜県)

 

大仏のまとめ

日本には、全国各地の数多くの仏像があります。

人々が、仏像に願う気持ちは何だったのだろうか?
貧困や悲しみ・自由を求めて仏像に願いを託したのだろうか?

歴史を見てみると、日本の地形状訪れる天災や火災で仏像や仏殿は何度もなくなっていますが、その度に仏様へ願いを求め復興されています。

特に大仏は、大きさゆえ再建には長い時間と労力がかかります。
そのため、素晴らしい大仏でありながら今は存在しない大仏もありますが、歴史の狭間をくぐり抜け倒壊と復興の歴史を延々と続けながら、人々の思いと一緒に今に引き継がれているのが日本三大大仏と呼ばれている大仏様です。

仏像より遥かに大きいこの大仏は、小さな人間の願いを大きな心で優しく包んでくれる存在なのです。
そんな大仏様に、会いに行ってみてはいかがでしょうか。

見れば大きさに感動し、優しいお顔に心が癒されます。
大仏様は、間違いなく開運のパワースポットだと思います。

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