【駐車場】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 生まれてから、行動することでおこりえる後天運をより良いものにするため開運(金運・愛情運・仕事運・健康運・人気運) に関する情報をお届けします。 Fri, 01 Sep 2023 06:58:00 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 https://kaiun.website/wp-content/uploads/2015/10/cropped-torii2-32x32.jpg 【駐車場】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 32 32 【一ノ宮倭文神社】安産のご利益は県内一!経塚は密なパワースポット https://kaiun.website/archives/3980 Sun, 08 Jul 2018 01:27:04 +0000 http://kaiun.website/?p=3980 「倭文神社(しとりじんじゃ)」は、鳥取県の中央部の東伯郡湯梨浜町に鎮座する神社で、正式名は伯耆一ノ宮倭文神社(ほうきいちのみやしとりじんじゃ)」です。

湯梨浜町には、周囲12kmある淡水湖「東郷湖」があり、湖底から温泉が噴き出ているため「東郷温泉」「はわい温泉」の2つの温泉を有しています。

その、「東郷湖」のわずか1kmの範囲に「倭文神社」があります。

「倭文」と名の付く神社は、全国には16社(延喜式神名帳)程あり、鳥取県内でも3社ありますが、格式が高く安産祈願のご利益は県内一といわれています。

出産を控えたママさんたちの強い味方、「倭文神社」をご紹介致します。

倭文神社は元来織物の神を祀る神社

元々、この地に氏族である倭文氏が住み着き織物を生業としていたため、機織の神である「建葉槌命(たけはづちのみこと)」を祀ったのが始めとされています。

しかし、出雲より渡ってきた下照姫命(したてるひめ)を加え祭神としましたが、倭文の織物業が次第にすたれてきたため、安産信仰だけが残り安産守護として崇拝されるようになりました。

駐車場手前の参道横には、「安産岩」が鎮座しています。

昔、常に難産に苦しむ婦人が願をかけ、満願の日に下照姫命が姿を現され、参詣の帰途この安山岩で簡単に出産し、以来、安山岩と称するようになった云われています。

倭文神社由緒説明板:写真をクリックすると拡大しますので読めます。

駐車場から境内まで近い!駐車スペースは約20台

「倭文神社」までは、東郷湖湖畔道路(県道234号線)から神社案内板が出ていますので、そこからやく曲がって1kmです。

宮内集落方面へと進み、迷うことなく真っすぐ進んで下さい。

駐車場手前の右側に「安産岩」、少し進んで左側に「夫婦岩」見えると駐車場は直ぐです。

駐車スペースは、約20台です。

 

この駐車場から、境内まで約50mほどです。

 

境内手前にも2~3台程の駐車スペースがあります。

 

ここから、「倭文神社」境内です。

一ノ宮倭文神社参拝!風格ある隋神門は150年の歴史

石段の参道を上がれば鳥居が見えてきます。

 

笠木に反り増しがあり、柱上部に台輪がないので鳥居は「明神(みょうじん)鳥居」のようです。

 

神額には、「伯耆一ノ宮倭文神社」と書かれています。
「一ノ宮」とは地域の中で最も由緒があり社格の高い神社のことで、「倭文神社」の旧格式は国弊小社です。

鳥居を越え、神の領域に入ると空気感が違い凛としパワーが感じられます。

 

一対の狛犬が隋神門の前で番をしています。
右の狛犬は、左手で毬(まり)を持ち口を開け、左側は右手で毬を持ち口を閉じています。

一方が口を開け、他方が口を閉じている狛犬の形式を「阿吽(あうん)」といいます。

「隋神門(ずいしんもん)」

明治5年(1872年)に建てられました。

基本的には、神社の門を隋神門や桜門といいます。
ちなみに、お寺の門は山門や仁王門です。

 

この門より神域になります。

 

隋神門は、邪悪な者が入らないように門番の神(隋神)を祀る門です。

 

こちらの随神様は、可愛らしいお人形さんのようです!
格子戸から少し見えます。

 

隋神門から本殿へと向かう。

ここから、本殿までは約150m程で、参道両脇には樹木が生い茂り新緑効果もあってか、清々しい空気に気持ち良さを感じます。

 

「手水舎(ちょうずや)」
ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃなどとも読まれ、手水(ちょうず)で手や口を漱ぎ清める場所です。

https://kaiun.website/archives/1827

社殿を取り囲むように石柵が施され、参道横に燈籠と狛犬が並んでいます。
格式の高さが伺えます。

 

狛犬の奥、赤い屋根の建物が社務所です。

御朱印やお守りは4時迄です。
お守りには、倭文神社だけの麻で作ったお守り袋に、かおりの元と願い事を書いた紙を入れてご利益を授かる「かおり袋」があります。

 

社殿前の狛犬は、隋神門前の狛犬と違ってお尻を上げ威嚇のポーズをしています。
邪悪な者は、ここから先は絶対通させないといった感じです。

こちらの狛犬も左右の片方が口を開け・もう一方が口を閉じた「阿吽(あうん)」形式です。

社殿は風格のある権現造り!本殿裏に乳神さま

倭文神社の創建は明らかではありませんが、寛永2年(1625年)に社殿を再建し改築をしました。

今現在の本殿は、文化15年(1818年)に建てられたものです。

 

大社や一ノ宮など社格の高い神社は、独自の社殿形式となっていることが多く、その中でも「倭文神社」は、社殿形式でいえば本殿の前に拝殿を置き、間に屋根を掛けた権現造り形式の部類です。

祭神は主祭神1名と配神6名

  祭神名 御神徳
主祭神 建葉槌命(たけはづちのみこと) 織物の神
配神 下照姫命(したてるひめのみこと) 安産の神
  建御名方命(たけみなかたのみこと) 軍神・農耕神・狩猟神・風の神
  事代主命(ことしろぬしのみこと) 海の神・五穀豊穣商売繁盛の神
  天稚彦命 (あめのわかひこのみこと) 穀物の神
  少彦名命(すくなびこなのみこと) 国造りの協力神・酒造の神
  味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと) 農業の神・雷の神・不動産業の神

 

▲拝殿

主祭神を始め、各配神には色んなご神徳がありますので、安産のご利益のみならず商売繁盛・職業守護・夫婦円満などなど開運のご利益がいただけます。

 

▲拝殿右横

 

▲拝殿右裏側

 

▲本殿

 

▲本殿裏側

 

▲拝殿左横

 

▲拝殿左側

 

拝殿内と中央奥の本殿

乳神さんと呼ばれていた御神木

神殿の裏には、「乳神(ちちがみ)」さんといわれ崇められている御神木あります、というより有りました。
周囲6.7m・推定樹齢600年であったが、折れたのか枯れたのか?今は無残にもこのようなお姿になっています。

この木には、乳房状の突起物が数個みられており、モチノキやナナカマドなど多くの草木が実生していた貴重な古木であったようです。

老いても乳神さま、まだまだパワーが感じられます!
お参りの時は、裏参道より乳神さまも参拝されると良いと思います。

伯耆一宮経塚を拝見!雨・雪の日は要注意!!

隋神門から本殿への途中に、「伯耆一宮経塚(きょうずか)」があります。

経塚とは
経典を主に経筒・経石・経瓦などを土中に埋納した塚

説明板より

国指定史跡・伯耆一ノ宮経塚
埋納年月日 平安時代後期
康和五年十月三日(西暦1103年)
発掘年月日 大正4年12月11日
史跡指定年月日 昭和10年12月24日
構造(石棺)長方形で長さ1.2m 幅0.9m 四方は約5cm程で輝石安山岩で構築

出土品
昭和28年に国宝指定(東京国立博物館に保存)
●銅経筒(平安時代)1口
●金観音菩薩立像(白鳳時代)1躯
●銅造千手観音菩薩立像(平安時代)1躯
●銅板線刻弥勒菩薩立像(平安時代)1面

その他
●銅鏡 2面
●桧扇残片 一括
●短刀刀子残闕 一括
●瑠璃玉 一括
●銅銭 2枚
●漆器残片 一括

かなり斜面が急ですが、上って見ました!

 

けもの道のようで、整備はされていません。

 

説明板には、この地は倭文神社の御祭神の下照姫命の墓だと云われていた場所が経塚であることが判明したと書かれています。

「元旦の朝に金の鶏が鳴く」金鶏伝説の場所でもあったようです。

経塚から出土された物は、当時の層や京尊が埋納したものです。

 

穴が囲われた場所が経塚。

金観音菩薩立像や銅造千手観音菩薩立像など国宝が発掘さてたことで、今やこの経塚はパワースポットとしても有名で、観光ガイドツアーの一つにもなっています。

 

経塚を裏から。

 

少し離れた場所に石造、長命・・・三十一番と彫られています?

 

経塚へは、行きもかなりの急坂なので息切れがするほどなんですが、雨などで地盤が緩んでいると帰りはもっと大変!滑ります。

参道横に謎の巨大な石!

隋神門から社殿に行く途中、伯耆一宮経塚(きょうずか)より少し手前の参道脇に長さ約2.5m位の巨大な石があります。

説明看板などもないので謎の石なんですが、何故かピーンときたので、何か云われがあるものなのかもしれません。

大小の石が重なる夫婦岩!夫婦円満のパワースポット

「安産岩」のすぐ近く、斜め向かい側にあるのが「夫婦岩(めおといわ)」といわれるパワースポットです。

説明板が無いので詳しい言い伝えはわかりませんが、下の石に上の大きな石が夫婦のように寄り添い離れないためそう呼ばれているのではないかと思います。

昔から、この石の前で夫婦円満・夫婦和合のお祈りをしていた場所ではないでしょうか。
社殿参拝前に、こちらも参拝を。

 

帰りには、カエルさんのお見送りがありました。

まとめ

「伯耆一ノ宮倭文神」は、一ノ宮として格式ある神社であることが境内に入ればわかります。
隋神門があり、広さや立派な社殿建造物など小さな神社では見られないものです。

また、安産祈願では県内一で遠方からも訪れる人が多く、経塚や安産岩・夫婦岩などパワースポットも多く点在しています。

東郷湖もすぐ目の前で、周りにはレジャー施設や温泉もあり、参拝後は湖畔周辺でのんびり一日過ごせます。

出産を控えている方なら、是非「伯耆一ノ宮倭文神」に訪れてみてはいかがでしょうか。
素晴らしい神社です。

伯耆一ノ宮倭文神社
所在地  〒689-0707
鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754
TEL 0858-32-1985
FAX 0858-32-1985)
公式ホームページ⇒こちら
参拝時間 ●境内は24時間いつでも。
●境内を見るだけなら無料。
●ご祈祷受付:09:30~15:30( 5000円~/一件)郵送可
●安産祈願:ご本人がご参拝になるか、お腹帯を持参

●お守り・ご朱印他:09:30~16:00
●毎年5月1日(例祭)10:00本祭典 14:00神輿渡御
アクセス 電車JR山陰本線・松崎駅下車~車で約10分
バス:松崎駅前から藤津入口停留所~徒歩20分
マイカー倉吉市内から約20分
駐車場伯耆一ノ宮倭文神社の駐車料金は無料(約20台)    
お宿情報 >>伯耆一ノ宮倭文神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 鳥取砂丘・白兎神社・鳥取城跡・魔尼寺・さじアストロパーク・わかさ氷ノ山
雨滝・砂の美術館・とっとり賀露かにっこ館・浦富海岸(山陰海岸ジオパーク) 東郷湖・若桜神社・竹田城跡

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【大神山神社奥宮】登山道からの参拝は絶景とパワースポットの連続 https://kaiun.website/archives/3353 Mon, 11 Dec 2017 09:42:32 +0000 http://kaiun.website/?p=3353

大神山神社は、鳥取県には二つあり一つは大山山麓の米子市にある本社と標高約900mの大山山腹の深いブナや杉の大木が生茂る原生林の中に鎮座する荘厳な奥宮があります。

奥宮を正式には「大神山神社奥宮(おおかみやまじんじゃおくみや)」といいます。

神仏おわします霊峰大山を御神体とする「大神山神社奥宮」は、山からの巨大なパワーと信仰者の念力が集結した神社であるため強力な浄化力と重みのある空気感、そして参道を歩くだけでもパワーが感じられます。

運気を上げ大きな願い事が叶うパワースポットして、中・四国から多くの人が訪れる人気の神社です。

その、伯耆大山「大神山神社奥宮」の参拝を紅葉の時期に下の参道からでなく、大山登山道から登って下るルートで行って見ましたのでご紹介します。

大山寺の支院の一つ圓流院からスタート!

▲圓流院へ向かう入口

大山環状道路沿いのこの道が圓流院への入口につながりますが、少し大山寺側へ行った夏山大山登山口からでも行けます。

もう少し行った階段脇には、「弁慶地蔵」が立っています。武蔵坊弁慶が、愛馬を繋いだ場所が今の弁慶地蔵付近であったためこの名がついたといわれてます。

 

▲圓流院と霊木・昇龍杉

霊峰大山の気を感じることができる霊木

圓流院の入口には、妖怪天井画と並び圓流院のパワースポットとして有名なのが、「霊木の昇龍杉」です。

樹齢約400年で直径が2m程あろうかと思われる杉の大木で、この木が有名になったのは樹皮の剥がれた跡が天に昇る龍に似ていることが評判になって、大山寺の住職が「霊木の昇龍杉」と名づけられたそうです。

「この木の幹に触れれば大山の気が感じられる」霊木ですので、手で触れて霊峰大山の壮大な気をいただきましょう。

 

▲圓流院の入口付近

 

▲圓流院入口

生まれ変わった200年以上の歴史を持つ圓流院

江戸後期の圓流院(円流院)は、大山寺西明院谷派に属し知行高三十石で嗒然(とうねん)が住職でした。
嗒然は、十一歳の時に大山寺西明院谷の観解院に入り、翌年二月には仏門に入り台貫(だいかん)と称した。

仏学や詩文書画に優れていた嗒然は、その一端として五十一歳の時に大山の由来・伝承・行事など十四話を収めた「大山雑記」を記しています。

天台宗に属し、ご本尊は地蔵菩薩

200年以上の歴史を持つ円流院は、大山寺支院の10ヶ院の一つとして明治の廃仏毀釈を乗り越えて残されましたが、建物の老朽化により2009年8月4日の「落慶法要」後、新しい圓流院として生まれ変わりました。

 

▲妖怪天井画

妖怪との融合「妖怪天井画」

その代表的なものが、妖怪との融合です。
ゲゲゲの鬼太郎の作者で、鳥取県境港出身の漫画家水木しげるさん作の108枚の妖怪が天井に画かれた「妖怪天井画」です。

何故、お寺に妖怪?と疑問視される方もいるかも知れませんが、実は圓流院(円流院)の住職であった嗒然は絵師としても優れた才能を持っていたこと、また、大山が神仏のいる山であり偉大な気の力が宿っている山であるため、この三つを融合させることで大山観光の目玉の一つとしています。

上写真の上から二段目中央には、水木しげるさんが圓流院のためだけに画いた「カラス天狗」が飾られています。

ただ、2018年から7年間続いた一般拝観は中止となるようです。
大山の観光スポットと定着していただけに拝観出来なくなるのは残念です!

 

▲宿坊・洞明院

洞明院入口の門に時代が伺える彫刻が施されている

現在、宿坊となっている「洞明院(どうみょういん)」は、江戸時代中期「禅澄」により開かれた大山寺の支院の一つで西明院谷寺院群に属します。

大山寺は、南光院・中門院・西明院の3つの院から構成されており、3院谷と42の諸院あったようです。

時代が伺える入り口の門は、猿や花の彫刻が画かれた江戸期の1600年ごろのものであると伝えられています。

 

▲登山・下山届ポスト

大山の所々にある登山・下山ポスト

大山登山道の最初にあるのが、赤い登山・下山届ポスト。

登山中、万が一遭難された場合に救助活動をスムーズにするためのものです。
登山の初めと下山に提出しておけば安全ですね。

 

大山登山道から行者谷コースを経て大神山神社奥宮参拝(マップ)

▲大山登山口~大神山神社奥宮の行程マップ

1から16の赤丸は名所や絶景・パワースポットとなっています。
記事の見出しに記載していますので、チェックしてみて下さい!

 

大山登山道に入り大神山神社奥宮へ約3時間

▲大山登山道最初の階段

この石階段から大山登山道の頂上へと続きます。

 

阿弥陀堂や利生水・風穴などの歴史探訪ルートの分かれ道!

▲利生水・風穴・阿弥陀堂案内板

最初の階段を100m程の登ると利生水・風穴・阿弥陀堂案内板があります。
この看板を左に行けば、歴史探訪ルートで利寿現跡や利生水・風穴などの史跡が見られます。

また、右側に行けば阿弥陀堂を拝むことができます。

 

▲立正地蔵

登山の行き帰りに拝んでおきたい「立正地蔵」

上記案内板の向かいには、「立正地蔵(りっしょうじぞう)」が立っています。
この、「立正地蔵」は遭遇者の慰霊のために建てられたお地蔵様です。

 

▲三宝荒神神社跡と鳥居

かまど神「三宝荒神」

仏教では、「仏」「法」「僧」を三宝と言い、その三宝を守る神が「三宝荒神」様です。
不浄や災難を除去してくれる仏様で、日本仏教で独自に発展した尊像です。

 

▲三宝荒神神社跡の礎石

「荒神」は、怒りの表情をしており、火を好むといわれ「かまどの神」としても祀られています。

 

▲阿弥陀堂説明板

「三宝荒神跡」の右横。

 

▲殿様殿

殿様の供養等「殿様殿」

阿弥陀堂の北側にあるのが「殿様殿」です。

高さ1.5m程の石垣に囲まれた、台地に立つ三基の石塔を「殿様殿」と呼ばれます。

右側の石塔は、鳥取藩主池田光仲の叔父で播磨宍栗郡山崎六万石の藩主・松平石見守(池田輝澄)のもので、中央はその奥方のもので二基とも供養塔です。

左側は、万霊塔。

 

大山に存在する最も古い建物「阿弥陀堂」金色が美しい阿弥陀如来像

▲大山寺阿弥陀堂

あいにく今回は、改修工事のため見ることが出来ませんでした。

92年ぶりの大規模修理を終えた大山寺・阿弥陀堂

H30年11月に、大山の紅葉巡りで立ち寄った時には、92年ぶりの屋根の全面ふき替えや建物の縁回りなど大規模修理はほぼ終えていました。

大山寺に現存する最古の建物だけに、歴史と風格がただよう素晴らしい建築物です。

阿弥陀堂紹介記事⇒「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット

2ページ目⇒
大山登山道を登り五合目過ぎの行者谷コースへ

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「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット https://kaiun.website/archives/3194 Tue, 14 Nov 2017 06:27:15 +0000 http://kaiun.website/?p=3194 大山寺(だいせんじ)は、大山(だいせん:標高1729m)の鳥取県西伯郡大山町にあるお寺で、古くから山岳信仰の修験道場として知られており、正式名称は天台宗別格本山 角磐山 大山寺(かくばんざん だいせんじ)」です。

家内安全・厄払い・水子供養・所願成就御などのご利益と共に先祖の霊は大山に集まると信じられてきたため、御先祖様に会える寺として中国地方一帯から多くの人々が訪れています。

また、大山寺のある大山は、2018年、開山1300年となる中国地方最高峰の山で、別名:「伯耆富士」と言われ西側の伯耆町からみる姿はまさに富士山そのものです。

また、南北東西から見る大山は、形が大きく異なるのも特徴の一つです。

昭和11年に、日本で3番目の国立公園に指定され、後に蒜山・隠岐の島・島根半島・三瓶山が加わり「大山隠岐国立公園」となり、NHKの日本名峰ランキングでは、富士山・槍ヶ岳に継ぐ第3位に選ばれています。

ブナ森や大地や水など広大な自然に囲まれた大山は、古来から神の山、神仏の住む霊山として祀られており今もなお篤い信仰が続いています。

その大山信仰の中心がで大山寺あり大神山神社奥宮で、大山から流れ出る巨大な気が集まり、静けさの中に浄化された空気が漂い心身共に清うパワースポットです。

大山寺橋!白い河原・森の緑・空の青の対比が美しい絶景スポット

▲大山寺橋からの風景

南光河原駐車場の横にある大山寺橋(下ワタリ)は、大山北壁を遠くに望み佐陀川の白い河原と森の緑・空の青が絶妙なコントラストを描く絶景スポットです。

 

実際に見る風景は、写真で見るより遥かに雄大で美しく自然を満喫できます。

大山寺や大神山神社奥宮の参拝や大山登山。ハイキングなどで訪れた人の心を鷲掴(わしずか)みにすること間違いなしです。

 

「サンセットカフェ」オープンテラスから見る夕景の美しさは特別!

▲大山寺参道・御幸参道本通り入口

 

KOMORENITO

ここは大山寺参道の入口にあるこ「KOMOREBITO(こもれびと)」で、一階は大山町観光案内所となっており大山寺への出発地点となっています。

2階には、2017年にオープンのオープンテラスのある「サンセットカフェ」があり、食事やお茶を飲みながら大山の景色が一望できます。

 

何より、西向きのオープンテラスなので、日の落ちる夕方の夕景は特別で「サンセットカフェ」名もここから用いたようです。

 

大山寺参道脇には見所や体験場所が満載!

▲御幸参道本通り

ここから御幸参道本通りとなり、大山寺まで石畳と石段の少々急な坂を5~600m程登ります。

大山そばが人気の「そば処・土佐屋」

途中には、数多くの旅館や食事処・カフェなどが立ち並んでいます。

上の写真の「そば処・土佐屋」さんは、参道のすぐ入口を入った左手にあり、大山産の蕎麦粉を使った「大山そば(600円)」が人気のメニューで、寒い時には身体を温かくしてくれる格別の一杯です。

【そば処・土佐屋】
●営業時間:10:00〜18:00(年中無休)
●住所:鳥取県西伯郡大山町大山43
●電話:0859-52-2126

 

手軽に温泉が味わえる「豪円湯院」

「そば処・土佐屋」さんから、参道を少し上がると左手に見えてくるのが大山初の日帰り温泉施設の「豪円湯院」です。

入浴料は、大人380円(中学生以上)・小人(小学生)300円・幼児は無料とお値段は安く、バスタオルなどもレンタルになっていますので、何も持っていなくても入浴できます。

また、食事処やお土産屋さんも併設されていて、ひと休憩にはもってこいの場所です。

 

ここ「豪円湯院」の建物の横に「餓讖地蔵(がしんじぞう)」が建っています。

天保8年前後に、大飢餓で多くの人々が亡くなったため、将来二度とこのような災難が起きないように、祈りと弔いを込めて天保12年に建立されたものです。

【豪円湯院】<年中無休>
●営業時間:月~木11:00~20:00(最終受付19:30)
金~日・祝日11:00~21:00(最終受付20:30)
●住所:鳥取県大仙町大山25番地
●電話:0859-48-6801

 

利用料無料の疲れた足が癒せる「大山火の神岳温泉足湯」

「豪円湯院」の向かい側には、平成23年9月28日に開設された天然温泉の足湯「大山火の神岳温泉足湯」があります。

利用料は無料で、歩き疲れた足を癒せる人気のスポットとなっています。

利用期間 4月~11月(冬季閉鎖
利用時間 9時~18時
利用料 無料

 

どんな願いでも叶えてくれる「弘化の大地蔵」

▲弘化の大地蔵

大山は地蔵信仰の地でもあるため、大山寺参道にはいたるところにお地蔵様を目にします。
こちらのお地蔵様は、「弘化の大地蔵」と呼ばれていて高さ2.4mの南無地蔵大菩薩が彫られ、大山寺内に存在する三体の「立像石仏地蔵」の1つで、どんな願いでも叶えてくれるそうです。

大山には、この他にも多くのお地蔵様があり、お地蔵様を巡る7.2kmの「大山寺三十三カ所地蔵めぐり」コースも設定されています。

三十三のお地蔵様を巡ってお願いすれば、色んなご利益がいただけそうです。

足腰に自身がない方は参拝者駐車場が便利!

▲大山寺近くの参道にある参拝者駐車場

10台から15台程の駐車スペースですが、大山寺や大神山神社奥宮の参拝のみであれば一番近い駐車場で山門・鳥居までは100~150m程、トイレも完備され、何より足腰の弱い方には便利です(無料)。

大山の魅力を込めた詩が刻まれている「織田収詩碑」

▲織田収詩碑

織田収氏は、日本の政治家・実業家で山陰のジャーナリストです。
明治30年(1897年)に鳥取県米子市に生まれ、昭和63年(1988年)に91歳で死去されるまで、新聞記者や鳥取県県会議員・ラジオ山陰社長などを歴任し、ジャーナリストとして政治・経済・文化・スポーツなど幅広く活動をしました。

大山をこよなく愛した、織田収氏の詩が刻まれた「織田収詩碑」がここにあります。
「山のエスプリは山頂にあつまる 神はここにくだり 人はここにのぼる」と詠われています。

訳せばこんな感じでしょうか!
「大山の魂は山の頂上に集まって、天の神様はここに降り、人々は下界からそれを目指して登って行く」

大山の山登りの魅力をこの詩で表現したのだと思います。

「牛霊碑」大山は日本三大牛馬市の一つとして栄えた場所!

▲牛霊碑

基好上人(きこうしょうにん)が、大山寺の本尊である地蔵菩薩が牛馬の守護仏であると言われ、牛馬守護の守礼を施与されたことにはじまり、例年例祭に合わせて標高800mの高所の場所であるにもかかわわらず大山牛馬が開かれるようになりました。

その後、組織的な牛馬市となってから益々盛んとなり、年に5回も博労座(ばくろうざ)で開催され取り引数は1万頭に及び、広島の「久井牛市」や福島の「白河馬市」と並び日本三大牛馬市として、中・四国はもとより京阪神や中部地方からも多くの人が集まりました。

売買された牛の供養のために建てられたのが「牛霊碑」です。

「とう然の碑」多彩な才能を見せた円流院の住職・嗒然(とうねん)

▲とう然(ねん)の碑

嗒然(とうねん)は、円流院の住職で寛政8年(1796年)に皆生村(今の米子市)の漁師の家に生まれ、幼き頃より絵心があった。
文化3年(1806年)11歳の時に大山寺西明院谷の観解院入り、翌年には仏門に入り大貫と号す。

その後、師の円流院主大賢より教えをこい、仏学に優れ詩文書画とも才能を伸ばしていきます。

その一端を示すものとして、弘化3年(1846年)51歳の時に誌した「大山雑記」があります。
「大山雑記」は、大山寺の由来や行事・伝承など14話を収めたものです。

書画など多才であった嗒然は、文久元年(1861年)に享年66歳で死去、円流院には三代(大存・大賢・大貫)の院主の位牌があり、大山寺石段参道横には「とう然の碑」があります。

 

「信濃坊源盛の碑」後醍醐天皇が京へ帰る足がかり船上山の戦いで貢献!

大山寺山門の石段下右側に、「信濃坊源盛の碑」があります。

信濃坊源盛の功績を称(たた)え宮家御下賜金(ごかしきん)によって、明治24年に建てられたもので台石の上に1.6mの碑が立っています。
碑文は、文学博士の末松謙澄の筆による。

信濃坊源盛は、名和長年の弟で大山寺の僧となり金剛院の住職で「信濃法眼」と名乗っていました。

元弘3年(1333年)源盛31歳の時に、兄の長年から隠岐の島を脱出した後醍醐天皇を船上山にお迎えしたとの急な知らせを受け、同宿十余人を連れって船上山にはせ参じ、攻防のすえ幕府方を破り裏側の西坂を守った。

合戦は、3日間続き大山衆徒700人も大急ぎで駆けつけたと言われています。
この合戦の勝利は、後々の情勢が大きく変えることとなり、鎌倉幕府の崩壊、後醍醐天皇の「帰洛(きらく:京に帰る)
の足がかりとりました。

その後、源盛は九州の肥後八代で57歳の生涯を閉じる。

2ページ目⇒見落としがちな山門の金剛力士像や石段参道沿いのパワースポット!>

]]> 「米子城跡・鳥取」絶景スポット!山頂の眺望は360度の大パノラマ https://kaiun.website/archives/2416 Sun, 02 Apr 2017 02:03:58 +0000 http://kaiun.website/?p=2416

鳥取県の米子市に、天守閣跡の山頂から望めば市街を360度の大パノラマビジョンで堪能できる絶景ポイント「米子城跡」があり、城跡は国史跡に指定されています。

建物は残っていませんが、本丸石垣など城郭の形をとどめた城跡で、お城があった頂上には天守の礎石が残されています。

本丸エリアまで登って来た時、最初に見える立派な石垣は美しく、大きさに圧倒されます。
城跡の中でも、ここまで原型をとどめている石垣は少なく貴重で、かつてのお城の姿を創造させる。

「米子城跡」は、JR山陰線米子駅から比較的近い場所にあり、タクシーで5分弱、歩いても約20分程で行け、そこから山頂までは約15分ですので1.5~2時間位あれば、城跡と素晴らしい景色の両方を満足することができる観光ポイントで、春には桜の美しい名所として隠れスポットにもなっています。

標高90mの湊山(みなとやま)山頂に、山陰で最初に築城された米子城は、天守のある本丸を中心にした典型的な平山城で、高さ20mの五重の天守閣と高さ15mの四重の副天守閣を持った山陰随一の名城であったいわれています。

米子城は別名「久米城」と呼ばれ大小二つの天守閣を持つ壮麗な名城

上記の米子城絵図で、当時は山頂に四層五重の天守閣と四重櫓(しじゅうやぐら)の副天守閣の二つの天守を持っていた壮麗なお城であることがわかります。

二つの天守を持つものは、全国でもまれで希少なお城であったといえます。


米子城の配置

標高90mの湊山山頂には、総石垣の本丸と北尾根に内膳丸(ないぜんまる)、東尾根の飯山(いいのやま)に采女丸(うねめまる)、山麓には二の丸・三の丸・船手郭(ふなてくるわ)が配置されていました。

北側には丸山があり、東側には飯山、そして南西側には中海を配する天然の要衝で囲まれた立地で、内堀・外堀を巡らせ外郭に武家屋敷のある、典型的な平山城としての形態をなすお城です。

米子城絵図と城跡現在のマップを比較して見ると全体的に森で囲まれてはいますが、標高90メートルの湊山の頂上にある、本丸の石垣や輪郭はしっかりと当時を面影をとどめています。

米子城の築城と廃城の悲しい歴史

米子城のはじまりは、応仁から文明年間に山名宗之(やまなむねゆき)が飯山(いいやま)に砦として築いたとされ、その後、本格的な城として築城が開始したのは天正19年(1591年)西伯耆の領主であった吉川広家(きっかわひろいえ)で、関が原の合戦で敗れ完成をみずに国替えとなった、この時7割程の完成だったといわれます。

慶長6年(1601年)に、伯耆国の領主となった中村一忠(なかむらかずただ)が、築城を再会し慶長7年(1602年)に、米子城の完成となる。

明治2年(1869年)に藩庁へ引き渡されるまで、城主は3人変り、最後の城主は鳥取藩の家老であった荒尾成利(あらおなりとし)でした。

その後廃城、士族に払い下げられた米子城は、明治6年(1873年)にわずかな値段で建物の大部分が売られ、数年後には解体となり風呂屋の薪になってしまったという、悲しくもはかない米子城だったのです。

天守台のある湊山頂上へ!絶景を360度大パノラマで眺める

西登山口側からの登山入口。

西登山入口側(下記写真赤字)の直ぐ前に湊山公園の駐車場がありますので、マイカーで来られる方はこの駐車場を利用して登るのが良いです。

西登山口側付近にある案内板。
山頂まで約15分ですが、比較的斜面が急なのできついです。

西登山口から登る

 西登山口側から本丸へ出発です。

幾重にも曲がった石段を登っていきます。

こんな階段や斜面が続きますので、ヒールや革靴は足が痛くなります。
運動靴や登山靴がお勧めです。

本丸の守りを強化した内膳丸

本丸への途中に、「内膳丸跡(ないぜんまる)」があります。

内膳丸は、本丸の守りをより強くするため丸山に作られた郭で、伯耆城主の中村一忠の家老であった横田内膳が築いたので内膳丸と呼ばれます。

「内膳丸」入口階段の左右に石垣が設置されている。
一の段郭と二の段郭の二段に構成された「内膳丸」は、二の段郭に角櫓と蔵がありました。

階段上は「内膳丸虎口」の左右の石垣。

 

「内膳丸虎口」を入ると内膳丸下段は広い平地で、奥にもう一つ石段と左右に石垣が見える。

内膳丸上段も広く、当時は二重櫓がいくつか建てられいたといいます。

西の防衛のため、「内膳丸」から本丸にかけて石垣が設けられていました。
現在は、一部を残し崩落しています。

中海の美しい景色を眺めることができます。

市営湊山庭球場。

 東側にも入口!東登山口から登る

二の丸は、現在、市営湊山庭球場になっており、テニスコート裏側にもう一つ、「東登山口」があります。
米子駅から徒歩で来た場合は、東登山口側から登る方が近いです。

こちらも、急斜面が続く道となっています。

途中、本丸跡の案内板が見えてきました。
山頂まで、約8分です。

下から見えてくる本丸跡は大きくて感動の素晴らしさ!

本丸が見えてきました。
ここまで来ると本丸山頂までもう少しですが、普段、運動していないせいか息が切れ足がパンパンでした。

本丸は、天守郭・水手郭・遠見郭・番所郭を高石垣で囲った構成で築城されていす。

本丸には崩れることなく、しっかり石垣が残されていて見て感動で、また当時のお城も創造させられる。
右上側が天守台の石垣、左側の石垣が副天守台です。

番所や蔵が配置されていた番所郭

番人が詰めている施設があった「番所跡」

天守郭の東下段にあたる番所郭には、当時、番所や蔵が配置されていました。
番所は、本丸を警備する他、領内の産物が他領へ流出するのを監視したり,出入りする物資に一定の割合で徴税をしていたといわれています。

本丸南虎口のようす。

天守の入口をかためる鉄御門

「鉄御門跡(くろがねごもん)」
天守の入口を厳重にかためる鉄張りの堅固な門で、間口約12m・奥行4.5mの2階建。

右手を見れば、副天守台の石垣がそびえる。

「鉄御門跡」左に曲がれば本丸が見えてきます。

広い本丸には天守台と副天守台が当時の形を残す!

本丸のようす。

本丸と礎石。

左の石垣が天守台で、右側が副天守台となります。

本丸の天守台は広く、石垣が当時の形態を保っている。

天守台から眺める絶景ポイント!

天守台の先端近くにベンチが一つ設置されています。
この位置が、景色を最も楽しめる絶景ポイントとなります。

天守台から見る米子市街。
まさに、360度大パノラマの眺望には感動します。

米子市街には大きな建物が無いので、天守台先端から見る景色は絶景!
北に日本海、西に中海や弓ヶ浜半島、東に大山、出雲の平野部や島根半島も一望でき、見下ろせば城下町の米子と圧巻の眺望です。

春はこのポイントの桜が美しい遠見櫓跡

天守郭の北下段(写真奥の下段)に遠見櫓跡が見えます。

桜の名所でもありますので、春には美しい桜が咲き誇り多くの人々で賑わいます。

「遠見櫓跡(とおみやぐら)」
遠見郭には、遠見櫓と二重櫓を配していて「着見櫓跡」とも呼ばれます。

船小屋へ通ずる水手御門

本丸から、こちら石垣を抜ければ水手御門跡へ。

中海側に配置される「水手御門跡」
ここから船小屋へと続く道があります。

昔内堀だった場所に今は医大病院が建っている!

内膳丸方面の内堀には、現在、鳥取大学医学部付属病院が建っています。

米子駅前

米子駅前の米子市文化ホールと前方にハーベストINホテル。
米子駅から徒歩であれば、米子市文化ホール前の道を真直ぐ北へ進めば、約20分程で「米子城跡」に到着します。

まとめ

「米子城跡」は、米子市街地にあるため米子駅から近く、立地の良い場所にあります。

のんびりと季節の木々や花を楽しみながら湊山を登れば、目の前に名城といわれた城跡が現れます。
大きさや保存状態が良く、下から見る石垣や天守台の素晴らしさに感動です。

そして何と言っても、天守台からの眺望は絶景で360度見渡せる大パノラマです。
また、昼のみならず初日の出のスポットでもあり、夜には市街地のネオンが美しく、ロマンティックな場所としておすすめです。

湊山公園や日本庭園、36基の彫刻作品のある米子彫刻ロード、中海などの見所も隣接していますので、カップルや子供連れでも楽しい場所となっています。

米子城跡の詳細情報

【米子城跡】

所在地 〒683-0824
鳥取県米子市久米町
TEL:0859-23-5436(米子市・文化課)
料金・時間 無料・時間自由
アクセス

JR:山陰本線・米子駅より徒歩約20分 タクシーで約5分
マイカー:山陰道・米子中ICより県道300号線経由で約10分
駐車場:湊山公園駐車場(100台無料)

お宿情報 米子城跡の周辺宿詳細【楽天旅ノート】
周辺観光地 米子水鳥公園・水木しげるロード・大山と大山寺
トムソーヤ牧場・鳥取花回廊足立美術館


<米子城跡周辺マップ>

 

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【太鼓谷稲成神社】千本鳥居のトンネルは絶景!津和野のパワースポット https://kaiun.website/archives/2342 Wed, 22 Mar 2017 07:42:28 +0000 http://kaiun.website/?p=2342

島根県鹿足郡津和野町に鎮座する「太鼓谷稲成神社」は、日本五大稲荷の一つで、アメリカのCNN発表の「日本の最も美しい場所31選 」に選ばれ、天・地・海・木の四つの美しい自然のコントラストが評判になっている山口県の「元乃隅稲成神社」に分霊した神社です。

五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満など多くのご利益をいただけるパワースポットですが、願望成就(良縁・受験他)は特に強いとされる神様が祀られています。

 

また、千本鳥居と呼ばれる朱色の千本の鳥居が、トンネルのように参道に連なっている光景は圧巻で、「太鼓谷稲成神社」のシンボルになっています。

島根県では、縁結びとして全国でも有名な「出雲大社(いずもたいしゃ):初詣数約59万人」がありますが、それに次ぐ、約25万人で年間100万人越えの参拝者数を誇る人気の神社です。

津和野は、山陰の小京都と呼ばれる山あいの城下町、津和野川に沿って開けた盆地を「太鼓谷稲成神社」の高台から見下ろせば、赤い屋根の町並みがどこか懐かしさを感じる風情のある場所です。

太鼓谷稲成神社は京都の伏見稲荷大社の分霊を迎えた神社

「太皷谷稲成神社」の創建は、安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が、津和野藩の領民の安寧のために京都の「伏見稲荷大社」から分霊を迎え、三本松城(津和野城)の鬼門となる東北端の太皷谷の峰に社(現在の元宮)を建て祀ったのが始まりです。

慶應3年7月、津和野乙女山の熊野権現社を稲成神社に移して相殿とし、熊野神社と称するようになりました。

大正12年に現社殿を建立、昭和2年に熊野神社から稲成神社と改称

旧社格は郷社で、歴代の藩主から崇敬され藩主以外は参拝不可でしたが、廃藩後には一般庶民にも参拝されるようになり、昭和30年代には参拝者の増加も有って、昭和44年12月に境内地西側の山を切り開き新社殿が建立されました

<元宮>

遷宮斎行後の旧社殿は、「元宮(もとみや:旧熊野神社)」として残し、御分霊をつつしみきよめて祀っています。

稲成と書く稲荷神社は日本に二社だけ

稲荷(いなり)でなく稲成(いなり)の神社は、分霊した山口県長門市の「元乃隅稲成神社」と「太皷谷稲成神社」の二社しか日本にはありません。

稲成の「成」は願望成就の意味が込められている

元来、稲荷神社の稲荷は稲が生えるの稲生(いねなり)が変化し、イナリから稲荷(いなり)と書くようになったと言われています・

「太皷谷稲成神社」の稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公がお願い事がよく叶うように「成るように」との意味が込められており「願望成就」「大願成就」の願いが叶いやすい神社となっています。

太皷谷名の由来は太鼓が鳴り響く谷間だった

太皷谷の社名は、津和野城があった一角に位置するこの地は、江戸時代に、時刻を知らせる太鼓が鳴り響く谷間にあったことからこの名前が付けられたといいます。

また、この地は鬼門にあたり古くから神聖な地であったようです。

御祭神は二神の女神

御祭神は、 宇迦之御魂神(稲成大神)と伊弉冉尊(熊野大神)で、この二人の神様は女神とされています。

「太皷谷稲成神社」は、二神の女神から多くのご利益をいただくことができます。

御祭神名 神の種類  御利益
宇迦之御魂命(うがのみたまのかみ) 稲成大神 五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除
福徳円満・願望成就・失せ物(紛失物)発見
伊弉冉尊(いざなみのみこと) 熊野大神 創造開拓・夫婦円満・良縁成就・開運
病魔退散 延命長寿・鬼門除け・方災除け

 

宇迦之御魂命は、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とされ、うかは食物を意味し穀物・食物の神様で通称はお稲荷さんと呼ばれ、稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社の主祭神でもあります。
古くから女神とされている。

伊弉冉尊は、日本神話の女神で伊弉諾神(いざなぎ)の妻で、日本の国造り、母なる大地の神として万物を生む力のある神様です。
古事記では、伊邪那美神命(イザナミノミコト)と書かれます。

太皷谷稲成神社は日本五大稲荷神社の一つ!

「太皷谷稲成神社」は、日本五大稲荷神社の一つに挙げられています。

日本五大稲荷神社、日本全土で稲荷神を祀る寺社の内、主要な五社のことをいいます。
日本五大稲荷神社は、以下の神社です。

 日本五大稲荷神社イメージ  神社名 所在地  ご利益 

伏見稲荷大社 京都府京都市
伏見区 
五穀豊穣・商売繁昌・産業興隆
家内安全・交通安全・芸能上達 
  笠間稲荷神社 茨城県笠間市
笠間

五穀豊穣・商売繁盛・家内安全
厄除け・交通安全 

  竹駒神社 宮城県岩沼市
稲荷町
五穀豊穣・商売繁盛・航海安全
家内安全・
交通安全・厄除
安産祈願

祐徳稲荷神社 佐賀県鹿島市
古枝
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全
交通安全・
縁結び・必勝祈願
金運上昇

太皷谷稲成神社 島根県鹿足郡
津和野町

五穀豊穰・産業発展・商売繁昌
開運厄除・
福徳円満・願望成就
創造開拓・夫婦円満・
良縁成就
開運・病魔退散・鬼門除け 

方災除け

 

シンボルの千本鳥居!息を切らせ263段の石段を登る

「太皷谷稲成神社」は、JR山陰線津和野駅から下車後、車で約5分、歩いて約30分程の場所に位置します。

京都の伏見稲荷大社で有名な千本鳥居ですが、「太皷谷稲成神社」にも同様のシンボルとも言える「千本鳥居」があります。

鮮やかな朱色の千本鳥居の参道は、本殿のある高台まで約300mもあり、263段の石段を登ることになります。
比較的斜面が急であるため、息を切らし登っていくことになると思います。

昇って行く途中、鳥居の隙間から見える、津和野の美しい景色が四季折々で赤や緑と変化して、疲れた足を和らげてくれます。

表参道を登り切ると鮮やかな朱色の扉「神門」が本殿へと向かい入れる

千本鳥居の参道を登りきった所に、でんと構えた朱色の美しい「神門(しんもん)」が目の前に現れます。

ここまで来るとかなり高く、眼下を見下ろせば、津和野の特徴である赤茶の石州(せきしゅうがわら)の家が連なり、山の緑・空の青と相まって素晴らしい景観を見ることができます。

石州(せきしゅうがわら)は、三州、淡路と並ぶ日本三大の一つで、島根県の石見地方で生産される粘土瓦。

中央の門は、新年や祭事の時以外は閉じていますので、左右の開いている門から入ります。

境内下まで車で来ることもできる!

本来、表参道の千本鳥居を歩いて登るのがベストな方法だと思いますが、車で境内下まで行くこともできます。

裏参道は舗装されていて、駐車場(約100台:無料)は広く、車を降りれば本殿までは階段一つなので、あまり歩かずに参拝出来るのもこの神社の特徴かも知れません。


<境内案内図>

駐車場側の龍の手水舎

駐車場から境内に上がる階段そばに、「龍の手水舎(てみずしゃ)」があり龍の口からでる聖水で、身も心も清めて参拝に向かいます。

駐車場から、朱色の鳥居をくぐり階段を登れば境内となります。

納車された新車・中古車の車のお祓いができる!

納車間もない新車や中古車をお持ちなら、交通安全のお祓いがこの駐車場のすぐ側の「車祓所(くるまはらえしょ):初穂料5000円~」で行えます。

ご祈願受けの人には、社紋を金であしらった専用ステッカーが授与され、夜でも輝くこのステーカーを後方に貼っていれば追突防止の役目を果たすそうです。

太皷谷稲成神社の参拝は境内の四ケ所参りが習わし

「太皷谷稲成神社」には、独特の参拝形式があり、参拝に訪れたら境内の四ケ所を順にお参りする「四ケ所参り」が習わしです。

参る順番もありますので、順番通り参拝してみてはいかがでしょうか。

四ケ所参りの順序

一、「本宮(もとみや)」
    ⇓
二、「命婦社(みょうぶしゃ)」
    ⇓
三、「新殿(本殿)」
    ⇓
四、「神殿裏奉拝所」となります。

 

順路一番目「本宮(もとみや)」

「元宮(もとみや)」は、表参道を登りきり神門を通った直ぐ右横に鎮座します。

「元宮」の拝殿は、古さのある素朴な木の感じと大きな注連縄(しめなわ)が印象的です。
注連縄の上には、龍の彫刻が施されています。

順路二番目「命婦社(みょうぶしゃ)」

元宮の裏には、ある狐様を祀ったお社の「命婦社(みょうぶしゃ)」があります。

御祭神は、白狐神の命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)で、稲荷大明神の神令使。

命婦というのは、西暦660年頃から始まった立令制により官僚制が実施され、従五以上の位階を有する女官を内命婦(うちのみょうぶ)もしくは、五位以上の官人の妻を外命婦(げのみょうぶ)の事です。

平安時代以降は、宮人と命婦は区別され命婦の奉仕する対象は内侍司(ないしのつかさ)の努めで、やがて稲荷社の巫女と呼ばれるようになり、中世では、稲荷明神の使いとされる狐様を意味するようになりました。

順路三番目「新殿(本殿)」

昭和44年(1969年)に建て直された「朱色の拝・本殿」は美しく眩しく輝き、「元宮」よりさらに大きな注連縄が存在感を増している。

年間行事の中で、2月初めの午の日に催される初午大祭や5月の春季大祭・11月の例祭・秋季大祭には、境内は参拝・祈願に訪れる多くの人で溢れ変える。

本殿では毎日、五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就・病気平癒・縁結びなどのご祈願を受け付け、ご祈祷が行われています。

順路四番目「新殿裏奉拝所」

「新殿裏奉拝所」は、大神様に最も近い場所で御本殿を背後から拝する神聖なる神域。

本殿の裏なので目立ちませんが、古くより稲荷信仰では、ご祭神は本殿の背後から出入りすると言われており、信仰に篤い方々の心静かなお参りの場所となっています。

稲成大神様のお供え物は狐の好物の油揚げ!

「太皷谷稲成神社」では、稲成大神様のお供え物として「油揚げとローソク」をお供えすることが習わしです。

狐は、油揚げが好物であることから、神の使いの狐様にも油揚げをお供えするようです。

四ケ所参りの参拝所には、それぞれお供え用の献供台と燭台(ローソク台)が設置されていますので、境内駐車場の手水舎前と売店にて150円で購入し、参拝時にお供えします。

油揚げとローソクのお供え方法

本殿参拝を例にしますと、まずローソクに火をつけ、本殿正面両脇の神狐像の前方にあるローソク台に供えます。

次に、賽銭箱の両脇にある御供物台の上に油揚げをお供えします。

お供え後、神社で普通に行う二礼二拍手一礼の作法で、お願いごとを聞いてもらいましょう。

火焚(ひたき)祭は火の霊力により心身を清浄にする!

毎年、12月8日の午後一時から行われる「火焚(ひたき)祭」は、穀神の荒神を春の祈年祭で招き、秋の火焚祭によって山に還られる祭で、火の持つ霊力が罪や穢れを祓い心身を清め、生業に活力を甦らせるものでもあります。

参拝者より奉納された、お願い事が書かれた一年分の火焚串(初穂料1本200円)を大祓を奉唱しながら神職が焚きあげ願望成就・罪障消滅・万福招来を祈る神聖な儀式です。

津和野周辺の見所スポット

津和野は狭いところに見所が多く密集しており、歴史とアートが共存する観光スポットです。

鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した津和野城の跡の津和野城跡や掘割に錦鯉が優雅に泳ぐ殿町通り、幕末の浮世絵師の葛飾北斎と門下生の版画など1000点を収蔵する葛飾北斎美術館など、城下町らしい情緒の漂う津和野の町並みながらも、山陰の美術都市としての顔をみせるアートスポットでもあります。

幼少時代に森鴎外が過ごした森鴎外旧宅や悲劇のキリシタンを慰霊する津和野キリシタン教会も見逃せません!

まとめ

「太皷谷稲成神社」は、島根県ではあの「出雲大社」に次ぐ有名な神社で、境内に鎮座する新旧の社殿や朱色の千本鳥居など美しさと共に多くのご利益をいただけ、「願望成就」の開運にはとても強いパワースポットです。

境内には、この他に御紹介していない宝物殿があり、貴重な津和野藩の天文・算術の大家であった堀田仁助作成の天球儀・地球儀や神狐彫刻・神狐子連彫刻など一見の価値のある多くの社宝や美実工芸品はものが収蔵されています。

「太皷谷稲成神社」の参拝を兼ねて、津和野の見所も訪ねて見てはいかがでしょうか。

太鼓谷稲成神社の詳細

【太皷谷稲成神社】

所在地

〒699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田409
TEL: 0856-72-0219 FAX:0856-72-3105
公式ホームページ⇒【太鼓谷稲成神社】

参拝時間 無料・時間自由
ご祈願・車祓所:受付時間(午前9時から午後4時迄)受付:社務所にて
アクセス JR:JR山口線津和野駅~徒歩約30分 またはタクシーで約5分

マイカー:
<九州方面から>
中国高速 小郡IC~国道9号線を益田・津和野方面へ(約70分)
<大阪方面から>
中国高速 六日市IC~国道187号線を益田・津和野方面へ(約60分)
<駐車場>:100台(無料)

お宿情報  >>太鼓谷稲成神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 津和野城跡・葛飾北斎美術館・森鴎外記念館・津和野町郷土館
津和野町立安野光雅美術館・津和野カトリック教会

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箱根神社・九頭龍神社は成功も恋愛も万事に開運の最強パワースポット https://kaiun.website/archives/2180 Wed, 01 Mar 2017 10:58:31 +0000 http://kaiun.website/?p=2180

「箱根神社」は、勝負運には最強ともいわれる御神徳を持っている「箱根大神」を祀り、関東で働くならまずは「箱根神社」にご挨拶と言われるほどその力を実感する人も多く、毎年どころか年に何回も参拝される関東では屈指のパワースポットです。

また、「箱根神社」の末社である「九頭龍神社」は、縁結びで有名なパワースポットで、境外社の本宮と現在「箱根神社」に隣接する境内社に新宮があります。

「箱根神社」創建後、神と仏を結ぶ聖僧(しょうそう)である万巻上人(まんがんしょうにん)が、里人たちを苦しめる芦ノ湖に棲む毒龍を「箱根大神」様から戴いた霊力で祓い、それ以来、芦ノ湖の守護神「九頭龍大神」として甦らせ祀られるようになりました。

そのため、関東の鎮守神の「箱根神社」と水を司る神の「九頭龍神社」2つの神社の関係は深く、両者参りをすれば国運・財運・仕事運・心願成就・恋愛運・健康運」などなど多くのご利益をいただくことができます。

箱根山は古来から山岳信仰の場で箱根三所権現を祀る

「箱根神社」は、神奈川県足柄下郡箱根町に鎮座する神社で、かつては箱根大権現(はこねだいごんげん)、箱根三所権現(はこねさんしょごんげん)とも呼ばれいましたが、明治維新の神仏分離令(神道と仏教を区別する宗教政策)により「箱根神社」へと改称されました(旧社格は国幣小社)。

修行僧の万巻上人(まんがんしょうにん)は、天平宝字元年(757年)に朝廷の命により箱根山に入山し、芦ノ湖の水辺で3年間の苦行の末、三所権現(法躰・俗躰・女躰)の道理を悟り、現境内地に箱根三所権現を祀る社殿(今の箱根神社)を建立しました。

三所権現:三神は法体・俗体・女体の三形で法体は文殊菩薩・俗体は弥勒菩薩・女体は観世音菩薩

また、里人を悩ませた芦ノ湖に住む九頭龍を鎮め「九頭龍神社」を建立し、龍を祀ったと伝えられている。

箱根はその後、関東の修験霊場として多くの修験者が箱根山に入山し栄えていきます。

140年ぶりに蘇った箱根関所


平安時代には旅人の安全祈願、鎌倉時代には源頼朝の篤い崇敬を受けて多くの武士が心願成就を祈願し、江戸時代に箱根の関所が置かれ、東海道が整備されると共に箱根権現は益々信仰されていくこととなります。

箱根神社は本殿まで神の領域を表す五つの鳥居が続く

第一鳥居

第一鳥居は、元箱根の入口に国道1号線をまたぐかたちで建っており、誰もが知ってるお正月の箱根駅伝では往路のゴール・復路のスタートとしての拠点でもあります。

<箱根駅伝の銅像>

第一鳥居から徒歩2~3分程の芦ノ湖畔沿いには、記念碑として「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」と「駅伝を讃えて」の詩碑、そして箱根駅伝のブロンズ像が建てられています。

巨大な鳥居は、箱根神社・元宮のある駒ヶ岳を配し、神の領域への第一歩となっています。
ここから第二鳥居まで200m、箱根神社まで約500mです。

第二鳥居

第二鳥居は、元箱根中央交差点を越えた門前町の奥側に建っていて、道路を挟んで左右には観光バスや自家用車の参拝者専用駐車場があり、ここから箱根神社へ歩いて参拝する拠点となる。

第三鳥居

第二鳥居を道沿いに進んで行くと箱根神社境内に入り、道路が二つに分かれ右側に第三鳥居が見えてきます。

左側を進めば、境内の駐車場へと続いています。

数段の石段を上がって朱色の第三鳥居をくぐれば、ゆるやかな勾配の参道となり、左右には高い杉並木と朱色の燈籠が鮮やかでここからは空気感も変ってきます。

 

身も心も清める箱根神社の手水舎

<第四鳥居横の手水舎>

第三鳥居を進むと最初に見えるのが「手水舎(てみずしゃ)」です。

神様の前に出る前に、ここで心と身を清めるための手水を行います。

昔は、神の聖域に入る前に河川や湧水などで心と身を清めていましたが、川の汚染や湧水の場所が徐々に少なくなったため、代替の施設として手水舎が設置されました。

手水舎での手水の作法はこちらから

https://kaiun.website/archives/1827


<手水舎の龍神>

水は命の根源、迫力ある龍神様の口から出る水はご神水なのです。
ご神水で清めれば、身も心も祓われて新鮮な気持ちで神様のもとへと向かうことができます。

初代征夷大将軍「坂上田村麻呂」が所願成就を祈願した「矢立ての杉」

手水舎の向かい側にそびえるのは「矢立ての杉」で、かながわ名木100選にもなっています

平安時代に、第五十代桓武天皇より初代征夷大将軍を任じられた「坂上田村麻呂」は、東北平定に向かう際、途中に箱根権限に訪れ参詣し「表矢(おもてや)」献じ武運長久を祈願したのがこのスギの木で、東北平定が無事に所願成就できたのはこの御神徳のお陰であったとされ、後の武将達もこれに習ったといわれています。

樹高は35mと高く、樹齢約1200年と伝わっています。

「矢立の杉」は、箱根神社の神木の一つ、所願成就・心願成就を願うなら必ず立ち寄りたいパワースポットです。

 

他と土台が違う平和の鳥居!湖畔に浮かび美しく幻想的なスポット

「矢立の杉」から湖畔側の正参道の真直ぐ石段を降りて行くと、湖水に建つ「平和の鳥居」が見えてきます。

芦ノ湖の水中に立つこの「平和の鳥居」は、明神鳥居(みょうじんとりい)ではありますが、他の鳥居と違い土台に補助(控柱)が付いた両部(りょうぶ)鳥居の形態になります。

この形態は、広島の「厳島神社」の大鳥居が最も有名で、水中では適した鳥居の形なのでしょう。

https://kaiun.website/archives/689

 

昭和27年に、今上陛下の立太子礼と日本の独立(講和条約締結)を記念して建てられたものです。

鳥居の中央まで石段が続き間近で見ることができ、夕暮れ時の湖畔に浮かぶ鳥居は美しく、正面から見ると幻想的なスポットとなっています。

第四鳥居

手水舎を越えて次に見えるのが第四鳥居です。

この鳥居から社殿までは真直ぐで、正参道の途中90段の石階段を上がって行けば、神門まではもう直ぐです。

そんなに広くはない正参道の左右には、老木であろう木々が高くそびえ立ち、少しひんやりとした感じもする。
この感じは、本殿が近いという証しなのかも知れません。

 

正参道の途中には曽我神社が鎮座!「曽我兄弟の仇討」は日本三大仇討の一つ

階段の上がって行く途中、左側に「曽我神社」が鎮座します。

日本三大仇討で知られる「曽我兄弟の仇討」の曽我兄弟を祀る神社です。

領土争いにより、河津祐泰(かわずすけやす)は工藤祐経(くどうすけつね)の家来に弓にて討たれた。

河津祐泰の遺児であった曽我十郎祐成(じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄弟は、源頼朝が富士山の裾野で大巻狩り(軍事演習)行っている最終日に、17年の思いを込め工藤祐経を討ち仇をとったされています。

しかし、この兄弟が無念なのはこの騒ぎにより見つかり、兄は斬られ弟は捕まったが翌日に斬首された。

兄の曽我十郎祐成は若干22歳、弟の五郎時致も20歳と若くしてこの世を去っていったのです。

尚、日本三大仇討「曽我兄弟の仇討」の他「伊賀越えの仇討ち」「赤穂浪士の討ち入り」となります。

第五鳥居

正参道の階段を最後まで上がれば、そこは空間が広がり最後の第五鳥居をくぐります。
厳粛な雰囲気と共に空気感もまた変り、聖域からのパワーが感じられる。

第五鳥居(神門側:上記写真)から下を見れば、第四鳥居が遠く小さく見えます。

ここからは、神門まで広く左右には神楽殿や絵馬殿・社務所などが建ち、神門をくぐればいよいよ拝殿・本殿です。

<箱根神社・神門>

<神門左側の中央:神楽殿と右側:社務所>

安産の杉!母胎を思わせる姿は子孫繁栄の象徴

境内の絵馬殿裏にあり、古代から栄木として崇められ、今では子孫繁栄の象徴として敬仰されているのが「安産の杉」です。

根っこが二つに分かれた姿が、母の母胎を思わせることから古くより子孫繁栄や安産祈願参りが多いご神木。

鎌倉幕府の創設者である源頼朝は、「箱根神社」を高く崇敬しており、その妻である北条正子は子宝を授かるよう安産祈願をし、無事に実朝(さねとも:鎌倉幕府第3代征夷大代将軍)が生まれ祈願が成就されため、この風習が武家や庶民にも伝わり、今でも安産祈願のご神木として多くの人が訪れるパワースポットなっています。

箱根神社拝殿・本殿は親子である箱根大神様を祀る!

神門をくぐれば、濃い朱色の拝殿が目をひく。

「箱根神社」の御祭神は、「箱根大神(ハコネノオオカミ)様」と呼ばれ御三神の総称で、御三神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)です。

瓊瓊杵尊は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたり、日本が平和な豊かな国になるように日向国高千穂峰(ひゅうがのくにたかちほのみね)に降臨した神で、木花咲耶姫命瓊瓊杵尊の妻であり、彦火火出見尊はこの二人の子供で三人は親子となります。

瓊瓊杵尊は霧島神宮(鹿児島)・木花咲耶姫命は浅間神社(山梨県)・彦火火出見尊は鹿児島神宮(鹿児島県)の御祭神でもあります。

<駒ヶ岳山頂とロープウェー山頂駅>

古来から、箱根山など山岳信仰が篤く神山は特にその信仰が強かったため、遠くから拝むことのできる駒ヶ岳山頂を神霊祭祀の場所としました。

2400年以上前、五代孝昭天皇の時代に聖占上人(しょうせんじょうにん)が駒ヶ岳に神仙宮を開き、神山を神体山としてお祀りしたことが特に山岳信仰を盛んにさせることとなります。

万巻上人(まんがんしょうにん)が天平宝字元年(757年)に、現在の場所に「関東総鎮守箱根大権現(箱根神社)」を創建して以来、2017年には御鎮座1260年の歴史ある神社です。

関東で成功を収めるなら「箱根神社」を必ず参拝しなさいと言われる程、心願成就や勝負運の強い神社で、政財界や経営者も毎年数多く訪れる。

箱根神社・元宮は箱根のパワースポットの聖地

「箱根元宮(はこねもとつみや)」は、古来、駒ヶ岳(1357m)山頂に神仙宮が開かれた場所に、昭和39年堤康次郎氏(西武グループ創業者)の寄進により再建され神社で、本殿は無く拝殿奥は神体山の神山(カミノヤマ)に向いていて、山岳信仰をより強く感じさせる箱根のパワースポットの聖地ともいえます。

御祭神は「箱根神社」と同じ箱根大神(はこねのおおかみ)様天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)・高皇産巣日之神(タカミムスビノカミ)・神皇産巣日之神(カミムスビノカミ)造化三神(ゾウカサンシン)です。

造化三神:古事記では天地が定まっていない頃、最初に現れた神。

霊山の神山を望みこれら御祭神を見ても、駒ヶ岳山頂にある「箱根元宮」は強力なパワーがあり、心願成就や開運成就・何かを始める時には必ず参拝したい神社です。

奥宮として、三社参りする人も多く、箱根園から駒ヶ岳ロープウェーを利用して片道7分(全長1,783m)で駒ヶ岳山頂まで行けます。

山頂は、広い広場となっており「箱根元宮」や展望台があり、天気の良い日は芦ノ湖を一望でき、北西に位置する富士山の雄大な姿を拝めます。

駒ヶ岳山頂からのタイムラプス(時間の経過を早回しで見る)が美しい!

 

九頭龍神社・新宮は縁結びで注目の人気のパワースポット

「箱根神社」拝殿・本殿に隣接して、末社で龍神様を祀る「九頭龍神社・新宮」が鎮座します。

「九頭龍神社・本宮」は、芦ノ湖畔の森深い所にあり交通の便が悪く、船での往来が主であったため平成12年に「箱根神社」の横に分社を建てて新宮としました。

「九頭龍神社」は、龍神様の御神徳として「縁結び」が注目を集める人気のパワースポットです。

「縁結び」以外にも、開運・金運・商売繁盛などの御神徳を授かるため、若い男女はもとより有名人など多くの人が参拝に訪れます。

鳥居の斜め横にある、九つの龍の口から湧き出る「龍神水」は、縁結びをアップさせるための必須のアイテムです。

「龍神水」は、箱根山を源泉とし九頭龍神様が守護する芦ノ湖を満たし龍神甘露の水で、この霊水で口を漱(すす)げば一切の不浄を洗い清め、神棚に供(そな)えておくと家庭内が清浄され縁起・縁も良くなるといわれています。

「龍神水」は、誰でも持ち帰ることができますので、事前に用意しておきましょう。
容器が必要であれば、100円で「龍神水」専用ペットボトルが境内のお礼所にて購入できますので、必ず持ち帰ることをお勧めします。

かなり強力な浄化作用のがあるようで、飲んでも供えてもパワーを感じる人が多く、宝石やパワーストーンの浄化に使っている人もいます。

九頭龍神社・本宮!毎月の月次祭には縁を求めて数千人が集まる

「九頭龍神社・本宮」は、箱根山の下で芦ノ湖の東側に位置する場所にひっそりと鎮座する神社です。

里人に被害を与えていた九頭の毒龍を万巻上人(まんがんしょうにん)が祓い、改心した九頭龍を龍神として祀ったのが九頭龍神社です。

そののち、水の神・良縁の神として里人より親しまれ、多くの人々が参拝に訪れ、今では「縁結びの神様」として大人気のパワースポットです。

奥深い場所のため、普段訪れる人も少ないのですが、毎月13日の「月次祭」には元箱根港から参拝船が出港し、数千名の人が参拝に訪れます。

同じ13日でも、6月13日の年に一回の「例大祭」では、九頭龍伝説を再現する龍神湖水の神事や祭りが盛大に催され、数多くの参拝者で賑わいます。

【九頭龍神社・本宮】の動画

後朱印

http://photozou.jp/photo/show/2927612/177673074

「箱根神社」「九頭龍神社」「箱根元宮」の御朱印です。

まとめ

「箱根神社・九頭龍神社」は関東屈指のパワースポット!

勝負運が強く、関東で成功したいなら「箱根神社」参りと言われるほど心願成就・願望実現に強く、政財界や有名人の参拝者が多く訪れる場所です。

「九頭龍神社」も、縁結びで大変人気のスポットですが、財運・仕事運・健康運・恋愛運・人間関係などなど多くの運をもたらす神社です。

「箱根神社」「九頭龍神社・本宮」の両社参りをして、多くのご利益をいただきましょう。

箱根神社・九頭龍神社の詳細

【箱根神社・九頭龍神社新宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
TEL:0460-83-7123 FAX:0460-83-6669
公式ホームページ:箱根神社(九頭龍神社)

参拝:自由・無休(8:30~17:00駐車場)

【宝物殿:時間】 開館時間 9:00~16:30(入館は16:00迄です)
【宝物殿:料金】 中学生以上500円、小学生300円

<アクセス>
JR:新幹線(東京駅~小田原駅まで約35分-JR小田原駅-伊豆箱根バス「元箱根・箱根町」行きで約60分)(関西方面からは三島駅・小田原駅下車)

小田急ロマンスカー:(新宿から箱根湯本約90分-伊豆箱根バスか箱根登山バス「元箱根・箱根町」行きで約40分-元箱根バス停下車後徒歩約10分)
(小田原から箱根湯本経由で元箱根へ約60分)
(三島から箱根関所経由で元箱根へ約60分

高速バス:直通(東京新宿から元箱根)

マイカー駐車場は下記のマップにて

【箱根元宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根110
TEL:0460-83-7123<アクセス>
箱根駒ヶ岳ロープウェーで「箱根園」~「山頂駅」約7分
(上りの最終16時30分・下りの最終16時50分)

参拝:無休、自由(但し、駒ケ岳ロープウェーの運転状況による)

【九頭龍神社本宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 箱根九頭龍の森
TEL:0460-83-7123 FAX:0460-83-6669

参拝時間:陸からは箱根九頭龍の森の営業時間内(9:00~16:45)

<アクセス>
陸からはザ・プリンス箱根芦ノ湖で駐車(1,000円)徒歩約30分

毎月の祭りと四季の祭り・三社参り:九頭龍神社本宮


<宿泊・休憩・食事処>

【お宿情報】
>>箱根神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】


<箱根神社周辺と駐車場マップ>

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「貴船神社」本宮から奥宮までパワースポット12選と見所まとめ https://kaiun.website/archives/2058 Tue, 31 Jan 2017 05:34:43 +0000 http://kaiun.website/?p=2058

貴船神社は京都の名所のひとつですが、その魅力を知っていますか?

貴船神社は水の神様を祀っている神社で、水占いや水分けの儀式など、水に関する神秘的な体験ができます。
また、貴船神社の周辺には美しい自然やおいしい料理を楽しめるスポットもたくさんあります。

このブログでは、貴船神社の歴史や見どころ、パワースポット、アクセス方法などを紹介します。貴船神社に行ってみたいと思ったら、ぜひこのブログを読んでくださいね。

貴船神社の総本社で三大縁結びの一つでもある

全国でもパワースポットとして人気の高い貴布禰総本宮「貴船神社(きふねじんじゃ)」は、京都の北側の鞍馬山と貴船山のほぼ中間に位置する左京区鞍馬貴船町に鎮座する旧社格は官幣中社の神社で、鞍馬寺と共に北方を守護しています。

全国にある貴船神社(約450社)の総本社で、御祭神が澄んだ水の神様の「高龗神 (たかおかみのかみ)」であることから地名の貴船(きぶね)ではなく、濁らず(きふね)と呼びます。

キフネは元々は氣生根(きふね)であり、気が生じる根源で万物のエネルギーの源を意味し水神のパワーと共に聖なる気が溢れている水源地なので、「貴船神社」のパワーだけでなく貴船の山や川からも良い気が充満しており、この地に訪れるだけでも心地よさを感じるはずです。

また、「貴船神社」は、島根県の出雲大社や石川県の氣多大社と並ぶ日本三大縁結びの一つとされるため、毎年多くの御縁を求める人々が参拝に訪れる縁結びでも強力なパワースポットです。

社殿は三社に分かれ参拝の順番でご利益も高くなる

社殿は、鴨川につながる貴船川の上流に下から本宮・中宮(結社)・奥宮の三つに分かれ建ち、この三社の参拝を三社詣(さんしゃまいり)と言い、昔からの習わし通り本宮⇒奥宮⇒結社の順番に参拝すれば、よりご利益も高くなり願い事も叶えやすいようです。

本宮から奥社へ向かう川沿いを歩けば、神聖なる気を発する清流と澄んだ空気が清々しく心を癒してくれ、又、道沿いには多くの茶屋や旅館・食事処もあり、休憩を交えてゆっくりと参拝することができます。

そして、ここは結城光流さんの小説を原作としたアニメ「少年陰陽師」の聖地で、聖地巡礼としても沢山のファンが訪れる場所となっています。

主人公の安倍昌浩は、安倍晴明の末の孫にあたり、じい様の晴明に教えをこいながら修行に励む中、毎晩丑の刻に釘を打つ鬼女がでるとの噂を聞いて、向かったのが「貴船神社」で、御祭神の高龗神 (たかおかみのかみ)もよく登場する。

このように、アニメの聖地であったり水の神、氣の発生する根源、縁結びなど多くのパワーをいただける「貴船神社」は、本宮から奥宮までの全てがパワースポットの宝庫になっています。

貴船口駅から歩いて貴船神社以外の見所も満喫!

「貴船神社」へは、叡山電鉄鞍馬線「貴船口駅」で下車後、徒歩約30分程(約2km)です。

「貴船口駅」よりバス(約5分・160円)も出ていますが、天気が良ければ貴船の地の氣と自然を感じながら歩いて行くのがベストです。

「貴船神社」へと続く貴船川沿いを歩けば、川のせせらぎも聞け梶取社や蛍岩・烏帽子岩などの名所も観賞できます。

 

マイカーの場合、本宮10台・奥宮15台と駐車場(2時間500円)が少なく、土日・祝日などは特に空きがないので地下鉄・JR・市バスを使うほうが良いと思います。

宿泊も兼ねてであれば、近隣の貴船ふじや・ひろや・ひろ文さんなどの旅館に駐車して参拝もできます。

第一ノ鳥居のそばの「梶取社」には人生の梶を取る神が祀られている

おすすめ開運スポット!

貴船口駅の手前の川には梶取橋が架かっていて、橋の入口側には貴船の入口を示す第一ノ鳥居が立ち、「梶取社(かじとりしゃ)」が鎮座します。

梶取社は、貴船神社の末社で玉依姫命(たまよりひめのみこと)が乗った黄色の船を上手に操ったとされる、梶取大神である宇賀魂命(うがのみたまのみこと)が祀られています。

航海安全の神、人生の梶を取る神、人生進路を守る神として崇められ、今では車のハンドルを操作する神として交通安全や旅の安全の神としても信仰されています。

和泉式部がこの光景を見て名歌を残したとされる「蛍岩」

見所スポット!

貴船口駅から貴船神社方向の上流へ向かって、100m程歩いた右側に「蛍岩(ほたるいわ)」が見えます。

ここ蛍岩周辺は、蛍の観賞ができる名所で、毎年、6月下旬から「貴船の水まつり」がある7月7日頃までが見所となっています。

また、女流歌人・和泉式部が不仲となった夫のことを悩み「貴船神社」に夜参の際、蛍岩に飛んでいる蛍をみて詠んだされる和歌が残されています。

「もの思へば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞみる」(和泉式部

この歌を訳せば、こんな感じなんでしょう。

「不仲となった夫のことを悩みながら、沢の蛍を見ていると、ふと一匹の蛍が自分の中からさまよい出て行ったような気がする、今出て行ったのは、はかない蛍の光ではなく自分の魂ではなかったのかと思う。」

夫との事で悩み苦しみ、魂の抜け殻となった我が身を詠んだ切ない歌です。

<結社に建つ和泉式部の歌碑(この歌が刻まれている)>

そして、和泉式部の歌に対し貴船の神の高龗神が本殿より歌を返したと伝えられています。
そのがこの歌です。

「おく山に たぎりて落つる滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ」
                          (貴船
明神)

「奥山のしぶきをあげ飛び散る滝の水玉ように、そんなに深く思いつめることはなさらぬな」と言われたという。
その後、夫婦のよりが戻り復縁された。

このように、人と神との交流が伝説となるほど貴船神社は、身近に神を感じる神社なのです。

「本宮」へと続く階段は燈籠との調和で昼でも夜でも美しい!

本宮は諸願成就の開運スポット!

「貴船神社」は、昔は貴布禰や木船・黄船と書かれていましたが、明治4年に改称され貴船となりました。

初めの貴船神社は、今の奥宮を指しており現在の場所が本社になったのは、第七十代後冷泉天皇が天喜三年(1055年)に奥宮から遷座したものだといわれています。

御創建は不詳ながら、社伝によれば第十八代反正(はんぜい)天皇(406~410年)の時代に創建され、天武天皇白鳳6年(677年)に社殿を作り変えた記録があり、1300年以上前と御創建はかなり古い。

起源においては、第十八代反正天皇の時代に神武天皇の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、黄船(黄色の船)に乗ってたどり着いた地に水の神をお祀りした伝説にまでさかのぼる。

社殿はあるものの貴船山全体が御神体あり、貴船川の川上の神と言われるように主祭神の「高龗神 (たかおかみのかみ)」は水の神様で、雨乞いと雨止みが特に霊験あらたかとされています。

貴船山の雨乞の滝で行われていた「雨乞の儀」

見所スポット!

祈願では、祈雨の際には雨雲を表す黒い馬を、祈晴の際には晴天を表す白い馬を、神馬として奉納されたと伝えられています。

本宮には、その由緒と神馬の像が建っている。

祈雨の修法は貴船山の「雨乞の滝」で行われ、本社の北300mのところにあり、その北側200mのところに奥宮がある。

一の滝・二の滝・三の滝と三段に分かれている「雨乞の滝」に、酒を滝に一升ずつ(計3升)流し、鈴や鉦(かね)や太鼓を鳴らして祈願する雨乞の儀が行われていました。

現在の「雨乞の滝」は、草木が生茂り道も閉ざされた禁足地となっています。

明治までは、「雨乞の滝」で祈願が行われていましたが、現在では毎年3月9日に「雨乞祭(あまごいまつり)」として本殿で行われ、適度な雨と農作物が豊かに実る1年の順調な天候を祈願します。

神社で目にする絵馬は貴船神社が発祥の杜

雨乞い雨止み祈願で、生きた馬の奉納が習わしであったが、時には生馬に換えて馬形の板に色を塗った「板立馬(いたたてうま)」を奉納したと平安時代の文献に書かれており、この「板立馬」が現在の絵馬の原型といわれています。

<【貴船神社】絵馬の種類は三種類>
左上:和泉式部の絵馬
右上:水神・竜神様の絵馬
下:雨乞いの黒馬・雨止みの白馬を描いた絵馬

「雨乞祭」に続き、一年間の間に奉納された絵馬のお焚き上げの儀式「古絵馬焼納式」が執り行われます。
雨乞と絵馬との深い関係から、引き続き行われる行事です。

御神木の桂!龍が天に昇る姿に似ている

おすすめ開運スポット!

本宮にある「御神木の桂」は、高さ30m樹齢約400年の歴史ある巨木で、根元からいくつもの枝となって天へと伸びて上方では大きく広がり、御神氣がまるで龍が天に昇っていく姿に似ているといわれ、古くから貴船は「氣生嶺」「氣生根」と書かれており御神木が御神徳を表す由縁です。

御神木には、大地のエネルギーが充満した氣を持っているので、手で御神木に触れることで衰えた氣力が回復し、開運へと導いてくれるパワースポットです。

「貴船神社」には、三社の全ての境内に「御神木の桂」がそびえていることから、重要な守護木であることがわかる。

神聖な祭場「天津磐境(あまついわさか)」をイメージした石庭

見所スポット!

昭和の作庭家の第一人者といわれる、故・重森三玲氏が古代人の斎場を感じるままに原始の庭をイメージした石庭で、庭全体が舟形をしており、中央には椿の樹で帆柱を施し、神が降臨する場所となっています。

石組みには、貴船川から産出された美しい名石とされる貴船石が使用され、船は神の神聖な乗り物として、中宮の「天の磐船」や奥宮の「船形石」と並び、貴船には大事な船を表す象徴となっています。

貴船の御神水には不思議なパワーエネルギーが満ちている

おすすめ開運スポット!

全国でも有数の名水で、夏は冷たく冬は暖かさを感じさせる弱アルカリ性の水は、これまで一度も枯れたことがないといわれています。

そして不思議にも、3年以上前の組み置きの水を検査したところ、腐っておらず雑菌や変色もなく良質の水であったとの結果がでており、氣生根の大地の満ちた氣が水に入り御神水となっていることがわかります。

御神水には、特殊なメンタル波動があるようで、眼病や婦人病などにも力があるいわれる評判の名水のため、全国からも御神水を目当てに訪れる人も多い。

御神水の横には、水五訓(みずごくん)が書かれた看板があり、水になぞって自らへの教訓が書かれています。
黒田官兵衛(黒田如水)が、残したものであるという説もあります。

水五訓

①自ら活動して他を動かしむるは水なり
②障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
③常に己の進路を求めて止まざるは水なり
④自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

⑤洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

貴船のパワーエネルギーの入った御神水は無料なので、是非持ち帰ってご自身やご家族の健康水にしてみてはいかがでしょうか。

持ち帰りの場合、オリジナルの御神水容器300円(1本/600ml)を神社で購入することができます。

当ると人気の水占みくじ

おすすめ開運スポット!

「貴船神社」に来たら、よく当ると言われる女性に大人気の運試し「水占みくじ」をやって見ましょう。

ここは水の神様なので、運勢も水で表します。

社務所で、文字のない水占みくじを200円で授与してもらい、水占斎場(みずうらゆにわ:上の写真)の霊泉に浮かべます。

すると真っ白だった紙に文字が浮かび上がってきます。

水の神からあなたへ、願望や恋愛・病気など10項目の占いと真中の丸の中に吉や凶など運勢が告げられます。

神聖な水の神のお言葉ですので、よく読んで悩み事の参考にされると良いのではないでしょうか。

奥宮は貴船神社最大のパワースポット

当初の貴布禰神社は、現在の「貴船神社」の奥宮のことを称し、今の本宮になったのは七十代の後冷泉天皇の天喜三年(1055年)に、奥宮より遍座したものだといわれています。

奥宮へ向かう大杉並木の手前には、朱色の鳥居と思ひ川に架かる思ひ川橋があります。

和泉式部が身を清めた思ひ川

見所スポット!

「思ひ川」は、元は「おものいみがわ」と言われ禊(みそぎ)の川でしたが、平安時代の宮廷の女流歌人であった和泉式部が不仲であった夫(橘道貞)との愛を取り戻すために、奥宮の参拝にあたりこの谷川で手を洗い、口をすすぎ身を清めて恋の成就を祈ったとされたことから「思ひ川」と呼ばれるようになりました。

【和泉 式部(いずみ しきぶ)】
天元元年(978年)頃 – 没年不詳)
幼名:御許丸(おもとまる)
平安時代中期の歌人で中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人
宮中に仕えた王歌歌人で、親王らの求愛を受けた女性、恋歌の評判が高い
夫:橘道貞(後に破綻) 娘:小式部内侍
父:越前守・大江雅致 母:越中守・平保衡の娘

和泉式部は、恋愛遍歴が多かったようで、恋歌には情熱的な和歌が多くみられる。

溶岩が固まってできた「つつみヶ岩」

見所スポット!

思ひ川を渡ってすぐ左側に見えるのが、貴船名石の「つつみヶ岩」です。

比較的見落としがちになりますが、この「つつみヶ岩」は海底火山が噴火して流れ出した溶岩が枕状の形となり固まったもので、昔は貴船が海底火山だったことを証明するなごりの岩。

ぼこぼこした表面で、高さ4.5m重さが43tと巨大な水成岩は年月と共に紫色に輝き見せる名石となっています。

二つの杉が一つになる「相生の杉」は夫婦円満の御神木

おすすめ開運スポット!

結社から奥社の間にあるのが「相性の杉」(結社から歩いて5分程)。

樹齢千年の御神木は、根っこから二つの杉が一つになる二体一心で根ずいている珍しいものです。
二つの木が仲良く寄り添う姿は、「相生」が「相老」に通じ仲の良い老夫婦に例えられ夫婦円満を表し、また男女の縁のみならず因縁のある二人が固く誓うことで、生涯を通じ仲の良い縁が続くといわれています。

奥宮の本殿周辺は氣のパワー集まる御利益の高い場所

思ひ川橋を渡り大杉の並木道を歩いていくと、鮮やかな朱色の神門「桜門」が見え奥宮はもう間近。

奥宮は、「貴船神社」最大のパワースポットと言われるだけに、並木道周辺にも凛とし空気感が伝わる。

貴船最大の開運スポット!

奥宮の境内は広く、本宮や結社とは緊張感が違い、静寂な雰囲気の中にひんやりとした空気が漂い強いパワーを感じさせる。

主祭神には闇龗神(くらおかみのかみ)を祀っています。

闇龗神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神であった火之迦具土神(ほのかぐづちのかみ)の首をはねたとき、剣の柄に残った血が指の間から流れ落ちて生まれた神様で、古事記では闇淤加美加美(くらおかみのかみ)となっています。

また、日本書紀には高龗神(たかおかみのかみ)名であり、闇は谷、高は山峰で龗は龍神の雨を司る神をさしており、対比する神であるが、実は本社と奥宮の二神は同一の神であるという説もあります。


誰も見ることが許されない本殿の真下の「龍穴」

伝説のスポット!

本殿の真下の地下には、「龍穴」の洞窟があり誰も見ることは許されてはいません。

伝説によれば、文久年間に本殿修理中に大工があやまってノミを落としたところ、突然風が吹きだしノミを空中へと巻き上げたといわれており、その後、この大工は亡くなったといわれる。

本宮の修復時には、隣の権地に宮を移し龍穴には板をはめて、誰も見ることができないようにするそうです。

風水で龍穴は、大地の気が集まっている場所をさし、一番高い山の太祖山(たいそざん)から龍脈(りゅうみゃく)へ流れた大地の気が龍穴で噴出します。

龍脈とは山脈であり、なだらかな一直線上のものよりも、でこぼこのうねりのある所の方がパワーがあり、川のように大きな山から小さな山々へ自然に流れて地にたどり着くようなもので、気でも同じように地に落ちた場所が龍穴で大きな力を持つパワースポットです。

古来は、この場が祭祀場として神事が行われていたと思われる。
そのため、奥宮の本殿周辺はパワーのある気が集まっているので、御利益の高い場所となっています。

貴船の龍穴は、大和の室生龍穴と岡山備前の龍穴と共に日本三大龍穴の一つでもあります。

貴船神社は丑の刻参り発祥の地

伝説のスポット!

「丑(うし)の刻(こく)参り」とは、丑の刻(午前2時前後)に神社にて、∗特別な衣装を身に付け藁人形を怨みの相手とし7日間、鉄槌で五寸釘を心臓に打ち続ける呪いの儀式。

∗丑の刻参りの特別な衣装
白衣を着る・五徳を逆さにしロウソクに火を灯し3本を頭につける・櫛をくわえる(女のみ)・胸に鏡をかける・一本足の高い歯の足駄を履く・五寸釘と鉄槌

http://indoor-mama.cocolog-nifty.com

昔、夫を取られた「宇治の橋姫(はしひめ)」が、妬ましい女を呪い殺すために、生きながら鬼神になることを祈り行った儀式であったとされる。

そして、この橋姫が丑の刻参りに訪れた神社が貴船神社であったことから、丑の刻参りの発祥の地だともいわれています。

しかし、本来の貴船神社の丑の刻参りは、闇龗神(高龗神)が貴船山に降り立った「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻」に心願成就を願う儀式であり、呪いの儀式ではありません。

種類の違う杉と楓がくっついた御神木「連理の杉」

おすすめ開運スポット!

奥宮境内にそびえ立つ、御神木の「連理の杉」

連理と言われる所以は、種類の違う杉と楓がくっついて上えと伸びてまるで夫婦のようである、別々の木が一つになっていることから名付けづけられています。

紅葉シーズンも終わる頃、他のもみじが落葉している中この「連理の杉」の楓だけは美しいもみじを残しており、参詣に訪れた貞明皇后様がそれを見て大変感動したといわれています。

違うものどうし二つが一つなることから、夫婦和合や男女良縁などの御利益のある御神木ですので、じかに手で触れパワーをいただいておきましましょう。

玉依姫命が乗った黄色の船が隠されている「船形石」

おすすめ開運スポット!

「船形石(ふながたいわ)」は、拝殿・本殿正面から見ると左側にあり、船を模した石組みです。

約1、600年前に、初代神武天皇の皇母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が水源を求め、黄色い船に乗って大阪湾から今の奥宮の地にたどり着き「黄船の宮」として水神様を祀るため社殿を建立しました。

黄船が、貴船神社名の由来でもあり起源だとも伝えられる。

そして、乗ってきた黄色の船は人目に触れぬように石で囲んで隠しました。
それが、この「船形石」です。

謎も多く、宇宙から来たUFOが隠されているのではないかという噂もあるようです。

長さ約10m・約幅4m・高さ約2m・外周約24mの「船形石」は、昔より船乗り達から航海安全を守護する神の「船玉神」として厚く信仰されているため、交通安全や航海安全・旅行のお守りとして小石を持ち帰る人が多いようです。

奥宮内末社(三社)

おすすめ開運スポット!

【日吉社(ひよししゃ)】 御祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
・山の地主神であり農耕を司る神様

【吸葛社(すいかずらしゃ)】 御祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
・農耕と雷の霊力を合わせた神様

【鈴市社(すずいちしゃ)】 御祭神:姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
・神武天皇の皇后

こちらの三社も、しっかり参拝しておきましょう。

「結社」日本でも屈指の縁結びのパワースポット

縁結び開運スポット!

貴船神社の中でも、縁結びで知られる女性に人気の高い「結社(ゆいのやしろ)」は、本社と奥宮の中間に位置しすることから中宮(なかみや)とも言われます。

結社には、御祭神の磐長姫命(いわながひめのみこと)が縁結びの神として祀られています。

そびえ立つ林の中の石段を上がって行けば、鮮やかな朱色の鳥居や燈籠が目を引き付ける。

神話によれば、磐長姫命が縁結びの神として信仰されるようになったのは、磐長姫命と妹の木花開耶姫(このはなさくやひめ)の二人の姉妹を父親の大山祇命(おおやまつみのみこと)が天孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に薦めたが、瓊瓊杵尊は磐長姫命をこばみ器量好しの妹の木花開耶姫だけを娶(めと)ったため、磐長姫命は「我長くここにありて縁結びの神として世のため人のために良縁を得させん」とこの地に身を隠し縁結びの神になったとされています。

磐長姫命は、器量の悪さで嫁に行けなかった何とも不運な女性で、こんな辛いことは私だけで十分だと思い、人々が幸せな縁を結ぶ神として身を捧げたけなげな神様です。

心は、綺麗な方だったんですね。

結社の名の由縁は縁結びから来ており、平安時代には貴族から庶民まで大勢の人々が、縁結びの御利益を頂戴するため参詣されていたいわれています。

今では、日本でも屈指の縁結びのパワースポットなっており、人と人、男と女のみならず入学や就職などあらゆる御縁に御利益があるため全国からも参拝者が多い。

結び文と結び守り

おすすめ開運スポット!

昔は、境内の草の葉(ススキなど)を結んで恋愛成就を祈願していましたが、今は「結び文」(写真左上200円)を本宮社務所にて授与していただき、裏に願いと名前を書き結社(写真右)にて結び処に奉納します。

願いは、男女の縁・関係する縁のみならず、現在の悩み事を書いても問題ありません。

「結ぶ文」と形が似た「結び守」(写真左下1000円)が人気のお守りとなっています。
色は、ピンクとブルーの2種類がありますので、男女がお互いに持っていると縁も深くなり恋愛成就できるといいます。

「天乃磐船」貴船の象徴である結社の船

見所スポット!

貴船神社には、船との関わりが強く、本宮には「石庭」、奥宮には「船形石」そして中宮には「天乃磐船」と全てに配されています。

船が、神様の乗り物として神聖な物であり、貴船の象徴的な物だからです。

「天乃磐船(あめのいわふね)」は、貴船山から発見された珍しい舟形の石を、結社の御祭神である磐長姫命の御料船として平成8年に結社の境内に奉納されました。

船と人は古くから交通機関の要として利用され、人と人、文化と文化を結ぶ尊いもの、縁を結んでいくもので、全てのえんむすびとの関係性も高い。

夏は貴船川のせせらぎを聴きながら川床での食事を体験

四季折々で違う顔を見せる貴船ですが、特に夏の川床(写真左右下)は、貴船川のせせらぎと清涼感を満喫しながらお料理が楽しめます。

川床料理には、鮎・ごり・鯉を使った活造りや牛しゃぶや地鶏すきやきなど魚・肉とバラエティーにとんだ内容で、川床での食事は夏でしか味わえない最高のもてなしです。

また、6月から9月までは、名物の流しそうめん(写真右上)が堪能できます。

自然の素晴らしい景色の中で食べる料理は、今までの何倍も美味しく感じられと思います。

上記写真は、中宮(結社)に近い「料理旅館 ひろ文」さんです。

【七夕笹飾りライトアップ】光で笹と短冊が煌き揺れる風情に心落着く

七夕笹飾りライトアップは、多くの人が参拝に訪れる貴船神社恒例の夏のイベントです。

夕暮れから夜8時までライトアップされ境内全体が照らし出され、周りの緑、厳かな本殿、風に揺れる笹や短冊に光があたり煌く風情は何とも美しく心を和ませます。

短冊は一枚100円、思い思いの願いを書いて笹に吊るしましょう!

七夕笹飾りライトアップ
開催場所 貴船神社 本宮のみ
開催期間 7月1日~8月15日
開催時間 夕暮れ~20:00(土・日・祝日は21:00迄)

 

【貴船神社】冬の風景!静寂した積雪の神社がライトアップされ美しい

【雪の氣生根 積雪日限定ライトアップ】

開催期間 1月1日~2月28日 夕暮れから午後8時まで
開催場所 貴船神社 本宮のみ
★開催は積雪日のみで不特定
★開催は当日の午後3時決定
★開催日のみfacebook・twitterで告知

 

【貴船神社】秋の風景!ライトアップされた紅葉が美しい燈籠の階段

貴船神社の詳細情報

【貴布禰総本宮「貴船神社」】
所在地:〒601-1112 京都市左京区鞍馬貴船町180
TEL:075-741-2016 FAX:075-741-3596
公式H.P⇒貴船神社

【参拝】
参拝時間:無休6:00~20:00
(御朱印・御守りなどの受付時間は9:00~16:30)
参拝料金:無料

年間主要行事
1月7日 若菜神事 11:00
2月3日 節分祭 11:00
3月9日 雨乞祭 10:00
4月1日 春季御更衣祭 10:00
6月1日 貴船祭〔例祭〕 11:00
7月7日 貴船の水まつり 10:00
7月7日 七夕神事 13:00
11月1日 秋季御更衣祭 10:00
12月31日 師走の大祓式・除夜祭 16:00

 

【アクセス】
JR京都駅→地下鉄烏丸線京都駅→国際会館駅(約20分)→京都バス3番乗り場(52系蔵馬温泉又は貴船口行)→貴船口(約20分)→京都バス乗り換え(33系)→貴船バス停下車(約5分)

マイカー:名神高速道京都南インターより約50分(21.9km)名神高速道京都東インターより約60分(20.4km)
駐車場は本宮10台・奥宮15台(2時間500円)

【お宿情報】>>貴船神社の周辺宿はこちら【楽天トラベル】

<貴船神社の周辺マップ>

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雲海の竹田城跡へ車でアクセス!山城の郷ルートから望む城郭巡り https://kaiun.website/archives/1334 Tue, 23 Aug 2016 08:50:48 +0000 http://kaiun.website/?p=1334

兵庫県朝来市和田山町に、天空の城と呼ばれる「竹田城跡」があります。
秋の晴れた朝に濃霧が発生し、この霧が城跡周辺を取り囲み空の中に浮いているように見えるためこう呼ばれています。

雲海が見れる時期は、特に9月下旬から12月頃の明け方から朝の8時頃までで、朝が冷え込み昼には気温が上がった晴れた日によく見られる。

竹田城跡とは?

竹田城跡は、標高353.7mの古城山山頂に築かれた山城です。古城山の山全体が虎が伏せているように見えることから、別名「虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)」とも呼ばれています。

天守台・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪が配置されており、縄張りの規模は東西に約100m、南北に約400m、「完存する石垣遺構」としては全国屈指の規模を誇ります。築城当時は土塁で守られていた城が、最後の城主赤松広秀により、今に残る総石垣造の城に改修されたとされます。
<竹田城跡公式H・Pより>

朝来(あさご)市のシンボルでもある「竹田城跡」は、廃城から400年以上経ちながらも石垣が良い状態で保たれている日本でも数少ない山城で、2006年には日本100名城に指定され、映画「天と地と」や高倉健主演の「あなたへ」のロケ現場にもなっています。

明け方の雲海に浮かぶ城跡は絶景で素晴らしく、その評判で今や年間30万人を越える大人気の癒しのスポットです。

タモリさんやハリウッド俳優のトミー・リー・ジョーンズさんが出演するCM「プレミアム城跡」編(サントリーコーヒー)は、ここがロケ地となっていて雲海の中に浮かぶ城跡がまさに天空の城の風情を見せます。

そんな「竹田城跡」へ登って見ることにしました。

竹田城跡への登山道ルートは四つ!観覧料金所まで最短で40分

竹田城跡へ登るルートには、4つの登山道があります。
どのルートに置いても、料金所入口まではかなり斜面が続くので軽い気持ちで登ると後悔するかも知れません。

また、観覧料金所入口から天守台(353.7m)まで急な登りが続き不安定な階段状になっていますので、登りやすい靴と夏ならタオルや飲み物は必需品です。

竹田城跡への4ルート

上記地図に示す赤丸ナンバーの4つが、料金所入口までの登山ルートになります。

JR竹田駅の南側から登るルート

①駅裏登山道・・・料金所入口までの距離0.9km 徒歩約40分
JR竹田駅から降りて登る通常の登山道です。

②表米神社登山道・・・料金所入口までの距離1.2km 徒歩約45分
坂がきつく階段もあり脚力に自信がある人向き。

③南登山道・・・料金所入口までの距離長い 徒歩約60分
こちらの道路は一方通行で、車両で城跡へは行けません。

「山城の郷」の北側からルート

④西登山道・・・料金所入口までの距離2.1km 徒歩約40~50分
「山城の郷(やましろのさと)」には、駐車場の他、レストラン・売店・トイレも完備されていますので、行き帰りの拠点になります。
「山城の郷」に駐車して、ここから竹田城跡がある頂上へと進んで行きます。

竹田城跡・売店第一~第三駐車場まであり、約110台の駐車が可能です。
マイカーで来るなら、こちらのルートが良いのではないかと思います。

またここには、タクシーが控えていて中腹の第二駐車場まで乗せてもらえるので、ご年配の方や足に自信のない方は利用されるも良いと思います。

山城の郷
施設内容 レストラン・売店・トイレ・駐車場・グランドゴルフ
営業時間 9:00~16:00
定休日 年中無休
所在地 兵庫県朝来市和田山町殿字新井土13-1
電話 079-670-6518

 

<第一駐車場(レストラン・売店前の駐車場)>竹田城跡・駐車場


<第三駐車場>
竹田城跡・駐車場入口前道路

今回は、こちらの西登山道ルートを利用して登って見ました。

車で来るなら西登山道ルートを選びたい!森林浴も堪能

竹田城跡への西登山道ルートは、「山城の郷」の案内板から始まります。

竹田城跡・案内板

案内板には、ルートや距離・時間・休憩所などが書かれています。

 

竹田城跡・ここからスタート

「山城の郷」からも山頂の竹田城跡がかすかに見えます。
正面の山の頂です。

 

下から見る竹田城跡少し拡大するとはっきりと見えてきます。

 

竹田城跡・ここから登頂まで2.2km

これから登って行く西登山道から、「山城の郷」を見下ろすとこんな感じです。

 

竹田城跡・ここからスタートはここから上がる

この斜面を料金所入口まで登って行きます。

 

竹田城跡・登頂途中の道

曲がりのある、こんな道路が続きます。

 

竹田城跡・途中の道路から

途中の道路沿いからも所々城跡が見え、少しずつ近くなっている感じです。

 

竹田城跡・登頂途中のタクシー降り場

「山城の郷」から歩いて20分位過ぎた所にある、天空バスやタクシーの乗降所。

 

竹田城跡・途中の休憩所が近い

タクシー乗降所を少し過ぎると、トイレ・自販機やアイスクリームを売っている中腹の休憩所があります。
この道を左に行けば休憩所、真直ぐ進めば竹田城跡へと続きます。

 

竹田城跡・途中の休憩所2

「山城の郷」から1.5kmの所にある中腹の休憩所。
売店には、アイス200円・バニラモナカ150円・記念タオル300円や天然水を売っています。

竹田城跡・休憩所内普段登らない坂道を歩くのでかなりバテます、特に夏の暑い時は水分補給、冬の寒い時は体を温めるためにここで一旦休憩を取っって頂上へと目指すの方が良いと思います。

ここから料金所入口まで700mです。

 

竹田城跡・竹田城門

この休憩所の竹田城山門が、竹田城跡散策の大手門コースの出発地点。
門をくぐってもうひと踏ん張りです。

 

竹田城跡・史蹟案内板

観覧料金所までの散策道路沿いにある史蹟案内板。
竹田城跡の遺構(過去の建築物、工作物、土木構造物などが後世に残された状態)や城主について書かれています。

城主は築城後、太田垣光影→以後7代→桑山重晴→赤松広秀と移っていったことが記されてる。

竹田城跡内の見学順路!城内は一方通行で入口と出口は別

竹田城跡の見学順路です。
城内は、北千畳から本丸へそして南千畳へと続いていき、その大きさは南北約400m、東西約100mの大規模な城跡です。

全体の面積は、面積は18,473㎡に及び北千畳曲輪・南千畳曲輪・花屋敷曲輪の3つは標高が331mとほぼ同じ高さで、本丸の標高は351mなので標高差は20mあります。

赤の矢印方向に下記番号箇所を見学していきます。

参考:http://www.oyadohakusan.com/index.html参考:http://www.oyadohakusan.com/index.html

 

竹田城跡観覧料受付所

竹田城跡・観覧料金所

2.1kmの道のりを歩き、竹田城跡観覧料受付所に到着。
山門からここまでの道路斜面はきつくなりますので、700m程の道のりですがかなり疲れます。
城跡内には、トイレが有りませんので不安な方はトイレ休憩を!

竹田城跡観覧料は以下の料金となります。

竹田城跡観覧料
大人(高校生以上) 500円
中学生以下 無料
年間パスポート 1,000円

 

観覧料金所を通過したら、いよいよ竹田城跡の見学です。

城跡までは、高さのある石段と土道が続くので高さのある靴は危険、また、濡れていると滑るので注意が必要です。

城跡内は一方通行で、入口と出口は別々の所となります。

<見学順路登り②北千畳・大手門へ

竹田城跡・頂上までもうすぐ

北千畳へ登る石段。石の大きさの違いや土道面もあって足元が不安定です。

 

竹田城跡・大手門付近

大手門付近の石垣。
石垣の出角部分は、長方体の石の長辺と短辺を交合に重ねる「算木積」みという技法で作られ、この方法は強度が高く壊れにくい。

 

竹田城跡・城跡が見えてきた

北千畳付近では、安全上黒いシートが敷かれています。
ここを上がって右側が北千畳、左側へ行けば大手門と続く。

<見学順路登り③北千畳

竹田城跡・城跡の広場

「北千畳郭」は広く、ここから城下への眺めも絶景です。

 

竹田城跡・北千畳広場

「北千畳」のこの石垣の向こうが大手門です。 

<見学順路登り④三の丸

竹田城跡・城跡の上にがる

三の丸入口の「大手門」

 

竹田城跡・城跡の最上が見える大手門を上がった三の丸から見る本丸。

<見学順路登り⑤弐の丸

竹田城跡・城跡の最上はもうすぐ

三の丸から弐の門へ。

 

竹田城跡・弐の門

「弐の門」と石垣。

 

竹田城跡・城跡の最上は近い

「弐の丸」

 

竹田城跡・城跡の最上が目前3

 「弐の丸」からみる南千畳・南弐の丸方向。

<見学順路登り⑥本丸と天守台

竹田城跡・城跡の最上はそこ

左に弐の丸、正面が本丸です。

 

竹田城跡・本丸近い「本丸」とその上の「天守台」までもうすぐです。
本丸の石垣は、「穴太積み」という技法の重ね方をしており、姫路城や安土城も同じ技法の石垣作りです。

高倉健主演の映画「あなたへ」では、高倉健さんがこの位置から天守台を眺めるシーン撮った場所です。
知っている人は、ここで同じようなポーズをして記念写真を撮るようです。

 

竹田城跡・本丸内

本丸内は意外と狭い。

 

竹田城跡・城跡の最上積3

本丸内にある「天守台」
木製の階段を上がれば、一番高い天守台353.7mの頂上に到着です。

 

竹田城跡・城跡の最上積からの風景

「天守台」から見下ろす南弐の丸と 南千畳。
絶景のスポット!日本の「マチュピチュ」と言われるのも分かる気がします。

「マチュピチュ」は下記の記事で

https://kaiun.website/archives/564


竹田城跡・本丸から左を見る「天守台」から左側を見れば、今歩いてきた弐の丸・三の丸が見える。

<見学順路登り⑦花屋敷

竹田城跡・城跡の最上が目前6

この木製の階段を上がれば本丸です。 

竹田城跡・弐の丸から見た北千畳

木製の階段通路から見た北千畳方面。

 

竹田城後・花屋敷

北千畳と南千畳の曲輪に対して、北部に位置する曲輪が「花屋敷」です。
南北の防御性を高めるためのものだったようです。

<見学順路下り⑧南弐の丸

竹田城跡・城跡の最上積を下る

 本丸から下って行きます。

 

竹田城跡・城跡の最上積を下る3

右側の木が何本か立っている所が、「南弐の丸」になります。

<見学順路下り⑨南千畳

竹田城跡・南の正門

「南の正門」
左の石垣の上が南弐の丸で、南千畳はこの手前にあります。

 

竹田城跡の南千畳

 「南千畳」

雲海に浮かぶ竹田城跡の美しい映像

 

竹田城跡巡りを終えて思うこと

竹田城跡は、8年程前は観光客も年間2万人位でしたが、映画のロケ地になったり雲海に浮かぶ城跡の素晴らしさが少しずつ評判を呼び、2年前には年間30万人を突破、今もなお増え続けてい大人気のスポットです。

雲海を見るなら秋の9月~12月の朝方、それ以外の季節なら散策や城跡巡りが楽しめます。

また、パンフレットに載っているような雲海に浮かぶ竹田城跡全体を眺めるなら、円山川を挟んだ向かいの朝来山の中腹にある立雲峡からが絶景ポイントになっていますので、時間があればこちらも一度訪れて見てはいかがでしょうか。

竹田城跡は、城も無い廃城でありながら、雲によって見出された絶景が今や多くの人の集める観光地となり、但馬及び朝来市周辺に観光客の恩恵をもたらす史跡です。

増え続ける観光客で、素晴らしい城跡を形どる石垣や城郭・自然が損なうことなく後生に伝わるよう願うばかりです。

 

「竹田城跡」の詳細情報

【竹田城跡】

所在地: 〒669-5252 兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地
問い合わせ:情報館 「天空の城」
TEL: 079-674-2120  FAX: 079-674-0130
竹田城跡公式ホームページ⇒こちら

【城跡見学時間】

時期 見学時間
3月1日~ 5月31日 午前8時~午後6時(最終登城 午後5時30分)
6月1日~ 8月31日 午前6時~午後6時(最終登城 午後5時30分)
9月1日~11月30日 午前4時~午後5時(最終登城 午後4時30分)
12月1日~翌年1月3日 午前10時~午後2時(最終登城 午後1時)

※雲海の見れる秋の9月1日~11月30日は午前4時から登城可能。

【観覧料・登山ルート】記事内にて

【アクセス】
マイカー:播但連絡有料道路「和田山IC」から国道312号線へ「山城の郷」第1駐車場まで約10分
電車:
・JR山陽本線・新幹線利用(約95分)
JR姫路駅でJR播但線へ乗り換え「JR寺前駅」へ「和田山行き列車」へ乗り換えて「JR竹田駅」で下車
・JR山陰本線/JR福知山線利用(約7分)
「JR和田山駅」でJR播但線に乗り換え「JR竹田駅」下車

【天空バス】
運行ルートは、竹田駅⇒山城の郷⇒竹田城跡⇒まちなか駐車場⇒上町⇒竹田駅⇒山城の郷

天空バス行先 運賃
JR竹田駅~竹田城跡 大人260円(小人130円)
山城の郷~竹田城跡 大人150円(小人80円)
JR竹田駅~山城の郷 大人200円(小人100円)

※一日乗車券:大人500円(小人250円)

天空バスは一方向の運行ですので、行き帰りでは時間が違っています。

竹田城跡・天空バス

【雲海バス】
竹田城跡の雲海シーズン利用したい運行バス
運行期間:9月3日(土)~11月27日(日)までの土日祝日
運賃:大人:片道500円 小児:片道250円
<運行先と時間>
行きはイオン和田山店⇒山城の郷:午前4時(始発)~午前6時20分(終発)まで
帰りは山城の郷⇒イオン和田山店:午前7時(始発)~午前9時20分(終発)まで

【お宿情報】>>竹田城跡の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<竹田城跡の周辺マップ>

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世界最大の釈迦涅槃像!福岡・南蔵院は金運が叶う最強パワースポット https://kaiun.website/archives/1077 Sat, 25 Jun 2016 08:26:11 +0000 http://kaiun.website/?p=1077  

南蔵院の釈迦涅槃像頭側

日本には、ブロンズ製で世界一の高さを誇る「牛久大仏」がありますが、同じブロンズ製で世界一の仏像がもう一つあります。

それが、福岡県篠栗町の「南蔵院」にある横たわる仏像タイプの涅槃像です。

涅槃仏(ねはんぶつ)とは、お釈迦様が煩悩のない境地に入っている様子を仏像としてあらわしたもので、世界ではタイの寺院に多く見られ、有名なものにはワット・ポー寺院の涅槃像(全長46m)やワット・ローカヤスター寺院の涅槃像(全長は57.7m)があります。

お釈迦様の足の裏には、仏足と言って宇宙観を現す不思議な文様があるのも特徴です。

<ワット・ポーの涅槃仏>ワット・ポー涅槃像

世界最大の涅槃像や南蔵院が何故、金運が叶う最強パワースポットなのかをご紹介していきます。

☆南蔵院の釈迦涅槃像☆ブロンズ製では世界一巨大な涅槃像

出典:http://turu3.x0.com/nanzouin

ブロンズ製では、世界最大を誇る「釈迦涅槃像」が福岡県糟屋郡篠栗町の「南蔵院」にあります。
ミャンマーより贈られた、お釈迦様、阿難様、目連様の三尊者の仏舎利を祀るために、平成7年に像立されました。

全長41m、高さ11m、重さ300トンもある巨大な涅槃像で、全身写真を撮ろうとすればかなり下がらなくてはならず、その大きさに圧倒され見る者を感動させます。

五色の布は五色の光を表す開運の布

下写真でもお分かりのように、涅槃像の左手には5色の布が伸びています。
この大きさですから、紐のようですが正面参拝所まで続いています。

五色とは、五色(ごしき)の光」を表し、お釈迦様が悟りを開かれた時に出た光だと言われます。
この布は、お釈迦様との繋がりを示しますので、参拝はこの布を持って行うことで開運が訪れます。

<下側からの釈迦涅槃像>出典:http://www.itamiwake.com

仏足を触れば身体健康や諸願の開運が訪れる

仏足は文字通りお釈迦様の足で、お釈迦様が亡くなられた(入滅)後、約500年もの間、仏像が無かったため石にお釈迦様の足跡を残し、これを通して信仰したものを仏足石」と言います。

仏足の紋様には意味があり、お釈迦様の教えと慈悲の心が込められています。

足の真中の大きな太陽のようなものは千輻輪で仏陀の教説を意味し、かかと側の文様は梵王冠で諸仏・緒神の優る梵王の宝冠を示しています。

このように仏足はお釈迦様と同様なので、足を触ることで身体健康や諸願の開運が叶うとされています。

出典:http://www.flickr.com

 

仏足の紋様

南蔵院は金運のパワースポット!大黒天様のお札で宝くじ1等当選

また、「釈迦涅槃像」が有る「南蔵院」は、御利益をもたらす金運のパワースポットとしても広く知られています。

何故、金運アップのパワースポットと呼ばれようになったのでしょうか?

南蔵院の林住職が買った宝くじが、一等の前後賞である1億3千万円が当選してしまったのです。

奇跡的に、一回は当たることがあるかも知れませんが、この住職さんナンバーズやロトなども合わせて数十回も当たっているといいます。

ちなみに、1億3千万円が当選した宝くじには、「大黒天様のお札」を巻き一緒におかれていたと言う事もあり、南蔵院では「出世大黒天のお札(一枚500円)」が良く売れているとか。

金運を多くの人に!大黒堂建立

大黒天様のお札のおかげで宝くじが当たったという事もあり、住職は金運を全ての人に分けてあげたいと大黒天様を祀る「大黒堂」が造建されました。

<大黒堂>

出典:http://blogs.yahoo.co.jp/lingmu9216

 

釈迦涅槃像の胎内参拝

釈迦涅槃像は、胎内を参拝(料金500円)することもできます。

受付で木札と黄色の紙をもらい、木札には願い事を書き途中の部屋で納め、黄色の紙は胎内出口で係り者に渡せば、書いた願い事が叶うと言われています。

また、この中でしか手に入られない「黄金仏足御守」という金運アップを叶えてくれらしい、ゴールドの御守りを1,000円で購入することができます。

「黄金仏足御守」は、お財布に入れて持ち歩くのが良いようです。

 

<黄金仏足御守>釈迦涅槃像胎内・黄金仏足御守

南蔵院は弘法大師も訪れた八十八箇所第一番札所

出典:http://www.itamiwake.com/

「南蔵院」は篠栗四国霊場の総本寺で、空海(弘法大師)を拝する八十八箇所第一番札所でもあります。

篠栗四国八十八箇所の起源

慈忍という人物がこの地を訪れた天保六年に始まる。

四国八十八箇所の開祖たる弘法大師も訪れたと伝わるこの村の者達の困窮を垣間見た慈忍は、その救済を目論みこの地にとどまり弘法大師の名において祈願を続け、やがて村に安寧をもたらした。

このことを弘法大師の利益(りやく)であるとした慈忍は、村の者達に四国のそれを模した88か所の霊場の造成を提案。呼応した村人達の手によって徐々に石仏がつくられはじめ、慈忍が没したのちにおいて、その志を継ぐ村の篤志家達の尽力によって88に達する霊場群が完成、それが今にある篠栗霊場の起源。(byウィキペディア)

明治19年の廃仏毀釈により霊場の存続が危なくなったが、地元の熱心な声もあり、高野山から南蔵院を招くことで明治32年に存続が決まり移転、今では、日本三大新四国霊場のひとつに数えら程です。

https://kaiun.website/archives/29

https://kaiun.website/archives/2602

「南蔵院」周辺と釈迦涅槃像を動画で見てみましょう!

南蔵院「釈迦涅槃像」の詳細情報

【南蔵院】
住所: 〒811-2405 福岡県糟屋郡 篠栗町篠栗1035
TEL:092-947-7195
FAX:092-947-5725

【利用可能時間】
年中無休

【参拝料金】
南蔵院境内参拝は無料
(涅槃像胎内参拝500円9:00~17:00)

【アクセス】
マイカー:
九州道福岡ICを降りて国道201号線経由10kmで約15分(無料駐車場あり)
JR列車:JR博多駅~JR福北ゆたか線(篠栗線)城戸南蔵院前駅下車徒歩3分
バス:天神バスセンター1番乗り場から八木山急行または31番で城戸バス停下車約45分

【お宿情報】:>>南蔵院拝観の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<南蔵院・釈迦涅槃像周辺マップ>

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【伏見稲荷大社】千本鳥居を越えれば別次元のパワースポット山上見どころコース https://kaiun.website/archives/905 Fri, 27 May 2016 07:16:04 +0000 http://kaiun.website/?p=905  

伏見稲荷大社桜門

京都の東山連峰南端の稲荷山西麓に鎮座する、「お稲荷さん」名で親しまれる「伏見稲荷大社」は、全国に3万社以上ある稲荷神社の総本宮です。

お稲荷さんは、多くの神々の中でも広く親しまれている神様で、狐が神の使いであることは周知のとおりです。
そのため、多くの稲荷神社の社前には狛犬の替りに宝珠や鍵をくわえた狐の像がすえられています。

お稲荷さんは名称からも分かるように、稲の信仰が起源となった稲作を中心とする農業の神で、五穀豊穣を祈る農民に広く信仰されていました。

このように、もともと稲荷神は五穀豊穣の神として信仰されていましたが、時と共に商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになったのです。

千本鳥居は朱(あけ)の色のエネルギーが充満するパワースポット

伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社で印象的なのが、テレビや雑誌などでよく目にする朱(あけ)の鳥居が何本もつづく千本鳥居です。
外国人にも人気の観光スポットで、山頂まで続く朱(あけ)の鳥居に神秘性を感じると言います。

千本鳥居とは言いますが、実際は稲荷山全体では千本どころか1万本以上もあり、今も奉納ごとに増えています。

お稲荷さまの鳥居が赤であるのは、人に流れる血液は赤、「あか」という音は再び「あ」に戻るのでこの音は魂の始まりや糧の「ひ」は火の玉で太陽の恵みで稲の収穫、鳥居の赤は、生命力・収穫・太陽をあらわす赤と言われ鳥居には「願いがとおる・とおった」という意味も込められています。

何本も続く、トンネルのような鳥居を歩けば自然と心が穏かになり、鳥居の隙間から入る日差しが朱の色をより輝かせ、その朱の光が体の隅々に力を与えてくれるような不思議な感覚のパワースポットです。

朱の色のエネルギーと山全体から来るパワーが満ち溢れています。

伏見稲荷大社夜

特に、夜の光景は昼と違った顔を見せます。
暗闇の中、少しの灯りに照らされる朱(あけ)の鳥居は、朱の色が美しく光輝き幻想的で別世界に来たような感覚をになる。

<夜の千本鳥居(動画)>

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の舞台となった千本鳥居

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は、七月隆文さんの100万部を越える人気小説の映画化で、京都を舞台に繰り広げられるラブストーリー。

主演は、福士蒼汰さんと小松菜奈さんの二人。

ストーリーは、京都の美大に通う南山高寿(福士蒼汰)は、電車のなかで一目惚れするもなかなか声がかけられず、覚悟を決めて声をかけると以外にも交際できることとなった。

しかし、彼女の福寿愛美(小松菜奈)には、大きな秘密が隠されていた。
「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」

奇跡の運命で結ばれた二人は、異なった時間の流れの中で翻弄してゆく。


伏見稲荷大社は、原作には出てきませんが、三木孝浩監督のたっての希望で追加撮影された場所になっています。
三木監督は、この場所は「異世界に行くような感覚がこの作品につながる気がする」と言っています。

予告編には、手をつないだ二人が千本鳥居を通るシーンが印象的です。

伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山の峰にはその昔神々が祀られていた

稲荷山からの景色

伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山は、京都盆地の東山の南にある標高233mのなだらかな山で、山頂が一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰と荒神峰の四つの峰からなる山です。

古くは祖霊の山として信仰されており、山頂などには古墳が築かれています。

社域は、稲荷山と神社周辺を合わせて26万坪と広大で、稲荷社が鎮座する一帯は、古くは藤森社の氏子圏でした。

その昔に、一ノ峰に上社、二ノ峰に中社、三ノ峰に下社が祀られていたものを今の本殿に移され祀られており、田中大神は荒神峰にあったとされ、田中大神と四大神は摂社であとに加わりました。

現在、本殿がある場所は山の神々を奉拝する斎場であったところだと言われています。

本殿に祀られるのは宇迦之御魂大神を主祭神とする五柱

【本殿】

http://takaoka.zening.info/

御祭神が山に鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午(はつうま)の日のことで、その日から数えて平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えています。

また、2月初午(はつうま)の日は稲荷大明神が稲荷山の三ヶ峰に初めて鎮座された日で、稲荷大明神の祭日でもあり、稲荷山の杉と椎の枝で作った「青山飾り」をご本殿以下摂末社に飾る「初午大祭」が行われます。

本殿は、国の指定文化財に指定されており、応仁2年(1468)の応仁の乱で兵火により焼失しましたが、明応8年(1499)に再興された。

檜皮茸五間社流造の優雅で美しく、「稲荷造」とも呼ばれています。

本殿には、宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ) を主祭神とし、他に4座の祭神の五柱が祀られており五座の神を稲荷五社大名神と称されます。

  御祭神名    
主祭神 宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ) 下社 中央座
4祭神 佐田彦大神 (さたひこのおおかみ) 中社 北座
4祭神 大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ) 上社 南座
4祭神 田中大神(たなかのおおかみ) 下社摂社 最北座
4祭神 四大神 (しのおおかみ) 中社摂社 最南座

 

イナリ社名の起源を『山城国風土記』の逸分から読み取る

イナリの社名の起源は、『山城国風土記(やましろのくにふどき)』にあったとされています。

逸分にはこう書かれています。

”風土記に曰はく、伊奈利と稱ふは、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししか
ば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊禰奈利(いねなり)生ひき。遂に社の名と為しき。(前半)

其の苗裔(すゑ)に至り、先の過ちを悔いて、社の木を抜(ねこ)じて、家に殖ゑて祷(の)み祭りき。今、其の木を殖ゑて蘇きば福(さきはひ)を得、其の木を殖ゑて枯れば福あらず 。” - 逸文『山城国風土記』

逸分の前半を訳すと、「餅を的にして秦氏族「伊侶具」と言う長者が矢を射たところ、その餅が白鳥になって飛び立ちとどまった峰に稲が実ったので社の名を伊奈利(イナリ)なった」という社名起源の説話になっています。

伊奈利が稲荷になったのは、イナリの化身の老翁が稲を荷って現れたからだとわれている。

稲荷大明神の使いが狐である訳は、東寺の縁起によればその昔に老狐の夫婦が五匹の子供を連れ稲荷山に現れ、「姿はこのようだが霊智をそなえいますので神のもと、世の中のために働きたい」と申し出たことによるものです。

もう一つ、気が常に良い気常(きつね)に由来するともいわれ、伏見稲荷大社は常に気の良い大社なのです。

稲荷山は山全体が御神体!本殿参拝後は御利益満載の山頂参拝へ

<稲荷山全体マップ>

 

http://inari.jp/trip/map01/

 

<伏見稲荷大社周辺マップ>
伏見稲荷大社本殿周辺
本・拝殿だけの参拝では御利益も半減してしまいます!

沢山の御利益をいただくためにも、やはり稲荷山参拝にチャレンジしましょう。

伏見稲荷大社から約2時間で行ける稲荷山の参拝・パワースポットコース

延々と連なる朱色の鳥居をくぐり、約2時間でいける伏見稲荷大社と稲荷山の参拝・パワースポットめぐり。

伏見稲荷大社からJR稲荷駅まで約90分なので、ゆっくり歩いても約2時間程のコースです。

トンネルのような千本鳥居が奥社を経て山上へと連なり、途中に茶屋さんで休憩したり、適所にある祠やお滝場を寄り道をすればより楽しい散策になります。

伏見稲荷大社と稲荷山の参拝・パワースポットおすすめコース(約2時間)

伏見稲荷大社・稲荷山コース

①伏見稲荷大社・・・楼門・外拝殿・内拝殿・本殿・神楽殿
   約3分(0.2km)
②千本鳥居
  2分(0.1km)
③奥社奉拝所・・・おもかる石・熊鷹社・こだまヶ池 
↓  35分(1.6km)
④一ノ峰上社 
↓  10分(0.5km)
⑤薬力社 
↓  40分(2.0km)
⑥JR稲荷駅 

伏見稲荷大社の入口は第二の鳥居と楼門(ろうもん)からスタート

コースの出発は、第二の朱色の鳥居がある楼門からです。
ちなみに、第一の鳥居はJR稲荷駅を出た表参道の入口にあります。

第二の朱色の鳥居と楼門(楼門)

伏見稲荷大社新表参道

楼門は、天正17年(1589年)豊臣秀吉が造営。

神社の楼門としては、最も大きなものです。

楼門の前には、二匹に狐が向かい合い正面「左側の狐は鍵」をくわえ、「右側の狐は宝珠」をくわえています。

外拝殿(げはいでん)

伏見稲荷大社本殿

楼門を通って最初に目にするのが、この外拝殿(げはいでん)。

拝殿の軒先には、釣灯篭がぶら下がり黄道十二宮の星座があしらわれています。

2月の節分の日には「節分祭」が執り行われ、本殿にひきつづき外拝殿で、福男福女及び晴れ着姿の福娘が豆まきの神事を行います。

内拝殿(ないはいでん)

伏見稲荷大社・本殿

内拝殿は、本殿の前にあります。

普段の参拝で、利用される拝殿です。

神楽殿(かぐらでん)

伏見稲荷大社・神楽殿

神楽殿橋掛かりの棟瓦と檜皮茸(ひわだぶき)の屋根は、日本ならではの造りで重鎮さを感じる。

祈祷の訪れた参詣者のために、神楽女(かぐらめ)による神楽の舞が毎日行われている。

4月八日の最寄の日曜日には、稲荷大神に産業の繁栄を祈願する「産業祭」が行われ、神楽殿では胡蝶(こちょう)の衣装をつけた舞人が桜花舞(おうかのまい)を奉納します。

千本鳥居(せんぼんとりい)

 

伏見稲荷大社千本鳥居2又

千本鳥居は、神奈備(かんなび)の稲荷山をめぐる入口。

大きな鳥居を抜けると千本鳥居が見えてきます、ここは二手に分かれています。

稲荷大社の鳥居は朱(あけ)の色が特色となっていますが、この色には生命や大地・生産の力をもって稲荷大明神のみたまの働きだとする信仰があり、崇敬者が祈願と感謝をあらわし奥社参道に鳥居の奉納されたのが千本鳥居の始まりです。

崇敬者の奉納による鳥居は、稲荷山全体では1万本を越えています。

鳥居の裏側には、奉納者の企業や個人名が書かれていますので、どんな企業が奉納されているのか見ていくのも楽しいかも知れません!

 

伏見稲荷の千本鳥居

どちらを通っても同じ場所に着きますが、行きは右側を通る人が多いようです。

伏見稲荷・奥社きつねの絵馬

千本鳥居が終わる出口の前には、きつねさんの絵馬が迎えてくれます。
可愛い絵馬なので思わず、笑みがでます。(絵馬も初穂料は500円)

きつねの絵馬以外にも、鳥居の形の絵馬もあります。

伏見稲荷大社絵馬

 

奥社奉拝所(通称:奥の院)

伏見稲荷大社・奥社奉拝所

千本鳥居を抜けた所に、通称「奥の院」と呼ばれる奥社奉拝所があります。
命婦谷にあるので命婦社とも呼ばれます。

ここから東方向には3つの峰も見え、遥拝する起点となり山上へと上がって行きます。

おもかる石(願い成就のパワースポット)

伏見稲荷おもかる石

奉拝所の右側の後には、丸い石をのせた一対の石灯篭があります。

灯篭の前で願い事を念じて、石灯篭の空輸(頭)を持ち上げて見たとき、軽いと思えば願いは成就され、重いと感じられれば残念ながらその願いは叶いません。

成就可否の試し石となっているこの場所を「おもかる石」と呼ばれ、参拝者には人気のパワースポットなっています。

熊鷹社

 

熊鷹社まで来るとまるで別次元の世界に迷い込んだ感覚になります。

稲穂を用いる注連縄には、命の糧となる人が生きる豊かなエネルギーを感じ、少し怖さも感じる灯明の火には人々が願いをかけ祈る心の炎を感じる。

新池(こだまヶ池)

http://kyoto-albumwalking.cocolog-nifty.com/blog/cat1662738/

熊能社のそばには、通称「谺ヶ池(こだまがいけ)」・新池があります。

池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に行方不明の手がかりがあるという言い伝えがあり、そのため拝所が池に面している。

鮮やかな朱の色に対して、こだまヶ池の深い緑色は幽逢なおもむきさえ感じる。

一ノ峰(上之社神蹟)

http://youpv.exblog.jp/

一ノ峰は、稲荷山の山頂で標高約233mの高さにあります。

赤い幕には、末広大神と書かれており、崇敬者が親しんで呼ぶ呼称です。

薬力社(やくりきしゃ)

http://yusyosai.pro.tok2.com/

薬力大社の神は、名前の通り薬力大神で、薬効や健康長寿・無病息災の神です。

狐は伏見稲荷大社の中でも多数存在しますが、薬力大社の狐は親子きつねの一対で大変珍しく、安産成就として崇められています。

又、境内にある手押し式の井戸の水で薬を飲むと一段と薬効があるといわれます。
この水で湯がいた「健康たまご」が参拝者に人気となっています。

伏見稲荷大社参道口から稲荷山へ~この動画で参拝気分に!

伏見稲荷大社に来たらこのグルメは食べておきたい!

伏見稲荷大社に来たら、是非食べておきたいのが参道にある日野家のすずめ焼きといなり寿司・きつねうどん。

日野家は、大正五年創業の90年以上続く老舗で、創業当初のたたずまいが残っている食事処です。

伏見稲荷・参道日野家すずめ焼

「すすめ焼き」は、五穀豊穣のシンボルである稲(米)をすずめが食い荒らすたので懲らしめのため、焼き鳥にして食べるようになったとか。
小骨と若干苦味があります。(すずめ1串700円)

http://inainakazusaninaka.blog.fc2.com/blog-category-27.html

日野家の「いなり寿司うどんセット」(930円)

いなりは、きつねの大好物!揚げ豆腐を食べて御利益を得ようと始まったらしい。
おいなりさんの油揚げは、きつねの耳をまねた三角形が伏見流です。

「伏見稲荷大社」まとめ

伏見稲荷大社は、稲荷山を含め26万坪の広大な敷地の中に、京都らしい社殿に一万本以上の朱の鳥居は圧巻で、美しさと神秘性が同居しているパワースポットです。

 

上へ上へと朱色の鳥居をくぐって行けば、朱(あけ)の色のパワーなのか心が高ぶり、全身にエネルギーが充満したかのような気になります。

所どこにある社では、色んな御神徳がいただけ、一ノ峰の山頂に近くなるにつれ稲荷山全体のパワーを感じることが出来ます。

この神秘的な魅力は、日本人ならずとも外国人が訪れたい観光スポットナンバー1にあるのがうなずけます。

 

昼間は、ハイキング気分で御神徳をいただきに稲荷山を周遊し、夜はスリルと神秘的な世界を巡るスポットとして、伏見稲荷大社は御利益以外でも魅力満載の神社です。

「伏見稲荷大社」の詳細情報

【伏見稲荷大社】

〒612-0882 京都市伏見区深草薮之内町68番地
TEL(075)641-7331
FAX(075)642-2153
伏見稲荷大社公式ホームページ:http://inari.jp/

参拝時間:24時間(特に開閉の門はありません)
参拝料:無料
ご祈祷時間:8:30~16:30まで随時(受付は16時頃まで)
※年中無休ですが、正月や祭典時は変更あり。
主な願意:商売繁盛・家内安全・交通安全・安産・厄除・病気平癒・入試合格など

御守り授与:授与時間は、ご祈祷時間内と同じ。
※ご祈祷と御守りは郵送での受付ができます。

<アクセス>
≪マイカー≫
名神高速「京都南インター」から約20分
阪神高速8号京都線「鴨川東インター」から約15分
阪神高速 上鳥羽出口より約10分

境内には200台の無料駐車場があります。
※日・祭日・お正月・祭典の日には駐車場が満車になりますので注意が必要です!

【伏見稲荷大社の無料駐車場(境内約200台)】

http://inari.jp/

≪電車≫
JR奈良線 「稲荷駅下車」 表参道は目の前(京都駅から2駅目)
京阪本線 「伏見稲荷駅」下車徒歩5分

≪市バス≫
京都市営バス 南5系統「稲荷大社前」下車 徒歩7分

<伏見稲荷大社マップ>

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