健康運|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 生まれてから、行動することでおこりえる後天運をより良いものにするため開運(金運・愛情運・仕事運・健康運・人気運) に関する情報をお届けします。 Sun, 03 Mar 2024 02:40:27 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 https://kaiun.website/wp-content/uploads/2015/10/cropped-torii2-32x32.jpg 健康運|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 32 32 電磁波からの解放!分杭峠のゼロ磁場で心と身体を浄化 https://kaiun.website/archives/4851 Fri, 19 May 2023 13:34:52 +0000 https://kaiun.website/?p=4851

分杭峠について聞いたことがありますか?

日本三大パワースポットの一つで、長野県伊那市と下伊那郡大鹿村との境界に位置する標高1,424 mの峠で、ゼロ磁場と認定されている場所です。

ゼロ磁場にいると心身を浄化し、ネガティブ気持ちがポジティブな思考に変わり、前向きで明るい気持ちになるようです。

しかし、ゼロ磁場とは一体何を意味するのでしょうか? ゼロ磁場とその利点、そして心身の浄化ために分杭峠巡りがどのように役立つのかをご紹介します。

ゼロ磁場で心身を浄化できる分杭峠の世界

分杭峠巡りは、外の世界から切り離され、自分の内なる自分と再びつながることを可能にするユニークな体験です。

では、分杭峠とは何でしょうか?

心身のバランスを崩す電磁波のないゼロ磁場を体験できる場所です。
この峠は都会の喧騒から離れた山中にあります。

分杭峠巡りは単なる逃避ではなく、さまざまな面で有益な浄化体験です。

ゼロ磁場はストレスや不安を軽減し、心と体を浄化するのに役立ちます。
また、睡眠の質を改善し、免疫システムを高め、全体的な健康状態を向上させることもできます。

ゼロ磁場のメリットは健康だけではありません。
また、集中力、創造性、生産性も向上します。

特典がたくさんある分杭峠は、ぜひ試してみる価値があります。

ただし、分杭峠は気の弱い人向けではないことに注意してください。

メリットを最大限に享受するには、精神的および肉体的な準備が必要です。

自分自身に挑戦し、快適ゾーンから抜け出す準備はできていますか?
それなら、分杭峠巡りがまさにあなたに必要なものかもしれません。

ゼロ磁場を理解する

磁場とは何ですか? 磁場は、磁石と電流の周囲に存在する目に見えない力です。
電力線から家庭用電化製品に至るまで、あらゆるものに使用されています。

有害ではないと思われるかもしれませんが、強力な磁場に長期間さらされると、私たちの健康な体に危険を及ぼす可能性があります。

磁場にさらされる危険には、睡眠パターンの乱れ、頭痛、さらには癌が含まれます。
磁場からさらされる量を制限すると、私たちの健康と幸福にプラスの効果が得られます。

ここでゼロ磁場が活躍します。 ゼロ磁場とは、磁力が全くない場所を指します。
ゼロ磁場にさらされると私たちの心と体が浄化され、健康と幸福の向上につながると考えられています。

分杭峠に関する事実

分杭峠巡りは、磁力がまったく存在しない特別に設計された空間です。
分桂峠を訪れる人は、外部からの干渉を受けることなく、ゼロ磁場の恩恵を享受できます。

しかし、それだけではありません。分桂峠は風水の原則も念頭に置いて設計されています。
これにより、ポジティブなエネルギーを促進し、体の自然なエネルギーの流れのバランスを整える調和のとれた環境が生まれます。

次のセクションでは、分杭峠巡りの体験中に何を期待するか、そして最大限のメリットを享受する方法について説明します。

浄化体験

分杭峠巡り体験の準備

分杭峠巡りの旅に出発する前に、いくつかの準備を行うことが不可欠です。

清潔な植物ベースの食事をとり、アルコールや薬物を避けて、体を解毒する必要があります。

体験中に有意義につながることができるよう、スピリチュアルな焦点を確立することも検討していただければ幸いです。
また、精神的および感情的に準備するのに役立つため、何が起こるかをよりよく理解するためにいくつかの調査を行う必要があります。

分杭峠巡り体験中に期待できること

分杭峠巡りの体験は、ゼロ磁場への曝露を伴うため、他の浄化や癒しの体験とは異なり、ユニークです。

氣場と呼ばれる谷間には木製ベンチが有り、ここでゆっくりくつろいで心の癒しとなる人気のパワースポットです。

快適になったら、自己発見の瞑想的な旅を始めることができます。
そこでは、深いリラクゼーションと内省を達成して心と体を浄化します。

気を散らすものは何もありません。 耳をつんざくような静寂があり、外部からの妨害はありません。

あなたは自由に瞑想したり、外部の会話を遮断したりすることができます。

このプロセスは激しいもので、疲労と消耗を感じる可能性がありますが、十分な休息をとれば、若返り、精神的により明晰になり、感情的にバランスが取れた状態になるでしょう。

最大限のメリットを得る方法

分杭峠巡り体験は旅であり、最大限のメリットを得るには全力で取り組む必要があります。

通気性があり、十分に軽く、動きやすい服を着て、できるだけ快適に過ごせるようにしてください。
より没入型で魅力的な体験を刺激するために、好みの瞑想音楽を持ち歩くこともできます。

経験を尊重し、分杭峠への旅を開始する前に意図を設定することが重要です。
瞑想中に、あなたをこの時点に導いた経験について考えさせてみると助けになるでしょう。

プロセスを通じて対処したい領域、問題点、問題を特定できます。

全体として、分杭峠巡りの体験は、浄化されてリフレッシュされた気分になり、
ネガティブなエネルギーが頭から取り除かれることを約束します。

入念な準備、霊的につながる意欲、そして経験に対するオープンさを通して、あなたは最大限の恩恵を受け、若返って現れるでしょう。

分杭峠巡りのメリット

最近ストレスや不安を感じていませんか?

日常生活の喧騒から離れて休憩が必要ですか?

分杭峠に来れば、もう心配する必要はありません。

ここにあるゼロ磁場は、あなたの心、体、魂に驚異的な効果をもたらします。

身体的な利点

分杭峠巡りの物理的な利点は無視できません。

ゼロ磁場は血液循環を促進し、血圧を下げ、呼吸機能を改善することがわかっています。

磁気干渉がないことは、体が毒素を排出し、体全体の健康を促進するのにも役立ちます。
さらに、分桂山脈の亜熱帯気候が爽快な身体体験をさらに高めます。

ここで過ごす時間は、体を若返らせ、活力を向上させます。

精神的および感情的な利点

分杭峠巡りは身体的な健康のためだけではなく、精神的、感情的な利点も同様に注目に値します。
磁場の干渉がゼロになると、脳は完全に減圧されます。
このリラックスは緊張や不安を軽減し、睡眠の質を改善し、全体的な幸福感を高めるのに役立ちます。
分杭峠の心地よい環境は、訪問者にストレスを解放し、日常生活の要求から離れて休憩することを可能にします。

霊的な恩恵

精神的な啓発を求める人にとって、分杭峠は最適な目的地です。
ゼロ磁場は、穏やかで瞑想的な状態を達成するのに役立ち、自己発見とスピリチュアルな意識の向上につながります。

伊那山脈の静かな環境は、人生について熟考し、自分の優先事項を再評価するのに最適な休息を提供します。

分杭峠巡りのスピリチュアルな恩恵は貴重であり、自分自身の中でより深いつながりを求める人は誰でも経験する必要があります。

結論として、分杭峠は、日常から離れて自然の中で心と体を浄化したいと考えているすべての人に何かを提供するものです。

活力の増加、血圧の低下、呼吸機能の改善、毒素の排出といった身体的な利点と、緊張や不安の軽減、睡眠の改善といった精神的および感情的な利点を組み合わせたすべてが、訪問を検討する理由です。

より穏やかで瞑想的な状態と心の平安による精神的な恩恵が、この目的地をさらに魅力的なものにしています。

今すぐ旅行を計画して、分杭峠巡りの若返り効果を体験してください。

分杭峠に関する科学的研究

科学者や研究者は、分杭峠とそれが人体と精神に及ぼす影響について数多くの研究を行ってきました。

日本の放射線医学総合研究所が実施したある研究では、分杭峠への曝露ががん治療中の患者のストレスレベルの軽減に役立つことが判明した。

Journal of Alternative and Complementary Medicineに掲載された別の研究では、分杭峠巡りが不眠症に悩む被験者の睡眠の質を改善するのに役立つことがわかりました。

Journal of Sports Science and Medicineに掲載された研究では、分杭峠巡りを利用したアスリートは、激しい運動後の筋肉痛や炎症が大幅に軽減されたことがわかりました。
この研究では、分杭峠が身体パフォーマンスを向上させ、回復時間を短縮するのに役立つこともわかりました。

分杭峠の実体験

世界中の多くの人々が分杭峠巡りの恩恵を直接体験しています。
彼らの物語と経験は、このユニークな浄化方法の力の証です。

長年慢性的な痛みに苦しんでいたある女性は、分杭峠をたった 1 回訪れただけで症状が楽になった。
彼女はその経験を「人生が変わった」と表現し、痛みを管理するために分杭峠巡りを続けています。

別の人は、分桂峠が精神的な明晰さと集中力を高め、仕事や日常業務に集中しやすくなったと発見しました。

人々はまた、分杭峠を使用した後、穏やかで平和な感覚を感じたと報告しています。
セッション後はリラックスしてストレスが軽減され、より安心して日常生活に取り組めるようになるのが一般的です。

分杭峠は心と体を浄化するための型破りなアプローチのように思えるかもしれませんが、科学的研究と実生活の経験がそれを物語っています。

世界中でより多くの人々が分杭峠巡りの利点を発見するにつれて、このユニークな浄化方法が多くの効果をもたらすことは明らかです。

まとめ

分杭峠巡りはあなたにぴったりですか? まあ、それは状況によります。

人生のプレッシャーに行き詰まり、内と外の両方で平安を見つけることができずにいますか?

慢性的な身体の痛みや精神的な疲労に苦しんでいますか?

あなたは道に迷い、周囲の世界から切り離されていると感じていますか?

これらの質問のいずれかに「はい」と答えた場合は、分杭峠巡りがまさに必要なものである可能性があります。

分杭峠巡りは単なる健康の流行ではなく、心、体、魂を浄化するのに役立つ総合的な体験です。
ここは、ゼロ磁場の利点を体験し、バッテリーを充電し、リフレッシュして世界に挑戦する準備ができていると感じられる場所です。

しかし、私たちの言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけません。

数え切れないほどの人が、分杭峠を体験した後、よりリラックスし、活力が湧き、集中力が増したと感じたと報告しています。

循環の改善、炎症の軽減、免疫システム機能の強化などの身体的な利点から、不安の軽減、睡眠の質の向上、回復力の向上などの精神的および感情的な利点まで、分杭峠は誰にとっても何かを提供します。

ぜひ分杭峠巡りを試してみてはいかがでしょうか? 後悔しないことを保証します。

肉体的な癒し、精神的な明晰さ、精神的な成長を求めている場合でも、分杭峠巡りはあらゆる段階であなたをサポートします。

結局のところ、孤立感や充実感を感じながら過ごすには人生は短すぎます。

今日は分杭峠で心と体を浄化し、ゼロ磁場のパワーを体験してみませんか?

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【不動院岩屋堂】心惹かれる投入堂!本尊の不動明王のご利益は強力 https://kaiun.website/archives/3908 Fri, 29 Jun 2018 23:55:29 +0000 http://kaiun.website/?p=3908 不動院岩屋堂(ふどういんいわやどう)は、鳥取県八頭郡若桜町の岩屋堂地内にある舞台造りの建造物で、遠くからでも杉の大木の間から見ることができます。

崖に掘られた大きな穴にスッポリとお堂が入り、奇妙な光景でもあるが霊験あらたかな感じが伺える。

「不動院岩屋堂」は、同じ鳥取県の東伯郡三朝町にある「三徳山三仏寺の投入堂」や大分県宇佐市の「龍岩寺奥院礼堂」と共に「日本三大投入堂」の一つで、強力なご利益のあるパワースポットでもあります。

鳥取県には、「日本三大投入堂」の二つを有し、実際に見れば幽玄で重々しさがあり立派な建物であることがわかります。
この二つの投入堂、これだけでも鳥取を訪れる価値があるのではないかと思います。

不思議!不動院岩屋堂には寺院が無かったのか?

天地逆転の「三徳山の投入堂」には、三徳山を境内とする「三仏寺」がありますが、不動院岩屋堂には本寺がありません?

三徳山「投入堂」天地逆転のパワースポット!アクセスと登山方法 「三徳山投入堂(みとくさんなげいれどう)」は、高濃度のラドンを含む世界屈指のラジウム温泉で有名な三朝温泉を持つ、鳥取県三朝町の「三徳...

それは、何故なんでしょうか?

実は、中世以前、岩屋堂にも本寺が有りました。

「妙見山神光寺(みょうけんさんしんこうじ)」と言い、150石の寺領を有する大伽藍(がらん)でしたが、天正年間(1573年~)1592年)に豊臣秀吉の時代に火にかかって焼失したため、このお堂だけが残ったと云われています。

尚、「不動院岩屋堂」は、1953年(昭和28年)11月14日に国の重要文化財の指定されている貴重なものです。

不動院岩屋堂の建築構造と大きさはどれくらい!

下から見てる限りでは分かりずらいのですが、巌窟(がんくつ)内は高さ約13メート・間口約7メート・奥行約10メートルもあります。

建物の高さは約10メートル・桁行3間(5.0メートル)・梁間3間(5.0メートル)の一重の寺院建築で、一本のクサマキの木で天然の巌窟(がんくつ)内におさまるように建立されています。

 

前面側は入母屋造(いりもやづくり)、背面側は切妻造で、屋根を木材の板で葺く栩葺(とちぶき)が用いられています。

中国および日本建築における代表的な屋根形式。

崖の斜面にへばりつくように建てる懸造(かけづくり)で、建物を長い柱と貫で固定しており、舞台造(ぶたいづくり)の建物には、花燈窓や正面および東側の廻縁に擬宝珠高欄(欄干)を備えられています。

床下を支える建築方式で、「崖造(がけづくり)」ともいい、傾斜地や段状・山や崖にもたせかけ建てることで、代表的なものに清水寺の舞台があります。

神社橋と参道は一直線!近い岩屋堂はすぐ目の前

「岩屋堂神社橋」から続く参道は、「不動院岩屋堂」まで一直線で橋の先端からでも拝見することができます。

 

この赤い橋が、岩屋堂神社橋です。

 

岩屋堂側から見ても、参道から橋まで真っすぐに伸びていることがわかります。

 

岩屋堂へ上る階段も真っすぐに続く。

本尊の不動明王は日本三大不動明王の一つ!

本尊は、大同元年(806年)に飛騨の匠により建立され、源頼朝により再興したしたのが今の本尊です。

本寺である「妙見山神光寺」は、天正年間(1573年~1592年)に、豊臣秀吉が来攻の時に火にかかって焼失したが、本尊が災いを避ける神様であったために、お堂は焼け残ったと言われています。

本尊に祀られる不動明王は、弘法大師「空海」が三十三歳のときに彫られた黒皮不動明王座像で、東京にある目黒不動目赤不動とともに「日本三大不動明王」と言われています。

※上記画像は、不動明王像ですが「不動院岩屋堂」の不動明王ではありません。

不動明王は、他の仏さまと違っていかつい顔をしています!何故?

優しい顔では、いうことをきかない者を怖い顔で威圧し、悪を絶ち仏道に導いて救済する役目をもっています。

しかし、実は慈悲深く、煩悩を断ち切って苦悩や迷いの世界から導いてくれる優しい仏様です。

年に二回だけの護摩法要!不動明王像公開

五穀豊穣や無病息災などを願い、毎年3月28日・7月28日の年2回「護摩法要」が行われます。

この時だけ、普段閉鎖されている本堂が開かれ不動明王像が公開されます。

不動明のご利益をあやかりた人は、年二回がチャンスです!

【不動明王のご利益】

不動明王は「厄難除災の仏様」で強力なご利益をもたらします。
魔を取り除き災難から身を守ってくれ、迷いを断ち切る力や勇気を与えてくれるます。

立身出世や商売繁盛・勝負必勝・厄払い・成就などのご利益があります。

人は、生きていればいろんな悩みや迷いに遭遇しますが、そんな時、不動明王に参れば乗り越える勇気と力を与えてくださる仏様です。

不動明王は「酉年生まれを守ってくれる守り本尊」でもあるので、酉年に生まれた人は特に心願成就・開運・厄除けなどのご利益をいただきやすくっています。

注目度が薄い?岩屋神社!

岩屋堂の階段下右側に、実は神社があります。

「岩屋神社」で、注目度が薄いので比較的スルーされがちです。
門である鳥居は、石製の明神鳥居のようです。

 

由緒や誰が祀られているのか不明なため、注目度がないのだと思いますが、しかし狛犬が両サイドから拝殿を守り様式は神社の体をなしています。

本殿の様式は、切妻造りに勾配をつけた春日造りの形式ようです。

 

この神社の見どころは、何といっても岩屋堂と同じように、背後が迫る岩窟内に納まっている珍しい神社であるということです。

神社を作るために岩を掘ったのか、掘られたいた所に建てたのか興味深いが謎です。

山の自然神が祀られている?のではと思うのですが、詳しい説明看板などがあれば、もっと注目されてもおかしくない神社だと思います。

不動院岩屋堂のアクセスと駐車場

不動院岩屋堂は、鳥取市内から国道29号線(若桜街道)経由で、車だと約50分程です。

若桜鉄道から、バスの乗り継ぎで行くこともできますが、汽車の本数が2時間に一本程度ですので、マイカーか鳥取市内でレンタカーを借りて行くのが無難です。

鳥取方面からは、国道29号線から池田郵便局手前を右に曲がり、約150m程進めば岩屋堂神社橋が見えてきます。

しかし、ここには駐車場がありませんの注意です。

 

岩屋堂神社橋手前に、駐車場の案内板があります。
ここから、約100m先右手側が不動院岩屋堂の駐車場となります。

 

不動院岩屋堂の駐車場。

不動院岩屋堂まとめ

参拝には、非常にデンジャラスな三徳山の投入堂に比べ、簡単に拝める投入堂としては誰でもが行けるパワースポットで、比較的人も少ないので穴場スポットでもあります。

都会近くであれば、休日は、人で溢れるほど多くの人が訪れる場所ではないかと思います。

「不動院岩屋堂」は、壮巌でかつ魅力的な一面のあるお堂で、その姿に心惹かれます。
一度拝見してみてはいかがでしょうか!

不動院岩屋堂の詳細情報

【不動院岩屋堂】
所在地  〒680-0731
鳥取県八頭郡若桜町岩屋堂
TEL 0858-82-2213(若桜町教育委員会)
TEL 0858-82-2237(若桜町観光協会)
公式ホームページ⇒こちら
参拝時間 ●境内は24時間いつでも。
●境内を見るだけなら無料。
●地元のガイド案内:1週間前までに電話予約(お堂見学)
1名~5名は1700円・6名以上は人数×350円
●不動明王は3/28・7/28の大祭の時にのみ公開
アクセス 電車鳥取駅JR因美線~若桜鉄道・群家(乗り換え)~若桜駅終点
  (約50分)~バス15分
   鳥取駅若桜線~若桜駅(約60分)~バス15分
マイカー鳥取市内から約50分
駐車場不動院岩屋堂の駐車料金は無料(約10台)    
お宿情報 >>不動院岩屋堂の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 鳥取砂丘・白兎神社・鳥取城跡・魔尼寺・さじアストロパーク・わかさ氷ノ山
雨滝・砂の美術館・とっとり賀露かにっこ館・浦富海岸(山陰海岸ジオパーク)若桜神社・竹田城跡

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【大神山神社奥宮】登山道からの参拝は絶景とパワースポットの連続 https://kaiun.website/archives/3353 Mon, 11 Dec 2017 09:42:32 +0000 http://kaiun.website/?p=3353

大神山神社は、鳥取県には二つあり一つは大山山麓の米子市にある本社と標高約900mの大山山腹の深いブナや杉の大木が生茂る原生林の中に鎮座する荘厳な奥宮があります。

奥宮を正式には「大神山神社奥宮(おおかみやまじんじゃおくみや)」といいます。

神仏おわします霊峰大山を御神体とする「大神山神社奥宮」は、山からの巨大なパワーと信仰者の念力が集結した神社であるため強力な浄化力と重みのある空気感、そして参道を歩くだけでもパワーが感じられます。

運気を上げ大きな願い事が叶うパワースポットして、中・四国から多くの人が訪れる人気の神社です。

その、伯耆大山「大神山神社奥宮」の参拝を紅葉の時期に下の参道からでなく、大山登山道から登って下るルートで行って見ましたのでご紹介します。

大山寺の支院の一つ圓流院からスタート!

▲圓流院へ向かう入口

大山環状道路沿いのこの道が圓流院への入口につながりますが、少し大山寺側へ行った夏山大山登山口からでも行けます。

もう少し行った階段脇には、「弁慶地蔵」が立っています。武蔵坊弁慶が、愛馬を繋いだ場所が今の弁慶地蔵付近であったためこの名がついたといわれてます。

 

▲圓流院と霊木・昇龍杉

霊峰大山の気を感じることができる霊木

圓流院の入口には、妖怪天井画と並び圓流院のパワースポットとして有名なのが、「霊木の昇龍杉」です。

樹齢約400年で直径が2m程あろうかと思われる杉の大木で、この木が有名になったのは樹皮の剥がれた跡が天に昇る龍に似ていることが評判になって、大山寺の住職が「霊木の昇龍杉」と名づけられたそうです。

「この木の幹に触れれば大山の気が感じられる」霊木ですので、手で触れて霊峰大山の壮大な気をいただきましょう。

 

▲圓流院の入口付近

 

▲圓流院入口

生まれ変わった200年以上の歴史を持つ圓流院

江戸後期の圓流院(円流院)は、大山寺西明院谷派に属し知行高三十石で嗒然(とうねん)が住職でした。
嗒然は、十一歳の時に大山寺西明院谷の観解院に入り、翌年二月には仏門に入り台貫(だいかん)と称した。

仏学や詩文書画に優れていた嗒然は、その一端として五十一歳の時に大山の由来・伝承・行事など十四話を収めた「大山雑記」を記しています。

天台宗に属し、ご本尊は地蔵菩薩

200年以上の歴史を持つ円流院は、大山寺支院の10ヶ院の一つとして明治の廃仏毀釈を乗り越えて残されましたが、建物の老朽化により2009年8月4日の「落慶法要」後、新しい圓流院として生まれ変わりました。

 

▲妖怪天井画

妖怪との融合「妖怪天井画」

その代表的なものが、妖怪との融合です。
ゲゲゲの鬼太郎の作者で、鳥取県境港出身の漫画家水木しげるさん作の108枚の妖怪が天井に画かれた「妖怪天井画」です。

何故、お寺に妖怪?と疑問視される方もいるかも知れませんが、実は圓流院(円流院)の住職であった嗒然は絵師としても優れた才能を持っていたこと、また、大山が神仏のいる山であり偉大な気の力が宿っている山であるため、この三つを融合させることで大山観光の目玉の一つとしています。

上写真の上から二段目中央には、水木しげるさんが圓流院のためだけに画いた「カラス天狗」が飾られています。

ただ、2018年から7年間続いた一般拝観は中止となるようです。
大山の観光スポットと定着していただけに拝観出来なくなるのは残念です!

 

▲宿坊・洞明院

洞明院入口の門に時代が伺える彫刻が施されている

現在、宿坊となっている「洞明院(どうみょういん)」は、江戸時代中期「禅澄」により開かれた大山寺の支院の一つで西明院谷寺院群に属します。

大山寺は、南光院・中門院・西明院の3つの院から構成されており、3院谷と42の諸院あったようです。

時代が伺える入り口の門は、猿や花の彫刻が画かれた江戸期の1600年ごろのものであると伝えられています。

 

▲登山・下山届ポスト

大山の所々にある登山・下山ポスト

大山登山道の最初にあるのが、赤い登山・下山届ポスト。

登山中、万が一遭難された場合に救助活動をスムーズにするためのものです。
登山の初めと下山に提出しておけば安全ですね。

 

大山登山道から行者谷コースを経て大神山神社奥宮参拝(マップ)

▲大山登山口~大神山神社奥宮の行程マップ

1から16の赤丸は名所や絶景・パワースポットとなっています。
記事の見出しに記載していますので、チェックしてみて下さい!

 

大山登山道に入り大神山神社奥宮へ約3時間

▲大山登山道最初の階段

この石階段から大山登山道の頂上へと続きます。

 

阿弥陀堂や利生水・風穴などの歴史探訪ルートの分かれ道!

▲利生水・風穴・阿弥陀堂案内板

最初の階段を100m程の登ると利生水・風穴・阿弥陀堂案内板があります。
この看板を左に行けば、歴史探訪ルートで利寿現跡や利生水・風穴などの史跡が見られます。

また、右側に行けば阿弥陀堂を拝むことができます。

 

▲立正地蔵

登山の行き帰りに拝んでおきたい「立正地蔵」

上記案内板の向かいには、「立正地蔵(りっしょうじぞう)」が立っています。
この、「立正地蔵」は遭遇者の慰霊のために建てられたお地蔵様です。

 

▲三宝荒神神社跡と鳥居

かまど神「三宝荒神」

仏教では、「仏」「法」「僧」を三宝と言い、その三宝を守る神が「三宝荒神」様です。
不浄や災難を除去してくれる仏様で、日本仏教で独自に発展した尊像です。

 

▲三宝荒神神社跡の礎石

「荒神」は、怒りの表情をしており、火を好むといわれ「かまどの神」としても祀られています。

 

▲阿弥陀堂説明板

「三宝荒神跡」の右横。

 

▲殿様殿

殿様の供養等「殿様殿」

阿弥陀堂の北側にあるのが「殿様殿」です。

高さ1.5m程の石垣に囲まれた、台地に立つ三基の石塔を「殿様殿」と呼ばれます。

右側の石塔は、鳥取藩主池田光仲の叔父で播磨宍栗郡山崎六万石の藩主・松平石見守(池田輝澄)のもので、中央はその奥方のもので二基とも供養塔です。

左側は、万霊塔。

 

大山に存在する最も古い建物「阿弥陀堂」金色が美しい阿弥陀如来像

▲大山寺阿弥陀堂

あいにく今回は、改修工事のため見ることが出来ませんでした。

92年ぶりの大規模修理を終えた大山寺・阿弥陀堂

H30年11月に、大山の紅葉巡りで立ち寄った時には、92年ぶりの屋根の全面ふき替えや建物の縁回りなど大規模修理はほぼ終えていました。

大山寺に現存する最古の建物だけに、歴史と風格がただよう素晴らしい建築物です。

阿弥陀堂紹介記事⇒「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット

2ページ目⇒
大山登山道を登り五合目過ぎの行者谷コースへ

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「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット https://kaiun.website/archives/3194 Tue, 14 Nov 2017 06:27:15 +0000 http://kaiun.website/?p=3194 大山寺(だいせんじ)は、大山(だいせん:標高1729m)の鳥取県西伯郡大山町にあるお寺で、古くから山岳信仰の修験道場として知られており、正式名称は天台宗別格本山 角磐山 大山寺(かくばんざん だいせんじ)」です。

家内安全・厄払い・水子供養・所願成就御などのご利益と共に先祖の霊は大山に集まると信じられてきたため、御先祖様に会える寺として中国地方一帯から多くの人々が訪れています。

また、大山寺のある大山は、2018年、開山1300年となる中国地方最高峰の山で、別名:「伯耆富士」と言われ西側の伯耆町からみる姿はまさに富士山そのものです。

また、南北東西から見る大山は、形が大きく異なるのも特徴の一つです。

昭和11年に、日本で3番目の国立公園に指定され、後に蒜山・隠岐の島・島根半島・三瓶山が加わり「大山隠岐国立公園」となり、NHKの日本名峰ランキングでは、富士山・槍ヶ岳に継ぐ第3位に選ばれています。

ブナ森や大地や水など広大な自然に囲まれた大山は、古来から神の山、神仏の住む霊山として祀られており今もなお篤い信仰が続いています。

その大山信仰の中心がで大山寺あり大神山神社奥宮で、大山から流れ出る巨大な気が集まり、静けさの中に浄化された空気が漂い心身共に清うパワースポットです。

大山寺橋!白い河原・森の緑・空の青の対比が美しい絶景スポット

▲大山寺橋からの風景

南光河原駐車場の横にある大山寺橋(下ワタリ)は、大山北壁を遠くに望み佐陀川の白い河原と森の緑・空の青が絶妙なコントラストを描く絶景スポットです。

 

実際に見る風景は、写真で見るより遥かに雄大で美しく自然を満喫できます。

大山寺や大神山神社奥宮の参拝や大山登山。ハイキングなどで訪れた人の心を鷲掴(わしずか)みにすること間違いなしです。

 

「サンセットカフェ」オープンテラスから見る夕景の美しさは特別!

▲大山寺参道・御幸参道本通り入口

 

KOMORENITO

ここは大山寺参道の入口にあるこ「KOMOREBITO(こもれびと)」で、一階は大山町観光案内所となっており大山寺への出発地点となっています。

2階には、2017年にオープンのオープンテラスのある「サンセットカフェ」があり、食事やお茶を飲みながら大山の景色が一望できます。

 

何より、西向きのオープンテラスなので、日の落ちる夕方の夕景は特別で「サンセットカフェ」名もここから用いたようです。

 

大山寺参道脇には見所や体験場所が満載!

▲御幸参道本通り

ここから御幸参道本通りとなり、大山寺まで石畳と石段の少々急な坂を5~600m程登ります。

大山そばが人気の「そば処・土佐屋」

途中には、数多くの旅館や食事処・カフェなどが立ち並んでいます。

上の写真の「そば処・土佐屋」さんは、参道のすぐ入口を入った左手にあり、大山産の蕎麦粉を使った「大山そば(600円)」が人気のメニューで、寒い時には身体を温かくしてくれる格別の一杯です。

【そば処・土佐屋】
●営業時間:10:00〜18:00(年中無休)
●住所:鳥取県西伯郡大山町大山43
●電話:0859-52-2126

 

手軽に温泉が味わえる「豪円湯院」

「そば処・土佐屋」さんから、参道を少し上がると左手に見えてくるのが大山初の日帰り温泉施設の「豪円湯院」です。

入浴料は、大人380円(中学生以上)・小人(小学生)300円・幼児は無料とお値段は安く、バスタオルなどもレンタルになっていますので、何も持っていなくても入浴できます。

また、食事処やお土産屋さんも併設されていて、ひと休憩にはもってこいの場所です。

 

ここ「豪円湯院」の建物の横に「餓讖地蔵(がしんじぞう)」が建っています。

天保8年前後に、大飢餓で多くの人々が亡くなったため、将来二度とこのような災難が起きないように、祈りと弔いを込めて天保12年に建立されたものです。

【豪円湯院】<年中無休>
●営業時間:月~木11:00~20:00(最終受付19:30)
金~日・祝日11:00~21:00(最終受付20:30)
●住所:鳥取県大仙町大山25番地
●電話:0859-48-6801

 

利用料無料の疲れた足が癒せる「大山火の神岳温泉足湯」

「豪円湯院」の向かい側には、平成23年9月28日に開設された天然温泉の足湯「大山火の神岳温泉足湯」があります。

利用料は無料で、歩き疲れた足を癒せる人気のスポットとなっています。

利用期間 4月~11月(冬季閉鎖
利用時間 9時~18時
利用料 無料

 

どんな願いでも叶えてくれる「弘化の大地蔵」

▲弘化の大地蔵

大山は地蔵信仰の地でもあるため、大山寺参道にはいたるところにお地蔵様を目にします。
こちらのお地蔵様は、「弘化の大地蔵」と呼ばれていて高さ2.4mの南無地蔵大菩薩が彫られ、大山寺内に存在する三体の「立像石仏地蔵」の1つで、どんな願いでも叶えてくれるそうです。

大山には、この他にも多くのお地蔵様があり、お地蔵様を巡る7.2kmの「大山寺三十三カ所地蔵めぐり」コースも設定されています。

三十三のお地蔵様を巡ってお願いすれば、色んなご利益がいただけそうです。

足腰に自身がない方は参拝者駐車場が便利!

▲大山寺近くの参道にある参拝者駐車場

10台から15台程の駐車スペースですが、大山寺や大神山神社奥宮の参拝のみであれば一番近い駐車場で山門・鳥居までは100~150m程、トイレも完備され、何より足腰の弱い方には便利です(無料)。

大山の魅力を込めた詩が刻まれている「織田収詩碑」

▲織田収詩碑

織田収氏は、日本の政治家・実業家で山陰のジャーナリストです。
明治30年(1897年)に鳥取県米子市に生まれ、昭和63年(1988年)に91歳で死去されるまで、新聞記者や鳥取県県会議員・ラジオ山陰社長などを歴任し、ジャーナリストとして政治・経済・文化・スポーツなど幅広く活動をしました。

大山をこよなく愛した、織田収氏の詩が刻まれた「織田収詩碑」がここにあります。
「山のエスプリは山頂にあつまる 神はここにくだり 人はここにのぼる」と詠われています。

訳せばこんな感じでしょうか!
「大山の魂は山の頂上に集まって、天の神様はここに降り、人々は下界からそれを目指して登って行く」

大山の山登りの魅力をこの詩で表現したのだと思います。

「牛霊碑」大山は日本三大牛馬市の一つとして栄えた場所!

▲牛霊碑

基好上人(きこうしょうにん)が、大山寺の本尊である地蔵菩薩が牛馬の守護仏であると言われ、牛馬守護の守礼を施与されたことにはじまり、例年例祭に合わせて標高800mの高所の場所であるにもかかわわらず大山牛馬が開かれるようになりました。

その後、組織的な牛馬市となってから益々盛んとなり、年に5回も博労座(ばくろうざ)で開催され取り引数は1万頭に及び、広島の「久井牛市」や福島の「白河馬市」と並び日本三大牛馬市として、中・四国はもとより京阪神や中部地方からも多くの人が集まりました。

売買された牛の供養のために建てられたのが「牛霊碑」です。

「とう然の碑」多彩な才能を見せた円流院の住職・嗒然(とうねん)

▲とう然(ねん)の碑

嗒然(とうねん)は、円流院の住職で寛政8年(1796年)に皆生村(今の米子市)の漁師の家に生まれ、幼き頃より絵心があった。
文化3年(1806年)11歳の時に大山寺西明院谷の観解院入り、翌年には仏門に入り大貫と号す。

その後、師の円流院主大賢より教えをこい、仏学に優れ詩文書画とも才能を伸ばしていきます。

その一端を示すものとして、弘化3年(1846年)51歳の時に誌した「大山雑記」があります。
「大山雑記」は、大山寺の由来や行事・伝承など14話を収めたものです。

書画など多才であった嗒然は、文久元年(1861年)に享年66歳で死去、円流院には三代(大存・大賢・大貫)の院主の位牌があり、大山寺石段参道横には「とう然の碑」があります。

 

「信濃坊源盛の碑」後醍醐天皇が京へ帰る足がかり船上山の戦いで貢献!

大山寺山門の石段下右側に、「信濃坊源盛の碑」があります。

信濃坊源盛の功績を称(たた)え宮家御下賜金(ごかしきん)によって、明治24年に建てられたもので台石の上に1.6mの碑が立っています。
碑文は、文学博士の末松謙澄の筆による。

信濃坊源盛は、名和長年の弟で大山寺の僧となり金剛院の住職で「信濃法眼」と名乗っていました。

元弘3年(1333年)源盛31歳の時に、兄の長年から隠岐の島を脱出した後醍醐天皇を船上山にお迎えしたとの急な知らせを受け、同宿十余人を連れって船上山にはせ参じ、攻防のすえ幕府方を破り裏側の西坂を守った。

合戦は、3日間続き大山衆徒700人も大急ぎで駆けつけたと言われています。
この合戦の勝利は、後々の情勢が大きく変えることとなり、鎌倉幕府の崩壊、後醍醐天皇の「帰洛(きらく:京に帰る)
の足がかりとりました。

その後、源盛は九州の肥後八代で57歳の生涯を閉じる。

2ページ目⇒見落としがちな山門の金剛力士像や石段参道沿いのパワースポット!>

]]> 春日大社のご利益に迫る!開運必至のパワースポット10選 https://kaiun.website/archives/2900 Tue, 01 Aug 2017 12:41:05 +0000 http://kaiun.website/?p=2900

「春日大社(かすがたいしゃ)」は、全国に約1000社あるとされる春日神社の総本社で、奈良市街地の東方に広がる連山の中央の三笠山(古名:三蓋(みかさ)山・春日山)より西麓の奈良県奈良市春日野町に鎮座します。

境内約30万坪という広大な聖域内には、神鹿(しんろく)である鹿が共存し、御祭神の4柱を祀る本殿他、若宮神社と人気の若宮15社めぐり、春日の燈籠呼ばれる3000基の燈籠、また摂社・末社は全部で六十一社もあり、まさに春日信仰の聖地と言うべきものです。

古都奈良の文化財として1998年(平成10年)に世界遺産に登録され、回廊が特徴的な春日造りに朱色の社殿の美しさで、国内はもとより多くの外国人も訪れています。

境内には、女性的で穏かな気が流れており、女性が参拝すれば
「仕事や才能が開花し出世運がアップするご利益」
授かるので女性におすすめのパワースポットでもあります。

男性には、「強い精神力・実行力がいただけ権力」
を手にできるご利益があります。

また、縁結びや夫婦円満・開運招福」など多くのご利益も授かる春日信仰の聖地、「春日大社」の開運スポットをご紹介します。

春日大社

〇境内約30万坪に、神鹿と共存する春日大社は、春日信仰の聖地として知られる。
〇女性には仕事や才能の開花、男性には強い精神力や権力を手にするご利益がある。
〇美しい朱色の社殿と回廊で有名な春日大社は、1998年に世界遺産に登録されている。
〇境内には60以上の摂社・末社があり、若宮15社めぐりや春日の燈籠など見所が豊富。〇 穏やかな気が流れる境内は、女性におすすめのパワースポットであり、多くの外国人も訪れる。

30万坪の広大な境内!しかし驚くことに明治新前は今の10倍

パワースポット!

原始林が広がる神山の三蓋山や草原の飛火野(とびひの)・御社頭・萬葉植物園・鹿苑などを含めた境内地は現在約30万坪と広大で、一之鳥居から社殿まで続く表参道も約1.4kmもありその大きさが伺える。

明治維新前にさかのぼれば、数多くの武将に庇護された春日大社は戦乱の世において一度も焼討ちに遭っておらず、国家鎮護の春日大神様として境内地は今の10倍の約300万坪に及んでいました。

しかし、都が東京となり明治迎えると春日山の花山と芳山が国へ上地されることとなり、境内は現在の広さとなっています。

都会の中にあって人と自然が共存するこの場所には、御神山の三蓋山から清らかな空気が流れ込み、人の心を落着かせてくれるそんなパワーが感じられます。

 

奈良公園!奈良だからこそできる貴重な体験

見所スポット!

奈良公園は、奈良市街の東側地域の総称で、その面積は660ヘクタールにおよび都市公園では国内では最大級です。

都市と自然と文化遺産が一体となった奈良公園は、春日大社の境内を含み、若草山や東大寺・正倉院・奈良国立博物館なども全てこの公園内に入ります。

中でも、奈良公園ならではの貴重な体験と言えば鹿と身近に触れ合えることです。

奈良公園の鹿の凄いところは、人間が飼育しているわけでなく、また、鹿はただ居るわけでもなく、人間と鹿とが共存しているのです。

都市のど真中に動物と人間が共存している場所は、世界を見ても奈良公園しかないと思います。
そんな凄い場所なんです。

そもそも何故、奈良の市街地に鹿が放たれているのか?

説によれば、奈良時代に平城京鎮護するため鹿島神宮(茨城)より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神として勧請する際、白い鹿に乗って奉還されたそうです。

奈良の鹿は白鹿の子孫と言うことで、それからは、神鹿(しんろく)として敬愛され、大切に保護し現在に至ります。

戦後の混乱期には、食糧難や野犬などで絶滅の危機に追いやられていましたが、現在は約1200頭程となり、奈良公園の重要な顔として観光客に親しまれています。

春日大社の創建と御祭神!本殿は平城京と同じ思想で建立

「春日大社」の始まりは、平城京遷都の際に、鹿島神宮より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を三蓋山に御祀りしたことからで、その後の768年(神護景雲2年)十一月九日に、藤原房前の息子の藤原永手(ながて)により香取の経津主命(ふつぬしのみこと)と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(あめのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)を併せ、御蓋山の麓に四つの社殿を創建したことからです。

日本の古社 春日大社

通常、御本殿に行くには三条通を突き当った所にある、第一之鳥居から入り参道を歩いて第二之鳥居・南門へと進んでいきます。

第一之鳥居から本殿まで約1.4km程あり、普通に歩いて約20分位かかります。

途中に、見所も沢山ありますので時間が有れば立ち寄るのも良いですね。

参道沿いの名所

見所スポット!

御神木の影向の松(ようごうのまつ)・・若宮おん祭では、この松の前で「松の下式」が行われます。

勝敗榊(しょうはいさかき)・・若宮おん祭の競馬の決勝点。

飛火野(とびひの)・・東西に芝生が広がる場所で、御祭神が春日へ着くさい日が暮れたため火を灯したが、その火は消えず飛び回ったのでこの名前になったと伝えられる。

萬葉植物園(まんようしょくぶつえん)・・昭和7年に日本で一番古い萬葉植物園として開園。春日大社の社紋は藤の花であることから、約9000坪の園内には、20品種・約200本の藤の木が植えられています。

 

御本殿には4柱の御祭神を祀る朱色の4殿が色鮮やかで美しい!

パワースポット!

御本殿は、写真右から第一殿・第二殿・第三殿・第四殿となり、式年造替(しきねんぞうたい)制度によって二十年に一度、御殿の建て替が行われ今までに60回を数え、現在、平成19年の一ノ鳥居から造替が始まっていて平成28年の御本社御本殿の正遷宮をもって終了します。

本殿配置  御祭神:春日神(4柱の総称) 藤原氏氏神 勧請元神社 
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 藤原氏守護神 常陸国鹿島の神(鹿島神宮)
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 藤原氏守護神 下総国香取の神(香取神宮)
第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 藤原氏の祖神 河内国平岡の神(枚岡神社)
第四殿 比売神(ひめがみ) 天児屋根命の妻 河内国平岡の神(枚岡神社)

 

ご本殿は、唐の思想に習った平城京と同様の考え方で建てられているため、南に正面を向き北が御本殿の背になる天子南面で建てられています。

色は鮮やかな朱色で施されており、これも平城京の大極殿(だいごくでん:朝廷の正殿)と同色となっています。

朱色は命の尊さを表す色で、「春日大社」は朱色を社殿に取り入れのが日本の中で最も早い神社の一つにあげられます。

<平城宮跡・大極殿>

「春日大社」は、奈良から明治時代の千年以上は「春日社」と呼ばれており、その後「官幣春日神社」となり、現在の「春日大社」と呼ばれるようになったのは戦後で、全国の春日神社の総本山であることからです。

社頭の大杉

パワースポット!

「社頭の大杉」は、中門の横にある樹齢約1000年とも言われる御神木です。

鷹さ25m・周囲8.7mの大木で、写真では見えませんが、この裏では一本の槙柏(しんぱく:伊吹といわれる)が斜めに伸びたため屋根に穴を開けて大切に保護しています。

1000年もの間生き続ける「社頭の大杉」のパワー強く、触れるだけで全てを浄化して貰える気がします。

本殿へ入る前に、一度立ち寄り御神木に触れ心の浄化してから、御祭神のご利益いただければ開運もアップするのではないでしょうか。

春日祭!古式ゆたかな祭は日本の三大勅祭の一つ

見所スポット!

「春日祭」は、平安時代の古式にのっとた例祭で、毎年三月十三日に宮中より天皇の勅使(ちょくし)をお迎えして行われます。

京都の賀茂祭(葵祭り:上賀茂神社・下鴨神社)石清水祭(石清水放生会:石清水八幡宮)と共に、日本の三大勅祭(さんだいちょくさい)の一つです

歴史は古く、奈良時代から行われてきた例祭ですが、現在のように盛大な「春日祭」となったのは、文徳(もんとく)天皇の時代の嘉祥(かしょう)二年(849年)で、毎年春の二月と冬の十一月の上の申(さる)の日に行われていました。

<春日祭は、中門前に高倉天皇が植樹した林檎の木(林檎の庭)を中心に行われる>

しかし、明治三年(1870年)に全国の神社の祭典の合一化によって年一回と変わりましたが、その後、明治天皇が明治十九年(1886年)に古い時代のものに戻され、この年の旧暦二月上の申の日が三月十三日であったため、以後この日を「春日祭」の祭日と定めました。

このような歴史から奈良市民は、「春日祭」を親しみをこめて「申祭(さるまつり)」ともよびます。

三月十日・十一・十二に前儀・十三日に本祭・十四日に後儀を古式ゆかしく行われます。

春日祭行事日程⇒こちら

「春日祭」勅使を迎えての儀(動画)

★御戸開之儀(みとびらきのぎ)・・御祭りにあたって御殿を開く重要な儀
★祓戸之儀(はらえどのぎ)・・二之鳥居内の祓戸神社にて中臣祓いを受ける儀
★御棚神饌(みたなしんせん)供進・・勅使みずから黒楉(くろもじ)の木の台にのせて、熟饌を本殿へ運ぶ式

祓戸神社!罪を祓ってくださる神がいる

パワースポット!

「祓戸神社(はらえどじんじゃ):末社」
は、第二之鳥居を入るとすぐ左手に見えます。

春日祭での勅使における祓戸の儀はこの神社の前で行われ、また、年々の大祓式もここで行われます。

御祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で祓いの神

犯した罪を改めて祈るとその罪をお祓いしてくださる、聖母様のような神様です。
自分が気ずいていない罪もあるかもしれません、是非、参拝しておきましょう。

 

若宮神社!奈良生まれの若く強い御子神様

パワースポット!

「若宮神社(わかみやじんじゃ)」は、本社南門から東南へ御間道(おあいみち)を歩いて約100mの所に鎮座しています。

「若宮神社」の始まりには誕生秘話があり、御本殿である第四殿の大床より3升ほどの水の塊りができ、その中から神様の化身が現れ第四殿内に入っていったのを中臣是忠が拝見したそうです。

その40年後、6歳の童子が神がかりとなり高く浮き上がり、「春日大明神は神饌(しんせん:お供え物)を受け入れない」とおっしゃられ、神よりの御加護はないことを知った者たちは大騒ぎとになり、新しく誕生された五所王子(ごしょのみこ)に神饌がお供えしていなかったことにきずきます。

それまでは、比売神(ひめがみ)の子として第四殿の相殿とし、一緒に神饌をお供えしていたのですが、子供が大きくなるのと同じようにその時期は過ぎていたのです。

そして、御本殿の第二殿と第三殿の間の「獅子の間」に五所王子を奉祀して、神饌を丁寧にお供えしました。

その後も、丁重に御祀りしましたが、天災や飢餓・疫病が流行るようになり、神霊新たかな春日の若宮様の御加護を得るために新しい御殿の建設に入り、保延元年(1135年)2月27日完成し本殿東南に御遷座されました。

これが若宮社で、若宮本殿は本殿の第一殿とほぼ同じ大きさで大宮(本殿)と若宮は同格とされています。

「若宮神社」の御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」で、第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神(みこがみ)です。

「天押雲根命」は生命の根源である水から生まれたため、生命力や知恵のご利益が授かります。

春日若宮おん祭!約900年間途切れずに続く贅をつくす大祭

見所スポット!

「春日若宮おん祭」は、若宮の御祭神(天押雲根命)のお祭で、若宮本殿が創建された次の年の保延二年(1136年)九月十七日に、若宮の御神助を願って五穀豊穣・天下泰平・万民和楽(全ての人が和やかに楽しく過ごせる事)を祈願し始められたものです。

当時、洪水や飢餓・疫病が流行っており政情も不安定であったため、水神の力を持つ若宮様の力が必要であったのです。

おん祭を開始してからは晴天が続き、人々の不安や同様は収まり、以後900年弱の間途切れることのなく毎年十二月十七日に行われれる贅を尽くした大祭です。

若宮おん祭行事日程⇒こちら

 

若宮15社めぐり!神々をまわれば一生の苦難を助けて下さる

※円形外側のピンク色は、納礼社名で円形内側の黄色は御神徳。

パワースポット!
「若宮15社めぐり」
とは、若宮神社の若宮様を中心に、人が一生を送る間に起こるさまざまな難関・難所・試練をお助けをして下さる神様が集まって鎮座しており、その神社15社を順番に参拝して自身の人生をたどりながら一生安泰を祈願するものです。

若宮15社めぐり手順

順路

1.「夫婦大國社」で、15社めぐりの受付を行います。
受付用紙をいただき名前・住所・電話番号・生年月日を記入し、初穂料1,000円を添えて申し込みます。

2.各神社・遥拝所に収める15枚の玉串木札の入った袋をいただきます。

3.「夫婦大國社」近くの手水舎で体と心を清めます。

4.納礼社の一番は若宮神社で、次に一童社(三輪神社)と続き15社全てを参拝します。(順番は下記参照)

5.15社全て満願すると15社最後の礼拝所となる「夫婦大國社」で「おしるし」がいただけます。
「おしるし」は、「若宮15社の御朱印」と「夫婦大國社」の御祭神である大国主命の「福杓字と福小槌」のお守り。

 

順番 納札社 御祭神 御利益
第一番 若宮(わかみや)神社 天押雲根命(あめのおしくもねのみこと) 正しい知恵
第二番 一童社(三輪神社)   少彦名命(すくなひこなのみこと) 子孫繁栄・子の成長 
第三番 兵主(ひょうす)神社   大巳貫命(おおなむちのみこと)  延命長寿
第四番  南宮(なんぐう)神社  金山彦神(かなやまひこのかみ)  金運守護
第五番 広瀬(ひろせ)神社   倉稲魂神(くらいなたまのかみ)  衣食住の守護
第六番  葛城(かつらぎ)神社  一言主神(ひとことぬしのかみ)  心願成就
第七番 三十八所神社 
(さんじゅうはっしょ)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと) 
 正しい勇気と力
第八番 佐良気(さらけ)神社   蛭子(ひるこのかみ)神:えびす神 商売繁盛・交渉成立 
第九番  春日明神遥拝所
(かすがみょうじん)
 春日皇大神(かすがすめおおかみ)  ひらめき
第十番  宗像(むなかた)神社  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 諸芸発達 
第十一 紀伊(きい)神社  五十猛命(いたけるのみこと)
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
抓津姫命(つまつひめのみこと) 
命の根源を守る 
第十二 伊勢神宮遥拝所 
(いせじんぐう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ) 
天地の恵みの感謝所 
第十三 元春日 枚岡(ひらおか)
神社遥拝所 
天児屋命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ) 
 延命長寿
第十四 金龍(きんりゅう)神社   金龍大神(きんりゅうおおかみ) 開運・財運の護守 
第十五 夫婦大國社
(めおとだいこくしゃ) 
大国主命(おおくにぬしのみこと)
須勢理姫命( すせりひめのみこと)
良縁・夫婦円満
福運守護 

 

若宮15社めぐりは、本殿参拝後に必ず訪れたい大人気のパワースポットです。

自分の歩んできた人生を振り返り、これからの人生の中であるであろう試練や苦悩を少しでもより良いものにするため、15社満願で自分の一生を開運へと導いて見てはいかがでしょうか。

 

末社で人気の開運スポット!

夫婦大国社!縁結びから夫婦まで男女の願いが叶う

パワースポット!

「夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)」は、若宮15社めぐりで最後の礼拝所となっており、御夫婦の大国様を祀っている日本唯一の神社です。

御祭神は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「須勢理姫命(すせりひめのみこと)」で、御厨子(みずし:仏像をあんちする仏具)に二人の彫刻像を安置しお祀りしたことが始まりです。

縁結びや夫婦円満・家内安全など男女に関するものにご利益があります。

夫婦大国社では、古くはしゃもじに願い事を書いて奉納していましたが、今ではハート型のピンクの縁結び絵馬も登場しています。

金龍神社!今人気の金運スポット

パワースポット!

「金龍神社」は若宮社の末社で、15社めぐり14番目の神社です。

南北朝時代の後醍醐天皇ゆかりの神社で、金龍名は天皇の御座所の禁裏(きんり)が発音がなまり「きんりゅう」になったと言われています。

御祭神は「金龍大神」で、開発・発達の神であるが最近では金龍名から金運や財運の神様として知られるようになり、15社を巡らずこの一社を目当てに参拝に訪れるという人気の金運スポットです。

白乳神社と赤乳神社!名前だけで女性のご利益が想像できる

パワースポット!

夫婦大国社の東側、礼拝所5番と6番の間に遥拝所が設けられ、社は境内南側の能登川沿いに鎮座します。

古くは、和歌山県の淡島(あわしま)神社とあったとされ、「白乳(しらち)神社」御祭神は志那斗弁神(しなとべのかみ)で、女性の腰から上の治してくださる神様

「赤乳(あかち)神社」御祭神は稚日咩神(わかひめのかみ)で、女性の腰から下を治して下さる神様です。

女性なら、15社めぐりの途中に訪れれば病気も安泰のパワースポットです。

 

春日大社の灯篭!その数驚きの3000基は歴史の証し

見所スポット!

「春日大社」は、通称「お春日さんの万灯篭」とも呼ばれるだけに、「灯篭」は境内と御本殿を合わせるとその数は約3000基もあると言われ、その内訳は境内に2000基の石灯篭、御本殿には1000基の釣灯篭があります。

神社仏閣の中でも、「春日大社」は数多くの灯篭を置いた最初の神社で、その後、全国の社寺に広がっていきました。

「春日大社」は、奈良で一番明るいところと言われ時代があり、3000基の灯篭の灯りは、幻想的で境内そのもを示す神聖な聖域となっていたのです。

言い伝えによれば、「一日で灯篭の数を正確に数えることが出来たなら長者様になる」と言われています。

約3000基の内、多くは商人や一般からの寄付で約8割を占めており、一部は貴族や武士などの有名な灯篭もあります。

灯篭が多種多様に揃う「春日大社」は、奈良時代から現在に至る歴史を灯篭により垣間見ることができ、また、時代における技巧の素晴らしさが伺える唯一の場所です。

3000基の灯篭が灯され幻想的な世界「中元万灯篭」

パワースポット!

「中元万灯籠(ちゅうげんまんとうろう)」は、石灯篭約2000基と釣灯篭約1000基の計約3000基が一斉に灯される幽玄で美しい神事で、年に2月の節分と8月14・15両日の夜7時から9時半まで行われます。

夜の静けさと暗闇の中に浮かぶ灯篭の火は、幻想的な優美な世界へと導いてくれます。

また、その前の夕方には「林檎の庭」にて、庭火を焚いて神楽や舞楽の奉納があります。

この時期に行けない人には、万灯籠を再現した「藤浪之屋(ふじなみのや)」で気分を味わうことができます。

江戸時代に神職の詰所であった「藤浪之屋」が開放され、多くの釣灯篭が灯されてます。

 

「砂ずりの藤」見頃には紫の花が2m以上も下がり地面を舞う

見所スポット!

は、「春日大社」の社紋であるため大事にされています。

社殿西回廊側の慶賀門を入ると棚が作られ藤の木があります。

この藤は、「砂ずりの藤」と呼ばれ、花の房が六から七尺ほど下がることからこの名が付けられ、摂関近衛家より奉納されたと伝えられる樹齢700年以上の名木です。

5月初旬が見頃となる藤なので、何時も見れるわけではありませんが、ゴールデンウィークに参拝されるのであれば立派な下藤の花が咲きますので、見落とさないようにしましょう。

 

「春日大社」の詳細情報

【春日大社】

所在地 〒630-8212
奈良県奈良市春日野町160
TEL:0742-22-7788
FAX:0742-27-2114
公式ホームページ⇒http://www.kasugataisha.or.jp/
参拝時間 【開門時間】
夏期(4月~9月)6:00~18:00 冬期(10月~3月)6:30~17:00
本殿前特別参拝は、8:30~16:45(初穂料500円)

【国宝殿】 <旧称春日大社宝物殿>
10:00~17:00(入館は16:30まで)
一般/500円・大学生・高校生/300円・中学生・小学生/200円

【萬葉植物園】
3月~11月 9:00~17:00(入園は16:30まで)
12月~2月 9:00~16:30(入園は16:00まで)
大人 /500円・小人 /250円

アクセス

【電車とバス】
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(春日大社本殿行:約12分)
        ⇒春日大社本殿下車
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(市内循環内回:約13分/外回:約8分)
        ⇒春日大社表参道下車⇒徒歩(約10分)

【マイカー】
名神高速道「京都南IC」⇒京奈和自動車道経由(約60分)
京奈和自動車道「木津IC」⇒県道754号線経由(約7km:約20分)
第2阪奈有料道路「宝来IC」⇒東方面へ(約8km)

【駐車場】
バス・乗用車合わせて100台(車駐車料金1,000円/1日)
利用時間:2月~11月(7:30~17:00)・12月~1月(7:30~16:30)

お宿情報  >>春日大社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地  平城宮跡・奈良公園・若草山山頂・萬葉植物園・東大寺・氷室神社・元興寺

 

<春日大社周辺マップ>

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「下鴨神社」癒しの森を通って縁結び!7つのパワースポットでご利益 https://kaiun.website/archives/2504 Mon, 08 May 2017 09:10:11 +0000 http://kaiun.website/?p=2504

「下鴨神社(正式名:賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】)」は、京都で最も清らかで尊導きの神様としてのご神徳を持ち、縁結びのご利益を頂けるパワースポットとして女性に大人気の神社です。

京都の最古の神社である「下鴨神社」は、紀元前から神々のおられる地で山城国一ノ宮として崇められ、JFA(日本サッカー協会)のシンボルである3本足の八咫烏(やたがらす)の伝説や七不思議など話題も豊富で、浄化・必勝・開運・子宝・美容・縁結びなど様々なご利益を頂ける神社です。

そんな「下鴨神社」に訪れたら、是非、行って欲しいパワースポットをご紹介します。

癒しの空気が流れる広大な「糺の森」

おすすめパワースポット!

「下鴨神社」の正式な参拝は、出町から賀茂川に架かる葵橋を渡り、十二万四千平方メートルの広大な「糺(ただす)の森」から表参道を社殿方面の北へと歩いて行くのが正しいとされています。

その理由は、社殿参拝と共に平安時代以前の原生林をそのまま残し、古代より精霊が住むとされる糺(ただす)の森を訪れ歩くことが身を清め心を癒してくれるからです。

表参道の両脇には、瀬見の小川と泉川が流れ、静かなせせらぎと共に癒しの空気が流れ込んでくるパワースポットです。

「下鴨神社」境内マップ

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 

メイクをすれば美人のご利益が得られる絵馬

人気スポット!

糺(ただす)の森の中、「下鴨神社」の境内に入り少し歩くと左側に「河合神社」が鎮座します。
この神社には、日本一美しいと言われる神様の玉依姫命(たまひめのみこと)が祀られています。

「河合神社」には、美人になるとされる絵馬の「鏡絵馬」があり、訪れた女性のほとんどが美のご利益を頂くため奉納しています。

手鏡に似せ顔が描かれた鏡絵馬に、自分の美しくなった顔を想像し、自分の持っているメイク道具で絵馬の顔にメイクします。(メイク道具が無い人には、色鉛筆が借りられます。)

裏には願い事を書き、出来上がった絵馬は飾られ、後日お焚上げが行われます。

女性の美への憧れは昔も今も同じ、美人になれるなら「鏡絵馬(初穂料800円)」メイク挑戦しておきたいですね!

「河合神社」は、古くから安産や育児など、女性ならではの願い事を叶えてくれる神社として信仰されています。

サッカー必勝の神様を祀る任部社

おすすめパワースポット!

「河合神社」の奥には、日本サッカー協会のシンボルマークである八咫烏命(やたがらすのみこと)を祀る「任部社(とべしゃ)」が鎮座します。

専女社とも呼ばれ、「河合神社」の創祀(そうし)と同時期から祀られている古いお社です。

八咫烏は三本足を持つ鳥で、初代天皇である神武天皇の東征の際に、黒い衣をまとって道案内をした八咫烏賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされてます。

この導き勝利の功績によって、天皇より八咫烏の称号が与えられた言われています。

御祭神である八咫烏命の御神徳により、勝利・武芸上達・交通安全・旅行安全のご利益が得られます。

 

ちょっと変わった参拝方法で縁結びのご利益が凄いご神木!

おすすめパワースポット!

縁結びのご利益が高いと評判のパワースポットが、境内にある「下鴨神社」の末社の「相生社(あいおいしゃ)」です。

「相生社」は、桜門のすぐ手前にあり、神皇産霊神(かむむすびのかみ)を祀るお社で、隣には神様のご神徳で結ばれたと言われる霊木「連理の賢木(れんりのさかき)」が立っています。

根元は2本に分かれた別の木が、途中で一つに結ばれた珍しい木で、縁を結ぶ力が強くて一つに成った言われ、夫婦和合を表しています。

又、現在の「連理の賢木」は四代目で、不思議なことにに寿命が来ると、糺(ただす)の森のどこかに自然と跡を継ぐ霊木ができるそうです。

そのため、「連理の賢木」は京の七不思議にも数えられパワースポットです。

他とは違う特徴的なここの参拝作法!

絵馬(初穂料500円)に願い事を書く。

絵馬の赤と白の糸を良縁の願いを込めて結ぶ

絵馬を持ち「相生社」の正面へ。

「連理の賢木」の周りを男性は右回り(時計方向)、
  女性は左回り(反時計方向)
に願い事を唱えながら回る。

まず、2週して3周目に後ろの絵馬掛けに絵馬を奉納します。

お社の正面に戻って、二礼二拍手一礼で参拝。

「連理の賢木」の正面より御生曳き(みあれびき)の綱を2回引いて終わり。

「縁結びや子宝・安産・家内安全・夫婦円満など縁を結ぶもの」のご利益を授かります。

 

可愛いと評判の女性に大人気の「媛守」

人気スポット!

中門横の授与所には、女性に大人気のちりめん生地の「媛守(ひめまもり)」があります。
ちりめん生地で作られたこのお守りは、女性用のお守りです。

一つとして同じ絵柄はなく、小振りでデザインも可愛いので、「下鴨神社」では評判の人気お守りです。

 

干支の守護神からご利益が得られる7つのお社

おすすめパワースポット!

舞殿の裏の中門を入ると社殿に向かって左側に3つ、正面に2つそして右側に2つ、合計7つのお社が鎮座します。

このお社は、「言社(ことしゃ)」で、大国主命の略称から大國さんとも呼ばれ人気のパワースポットです。

大国主命は、働きによって7つの名前があり、その名前事に7つのお社があります。
十二支の守り神を祀っており、それぞれのお社にご神徳があることから古くから多くの人に信仰されています。

7つのお社詳細

言社名 社名 神名 干支のお社とご神徳
一言社 東社 大国魂神
(おほくにたまのかみ)

巳歳の守護神
(国土創生と大地の神で、命の躍動の象徴)
未歳の守護神
国土創生と大地の神)

  西社 顕国魂神
(うつしくにたまのかみ)

午歳の守護神
(国土の守り神で物事をうまく運び営む力の神)

二言社 北社 大国主神
(おおくにぬしのかみ)
子歳の守護神(国づくりと縁結びの神)
  南社 大物主神
(おおものぬしのかみ)
丑歳の守護神(物を司り神仏のお使いの神)
亥歳の守護神(物を司り力を与える神)
三言社 北社 志固男神
(しこのかみ)
卯歳の守護神(天下一の強者で力の神)
酉歳の守護神(天下一の強者で希望のシンボルの神)
  中社 大巳貴神
(おほなむちのかみ)
寅歳の守護神(国づくりや医薬の神)
戌歳の守護神(国づくりや医薬の神)
  南社 八千矛神
(やちほこのかみ)
辰歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神で天子の象徴の神)
申歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神)


言社の参拝方法は、まず自分の干支、それから今年の干支を参拝
することで一度に多くのご利益が頂けます。

 

酉歳には特に参拝したい必勝・開運の本殿

http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka

社殿は、神社形式の代表的な形式で建てられ東西の本殿は国宝に指定され、「下鴨神社」は世界文化遺産でもあります。

平成27年には、21年に一度、社殿を修復する34回目の式年遷宮が行われました。
元来、式年遷宮はご神体を除く建物、社殿を造り替えるものですが、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されているため江戸時代以降は修復にとどめられています。

通常、本殿は言社の前の幣殿からしか拝めず、参拝はここで行います(上記写真)。

「下鴨神社」は賀茂建角身命とその娘の玉依媛命の二人をお祀りする神社

おすすめパワースポット!

ご本殿は、「下鴨神社」で最強のパワースポットです。

御本殿 御祭神
西本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと) 

 

<御本殿:西と東に分かれている>

「賀茂建角身命」は、神話で八咫烏に化身して重要な役割を担った神様のため、酉年には特に参拝をお勧めします!

「玉依媛命」の玉依(たまより)は、霊憑(たまより)からきているとされ、神に仕える巫女(みこ)のことだと言われています。
巫女の役割と共に子供を生む力など女性に関する総称でも有り、玉依媛命の祀られる神社は水と深い関係があることから、水や縁にも強いご神徳を持っています。

又、玉依媛命が鴨川の上流で流れ着いた丹塗りの矢を祀っていたところ、美しい男神となったため結婚したと伝わる。
二人の間に生まれた子供が、現在の「上賀茂神社」の祭神である賀茂別雷大神(かもべついかずちのおおかみ)です。

御祭神 ご利益
賀茂建角身命 導びきの神・勝利の神・方除・厄除け
入学・受験合格・交通・旅行・操業の安全
玉依媛命 縁結び・子宝・安産・育児・開運・方位除け
商売繁盛・豊作豊漁・災難除け

 

みたらし団子は「御手洗社」の井戸の泡から生まれた

みたらし団子は、「下鴨神社」が発祥の地です。

境内奥の東本殿側にある、「御手洗社(みたらししゃ)」の下には井戸があり、井戸から湧き出る白い泡を見て、みたらし団子が考えられたと言われています。

ここに来たら、是非、食べておきたいみたらし団子ですが、昔は神前に供えてご祈祷後、家に持ち帰っていただいたそうです。

上記写真でもわかるように、串に5つのお団子が付いていますが、1つ目から2つ目の間が少し離れているのが特徴的です。

みたらし池の湧きあがる白い泡が、1つ浮き少し経ってから2つ3つ4つと泡が湧き出る様子を表して作られたためで、人間の五体を表しているともいわれ縁起物です。

西参道にある「加茂みたらし茶屋」が人気のお店で、焼いて焦げ目をつけた米粉の団子に、蜜のたれをスプーンですくい、団子にたっぷりつけていただきます。

加茂みたらし茶屋
住所 京都府京都市左京区下鴨松ノ木町53
営業時間 9時30分~19時(定休:水曜日)
メニュー みたらし団子(3本420円)
わらび餅(550円)
磯巻(620円)

 

おすすめパワースポット!

「御手洗社」は、みたらし川から湧き出る井戸の上に建っていることから「井上社」とも呼ばれ、お祓いの神様の「瀬織津媛(せおりつひめ)」をお祀りしています。

南側に御手洗川が流れ、そこからお社の下を通って、前側にある「みたらし池」と続いており、この池を舞台に毎年土用の丑の日に「みたらし祭(別名:足つけ神事)」が催されます。

<みたらし池に架かる輪橋>

昔から、神の池「みたらし池」で手や足を洗い、罪や穢(けが)れを祓い落とし、病気を厄払いする夏のお祭りです。

「みたらし池」は、普段流れない水が、土用の丑の日は池から湧いてくるといわれ「鴨の七不思議」の一つになっています。

「さざれ石」生命力の象徴で神霊の宿る石

おすすめパワースポット!

南口鳥居を入った直ぐ左側には、神霊の宿る石「さざれ石」があります。

「さざれ石」とは、小さな石という意味があり、石灰石が長い年月をかけて雨水により溶けて固まり、岩石へとなったものです。
年月と共に成長する「さざれ石」は、神霊が宿る石とされています。

又、「さざれ石」を詠んだ古今和歌集があり、日本の国家の原典となっている。

古今和歌集<古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番>
「我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

そして、日本の国家の「君が代」
「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」です。

違いは、初めの部分だけですね!

「さざれ石の 巌となりて」は、石に宿る力、生命力は永遠で小さな石も大きくなることを表し、石には神霊が宿る神聖なものとして昔から崇められてきたのでしょう。

 

3つの的を神馬一体で打ち抜く勇壮な祓い清めの神事

糺の森に設けられた500mの馬場に100m間隔で3つの的が置かれ、公家装束をまとった射手(いて)が勇ましく駆けながら、馬上から厄けの「イン、ヨー(陰、陽)」の掛声と共に次々と矢を放ち、50cm四方の的を射る「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は、勇壮でその光景は平安時代にタイムスリップしたような感覚にもなります。

「流鏑馬神事」は毎年5月3日に行われ、「葵祭(あおいまつり)」が安全に行われるよう祓い清めるための神事で、約2万人もの多くの人が集まる「下鴨神社」の人気の行事です。

的に当たれば、豊作や諸願成就のご利益が得られ、 当たり的は縁起物として授与されるそうです。

年によっては、勇敢な女性や中学生の射手も登場します。

葵祭

「葵祭(正式名:賀茂祭)」は、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つで、下鴨神社(賀茂御 祖神 社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭。

♦王朝絵巻さながらの衣装をまとった総勢500名以上の人が行列をなして、 京都御所から出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かうお祭り。

8キロに渡る沿道には、約8万人以上の人が集まり華麗で優雅な平安王朝絵巻に見入ってしまいます。

 

下鴨神社の詳細情報

【下鴨神社(賀茂御祖神社)】

所在地 〒606-0807
京都府京都市左京区下鴨泉川町59
TEL: 075-781-0010
公式ホームページ⇒【下鴨神社】
参拝時間 開閉門時間:夏は午前5時30分~午後6時
      冬は午前6時30分~午後5時
大炊殿拝観:午前10時~午後4時迄
ご祈祷:午前9時~午後4時迄
アクセス

市バス:京都駅(4or205系統)~下鴨神社前下車
(糺ノ森を歩くなら葵橋西詰バス停下車)

電車:JR京都駅(JR奈良線)~東福寺駅(京阪電車に乗り換え)
   ~出町柳駅下車(徒歩約13分)

電車・バス:京都駅(地下鉄鳥丸線)~北大路駅(市バス1or205系統)
      ~下鴨神社前下車(所要時間約40分)

マイカー:名神高速京都東インター下車(三条通経由約30分)
     名神高速京都南インター下車(河原町通経由約31分)
駐車場:境内西駐車場(300台有料30分/200円)

お宿情報  >>下鴨神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】  
周辺観光地  上賀茂神社・京都市動物園・京都国際マンガミュージアム
六角堂頂法寺・京都国立博物館・京都御所 

 

<下鴨神社周辺マップ>

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【太鼓谷稲成神社】千本鳥居のトンネルは絶景!津和野のパワースポット https://kaiun.website/archives/2342 Wed, 22 Mar 2017 07:42:28 +0000 http://kaiun.website/?p=2342

島根県鹿足郡津和野町に鎮座する「太鼓谷稲成神社」は、日本五大稲荷の一つで、アメリカのCNN発表の「日本の最も美しい場所31選 」に選ばれ、天・地・海・木の四つの美しい自然のコントラストが評判になっている山口県の「元乃隅稲成神社」に分霊した神社です。

五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満など多くのご利益をいただけるパワースポットですが、願望成就(良縁・受験他)は特に強いとされる神様が祀られています。

 

また、千本鳥居と呼ばれる朱色の千本の鳥居が、トンネルのように参道に連なっている光景は圧巻で、「太鼓谷稲成神社」のシンボルになっています。

島根県では、縁結びとして全国でも有名な「出雲大社(いずもたいしゃ):初詣数約59万人」がありますが、それに次ぐ、約25万人で年間100万人越えの参拝者数を誇る人気の神社です。

津和野は、山陰の小京都と呼ばれる山あいの城下町、津和野川に沿って開けた盆地を「太鼓谷稲成神社」の高台から見下ろせば、赤い屋根の町並みがどこか懐かしさを感じる風情のある場所です。

太鼓谷稲成神社は京都の伏見稲荷大社の分霊を迎えた神社

「太皷谷稲成神社」の創建は、安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が、津和野藩の領民の安寧のために京都の「伏見稲荷大社」から分霊を迎え、三本松城(津和野城)の鬼門となる東北端の太皷谷の峰に社(現在の元宮)を建て祀ったのが始まりです。

慶應3年7月、津和野乙女山の熊野権現社を稲成神社に移して相殿とし、熊野神社と称するようになりました。

大正12年に現社殿を建立、昭和2年に熊野神社から稲成神社と改称

旧社格は郷社で、歴代の藩主から崇敬され藩主以外は参拝不可でしたが、廃藩後には一般庶民にも参拝されるようになり、昭和30年代には参拝者の増加も有って、昭和44年12月に境内地西側の山を切り開き新社殿が建立されました

<元宮>

遷宮斎行後の旧社殿は、「元宮(もとみや:旧熊野神社)」として残し、御分霊をつつしみきよめて祀っています。

稲成と書く稲荷神社は日本に二社だけ

稲荷(いなり)でなく稲成(いなり)の神社は、分霊した山口県長門市の「元乃隅稲成神社」と「太皷谷稲成神社」の二社しか日本にはありません。

稲成の「成」は願望成就の意味が込められている

元来、稲荷神社の稲荷は稲が生えるの稲生(いねなり)が変化し、イナリから稲荷(いなり)と書くようになったと言われています・

「太皷谷稲成神社」の稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公がお願い事がよく叶うように「成るように」との意味が込められており「願望成就」「大願成就」の願いが叶いやすい神社となっています。

太皷谷名の由来は太鼓が鳴り響く谷間だった

太皷谷の社名は、津和野城があった一角に位置するこの地は、江戸時代に、時刻を知らせる太鼓が鳴り響く谷間にあったことからこの名前が付けられたといいます。

また、この地は鬼門にあたり古くから神聖な地であったようです。

御祭神は二神の女神

御祭神は、 宇迦之御魂神(稲成大神)と伊弉冉尊(熊野大神)で、この二人の神様は女神とされています。

「太皷谷稲成神社」は、二神の女神から多くのご利益をいただくことができます。

御祭神名 神の種類  御利益
宇迦之御魂命(うがのみたまのかみ) 稲成大神 五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除
福徳円満・願望成就・失せ物(紛失物)発見
伊弉冉尊(いざなみのみこと) 熊野大神 創造開拓・夫婦円満・良縁成就・開運
病魔退散 延命長寿・鬼門除け・方災除け

 

宇迦之御魂命は、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とされ、うかは食物を意味し穀物・食物の神様で通称はお稲荷さんと呼ばれ、稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社の主祭神でもあります。
古くから女神とされている。

伊弉冉尊は、日本神話の女神で伊弉諾神(いざなぎ)の妻で、日本の国造り、母なる大地の神として万物を生む力のある神様です。
古事記では、伊邪那美神命(イザナミノミコト)と書かれます。

太皷谷稲成神社は日本五大稲荷神社の一つ!

「太皷谷稲成神社」は、日本五大稲荷神社の一つに挙げられています。

日本五大稲荷神社、日本全土で稲荷神を祀る寺社の内、主要な五社のことをいいます。
日本五大稲荷神社は、以下の神社です。

 日本五大稲荷神社イメージ  神社名 所在地  ご利益 

伏見稲荷大社 京都府京都市
伏見区 
五穀豊穣・商売繁昌・産業興隆
家内安全・交通安全・芸能上達 
  笠間稲荷神社 茨城県笠間市
笠間

五穀豊穣・商売繁盛・家内安全
厄除け・交通安全 

  竹駒神社 宮城県岩沼市
稲荷町
五穀豊穣・商売繁盛・航海安全
家内安全・
交通安全・厄除
安産祈願

祐徳稲荷神社 佐賀県鹿島市
古枝
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全
交通安全・
縁結び・必勝祈願
金運上昇

太皷谷稲成神社 島根県鹿足郡
津和野町

五穀豊穰・産業発展・商売繁昌
開運厄除・
福徳円満・願望成就
創造開拓・夫婦円満・
良縁成就
開運・病魔退散・鬼門除け 

方災除け

 

シンボルの千本鳥居!息を切らせ263段の石段を登る

「太皷谷稲成神社」は、JR山陰線津和野駅から下車後、車で約5分、歩いて約30分程の場所に位置します。

京都の伏見稲荷大社で有名な千本鳥居ですが、「太皷谷稲成神社」にも同様のシンボルとも言える「千本鳥居」があります。

鮮やかな朱色の千本鳥居の参道は、本殿のある高台まで約300mもあり、263段の石段を登ることになります。
比較的斜面が急であるため、息を切らし登っていくことになると思います。

昇って行く途中、鳥居の隙間から見える、津和野の美しい景色が四季折々で赤や緑と変化して、疲れた足を和らげてくれます。

表参道を登り切ると鮮やかな朱色の扉「神門」が本殿へと向かい入れる

千本鳥居の参道を登りきった所に、でんと構えた朱色の美しい「神門(しんもん)」が目の前に現れます。

ここまで来るとかなり高く、眼下を見下ろせば、津和野の特徴である赤茶の石州(せきしゅうがわら)の家が連なり、山の緑・空の青と相まって素晴らしい景観を見ることができます。

石州(せきしゅうがわら)は、三州、淡路と並ぶ日本三大の一つで、島根県の石見地方で生産される粘土瓦。

中央の門は、新年や祭事の時以外は閉じていますので、左右の開いている門から入ります。

境内下まで車で来ることもできる!

本来、表参道の千本鳥居を歩いて登るのがベストな方法だと思いますが、車で境内下まで行くこともできます。

裏参道は舗装されていて、駐車場(約100台:無料)は広く、車を降りれば本殿までは階段一つなので、あまり歩かずに参拝出来るのもこの神社の特徴かも知れません。


<境内案内図>

駐車場側の龍の手水舎

駐車場から境内に上がる階段そばに、「龍の手水舎(てみずしゃ)」があり龍の口からでる聖水で、身も心も清めて参拝に向かいます。

駐車場から、朱色の鳥居をくぐり階段を登れば境内となります。

納車された新車・中古車の車のお祓いができる!

納車間もない新車や中古車をお持ちなら、交通安全のお祓いがこの駐車場のすぐ側の「車祓所(くるまはらえしょ):初穂料5000円~」で行えます。

ご祈願受けの人には、社紋を金であしらった専用ステッカーが授与され、夜でも輝くこのステーカーを後方に貼っていれば追突防止の役目を果たすそうです。

太皷谷稲成神社の参拝は境内の四ケ所参りが習わし

「太皷谷稲成神社」には、独特の参拝形式があり、参拝に訪れたら境内の四ケ所を順にお参りする「四ケ所参り」が習わしです。

参る順番もありますので、順番通り参拝してみてはいかがでしょうか。

四ケ所参りの順序

一、「本宮(もとみや)」
    ⇓
二、「命婦社(みょうぶしゃ)」
    ⇓
三、「新殿(本殿)」
    ⇓
四、「神殿裏奉拝所」となります。

 

順路一番目「本宮(もとみや)」

「元宮(もとみや)」は、表参道を登りきり神門を通った直ぐ右横に鎮座します。

「元宮」の拝殿は、古さのある素朴な木の感じと大きな注連縄(しめなわ)が印象的です。
注連縄の上には、龍の彫刻が施されています。

順路二番目「命婦社(みょうぶしゃ)」

元宮の裏には、ある狐様を祀ったお社の「命婦社(みょうぶしゃ)」があります。

御祭神は、白狐神の命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)で、稲荷大明神の神令使。

命婦というのは、西暦660年頃から始まった立令制により官僚制が実施され、従五以上の位階を有する女官を内命婦(うちのみょうぶ)もしくは、五位以上の官人の妻を外命婦(げのみょうぶ)の事です。

平安時代以降は、宮人と命婦は区別され命婦の奉仕する対象は内侍司(ないしのつかさ)の努めで、やがて稲荷社の巫女と呼ばれるようになり、中世では、稲荷明神の使いとされる狐様を意味するようになりました。

順路三番目「新殿(本殿)」

昭和44年(1969年)に建て直された「朱色の拝・本殿」は美しく眩しく輝き、「元宮」よりさらに大きな注連縄が存在感を増している。

年間行事の中で、2月初めの午の日に催される初午大祭や5月の春季大祭・11月の例祭・秋季大祭には、境内は参拝・祈願に訪れる多くの人で溢れ変える。

本殿では毎日、五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就・病気平癒・縁結びなどのご祈願を受け付け、ご祈祷が行われています。

順路四番目「新殿裏奉拝所」

「新殿裏奉拝所」は、大神様に最も近い場所で御本殿を背後から拝する神聖なる神域。

本殿の裏なので目立ちませんが、古くより稲荷信仰では、ご祭神は本殿の背後から出入りすると言われており、信仰に篤い方々の心静かなお参りの場所となっています。

稲成大神様のお供え物は狐の好物の油揚げ!

「太皷谷稲成神社」では、稲成大神様のお供え物として「油揚げとローソク」をお供えすることが習わしです。

狐は、油揚げが好物であることから、神の使いの狐様にも油揚げをお供えするようです。

四ケ所参りの参拝所には、それぞれお供え用の献供台と燭台(ローソク台)が設置されていますので、境内駐車場の手水舎前と売店にて150円で購入し、参拝時にお供えします。

油揚げとローソクのお供え方法

本殿参拝を例にしますと、まずローソクに火をつけ、本殿正面両脇の神狐像の前方にあるローソク台に供えます。

次に、賽銭箱の両脇にある御供物台の上に油揚げをお供えします。

お供え後、神社で普通に行う二礼二拍手一礼の作法で、お願いごとを聞いてもらいましょう。

火焚(ひたき)祭は火の霊力により心身を清浄にする!

毎年、12月8日の午後一時から行われる「火焚(ひたき)祭」は、穀神の荒神を春の祈年祭で招き、秋の火焚祭によって山に還られる祭で、火の持つ霊力が罪や穢れを祓い心身を清め、生業に活力を甦らせるものでもあります。

参拝者より奉納された、お願い事が書かれた一年分の火焚串(初穂料1本200円)を大祓を奉唱しながら神職が焚きあげ願望成就・罪障消滅・万福招来を祈る神聖な儀式です。

津和野周辺の見所スポット

津和野は狭いところに見所が多く密集しており、歴史とアートが共存する観光スポットです。

鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した津和野城の跡の津和野城跡や掘割に錦鯉が優雅に泳ぐ殿町通り、幕末の浮世絵師の葛飾北斎と門下生の版画など1000点を収蔵する葛飾北斎美術館など、城下町らしい情緒の漂う津和野の町並みながらも、山陰の美術都市としての顔をみせるアートスポットでもあります。

幼少時代に森鴎外が過ごした森鴎外旧宅や悲劇のキリシタンを慰霊する津和野キリシタン教会も見逃せません!

まとめ

「太皷谷稲成神社」は、島根県ではあの「出雲大社」に次ぐ有名な神社で、境内に鎮座する新旧の社殿や朱色の千本鳥居など美しさと共に多くのご利益をいただけ、「願望成就」の開運にはとても強いパワースポットです。

境内には、この他に御紹介していない宝物殿があり、貴重な津和野藩の天文・算術の大家であった堀田仁助作成の天球儀・地球儀や神狐彫刻・神狐子連彫刻など一見の価値のある多くの社宝や美実工芸品はものが収蔵されています。

「太皷谷稲成神社」の参拝を兼ねて、津和野の見所も訪ねて見てはいかがでしょうか。

太鼓谷稲成神社の詳細

【太皷谷稲成神社】

所在地

〒699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田409
TEL: 0856-72-0219 FAX:0856-72-3105
公式ホームページ⇒【太鼓谷稲成神社】

参拝時間 無料・時間自由
ご祈願・車祓所:受付時間(午前9時から午後4時迄)受付:社務所にて
アクセス JR:JR山口線津和野駅~徒歩約30分 またはタクシーで約5分

マイカー:
<九州方面から>
中国高速 小郡IC~国道9号線を益田・津和野方面へ(約70分)
<大阪方面から>
中国高速 六日市IC~国道187号線を益田・津和野方面へ(約60分)
<駐車場>:100台(無料)

お宿情報  >>太鼓谷稲成神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 津和野城跡・葛飾北斎美術館・森鴎外記念館・津和野町郷土館
津和野町立安野光雅美術館・津和野カトリック教会

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箱根神社・九頭龍神社は成功も恋愛も万事に開運の最強パワースポット https://kaiun.website/archives/2180 Wed, 01 Mar 2017 10:58:31 +0000 http://kaiun.website/?p=2180

「箱根神社」は、勝負運には最強ともいわれる御神徳を持っている「箱根大神」を祀り、関東で働くならまずは「箱根神社」にご挨拶と言われるほどその力を実感する人も多く、毎年どころか年に何回も参拝される関東では屈指のパワースポットです。

また、「箱根神社」の末社である「九頭龍神社」は、縁結びで有名なパワースポットで、境外社の本宮と現在「箱根神社」に隣接する境内社に新宮があります。

「箱根神社」創建後、神と仏を結ぶ聖僧(しょうそう)である万巻上人(まんがんしょうにん)が、里人たちを苦しめる芦ノ湖に棲む毒龍を「箱根大神」様から戴いた霊力で祓い、それ以来、芦ノ湖の守護神「九頭龍大神」として甦らせ祀られるようになりました。

そのため、関東の鎮守神の「箱根神社」と水を司る神の「九頭龍神社」2つの神社の関係は深く、両者参りをすれば国運・財運・仕事運・心願成就・恋愛運・健康運」などなど多くのご利益をいただくことができます。

箱根山は古来から山岳信仰の場で箱根三所権現を祀る

「箱根神社」は、神奈川県足柄下郡箱根町に鎮座する神社で、かつては箱根大権現(はこねだいごんげん)、箱根三所権現(はこねさんしょごんげん)とも呼ばれいましたが、明治維新の神仏分離令(神道と仏教を区別する宗教政策)により「箱根神社」へと改称されました(旧社格は国幣小社)。

修行僧の万巻上人(まんがんしょうにん)は、天平宝字元年(757年)に朝廷の命により箱根山に入山し、芦ノ湖の水辺で3年間の苦行の末、三所権現(法躰・俗躰・女躰)の道理を悟り、現境内地に箱根三所権現を祀る社殿(今の箱根神社)を建立しました。

三所権現:三神は法体・俗体・女体の三形で法体は文殊菩薩・俗体は弥勒菩薩・女体は観世音菩薩

また、里人を悩ませた芦ノ湖に住む九頭龍を鎮め「九頭龍神社」を建立し、龍を祀ったと伝えられている。

箱根はその後、関東の修験霊場として多くの修験者が箱根山に入山し栄えていきます。

140年ぶりに蘇った箱根関所


平安時代には旅人の安全祈願、鎌倉時代には源頼朝の篤い崇敬を受けて多くの武士が心願成就を祈願し、江戸時代に箱根の関所が置かれ、東海道が整備されると共に箱根権現は益々信仰されていくこととなります。

箱根神社は本殿まで神の領域を表す五つの鳥居が続く

第一鳥居

第一鳥居は、元箱根の入口に国道1号線をまたぐかたちで建っており、誰もが知ってるお正月の箱根駅伝では往路のゴール・復路のスタートとしての拠点でもあります。

<箱根駅伝の銅像>

第一鳥居から徒歩2~3分程の芦ノ湖畔沿いには、記念碑として「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」と「駅伝を讃えて」の詩碑、そして箱根駅伝のブロンズ像が建てられています。

巨大な鳥居は、箱根神社・元宮のある駒ヶ岳を配し、神の領域への第一歩となっています。
ここから第二鳥居まで200m、箱根神社まで約500mです。

第二鳥居

第二鳥居は、元箱根中央交差点を越えた門前町の奥側に建っていて、道路を挟んで左右には観光バスや自家用車の参拝者専用駐車場があり、ここから箱根神社へ歩いて参拝する拠点となる。

第三鳥居

第二鳥居を道沿いに進んで行くと箱根神社境内に入り、道路が二つに分かれ右側に第三鳥居が見えてきます。

左側を進めば、境内の駐車場へと続いています。

数段の石段を上がって朱色の第三鳥居をくぐれば、ゆるやかな勾配の参道となり、左右には高い杉並木と朱色の燈籠が鮮やかでここからは空気感も変ってきます。

 

身も心も清める箱根神社の手水舎

<第四鳥居横の手水舎>

第三鳥居を進むと最初に見えるのが「手水舎(てみずしゃ)」です。

神様の前に出る前に、ここで心と身を清めるための手水を行います。

昔は、神の聖域に入る前に河川や湧水などで心と身を清めていましたが、川の汚染や湧水の場所が徐々に少なくなったため、代替の施設として手水舎が設置されました。

手水舎での手水の作法はこちらから

神社・お寺の違いと正しい参拝方法!ご利益上昇のポイントを学ぶ パワースポットとしても人気の高い神社仏閣ですが、さて、 神社とお寺の違いは何でしょうか? 参拝方法の違いはあるの? 普段から,...


<手水舎の龍神>

水は命の根源、迫力ある龍神様の口から出る水はご神水なのです。
ご神水で清めれば、身も心も祓われて新鮮な気持ちで神様のもとへと向かうことができます。

初代征夷大将軍「坂上田村麻呂」が所願成就を祈願した「矢立ての杉」

手水舎の向かい側にそびえるのは「矢立ての杉」で、かながわ名木100選にもなっています

平安時代に、第五十代桓武天皇より初代征夷大将軍を任じられた「坂上田村麻呂」は、東北平定に向かう際、途中に箱根権限に訪れ参詣し「表矢(おもてや)」献じ武運長久を祈願したのがこのスギの木で、東北平定が無事に所願成就できたのはこの御神徳のお陰であったとされ、後の武将達もこれに習ったといわれています。

樹高は35mと高く、樹齢約1200年と伝わっています。

「矢立の杉」は、箱根神社の神木の一つ、所願成就・心願成就を願うなら必ず立ち寄りたいパワースポットです。

 

他と土台が違う平和の鳥居!湖畔に浮かび美しく幻想的なスポット

「矢立の杉」から湖畔側の正参道の真直ぐ石段を降りて行くと、湖水に建つ「平和の鳥居」が見えてきます。

芦ノ湖の水中に立つこの「平和の鳥居」は、明神鳥居(みょうじんとりい)ではありますが、他の鳥居と違い土台に補助(控柱)が付いた両部(りょうぶ)鳥居の形態になります。

この形態は、広島の「厳島神社」の大鳥居が最も有名で、水中では適した鳥居の形なのでしょう。

【厳島神社】ガイドブックに載ってない開運パワースポット15選 宮島は、日本最高の海運の島で、日本に数ある神社の中でも、神々しさを感じる「厳島神社」。 青い海に浮かぶ朱色の大鳥居と背後の社殿、そ...

 

昭和27年に、今上陛下の立太子礼と日本の独立(講和条約締結)を記念して建てられたものです。

鳥居の中央まで石段が続き間近で見ることができ、夕暮れ時の湖畔に浮かぶ鳥居は美しく、正面から見ると幻想的なスポットとなっています。

第四鳥居

手水舎を越えて次に見えるのが第四鳥居です。

この鳥居から社殿までは真直ぐで、正参道の途中90段の石階段を上がって行けば、神門まではもう直ぐです。

そんなに広くはない正参道の左右には、老木であろう木々が高くそびえ立ち、少しひんやりとした感じもする。
この感じは、本殿が近いという証しなのかも知れません。

 

正参道の途中には曽我神社が鎮座!「曽我兄弟の仇討」は日本三大仇討の一つ

階段の上がって行く途中、左側に「曽我神社」が鎮座します。

日本三大仇討で知られる「曽我兄弟の仇討」の曽我兄弟を祀る神社です。

領土争いにより、河津祐泰(かわずすけやす)は工藤祐経(くどうすけつね)の家来に弓にて討たれた。

河津祐泰の遺児であった曽我十郎祐成(じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄弟は、源頼朝が富士山の裾野で大巻狩り(軍事演習)行っている最終日に、17年の思いを込め工藤祐経を討ち仇をとったされています。

しかし、この兄弟が無念なのはこの騒ぎにより見つかり、兄は斬られ弟は捕まったが翌日に斬首された。

兄の曽我十郎祐成は若干22歳、弟の五郎時致も20歳と若くしてこの世を去っていったのです。

尚、日本三大仇討「曽我兄弟の仇討」の他「伊賀越えの仇討ち」「赤穂浪士の討ち入り」となります。

第五鳥居

正参道の階段を最後まで上がれば、そこは空間が広がり最後の第五鳥居をくぐります。
厳粛な雰囲気と共に空気感もまた変り、聖域からのパワーが感じられる。

第五鳥居(神門側:上記写真)から下を見れば、第四鳥居が遠く小さく見えます。

ここからは、神門まで広く左右には神楽殿や絵馬殿・社務所などが建ち、神門をくぐればいよいよ拝殿・本殿です。

<箱根神社・神門>

<神門左側の中央:神楽殿と右側:社務所>

安産の杉!母胎を思わせる姿は子孫繁栄の象徴

境内の絵馬殿裏にあり、古代から栄木として崇められ、今では子孫繁栄の象徴として敬仰されているのが「安産の杉」です。

根っこが二つに分かれた姿が、母の母胎を思わせることから古くより子孫繁栄や安産祈願参りが多いご神木。

鎌倉幕府の創設者である源頼朝は、「箱根神社」を高く崇敬しており、その妻である北条正子は子宝を授かるよう安産祈願をし、無事に実朝(さねとも:鎌倉幕府第3代征夷大代将軍)が生まれ祈願が成就されため、この風習が武家や庶民にも伝わり、今でも安産祈願のご神木として多くの人が訪れるパワースポットなっています。

箱根神社拝殿・本殿は親子である箱根大神様を祀る!

神門をくぐれば、濃い朱色の拝殿が目をひく。

「箱根神社」の御祭神は、「箱根大神(ハコネノオオカミ)様」と呼ばれ御三神の総称で、御三神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)です。

瓊瓊杵尊は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたり、日本が平和な豊かな国になるように日向国高千穂峰(ひゅうがのくにたかちほのみね)に降臨した神で、木花咲耶姫命瓊瓊杵尊の妻であり、彦火火出見尊はこの二人の子供で三人は親子となります。

瓊瓊杵尊は霧島神宮(鹿児島)・木花咲耶姫命は浅間神社(山梨県)・彦火火出見尊は鹿児島神宮(鹿児島県)の御祭神でもあります。

<駒ヶ岳山頂とロープウェー山頂駅>

古来から、箱根山など山岳信仰が篤く神山は特にその信仰が強かったため、遠くから拝むことのできる駒ヶ岳山頂を神霊祭祀の場所としました。

2400年以上前、五代孝昭天皇の時代に聖占上人(しょうせんじょうにん)が駒ヶ岳に神仙宮を開き、神山を神体山としてお祀りしたことが特に山岳信仰を盛んにさせることとなります。

万巻上人(まんがんしょうにん)が天平宝字元年(757年)に、現在の場所に「関東総鎮守箱根大権現(箱根神社)」を創建して以来、2017年には御鎮座1260年の歴史ある神社です。

関東で成功を収めるなら「箱根神社」を必ず参拝しなさいと言われる程、心願成就や勝負運の強い神社で、政財界や経営者も毎年数多く訪れる。

箱根神社・元宮は箱根のパワースポットの聖地

「箱根元宮(はこねもとつみや)」は、古来、駒ヶ岳(1357m)山頂に神仙宮が開かれた場所に、昭和39年堤康次郎氏(西武グループ創業者)の寄進により再建され神社で、本殿は無く拝殿奥は神体山の神山(カミノヤマ)に向いていて、山岳信仰をより強く感じさせる箱根のパワースポットの聖地ともいえます。

御祭神は「箱根神社」と同じ箱根大神(はこねのおおかみ)様天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)・高皇産巣日之神(タカミムスビノカミ)・神皇産巣日之神(カミムスビノカミ)造化三神(ゾウカサンシン)です。

造化三神:古事記では天地が定まっていない頃、最初に現れた神。

霊山の神山を望みこれら御祭神を見ても、駒ヶ岳山頂にある「箱根元宮」は強力なパワーがあり、心願成就や開運成就・何かを始める時には必ず参拝したい神社です。

奥宮として、三社参りする人も多く、箱根園から駒ヶ岳ロープウェーを利用して片道7分(全長1,783m)で駒ヶ岳山頂まで行けます。

山頂は、広い広場となっており「箱根元宮」や展望台があり、天気の良い日は芦ノ湖を一望でき、北西に位置する富士山の雄大な姿を拝めます。

駒ヶ岳山頂からのタイムラプス(時間の経過を早回しで見る)が美しい!

 

九頭龍神社・新宮は縁結びで注目の人気のパワースポット

「箱根神社」拝殿・本殿に隣接して、末社で龍神様を祀る「九頭龍神社・新宮」が鎮座します。

「九頭龍神社・本宮」は、芦ノ湖畔の森深い所にあり交通の便が悪く、船での往来が主であったため平成12年に「箱根神社」の横に分社を建てて新宮としました。

「九頭龍神社」は、龍神様の御神徳として「縁結び」が注目を集める人気のパワースポットです。

「縁結び」以外にも、開運・金運・商売繁盛などの御神徳を授かるため、若い男女はもとより有名人など多くの人が参拝に訪れます。

鳥居の斜め横にある、九つの龍の口から湧き出る「龍神水」は、縁結びをアップさせるための必須のアイテムです。

「龍神水」は、箱根山を源泉とし九頭龍神様が守護する芦ノ湖を満たし龍神甘露の水で、この霊水で口を漱(すす)げば一切の不浄を洗い清め、神棚に供(そな)えておくと家庭内が清浄され縁起・縁も良くなるといわれています。

「龍神水」は、誰でも持ち帰ることができますので、事前に用意しておきましょう。
容器が必要であれば、100円で「龍神水」専用ペットボトルが境内のお礼所にて購入できますので、必ず持ち帰ることをお勧めします。

かなり強力な浄化作用のがあるようで、飲んでも供えてもパワーを感じる人が多く、宝石やパワーストーンの浄化に使っている人もいます。

九頭龍神社・本宮!毎月の月次祭には縁を求めて数千人が集まる

「九頭龍神社・本宮」は、箱根山の下で芦ノ湖の東側に位置する場所にひっそりと鎮座する神社です。

里人に被害を与えていた九頭の毒龍を万巻上人(まんがんしょうにん)が祓い、改心した九頭龍を龍神として祀ったのが九頭龍神社です。

そののち、水の神・良縁の神として里人より親しまれ、多くの人々が参拝に訪れ、今では「縁結びの神様」として大人気のパワースポットです。

奥深い場所のため、普段訪れる人も少ないのですが、毎月13日の「月次祭」には元箱根港から参拝船が出港し、数千名の人が参拝に訪れます。

同じ13日でも、6月13日の年に一回の「例大祭」では、九頭龍伝説を再現する龍神湖水の神事や祭りが盛大に催され、数多くの参拝者で賑わいます。

【九頭龍神社・本宮】の動画

後朱印

http://photozou.jp/photo/show/2927612/177673074

「箱根神社」「九頭龍神社」「箱根元宮」の御朱印です。

まとめ

「箱根神社・九頭龍神社」は関東屈指のパワースポット!

勝負運が強く、関東で成功したいなら「箱根神社」参りと言われるほど心願成就・願望実現に強く、政財界や有名人の参拝者が多く訪れる場所です。

「九頭龍神社」も、縁結びで大変人気のスポットですが、財運・仕事運・健康運・恋愛運・人間関係などなど多くの運をもたらす神社です。

「箱根神社」「九頭龍神社・本宮」の両社参りをして、多くのご利益をいただきましょう。

箱根神社・九頭龍神社の詳細

【箱根神社・九頭龍神社新宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
TEL:0460-83-7123 FAX:0460-83-6669
公式ホームページ:箱根神社(九頭龍神社)

参拝:自由・無休(8:30~17:00駐車場)

【宝物殿:時間】 開館時間 9:00~16:30(入館は16:00迄です)
【宝物殿:料金】 中学生以上500円、小学生300円

<アクセス>
JR:新幹線(東京駅~小田原駅まで約35分-JR小田原駅-伊豆箱根バス「元箱根・箱根町」行きで約60分)(関西方面からは三島駅・小田原駅下車)

小田急ロマンスカー:(新宿から箱根湯本約90分-伊豆箱根バスか箱根登山バス「元箱根・箱根町」行きで約40分-元箱根バス停下車後徒歩約10分)
(小田原から箱根湯本経由で元箱根へ約60分)
(三島から箱根関所経由で元箱根へ約60分

高速バス:直通(東京新宿から元箱根)

マイカー駐車場は下記のマップにて

【箱根元宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根110
TEL:0460-83-7123<アクセス>
箱根駒ヶ岳ロープウェーで「箱根園」~「山頂駅」約7分
(上りの最終16時30分・下りの最終16時50分)

参拝:無休、自由(但し、駒ケ岳ロープウェーの運転状況による)

【九頭龍神社本宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 箱根九頭龍の森
TEL:0460-83-7123 FAX:0460-83-6669

参拝時間:陸からは箱根九頭龍の森の営業時間内(9:00~16:45)

<アクセス>
陸からはザ・プリンス箱根芦ノ湖で駐車(1,000円)徒歩約30分

毎月の祭りと四季の祭り・三社参り:九頭龍神社本宮


<宿泊・休憩・食事処>

【お宿情報】
>>箱根神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】


<箱根神社周辺と駐車場マップ>

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鳥取「白兎神社」18匹のうさぎが縁結びを叶えるパワースポット https://kaiun.website/archives/1940 Thu, 15 Dec 2016 00:33:38 +0000 http://kaiun.website/?p=1940

「白兎神社(はくとじんじゃ)」は、「古事記」「日本書紀」にでてくる日本神話の大黒様と白うさぎで有名な神社で、鳥取県鳥取市白兎に鎮座する縁結びのパワースポットです。

そのお話「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」の舞台となる白兎海岸(はくとかいがん)は、国道9号線を挟んだすぐ目の前にあり、白砂と青い海が連なる美しい海岸で「日本の渚・百選」に選ばれています。

白兎海岸は、鳥取空港から車で10分程で年間45万人以上が訪れる観光スポット、夏には海水浴場としてにぎわい、その他の季節にもサーフィン・魚釣りなどで訪れる人も多く、そのため近隣には民宿やキャンプ場も多い。

また、106ヶ所目の「恋人の聖地」として選定され、プロポーズにふさわしいロマンティックなスポットでもあります。

白兎海岸から沖を望めば、厳(おごそ)かな感じの鳥居のある島が見えます。
この島は淤岐ノ島(おきのしま)と言い、白兎が棲んでいたと言われています。

「白兎神社」は、この白うさぎが大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上姫(やかみひめの縁結び取り持った神様とし、白兎神」を御祭神として祀っています。

プロポーズにふさわしい「恋人の聖地」の証し!銘板と石像モニュメント

「白兎神社」は、道の駅「神話の里 白うさぎ」が併設されていて、駐車場の入口付近の大国主命と因幡の白うさぎの石像モニュメントが真っ先に目に入ってきます。

このモニュメントは、「恋人の聖地」に選定されたことを受けて、恋人の聖地銘板の除幕式に合わせて作られました。

【恋人の聖地とは】
「少子化対策と地域の活性化への貢献」をテーマとし、全国の観光地域の中からプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを「恋人の聖地」として選定し、地域の新たな魅力づくりと情報発信を図るとともに、地域間の連携による地域活性化を図る。(恋人の聖地プロジェクトより)

 

2013年3月13日のオープニングセレモニーには、「恋人の聖地」の選定委員でありファッションデザイナーの桂由美を招き、トークショーも開催された。

 

白兎神社の御祭神は最古のラブストーリーの仲人

「白兎神社」の入口は、石造りの第一ノ鳥居(大鳥居)。

明神鳥居(みょうじんとりい)形の大きくがっしりした鳥居は、神社がここにあることが遠くからでもすぐわかる。

大きな第一の鳥居を抜けると、「白兎神社」の社業と由緒の看板が目に入る。

日本海岸地方の原始景林が、昭和12年に国指定の天然記念物になっことや大国様と白うさぎの神話が記されています。

ここからでは、「白兎神社」はまだ見えません。
神社へ向かう階段は少し急ですが、手すりが付いているのでご年配の方でも安心です。

 


この階段の両サイドには、石造りの可愛いうさぎが乗った石灯篭がここから続きます。

白うさぎがとりもった最古のラブストーリーを砂像で再現

階段を上がったすぐ左側には、大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上姫(やかみひめ)の砂像が展示されています。

日本神話の「因幡の白うさぎ」よれば、大国主命は因幡の国八上の郷の美しい八上姫と一緒になりたいと思い旅立つが、その途中に白兎海岸で毛皮を剥がされた白うさぎと出会います。

理由を聞いた大国主命は、白うさぎを助けました。

この事を大変喜んだ白うさぎは、大国主命と八上姫が結ばれることを予言し、二人の仲をとりもったとされることから白うさぎを縁結びの神様とし、「白兎神社」は、白兎神を御祭神として祀っています。

その、白うさぎが大国主命と八上姫をとりもった場面を砂像でリアルに再現されています。

そして二人の恋は、うさぎが予言した最古のラブストーリーと言われています。

白兎神社に建つ白兎海岸の情景を詠んだ北里闌の歌碑

階段を上がったすぐ右手には、国学者の北里闌(きたざとたけし)氏の歌碑があります。

歌碑に記される和歌は、「鰐(ワニ)の背に 似たる岩見ゆ 蒲ならぬ 波の花散る 気多の岬に」と詠んでいます。

昭和5年、宮中歌会始の勅題「海辺の巌」で、気多ノ前(けたのさき)の情景を詠んだこの和歌が入賞した記念に、気多ノ前に歌碑が建てられました。
そののちの昭和61年に、現在の「白兎神社」の参道に移設された。

北里闌(きたざとたけし)とは:明治3年3月3日 熊本県阿蘇郡小国郷北里村に生まれ、昭和35年5月20日に享年90歳で逝去。
日本の古代語の研究者で、歌道を鎌田正夫・高崎正風に学ぶ。

白うさぎが傷を癒した蒲の穂

北里闌氏の歌碑の後ろ側には、毛皮が剥がされた白うさぎが大国主命に教わり、蒲(がま)の穂でくるまって傷を癒したとされる場所があります。

参道の左右に並ぶ可愛いうさぎその周りを結び石が囲む

階段を上がると参道が続き、第二ノ鳥居が見えてきます。
高台になる参道まで来ると少し空気感も違い、清々しさを感じます。

参道にも、うさぎが乗った石燈籠が左右に続きます
うさぎを乗せた燈籠は、第二ノ鳥居を過ぎたところまで続き合計で18箇所、うさぎの形も4種類あります。

可愛いうさぎが乗る石燈籠の上には、うさぎと一緒に白い石が沢山置いています。
この石は、五縁を結ぶ「結び石」言われ縁起物でお守りでもあります。

ピンクの袋の中に5個の白い石が入っており、全ての石に縁という文字が書かれていて、「良縁・子宝・繁盛・飛躍・健康」の5つの縁を意味します。

写真をよく見れば、赤文字で薄っすら縁と書かれているのがわかるかと思います。

「結び石」は、拝殿横の社務所で授与されます(500円)。
使い方は、三つです。

①鳥居の上に乗せて願いを込め祈る! 
②うさぎの石像に願い込めて置く!
③持ち帰りパワーストーンのお守りとする!

尚、鳥居や燈籠から落ちた「結び石」は、宮司さんが境内に奉納します。

第二ノ鳥居も、石造りの明神鳥居(みょうじんとりい)形の鳥居です。

鳥居の上には、「結び石」が沢山乗っています。

ここから拝殿・本殿までは若干下りとなっています。

前に立てば自動で音楽が流れる手水舎

第二ノ鳥居を下ると、左手に手水舎(てみずしゃ)が現れます。

手水舎の前に立つと自動的に音楽が流れてきます。
突然なので少し驚きますが、でも色んな所に工夫を凝らしていて感心します。

こちらで、身と心を清めて参拝に向かいます。

境内まで来ればピーンとした空気感に変わる

手水舎を過ぎると、境内が左側に見えてきます。
ここまで来ると参道と雰囲気が変わり、清々しさから重みのあるピーンとした空気感に変わった気がします。

「白兎神社」の拝殿正面。

注連縄(しめなわ)は、日本一の出雲大社程ではないがかなり大きめの部類で、存在感があり、編み方は左綯え(ひだりなえ)の左本右末の形で出雲大社と同じ形式です。

創建は、ウィキペディアによると

創建の由緒は不詳である。かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた。戦乱で消失し、鹿野城主だった亀井茲矩により慶長年間に再興された。戦乱焼失後、白兎神の御神体は現白兎神社の南方10キロの山上に位置する松上神社に遷座されていたという。現在の本殿は明治時代の再建。

主祭神:「白兎神」 保食神・豊玉比売を合祀
縁結びの神様なので、ご利益は縁結びの他、あらゆる縁で良縁・子宝・繁盛・飛躍・健康など。

また、白うさぎの毛皮の傷が治ったことから、日本医療の発症の地とも言われ、古来から病気・傷痍に霊験あらたかな神様であるとされています。

拝殿の左側(左の柱の中央部)に木製の箱が見えますが、これは「白兎起請文」を入れる箱です。

縁結びの神様の「白兎神」に誓約する白兎起請文

「白兎起請文」は、縁結びの神様の「白兎神」に誓約する言葉を書き表した文章の事で、もし、書いたことが偽りならば神様の罰を受けることを誓約するというものです。

要は、願い事や約束事を誓願するカップルの誓約書とも言うべきものです。
愛を誓う二人には、固い絆がさらに深まりますね。

「白兎起請文」使い方

1.起請文は神符3枚セット(300円)
購入して3枚に2人の名前と誓約を書く。

2.1枚を神社へ収めます。(神社に専用の受け箱あり)

3.2枚はそれぞれが大切に保管。

道の駅「神話の里 白うさぎ」内で販売されています。

本殿を支えている土台は皇室の紋章を型どった菊座石

拝殿裏が、本殿です。

社殿を支える6箇所の土台には、皇室の紋章と同じ28弁の菊花を型どった菊座石が使われています。

看板には、「神社創設が皇室と何らかの関係があったものと伝われている」と書かれていますが、白兎神は皇族より上なのだろうか?何故、ここに皇室の菊座石があるのだろうか?謎めいた部分です。

拝殿側面と奥が本殿。

御縁を祈願に思いを込めた沢山の絵馬と結び石

境内には、縁結びや縁をあやかる沢山の絵馬が掛けられています。
絵馬の種類は、4種類あります。

おみくじを結んだ木の下には、鳥居や燈籠から落ちた「結び石」奉納されています。

社務所窓口の二つのおみくじ

境内の拝殿左側には、社務所があります。
中で、結び石やお守り・絵馬(4種類500円)・御朱印が授与されます。

窓口には、二つのおみくじの箱が並んでいて、一つは普通のおみくじ(100円)左側で、もう一つは恋みくじ(300円)右側です。

恋みくじの中には、和紙で作られた着物姿の女の子も入っていて、財布などに入れて持っていれば縁結びのお守りにもなるので、同時におみくじとお守りの2つの開運がいただけます。

白うさぎがこの池の水で傷を治した御身洗池

境内前には、日本神話で白うさぎがワニに毛皮を剥がされ、赤く腫れた肌をこの池の水で傷を癒し蒲の花を体にまとって治した「御身洗池(みたらしいけ)」があります。

横幅30m程の池には、「不増不滅の池」という別名があり、長く旱魃(かんばつ)が続いたり豪雨になったりしても、水の増減がないと言い伝えられる摩訶不思議な池です。

傷を癒す、永遠に変わらない水の量など霊的な力のあるこの池は、病気平癒や長寿・夫婦円満などのパワースポットでもあり、周りの空気は少しひんやりし清閑な感じがする。

帰りの参道から見える日本海が美しい!

帰りの参道から見た、第二ノ鳥居。
右側には、うさぎの乗った燈籠も見えます。

参道から見る日本海は近い。

参道上から見える、第一ノ鳥居裏側と雄大な日本海が美しい!
左手には、道の駅「神話の里 白うさぎ」と西駐車場、右手側は東駐車場。

白兎歩道橋に上がれば見える気多ノ前と淤岐ノ島

「白兎神社」前、国道9号線を挟む白兎歩道橋を上がってみると!

左側の岬の上に、「気多ノ前(けたのさき)展望台」が、中央のに「淤岐ノ島(おきのしま)」が見えます。
「展望台」は、「白兎の丘」とも言われ、展望台から一望する日本海は雄大で、夏はやさしく冬は荒々しい。

白うさぎが流れ着いたとされる淤岐ノ島(おきのしま)は、気多ノ前から150m程沖合いにあり、一番高い10m程の所に鳥居が立っています。

島は、約2000万年前頃の火山活動による火山灰や火山礫などが堆積してできた岩石「火砕岩(かさいがん)」でできており、東西に走る断層によってブロック状に分断され、南北には波食棚が広がる。

北側の平らな部分は「千畳敷(せんじょうじき)」といわれ、南側には飛び石状に棚が連なっていて、「因幡の白うさぎ」に登場するワニ鮫の背に例えられています。

大国主命が八上姫をプロポーズした場所は恋島

「淤岐ノ島」に近い砂浜には、少しだけ出ている岩「恋島」があります。
大国主命が八上姫をプロポーズした場所といわれ、安政5年に地元の若者が、この岩(神楽岩)に石燈籠を建てたそうでうす。

縁結びの郵便ポスト「すご!ウサ縁結びポスト」


第一ノ鳥居(大鳥居)の横に、2016年10月からピンクのラッピングシートをまとったポスト「すご!ウサ縁結びポスト」の設置されています。
そして、「すご!ウサ縁結びポスト」中には、何と「白兎神社」の宮司さんが祈願したお札が奉納されているそうです。

神社の社務所にて授与される、お守り型のハガキに想いを込めポストに投函すると御縁が叶うそうです。
おまけに、投函されたハガキの消印には「すご!ウサギ小型印」が押されます。

白兎神社の御朱印帳

「白兎神社」の御朱印帳は、うさぎとお花が描かれたピンク系の色合いが可愛いく女性には評判のようです。

デザインの割には値段も安く、御朱印帳の初穂料は1,000円です。

社務所で授与できますので、参拝に訪れたら是非一冊!
御朱印も忘れずに、貰っておきましょう!

まとめ

「白兎神社」は、縁結びの神様の白兎神が鎮座し、御縁を求め参拝に来られた人達の願いを叶えるパワースポットです。

そしてこの場所は、大国主命と八上姫が恋した最古のラブストーリー発祥の地として、「白兎海岸」や「道の駅」には、神社と連携して縁結びの仕掛けが沢山施されています。

自然あふれる海や山が美しいこの場所は、御縁を結ぶパワースポットとしてだけではなく、観光スポットとしても十分満足できます。

また、これら全てが国道9号線沿いにあるので、車でのアクセスも良く迷うことなく行くことができますので、是非一度、ご縁やプロポーズの場所・神話の里巡りに、鳥取県の「白兎神社」を訪れてみてはいかがでしょうか。

白兎神社の詳細情報

【白兎神社】
所在地:〒689-0206 鳥取県鳥取市白兎宮腰603番地
社務所:鳥取県鳥取市白兎592番地
TEL:0857-59-0047(白兎神社)
白兎観光協会スタッフブログ

【参拝時間・料金】
基本参拝時間無休・料金無料
社務所(9~16時)

【アクセス】
マイカー:山陰道鳥取西IC~国道9号を経由し11km(約20分)
道の駅「神話の里 白うさぎ」駐車場約250台

JR・バス乗り継ぎ:JR鳥取駅(乗り換え)日ノ丸バス青谷・鹿野方面行き~白兎神社下車(約35分)

【お宿情報】:>>白兎神社の周辺宿はこちら【楽天たびノート】


<白兎神社の周辺マップ>

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高野山のパワースポット巡り!ここを知っていれば開運効果が倍増 https://kaiun.website/archives/1725 Thu, 17 Nov 2016 00:59:07 +0000 http://kaiun.website/?p=1725 高野山・紀伊山地

「高野山」は、平安時代のはじめに弘法大師(空海)よって開かれ、開創1200年を迎えた真言密教の聖地で日本屈指のパワースポットです。

そんな高野山には、ご利益のある開運スポットが数多くあり、中でもご利益の高いこの三つのエリアのパワースポットをご紹介していきます。

ご利益の高い三つのエリア

平成27年には、開創1200年記念大法会もあり、参拝者数は199万人を越えました。

世界的旅行誌のミシュランガイドでは、日本で「わざわざ訪れる価値の場所」として三星に輝くなど外国の方にも人気の場所で、年々観光客も増加し、今では年間約5万6千人の外国の方が訪れています。

外国の方に人気の理由は、神秘的な景観やここにいるだけで不思議なパワーを感じるという人が多く、そんな特別なパワーに魅了されるようです。

高野山は、和歌山県北東部の伊都郡高野町に位置します。

高野山を山だと思っている人も多いのではないかと思われますが、実は山ではなく、四方を八つの山に囲まれた盆地のことを高野山と呼びます。

高野町の人口は、平成28年度約3、200人でその内約700人を僧侶が占め又、高野山境内にはコンビニが有ったり、国道も走り駐車場も点在する高野山一体そのものが宗教の町。

高野山は、聖域内に入る大門をくぐって最初に壇上伽藍(だんじょうがらん)エリア総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)エリアそして弘法大師が今も瞑想されていると言われる奥之院(おくのいん)エリア三つのエリアに分けられます。

壇上伽藍エリアと奥之院エリアは、山内の二大聖地とされ信仰の中心的存在です。

聖地高野山の第一歩は大門から始まる

高野山・ガイドマップと三エリア

普通思い浮かぶお寺には、本堂の建物がありその敷地を境内という概念ですが、高野山は通常のお寺違い「一山境内地」で高野山全体がお寺であり、境内地になっています。

山内にあるお寺は117ヶ所あり、これらのお寺を塔頭寺院(たっちゅうじいん)といい、高野山全体を大寺(だいじ)と見ればこの点在するお寺は小院です。

また、この内52ヶ寺には宿坊が完備され、参拝者の泊まれる宿となっています。

弘法大師・空海が開いた「真言密教」は、平安時代初期に大成され、「真言」とは、仏の真実の「ことば」を意味しており、さまざまの事柄の深い意味、隠された秘密の意味を知ることのできる教えが「密教」です。

空海以前の仏教は、国を守るなど国の繁栄祈願のような大きな話のものでしたが、空海の登場により、自分やその周辺の願いである病気平癒・出世・御縁など、個人の祈願もできるようになったきっかけの場所がこの高野山です。

高野山・大門

高野山の入口の第一歩は総門の大門から始まり、神聖な聖域に足を一歩踏み入れれば空気感も変わり清々しさを覚えます。

大門は、国の重要文化財で少し怖い感じの金剛力士像(仁王像)が、入門される人々を左右からあたかも監視しているかのよう立っています。

壇上伽藍(だんじょうがらん)エリア

「壇上伽藍エリア」は、弘法大師が真言密教を開くために最初に整備したエリアで、真言密教のシンボルとして創建された根本大塔(こんぽんだいとう)や金堂(金堂)・御影堂(みえいどう)などがある二大聖地の一つです。

高野山・壇上伽藍エリア詳細マップ

 

壇上伽藍をもう少し細かく見てみましょう。

高野山・壇上伽藍エリア拡大マップ

根本大塔(こんぽんだいとう)お賽銭を立てればご利益が高くなる開運スポット!

高野山・根本大塔

真言密教のシンボルの「根本大塔(こんぽんだいとう)」は、高さ48.5mの巨塔で空海が創建した日本初の多宝塔です。

「根本大塔」の外見の特徴は、一階部分が四角なのに対して二階部分が円形となっおり、この形式は真言宗ではよく使われる宇宙の中心の形で、宇宙は丸く回転していく思想を表しています。

大塔内は、真言密教の仏様である「大日如来像」が鎮座し、左右に2体、前後に2体の仏様が座り、そして菩薩様が画かれた16本の柱に囲まれています。

正方形の囲まれた中に、仏像を平然と並べることで真言密教の世界観である仏の世界・宇宙の世界を立体的に表現した、立体曼荼羅となっています。

こちらのお賽銭の供え方に特徴があり、仏様のすぐ横の壇上にお金を立ててお参りすると開運のご利益があると言われています。
仏様は、単にお金を供えるより難しい作業をこなしたあなに願いを叶えてあげましょうということらしく、いつからかこのお参り方法となったようです。

三鈷の松を拾うと幸せが訪れる開運スポット!

根本大塔のすぐ隣で、赤い柵の中に松の木があります。

通常松の葉は二つに分かれていますが、ここの松には三つに分かれた松の葉があり「三鈷の松」と呼ばれ、柵周辺に落ちている松の葉の中から三鈷の松を見つけ大事に持っていると幸せになれると言われています。

どうして、三つに分かれた松の葉にご利益があるのかは、弘法大師・空海が高野山開創の際のある伝説によるもので、中国・唐の浜辺より、真言密教を広めるための場所を探しておくれと法具の三鈷杵(さんこしょう)を日本に向けて投げた。

その後、帰国し高野近辺に訪れた時に、松の木を見上げると唐から投げた三鈷杵が掛かっていました。
そこで、この地が真言密教を開創する場所にふさわしいと決めたそうです。

その逸話から三鈷杵と同じ三葉の松の葉は、縁起が良いと言われ「三鈷の松」として祀られてきました。

回すだけで頭が良くなるご利益スポット!「六角経蔵」

「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」(別名:荒川経蔵)は、鳥羽法皇の供養のため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された経典を収納する目的で建立された経蔵です。

現在の六角経蔵は、1934年(昭和9年)に、再建されたものです。

六角経蔵の基壇(きだん)部分に把手がついていて、比較的軽い力でも回すことができ、一周すれば中の経典を一通り読んだことになり、頭が良くなると言われています。

高野山の総本堂の「金堂」御本尊がご開帳されたのは1200年の歴史で一回だけ!

By: na0905By: na0905

重要な行事はほとんどここで行われる、高野山の総本山である「金堂」

現在8代目となる入母屋造りの建物は、高さ23.73m・梁間23.8m・桁行30mで、1926年(昭和元)に火災により全焼しましたが1934年(昭和9年)弘法大師千百年御遠忌に合わせ再建されました。

再建と同時に、金堂の御本尊である「秘仏・薬師如来(阿閦如来)」も、大仏師の高村光雲仏師によって造立された。

1200年という長い歴史の中で、初めて「秘仏・薬師如来」のご開帳が、平成27年の高野山開創1200年記念大法会で行われました。

薬師如来のご利益は病気平癒、さまざまな病気を治すお医者様なので、この歴史的イベントを目にした人たちは健康となるご利益を授かったに違いありません。

高野山を開創する際に空海が守り神とした御社

弘法大師・空海が、高野山に真言密教の聖地を開創する際に、丹生明神と高野明神を守り神として寺社に迎え奉安したお社。
お社には、丹生明神と高野明神、十二王子・百二十供神が祀られている。

このお社の前には「山王院」というお堂があり、お社に祀られる地主神の拝殿となっています。
神仏習合姿勢が見られる場所です。

蓮池の太鼓橋

高野山・蓮池の太鼓橋

蓮池は、壇上伽藍・中門の東側にあり、真中の小島を中心に二つの太鼓橋が架かっています。
この一直線上に架かる二つの太鼓橋は、遠望から見ると二つの太鼓を描く形となっている。

また、小島には祠(ほこら)があり善女竜王が祀られています。

総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)エリア

「金剛峯寺(こんごうぶじ)エリア」には、平成11年に平成の大修理落慶大法会以来、16年ぶりの平成27年にご開帳された、持仏の間に祀られる御本尊(弘法大師座像)や日本最大級の規模を誇る石庭の「蟠龍庭」・真田幸村が過ごしたとされる「蓮華定院」・豊臣秀吉の甥の豊臣秀次が自害した居間などがあります。

高野山の壇上伽藍・金剛峯寺エリア

金剛峯寺(こんごうぶじ)

金剛峯寺・正門

金剛峯寺の境内に入る正門。

金剛峯寺の建物の中でも一番古く、当時この正門から入ることができるのは、天皇や貴族・高野山の重職のみでした。
一般の僧侶は、右側にある小さな門から出入りしていたそうです。

金剛峯寺・大玄関と小玄関

「金剛峯寺」の奥側(ひさしが直線的)が大玄関(だいげんかん)で手前側(ひさしが曲線的)が小玄関(こげんかん)になります。

玄関にも決まりがあり、大玄関は天皇や貴族・高野山の重職が出入口、小玄関は上綱(じょうこう)職、一般の僧侶は裏口から出入りしていたようです。

高野山・金剛峯寺

写真でもわかるように金剛峯寺の屋根の上には、天水桶(てんすいおけ)という桶が設置されています。
普通は下に置いてある場合が多いのですが、金剛峯寺のように上に置いてあるのは非常に珍しいことです。

この天水桶には利用法があり、火事などが起きた場合に僧侶が屋根に上って水を組み消火するためのものです。
また、桶に7分ほどの水を入れておき地震で揺れると水がこぼれることを利用し、当時の地震計としても使われており震度4以上になったときに水があふれると言います。

<金剛峯寺の拡大図>高野山・金剛峯寺拡大マップ

金剛峯寺には、1943年(昭和9年)に別殿が建てられ、1984年(昭和59年)には、新たに大勢の参拝者の接待所として新別殿が建てられました。

日本最大級の石庭「蟠龍庭」奥殿の前でとぐろを巻く雄雌一対の龍

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別殿・新別殿・奥殿の間にある「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」は、日本最大級の石庭で2,340平方メートルの広さがあります。
蟠龍庭は、新別殿と同時期に造園されました。

名前の蟠龍とは、天に昇らず地上にうずくまりとぐろを巻いた龍のことで、奥殿を守るかのように左側に雄と右側に雌の一対の龍が、雲海のなか向き合っている姿を石で表現しています。

雲海には京都の白川砂が、龍には四国の花崗岩が使用されている。

金剛峯寺の台所の一度に僧侶2、000人分のご飯が炊ける釜

 

金剛峯寺の台所には、僧侶2、000人分のご飯が一回で炊けるというお釜があります。
写真のお釜がそのお釜で、一つのお釜で約七斗(98kg)三ついっぺんに炊けば約二十一斗(二石)となり、約2、000人分のご飯を炊くことができます。

三基並ぶお釜の上には、台所の神様の三宝荒神が祀られています。

触ると絆が深まるパワースポット!六時の鐘の石垣内に大泥棒が隠したもの

高野山・お寺の前の石垣内のかすがい

金剛峯寺入口の手前に、少し高い石垣の上に「六時の鐘(ろくじのかね)」があります。

福島正則が、父母の冥福を祈り1618年(元和4年)に建てた鐘楼で、今でも朝6時から夜の10時までの偶数時間に時刻を知らせています。

そして、この六時の鐘の下の石垣はパワースポットなっています。

あの天下の大泥棒と言われた石川五右衛門が、お寺に忍び込む時に見つかってしまい身体を調べられた際、泥棒であることをかくすためお寺へ昇る道具を石垣に隠したとされる。

この道具が「かすがい」というもので、写真の矢印の石垣内に残っています。

かすがい

 

鎹(かすがい)は、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む金具で、「つなぎ」「つなぐ」という意味で、触ると夫婦の絆がより深まると言われています。

弘法大師が自ら刻む仏像に命を救われた!最強パワーの秘仏「浪切不動明王」

高野山・浪切不動尊・南院

 

弘法大師が、自ら彫ったとされる秘仏「浪切不動明王」があります。
香木で、赤い色をした赤栴檀(しゃくせんだん)の木で作られた約1m程の仏像です。

この仏像があるのは、金剛峯寺の北西に位置する「浪切不動尊・南院」で、山外不出でめったに見ることのできませんが、6月28日のみご開帳できます。

「浪切不動明王」には、弘法大師を救ったとされる伝説があり、中国・唐から帰国時に嵐に遭い船が沈没しそうになったので、波を押さえるため自ら彫った「浪切不動明王」に祈りを捧げながら、不動明の剣から出る火焔で波を切り裂きながら無事帰国の途についたといわれています。

現在の「浪切不動明王」は、赤色ではなく黒色に染まっています。
それは、1200年間護摩壇に安置され、毎日焚く護摩のすすで染まった祈りの色で、弘法大師・空海から受け継がれる最強パワーの秘仏です。

高野山最強パワースポット奥之院エリア

高野山の奥之院エリアマップ

高野山最大のパワースポット「奥之院エリア」には、今も弘法大師・空海がいるという「御廟(ごびょう)」があります。

奥之院の終点の御廟までは、一の橋から約2kmの道のりが続きゆっくり歩いて約30分、その参道にはあらゆる階層の20万基のお墓が立ち並び高く伸びた杉と相まって神聖な澄んだ空気間をかもしだす。

一の橋の正式名は大橋と言い、御廟へ行く最初の橋で、弘法大師がこの橋まで送り迎えしてくれるといわれています。

<一の橋>

一の橋は、澱川に架かっており、日本人は古来から川を現世・来世・浄土の世界の境界とし、高野山はこれを象徴する三重構造を形成している。

橋は、安全に行く浄土への架け橋となっています。

<奥之院参道>高野山・奥之院参道

織田信長や豊臣秀吉・武田信玄・上杉謙信など戦国武将の名を連ねる墓所がある中、織田信長と謀反(むほん)を起こした明智光秀の墓所が同じ場所に存在したり、一般の人の墓所があったり、宗教・有名無名・敵味方・身分など関係なしに誰もがやすらげる場所、現世にこだわない高野山の寛大さがあり弘法大師・空海の思想が受け継がれています。

<奥之院・石田光成墓所>
高野山奥之院・石田光成墓所

いつも汗をかいている「汗かき地蔵」


中の橋を少し越えた所に、いつも汗をかいているお地蔵様「あせかき地蔵」が地蔵堂の中にいます。

何故いつも汗をかいているんでしょうか?
それは、この世の人々の苦しみや悲しみをこのお地蔵様が一身に背負い受け止めているため、汗をかいているんだと伝わっています。

顔が映らなければ怖い「姿見の井戸」!高野山七不思議の一つ

汗かき地蔵堂の左側後ろ(向かって右側)に、世にも奇妙な伝説をもつ井戸があります。

この小さな井戸は「姿見の井戸」と呼ばれ、言い伝えによれば、井戸を覗き込み自分の顔が井戸の中の水に映らないときは、3年以内に亡くなると言われています。

さてあなたは、この井戸に顔を覗き込む勇気はありますか!?

ご先祖の供養は「水向け地蔵」

By: Kadano

「水向け地蔵」は、御廟橋のすぐたもとの清流・玉川を背にした場所にある仏像様で、観音菩薩様や地蔵菩薩様などが鎮座し亡くなった方の御供養をします。

御供所で水向塔婆を求め、亡き人の名前を書きお地蔵様の下にある箱に供え、柄杓で水を手向けてご先祖様の冥福を祈ります。

「弥勒石」持ち上げれば願いが叶う開運パワースポット!

四角い小さなお堂の中に、持ち上げれば何でも願いが叶うといわれる「弥勒石(みろくいし)」があります。

この石に触れば、生命・未来の救世主である弥勒菩薩様とつながり、お堂の中は下の段と上の段に分かれていて、下から上へ石を持ち上げると願い事が叶うと言われています。

片手のみで石を持つので、女性は意外と難しいかもしれません。

高野山最大の聖域!空海が今も瞑想する「御廟」

弘法大師・空海は、今尚生きて瞑想を続け人々の救済をしているとされ、その瞑想を行っている場所こそ「御廟(ごびょう)」です。
そのため、御廟橋から先は高野山最大の聖域となり、写真撮影はできません。

高野山参拝に来て、奥之院に来なければ参拝に来た意味がないと言われるほど、弘法大師にとって重要で大切な場所です。

高野山・御廟橋

 

橋は、金剛界の37尊を表し、橋板36枚に橋そのものを1として足した37となる。
金剛界37尊は、多くの仏たちの代表的な緒尊で、金剛界曼荼羅を構成し、奥之院こそが清らかな世界であると昔より信じられている場所です。

これは、奥之院エリアの一の橋・中の橋も同様です。

ここからは、聖地に足を入れることになるので渡る際には一礼や合掌をしましょう。

御廟橋を渡れば、そこは聖域としてふさわしい雰囲気が漂い、深閑しピンと張りつめた空気の神秘的な空間。
この聖域の中では、誰もが心が清く洗われ、弘法大師・空海の有り難く強いご利益パワーを感じるといいます。

「燈籠堂」弘法大師のいる御廟を灯火で礼拝するお堂

弘法大師・空海へのお供えには、ロウソクの火が一番尊いものとされているため、常に灯火を灯しているのが「燈籠堂」で、御廟におられる空海に願いを聞いていただく拝殿です。

堂内には、数え切れないほどの燈籠があり、祈親(きしん)上人の祈親燈(きしんとう)や白河上皇の白河燈の他、一般の方々からの寄付による燈籠が所狭しと並び、その一つ一つに祈りが込められています。

出典:http://www.vt81.com/view/363373.htm出典:http://www.vt81.com/view/363373.htm

 

燈籠堂の正面はガラスになっており、ここから奥にある御廟の建物が見えます。
そして、御廟の地下には今も尚、空海は人々の幸せを祈り日々瞑想を行っています。

弘法大師のいる「御廟」は高野山最大最強のパワースポット!

空海は、生死の堺を越え魂の存在となり、これからも人々を救い続けるため西暦835年3月21日(満62歳)でご入定(にゅうじょう)されました。

その瞑想するお住まいが「御廟(ごびょう)」です。

この場所は、空海が今も生き続けていると信じる人々の最大信仰の場で、高野山最大最強のパワースポットです。

御廟の地下にいる空海へは、燈籠堂の地下階段を通って行けるようになっており、瞑想されている部屋の前には御影(ごえい)が飾られています。

1200年間続く生身供!お供え前に味見

高野山では、空海がご入定後、1200年間一度も欠かしたことがない儀式があります。
それは、空海が生きていると信じられているため朝6時と朝10時30分にお食事のお供えする「生身供(しょうじんく)」です

http://peacefullife.blog.so-net.ne.jp/2015-04-07http://peacefullife.blog.so-net.ne.jp/

お食事は、御廟橋近くの御供所と呼ばれる所で作られ空海のもとへ運ばれるのですが、その前に面白いのが「嘗試(あじみ)地蔵」というお地蔵さまに味見をしてもらいます。

よく時代劇で、殿様の食事前に味見役が毒味をするのと同じような意味合いでしょう。

「御衣切」弘法大師空海が着る衣の切れ端は最強の開運アイテム!

毎年一度、弘法大師はお衣替えをしているそうで、お衣替えになった衣を細かく切ったものが「御衣切(おころもぎれ)」です。

高野山奥之院・弘法大師の衣の布

弘法大師が身近に着けていたものなので、そのご利益は高くお守りとしては最強のアイテムです。
「御衣切」は、奥之院の燈籠堂で販売されていますので、訪れたら必ず購入しておきたいお守りです。

首都圏における弘法大師信仰の拠点「高野山 東京別院」

東京の港区高輪三丁目にも、首都圏における大師信仰の拠点である「高野山 東京別院」があります。

高野山学呂の江戸在番所として慶長年間に開創され、1673年(延宝元年)に、高野山江戸在番所高野寺として建立。
その後、火災により焼失・再興・礼所などを経て、1927年(昭和2年)に高野山東京別院と改称されました。

高野山・東京別院遍照殿

御府内八十八ヶ所の1番札所・江戸三十三観音の第29番札所・関東八十八ヶ所の特別霊場でもあります。

境内には、弘法大師の法号「遍照金剛(へんじょうこんごう)」に由来する遍照殿や不動堂・鐘桜などがあり、常に写経会やお茶会などの教室も開かれており、都民の心の拠り所となっています。

高野山開創1200年名所を訪ねて(動画)

誕生から弘法大師の諡号(しごう)賜るまでの簡略空海史

(誕生)
宝亀五年(774年)6月15日、讃岐の国(現在の香川県善通寺市)で誕生しました。
父は佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀家(あとうけ)の出身で、お大師さまの幼名は真魚(まお)といいました。

(空海改名)
各地で苦しい修行を続け、22才で名を『空海』に改め、最高の教えを求めて祈願したところおつげを得て、奈良の久米寺東塔にて「大日経」を発見します。

(唐へ渡る)

804年、31才の年、ついに努力と才能を認められ留学生(るがくしょう)として遣唐使船に乗り入唐。唐の都長安の名僧、真言密教第七祖・恵果阿闍梨を訪ねました。

(真言宗開宗)

810年、立教開宗の勅許を得て「真言宗」を開宗。多くの学僧が集まり、天台宗の最澄も高雄山寺にて空海の灌頂(かんじょう)をうけます。

(高野山)

816年、都に近からず遠からず、清逸な水が湧き霊感あふれる高野山を『密教修行の道場』と定め、勅許を得て伽藍造営に着手し、弟子と共に密教の流布に尽力しました。

(東寺)
823年、嵯峨天皇より東寺を賜ります。「教王護国寺」と称し『鎮護国家を祈る道場』とし、高野山を中心に両道場を往復する流布活動は朝野の尊崇を広く集めました。

東寺の立体曼荼羅は圧巻!境内は空海の気が満ちたパワースポット京都駅から徒歩約15分の南区九条町に、日本の仏教の原点・古い仏像の宝庫と言われる寺院「東寺」があります。 「東寺」全体はパワーに満ち溢...

(ご入定)
835年3月21日寅の刻。高野山にて、かねてより決意のとおり一週間の精進潔斎を済ませ、結跏趺坐(けっかふざ)して生身のまま金剛定に入ります。御年62才。

(奥の院)

入定から五十日後、弟子達は空海自身が定めた奥之院の霊窟にその御定身を納め御廟としました。今も日に2回、大師の召される食事を運ぶ生身供(しょうじんぐ)が続けられています。

(弘法大師)
入定から86年後の921年、醍醐天皇より『弘法大師』の諡号(しごう)を賜りました。

神秘的な宗教都市の高野山と僧侶の営みを描く映像

高野山の詳細情報

【高野山真言宗 総本山金剛峯寺】

所在地:〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132
TEL:0736-56-2011 FAX:0735-56-4640
公式ホームページ:高野山

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【参拝時間・料金】
基本参拝時間無休・料金無料
参拝所によっては参拝時間有・料金有

<料金の掛かる拝観所>

拝観場所 参拝時間 参拝料金
金剛峯寺 午前8時30分~午後5時 一 般:500円 小学生:200円
未就学児無料
金堂 午前8時30分~午後5時 一 般:200円
根本大塔 午前8時30分~午後5時 一 般:200円
霊宝館 5~10月:午前8時30分~午後5時30分
11~4月:午前8時30分~午後5時
一 般:600円
高校生・大学生:350円(要 学生証)
小学生・中学生:250円 未就学児無料
高野山大師教会 午前8時30分~午後5時 無料(ギャラリー別料金) 授戒料:500円
徳川家霊台 午前8時30分~午後5時 一 般:200円

【アクセス】
電車:南海高野線「難波」(特急85分)~「極楽橋」ケーブルカー乗り換え(5分)~高野山
南海高野線「天下茶屋」(特急80分)~「極楽橋」ケーブルカー乗り換え(5分)~高野山

マイカー無料駐車場:壇上伽藍駐車場・金剛峯寺駐車場・中の橋駐車場・奥之院駐車場
<マイカーでのアクセスは下図参照>
高野山・車でアクセス

<高野山周辺マップ>

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