【岐阜県】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 生まれてから、行動することでおこりえる後天運をより良いものにするため開運(金運・愛情運・仕事運・健康運・人気運) に関する情報をお届けします。 Fri, 01 Sep 2023 05:43:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 https://kaiun.website/wp-content/uploads/2015/10/cropped-torii2-32x32.jpg 【岐阜県】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 32 32 【君の名は】宮水神社の聖地は飛騨高山の強力なパワースポット神社 https://kaiun.website/archives/1522 Tue, 25 Oct 2016 14:21:21 +0000 http://kaiun.website/?p=1522

宮崎駿監督のジブリー作品以外のアニメで、興行収入が初めて100億円を突破し、10月中旬には150億円を越える記録的なヒットの日本長編アニメーション映画「君の名は」

今回の「君の名は」の大ヒットにはSNSによる口コミの力が大きく、見てよかったという感想が多く載せられたため映画館に足を運んだという人が多数です。

実際に、映画のストーリーやバックに流れるRADWIMPSの曲もよく、又コンピューターグラフィックによる風景がとても美しく、そして舞台となった場所が実物とリンクされており、聖地巡礼と称して多くのファンが訪ねています。

その中の二人の主人公のひとり、宮水三葉(みつば)が巫女として神社を支え住むのが「宮水神社」です。

出典:http://www.kiminona.com/index.html出典:http://www.kiminona.com/index.html

 

「宮水神社」とされる聖地の神社が二つあり、その一つが「飛騨山王宮・日枝(ひえ)神社」で、もう一つが「気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)」ではないかと言われています。

この、二つの神社はどんな神社なのでしょうか?詳しくご紹介していきます。

宮水三葉の実家「宮水神社」そのモデル神社はどちら?鳥居で検証

映画内での「宮水神社」は、岐阜県の飛騨の山奥にある糸守(いともり)町にありますが、そのモデルになった神社が岐阜県高山市の「飛騨山王宮・日枝(ひえ)神社」ではないかと言われています。

出典:http://www.kiminona.com/index.html出典:http://www.kiminona.com/index.html

 

上は「宮水神社」の朱色の鳥居で、下は実在する「飛騨山王宮・日枝神社」の鳥居です。

 

http://kashiwade.net/http://kashiwade.net/

 

二つを比べると朱色と木造りは似ていますが、鳥居の種類が若干異なっています。

<鳥居の種類>は、大きく分けると2種類の形式があります。
★神明系鳥居(しんめいけいとりい)
特徴:鳥居最上部の笠木が一本で、直角と直線を主流とした形。

★明神系鳥居(みょうじんけいとりい)
特徴:鳥居最上部が笠木と島木の二層からなり、笠木の両端に反りのある流れるような形で、中央の額束(がくつか)には社名が書かれています。

「宮水神社」の鳥居は、最上部の笠木と島木(笠木の下の木)に反りがあるように見えるので、明神鳥居(明神系)の種類のようです。

宮水神社の笠木・君の名は

一方、「飛騨山王宮・日枝神社」は柱に袖柱が付属する両部鳥居(明神系)です。

飛騨山王宮日枝神社の袖柱

 

また、もう一つ「宮水神社」ではないかと言われている神社が、岐阜県飛騨市にある「気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)」です。

気多若宮神社・石製の鳥居

「気多若宮神社」の鳥居は、木製でなく石製の石鳥居で、鳥居上部の笠木とその下の島木が上に反って見えるので明神鳥居(明神系)という種類の鳥居です。

この鳥居も石製という部分では似ていませんが、左右に灯篭がある部分においては似ていると言えます。

朱色で木鳥居の「飛騨山王宮・日枝神社」と左右に灯篭がある石鳥居の「気多若宮神社」の二つを足した鳥居が、「宮水神社」の鳥居ではないかと思われます。

この事から考えれば両神社共に、三葉の住む「宮水神社」の聖地であると言えるかも知れません。

飛騨山王宮・日枝神社は日本三大美祭のひとつ春の「高山祭」の氏神様

出典:http://kashiwade.net/出典:http://kashiwade.net/

 

岐阜県高山市にある「日枝神社(ひえじんじゃ」は、JR高山本線高山駅を下車し徒歩20分程、高山城跡がある石光山(現在の高山市片野地内)の麓にどっしりと構えています。

別名が「飛騨山王宮・日枝神社」と言われ、主祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る神社で、高山市の高山城下町南半分(宮川以南)の氏神でもあります。

そして、宮川以北の氏神は「櫻山八幡宮」です。

高山市民や氏子数2700戸から尊崇を集める「日枝神社(ひえじんじゃ」は「山王さま」とも呼ばれ親しまれています。

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1141年(永治元年)に、三仏寺城の城主である飛騨守時輔朝臣が、狩にて一匹の老狼を見つけ矢で射たが当たらずに矢は大杉に刺さっていました。

これは、大山咋神(おおやまくいのかみ)様が神の使いである老狼をお救いになったのだろうと神の存在を感じ、近江国よりお城の鎮護神として日吉大神を勧請したことが「日枝神社」の始まりです。

その後、1181年(養和元年)の1月に源義仲に敗北し三仏寺城は落城し、「日枝神社」も兵火によって焼失した。
しかし、御神体は無事であったため片野村杉ヶ平に移され、村人の力により社殿が再興されて片野村の産土神として祀られました。

1586年(天正13年)に、豊臣秀吉の命により金森長近は飛騨国に入り国内平定後、翌年天神山(現在の城山)に高山城を築き、1605年(慶長10年)には、片野より「日枝神社」を高山城に奉還して鎮護神としました。

<拝殿>

出典:http://blog.livedoor.jp/genneigennjitu2005/出典:http://blog.livedoor.jp/genneigennjitu2005/

 

1692年(元禄5年)に、飛騨国は徳川幕府の直轄となり高山城は廃城となるが、高山陣屋(飛騨郡代)の鎮護神とし「山王権現宮」と呼ばれ尊崇された。

明治に入り、神仏分離により「日枝神社」に改称され、昭和には郷社から県社となる。

1935年(昭和10年)、豪雨により裏山が崩壊し本殿が倒壊するも、1938年(昭和13年)に再建されました。

「飛騨山王宮・日枝神社」は、主祭神である大山咋神がもともと比叡山の山の神で延暦寺の鎮護神でもあり、その後山王権現と呼ばれ、開運・諸産業繁栄・家系繁栄・厄除けのご利益があり、飛騨の清々しい空気と境内に入れば自然と心の落ち着きを感じさせるパワースポットです。

日枝神社の祭神

主祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)
末社祭神 天満神社:菅原道真公(スガワラミチザネコウ)
末社祭神 稲荷神社:倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)
末社祭神 恵比寿神社:八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)
末社祭神 富士神社:木花開耶比売(コノハナサクヤヒメ)
末社祭神 金毘羅神社:大物主神(オオモノヌシノカミ)
末社祭神 産土神社:高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
末社祭神 産土神社:神皇産霊神(カミムスビノカミ)
末社祭神 神明神社:天照大神(アマテラスオオミカミ)

 

大山咋神の使いとされる老狼を守った御神木が日枝神社の大杉

飛騨守時輔朝臣が、狩にて一匹の老狼を見つけ矢で射たが当たらずに矢は大杉に刺さった。
大山咋神(おおやまくいのかみ)様の使いとされる老狼を避け、この矢の刺さった「日枝神社の大杉」が御神木として境内に鎮座します。

県指定天然記念物である「日枝神社の大杉」は、拝殿に向かって右にあり幹周7m、高さ43m、樹齢1000年といわれ、金森長近により高山城の守護神として奉還され現在の場所にありますが、過去に幾度か落雷に遭いましたが樹は健康的に育っています。

<日枝神社の大杉>

出典:http://www.tree-flower.jp/出典:http://www.tree-flower.jp/

 

日枝神社御旅所は良い気充満のパワースポット

日枝神社と関係性の高い観光名所が、春の高山祭の日枝神社の御旅所(おたびしょ)です。

高山市の高山陣屋の隣で、赤い中橋の橋のたもとにあり、JR高山駅から中橋までは約6分、そこから日枝神社まで歩いても7~8分の距離です。

御旅所とは、神社の祭礼において神様(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩や宿泊をする場所です。
この場所には、神社や祭神にまつわる場所や氏子地域にとって重要な場所が選ばれるので、御旅所周辺には良い気が充満しており、パワースポットとしても人気の高い所です。

<日枝神社御旅所>%e9%ab%98%e5%b1%b1%e5%b8%82%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9e%9d%e7%a5%9e%e7%a4%be%e5%be%a1%e6%97%85%e6%89%80

 

毎年開催の高山祭!豪華絢爛で美しい屋台の競演は外国人も歓喜

岐阜県高山市で毎年開催される「高山祭(たかやままつり)」は、京都市の祇園祭や埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大美祭の一つと言われています。
高山祭(たかやままつり):高山市を南北に分け南が日枝神社例祭「春の山王祭」(4月14~15日)と北の櫻山八幡宮例祭「秋の八幡祭」(10月9~10日)を合わせた総称。

また、美しく装飾された屋台「山車」が曳(ひ)き出されるため、京都市の祇園祭や滋賀県長浜市の長浜曳山祭と並ぶ日本三大山車祭でもあります。

高山祭の始まりは、1586年(天正14年)から1692年(元禄5年)頃で、1721年(享保6年)に江戸の屋台は禁止されたが、高山での屋台は残り、三代将軍徳川家光の頃は、3年に一度山王祭礼が催されたと言われています。

現在の高山祭は、春と秋の2回行われますが、屋台や開催場所などの違いはあれ、共通する点が多いのでどちらに訪れても高山祭の雰囲気は変わらず、十分満足できるお祭です。

日枝神社例祭「春の山王祭」

日枝神社の例祭・「春の山王祭」は旧高山城下町南部の氏神様として桜が満開となる時期に行われ、豪華絢爛な屋台12台が安川通りの南側・上町を舞台に曳(ひ)き揃(そろ)えられ、桜と相まって屋台の美しさと3台のからくり奉納で、日本人ならず観光の外国人も歓喜を上げるほど素晴らしい。

御巡幸や夜祭も必見です!

出典:http://www.qkamura.or.jp/norikura/出典:http://www.qkamura.or.jp/norikura/

 

高山祭で使用される「高山祭屋台」「動く陽明門」とも呼ばれ1960年6月9日に重要有形民俗文化財に指定され、1979年2月3日には「高山祭の屋台行事」も重要無形民俗文化財に指定されました。

「屋台」とは高山地方中部では、「山車」のことを指します。

【屋台】の歴史と造り

文化・文政(ぶんかぶんせい)1804~1830のころ、舶来の織物や材料をふんだんに使い、彫刻の名人を抱え、莫大な財力を投じて屋台30台をつくった。その後保存と修理に努めて、いまは春祭12台、秋祭11台が曳(ひ)き出される。

四輪の台車の上に三段重ねの屋台を構えたもので、上段は4本柱に切妻屋根をかけ、中段には氈(せん)を巡らし、黒漆で全体を塗って金色の金具が打ち付けてある。上段には各町内で趣向を凝らした人形を設け、下の台の中で綱によって操作して踊りをさせるものもある。

当日は、神輿(みこし)の渡御(とぎょ)に続いてこの屋台を繰り出し、囃子(はやし)につれて市中を練る。この行事は、国の重要無形民俗文化財の指定を受けており、代表的な屋台は屋台会館に展示され、観覧することができる。byコトバンク


<春の山王祭・からくり奉納>
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高山の屋台の魅力は、何といっても総力をあげて匠の手で施された豪華絢爛な装飾で、重い屋台を方向回転させる車輪の「戻し車」は高山ならではの仕組みとなっています。

また、祭囃子(はやし)に合わせて動く巧みな仕掛けの「屋台からくり奉納」は、一見の価値があるほど見事です。

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屋台名 特徴
神楽台(かぐらたい) 屋台行列の先頭で屋台囃子(やたいばやし)を奏でる
三番叟(さんばそう) 三番叟(能・謡曲)のからくり人形
麒麟台(きりんたい) 飛騨の名工谷口与鹿(たにぐちよろく)による唐子(からこ)遊びの彫刻
石橋台(しゃっきょうたい) 石橋(長唄)のからくり人形
鳳凰台(ほうおうたい) 麒麟の彫刻、屋根の鉾(ほこ)
五台山(ごたいさん) 円山応挙(まるやまおうきょ)が下絵を描いた刺繍幕、獅子の彫刻
恵比須台(えびすたい) 谷口与鹿による手長、足長などの彫刻
龍神台(りゅうじんたい) 龍神(謡曲)の舞のからくり人形
崑崗台(こんこうたい) 屋根の金幣(きんぺい)、金塊(きんかい)を表したかぶら形の宝珠
琴高台(きんこうたい) 中段に鯉の彫刻、鯉の刺繍幕
大国台(だいこくたい) 屋根が揺れやすい構造、正面に出入口あり
青龍台(せいりゅうたい) 入母屋造りの屋根、金森家家紋の梅鉢紋金具(うめばちもんかなぐ)

 

櫻山八幡宮例祭「秋の八幡祭」

出典:http://heyhey.hida-ch.com/出典:http://heyhey.hida-ch.com/

旧高山城の下町北部の氏神様である桜山八幡宮の例祭「秋の八幡祭」で、闘鶏楽や裃姿など時代装束に身を包んだ大行列が町を巡る御神幸が行われます。

素晴らしい、からくり奉納も行われます。

「屋台」は、各町内の屋台蔵に保管されており、高山祭の時、屋台蔵から搬出し高山市内を練り歩きます。
「屋台」の装飾は、重要な文化財に当たるため雨などの場合は、屋台蔵から引き出されず待機となる。

出典:http://rubeusu-trend.com/出典:http://rubeusu-trend.com/

秋の執り行なわれる八幡祭の屋台は11台、櫻山八幡神社の境内にある「高山祭屋台会館」に年3回4台ずつ交代で展示し、お祭の期間以外には一般客に公開されます。

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屋台名 特徴
神楽台(かぐらたい) 屋台行列の先頭で屋台囃子(やたいばやし)を奏でる
布袋台(ほていたい) 布袋と唐子(からこ)のからくり人形
金鳳台(きんぽうたい) 初期の屋台の風格をもつ形態美
大八台(だいはちたい) 大八車三輪、屋根の前後に大金幣束(きんぺいそく)
鳩峯車(きゅうほうしゃ) 綴錦織(つづれにしきおり)の胴幕、見送幕
神馬台(じんまたい) 神馬の人形、胴幕に般若の大きい刺繍
仙人台(せんにんたい) 唐破風(からはふ)の屋根、仙人の人形
行神台(ぎょうじんたい) 正面に出入口あり、行神の人形
宝珠台(ほうじゅたい) 屋根に1対の大亀、水煙つき宝珠3個を飾る
豊明台(ほうめいたい) 外側に御所車がつく、多様な装飾
鳳凰台(ほうおうたい) 谷口与鹿(たにぐちよろく)が彫った獅子の大彫刻

 

高山祭の豪華絢爛な屋台の美を見てみましょう!(動画)

<高山祭:日枝神社例祭「春の山王祭」>

<高山祭:櫻山八幡宮例祭「秋の八幡祭」>

 

「飛騨山王宮・日枝神社」の詳細情報

【飛騨山王宮・日枝神社】
所在地:〒506-0822 岐阜県高山市城山156
TEL:0577-32-0520 FAX:0577-32-0516

ホームページ>>飛騨山王宮・日枝神社

【利用可能時間】
境内年中参拝可能

【アクセス】
マイカー:中部縦貫道の高山ICを降り国道158号線10kmで高山。
長野自動車道松本ICを降り国道158号線を80kmで高山。
JR:岐阜駅からJR高山本線特急で約2時間。

【お宿情報】:>>飛騨山王宮日枝神社の周辺宿はこちら【楽天トラベル】

【飛騨山王宮日枝神社周辺マップ】

次ページは、瀧が三葉を探す途中に立ち寄ったとされるモデル「気多若宮神社」をスポットします。
ページ2をクリック!

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日本の三大大仏と呼ばれる大仏たち!見れば感動のパワースポット https://kaiun.website/archives/974 Wed, 08 Jun 2016 13:34:03 +0000 http://kaiun.website/?p=974

感動必至!日本の三大大仏

日本は「仏像の国」と呼ばれるほど、全国に数多くの仏像が存在しています。そんな中でも特に有名なのが、三大大仏です。今回は、その三大大仏を紹介します。

最近では、若い世代の中でも「仏像ガール」と呼ばれる人々が増え、仏像めぐりが盛んに行われています。仏像の美しさや、その意味や歴史など、多くの人々が興味を持ち、全国各地を訪れる人が増えています。

このように、日本にはたくさんの仏像があり、その中でも特に感動を与えてくれる三大大仏は、ぜひ一度は訪れたいスポットです。その美しさと歴史的価値に触れることで、心が洗われるような体験ができることでしょう。

「仏像の国」日本の大仏と巨大仏の違い

中でも、大きな仏像を「大仏」といい、それよりも特に大きなものを「巨大仏」と言います。

仏像が大仏と呼ばれる大きさの基準は、「広辞苑」では丈六(1丈6尺=約4.85m)以上が大仏と定義されていますが明確なものはなく、この大きさ以下の仏像でも大仏と言われるものもあります。

巨大仏も同様で、明確な大きさの基準はありませんが、目安としては、40m以上のものが巨大仏」だと言われます。

数多くある仏像の中でも大仏や巨大仏は、見た目の大きさや迫力と同時に神徳パワーも大きいので開運のパワースポットにもなっています。

大仏の起源は日本三大大仏の一つ東大寺の「奈良の大仏」

大仏の起源
大仏(だいぶつ)は、大きな仏像を指す通称。中国などアジアの仏教圏では、天然の岩壁を彫刻した磨崖仏などが古くから造られてきた。日本においては、奈良時代に聖武天皇が、国家の安寧と民の幸福を祈願して東大寺に奈良の大仏(東大寺大仏)を造立したのを嚆矢とする。
以降、現代に至るまで、大きな功徳を求めた願主によって各地に大きな仏像が造られてきた。(ウィキペディア)

誰もが知ってる大仏の有名なものに、東大寺の「奈良の大仏」や鎌倉の「鎌倉大仏」がありますが、この二尊を含めた三尊の大仏が日本三大大仏となっています。

三大大仏のもう一尊は、時代と共に変わっており戦前と戦後で違う大仏が挙げられています。

江戸時代の日本三大大仏

江戸時代には、「京の大仏」が「奈良の大仏」「鎌倉大仏が」と共に日本三大大仏の一尊でした。

「京の大仏」は豊臣秀吉によって造営されましたが、慶長元年7月13日の慶長伏見地震を最初に度重なる地震や落雷・事故で何度も造営はするも、最後は昭和の中頃の昭和48年(1973年)に火災で消失しその後の造営はない。

戦前の日本三大大仏

戦前には、「京の大仏」のあととなる明治24年に造営された「兵庫大仏」が三尊目の日本三大大仏として名が挙げられました。しかし、太平洋戦争中の金属類回収令によりその姿は消える事となります。

戦後の平成3年に再建されますが、この2代目の「兵庫大仏」は歴史的に見ると日が浅いため日本三大大仏とは言えなくなった。

戦後の日本三大大仏

戦後に入り、富山県の大佛寺の「高岡大仏」や岐阜県の正法寺にある「岐阜大仏」の名が挙がるも、日本三大大仏としての知名度が少し足りないようです。

☆奈良の大仏は圧倒的存在感と神々しさで日本NO.1

開運スポット・奈良の大仏
誰もが知っている「奈良の大仏」は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊で、正式名は東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)」と言います。

近くで実物を見るとその大きさもさもあるのですが、圧倒的な存在感と大仏様の前では素直な気持ちになれる気がします。
その神々しさは、やはり日本一なのかも知れません。

日本一の大仏様は木造軸組建築では世界一の大仏殿に鎮座

<東大寺大仏殿>

開運スポット・東大寺大仏殿

「銅造盧舎那仏坐像(どうぞうるしゃなぶつざぞう」名として、彫刻部門の国宝でもあり、世界最大の木造軸組建築の大仏殿の中に鎮座しており、銅色の光沢がまるで後光をさしているかのように見え神々しい。

聖武天皇の発願のもと、奈良の大仏が開眼されたのは天平勝宝4年(752年)で、治承4年(1180年)と永禄10年(1567年)に2回大仏と大仏殿は焼失されたのですがその都度修復が行われています。

天平17年(745年)の造営から、7年の年月と総勢260万人がかかわり、大仏殿と大仏には今のお金にして総額4657億円もの莫大な費用がかかってています。

大仏は青銅に金メッキを施され、高さ約14.7メートルで、仏像が乗る基壇の周囲は70メートル重量は250トンにもおよぶ。

手の形、手印は施無畏与願印(せむい よがんいん)の形で、右手は「励まし」左手は「願いを叶える」を表しています。

大仏殿は正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルと木造軸組建築では世界最大ですが、焼失前の当時の幅は約86メートルと今よりもさらに大きかった。

奈良の大仏様の横には木造製の巨大な脇侍が守護

開運スポット・奈良の大仏全体

東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)の両脇には、脇侍として木造の2つの像が安置されています。
大仏の右手側には「虚空蔵菩薩像(上の写真)」が、左手側には「如意輪観音菩薩像」が大仏を守るように配置され、左右の手の印と足の組方が逆になっている。

【如意輪観音菩薩像】完成は元文3年(1738年)頃で、像高約7.2メートルの木造製

【虚空蔵菩薩像】完成は宝暦2年(1752年)頃で、像高約7.1メートルの木造製

奈良の大仏の横の柱(北東方向にある柱)には、鼻の穴と同じ大きさの穴が空いていて、ここを通ると頭が良くなったり、無病息災の御利益があると言われています。

<奈良の大仏身拭い動画>

毎年8月7日に、120人程の僧侶たちが集まり大仏様のお掃除「お身拭い」が行われます。
お身拭いをする僧侶たちと比較すれば、大仏様の大きさがよくわかります。

人気の大仏プリン本舗に「プリンのおうち」が誕生!

今や奈良に来れば、「大仏プリン」と言われるほど人気の商品です。

大仏プリンを製造する、「まほろぼ大仏プリン本舗」に2015年7月1日「プリンのおうち(プリンの森・カフェ)」が誕生しました。

下の写真を見てわかるように、おとぎ話の絵本から出て来たお菓子ようなおうちで、ここが本店となります。

出典:http://ameblo.jp/ripplesea/entry-12057882603.html

出来るだけ添加物を使用しない、濃厚でトロリとして甘くやさしい味わいはお土産に大人気です。
ビン詰めの蓋には、やさしそうな大仏様の絵が書かれていてほんわかな気分になります。

開運スポット・奈良・まほろぼ大仏プリン

<ビン詰めプリンのサイズは2種類>
まほろぼ大仏プリン(大)864円

まほろぼ大仏プリン(小)378円

他にも、白い鹿のプリンやさくらプリン・MASAリン(縁結びプリン)など種類も沢山ありますので、奈良・東大寺の大仏さま巡りに言った祭は、お店に寄ってみてはいかがでしょうか。

まほろばのホームページ⇒「まほろぼ大仏プリン本舗」

「奈良の大仏」の詳細情報

住所:〒630-8587 奈良市雑司町406-1
TEL(0742)-22-5511
FAX(0742)-22-0808
東大寺公式ホームページ:http://www.todaiji.or.jp/index.html

お宿情報:>>東大寺・奈良の大仏の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<東大寺・奈良の大仏マップ>

☆鎌倉大仏(高徳院)大仏の背中には不思議な窓が2つ

開運スポット・鎌倉大仏全体像

神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある「鎌倉大仏」は、浄土宗の寺院である高徳院(こうとくいん)の銅造阿弥陀如来像で国宝に指定されています。

鎌倉市長谷(はせ)にあるため、「長谷の大仏」とも呼ばれている。

「鎌倉大仏」の造立当初は、大仏殿の中に安置されていたようですが、地震や台風・津波などによって大仏殿と共に倒壊しており、江戸中期に復興を行い今の場所に安置された。

大仏は青銅に金箔を施しており、高さは、11.39メートルで台座を含めると13.35メートルでその重量は約121トンとなる。

当初の鎌倉市材木座の光明寺から「高徳院」の院号になってから浄土宗となるが、元は、真言宗に属していたためか、鎌倉大仏は膝上で両手を組む定印(じょういん)を結んでおり瞑想を表していて、浄土宗の来迎印(右手を挙げ、左手を下げる)を結ぶのとは違っています。

開運スポット・鎌倉大仏壇座

鎌倉大仏を後ろから見るとこんな感じです。

開運スポット・鎌倉大仏後ろ

背中には、窓のようなものが二つ見えます?
これは、中の空気を喚起する喚起窓です。

鎌倉大仏の胎内拝観

http://4travel.jp/travelogue/10898917

そう実はこの大仏、胎内を拝観することが出来るのです。

大仏様の胎内拝観料は一人20円と安い!
午前8時から午後4時30分まで拝観できます。

<鎌倉大仏の胎内>

開運スポット・鎌倉大仏胎内様子

大仏様胎内は、外観とはまた違った風景を見せます。
まるで、建物の中を移動しているような感覚です。

「鎌倉大仏」の詳細情報

住所:〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
TEL(0467)-22-0703
FAX(0467)-22-5051
高徳院・鎌倉大仏の公式ホームページ:https://www.kotoku-in.jp/

お宿情報:>>鎌倉大仏の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<高徳院・鎌倉大仏マップ>

☆兵庫大仏(能福寺) 2代目大仏は初代建立後100年目に再復活

http://www.hiro-sakurai.com/2014/10/6317

 

兵庫県神戸市兵庫区にある能福寺(のうふくじ)「兵庫大仏」(薬師如来)が鎮座しています。

能福寺は天台宗の仏教寺院で、能福護国密寺として805年(延暦24年)に最澄によって創建された日本で最初の密教教化霊場です。

平清盛が福原京遷都計画を実施するに伴い福原宮が創建され、平家一門の祈願寺となり大伽藍(だいがらん)も建設されここ一帯が大変栄えたと言われています。

※伽藍(がらん)とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味で、寺院または寺院の主要建物群の意味でもある。

現在の大仏は2代目で、当初の大仏は1891年(明治24年)に南条荘兵衛の寄進により建像されましたが、世界二次大戦中の1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に徴収され姿を消しました。

<初代兵庫大仏>

兵庫津風土記 高田静夫著

 

今の2代目の大仏は、初代大仏が建像されて100年目の1991年(平成3年)に「兵庫大仏」(毘廬舎那仏)として再建されました。

その大きさは座高11メートル、蓮台と台座を含め18メートル、重量約60トンと「奈良の大仏」「鎌倉大仏」に引けを取らない大きさです。

「兵庫大仏」の詳細情報

住所:〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1−39
TEL(078)-652-1715
神戸公式観光サイト:http://www.feel-kobe.jp/

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<能福寺・兵庫大仏マップ>

☆京の大仏(方広寺)四代続いた19mの今無き大仏

出典:kyoto-brand.com

 

「京の大仏」は、豊臣秀吉が奈良の東大寺「奈良の大仏」にならい建立された大仏で、文禄4年(1595年)から昭和48年まで存在しており、現在の京都市東山区の方広寺大仏殿に安置されていました。

正式名称は、「方広寺盧舎那仏像(びるしゃなぶつぞう)」

大仏殿の大きさは、全高:約49メートル・全幅:南北約88メートル・東西約54メートルと奈良東大寺の大仏殿と同等の大きさで、奥行に関しては約38mも広い。

上の写真は、「京の大仏」最後となる4代目で昭和48年3月の火災によって、このように焼かれ壊れてしまった。
この後、「京の大仏」の再興はありません。

京の大仏の歴史

  建立者 完成日 倒壊・焼失日 製造法 像高
初代 豊臣秀吉 文禄4年(1595年) 慶長元年(1596年) 木製金漆塗坐像 約18m
豊臣秀頼 慶長7年(1602年) 完成前に事故で融解 銅製  
二代目 豊臣秀頼 慶長17年(1612年) 寛文2年(1662年) 銅製金張坐像 約19m
三代目 徳川家綱 寛文7年(1667年) 寛政10年(1798年) 木製胸像 約19m
四代目 尾張の有志 天保14年(1843年) 昭和48年(1973年) 木製胸像  約6.5m

 

四代目を除けば、初代から三代目までは約19メートルと「奈良の大仏(14.7m)」や「鎌倉大仏(11.39m)」よりも遥かに大きいことがわかります。

また、初代の木製から二代目が銅製になったというのも興味深い。
秀頼が秀吉を越えるためなのか?「奈良の大仏」を越えるためなのか?権力を見せるためなのか?謎です。

現在日本三大梵鐘の一つが京の大仏の跡地に吊られている

開運スポット・方広寺の大梵鐘

現在、「京の大仏」が有ったあかしとして焼失したあとの地に、梵鐘の銘文が引き金となり豊臣家と徳川家の争いに発展した大梵鐘「国家安康の梵鐘」が鐘楼(明治再建)に吊られています。

この大梵鐘は、奈良県奈良市の東大寺や京都府京都市の知恩院にある梵鐘と並ぶ日本三大梵鐘の一つです。

「方広寺」の詳細情報

住所:〒605-0931 京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2
TEL(075)-561-1720
京都観光情報:https://ja.kyoto.travel/
 
 

<方広寺・京の大仏マップ>

☆高岡大仏(大佛寺)すべての工程を高岡の職人が作った大作

開運・高岡大仏

「高岡大仏」は、富山県高岡市の大佛寺にある像高約16メートルの「銅造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)」です。

高岡市指定有形文化財になっていて、市民から親しまれているので「だいぶっつぁん」とも呼ばれています。
高岡市民の方は、まぎれもなく日本三大大仏の一つと信じています。

パワースポット:富山県高岡市 大佛寺の「高岡大仏」

「高岡大仏」は、1221年(承久3年)に源義勝が二上山の麓に約5mの木造大仏を像立しことから始まる。
その後、移転・焼失が繰り返され、1907年に松木宗左衛門が発願し荻布宗四郎などの協力のもと、1933年(昭和8年)に現在の「高岡大仏(銅製)」が完成しました。

1900年(明治33年)の高岡大火など、木造であったこと大仏の焼失に繋がったため、再建には火災に強い大仏を望む声が高まり銅製の仏像となった。

製作には、古式鋳造法といわれる焼型重ね吹きの技法により、塗装にいたるまで全てを高岡の職人さんたちの手で行った大傑作です。

多くの仏様が同じように、遠くで見れば伏目がちの眼も近ずくとあなたと仏像様の眼が合います。
特に、「高岡大仏」の参道はまっすぐに台座へと伸びており、仏様が良く見えるのでわかりやすいかも知れません。

「高岡大仏」の詳細情報

住所:〒933-2139 富山県高岡市大手町11-29
TEL(0766)-23-9156
富山観光ナビ:http://www.info-toyama.com/

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<大佛寺・高岡大仏マップ>

☆岐阜大仏(正法寺)珍しい竹で編んだ大仏 胎内には薬師如来像

パワースポット:岐阜県岐阜市 金鳳山正法寺の「岐阜大仏」

「岐阜大仏」は、京都宇治黄檗山万福寺の末寺で、岐阜県岐阜市の金鳳山正法寺にある「釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)」です。
岐阜県の指定重要文化財になっています。

この大仏様の製造法は、他の大仏様の造りとかなり違った製法で、周囲1.8メートルの大イチョウを真柱として骨格は木材で組み、外側は竹材で編んで粘土をぬっており、その上に一切経阿弥・陀経・法華経・観音経などを張って漆を塗り金箔を施したものです。

竹で編んでいることから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」とも呼ばれている。

また、大仏様の胎内には薬師如来像(胎内仏)が安置されています。

岐阜大仏の建立には二代に渡る和尚の思いと長い年月がかかっている

「岐阜大仏」の1832年(天保3年)に建立されましたが、その道のりは長く完成まで38年もの時間がかかっています。

江戸時代の寛政の頃に、天災や飢餓で亡くなった人々を弔うために、金鳳山正法寺の第十一代惟中和尚は大釈迦如来像を建てることを決意します。
大仏に使用する経本を集めのため、各地へ托鉢を行ない1800年(寛政12年)にはお堂が完成するものの、大仏はまだ頭部のみしか出来ていませんでした。

1815年(文化12年)に、惟中和尚は志の半ばで亡くなるが、第十二代の肯宗和尚が後を継ぎ13年後の1832年(天保3年)ついに完成することとなります。

大仏の開眼供養は、織田信長の居城以来の盛大な儀式であったようです。

「岐阜大仏」の詳細情報

住所:〒500-8018 岐阜市大仏町8
TEL(058)-264-2760
岐阜観光コンベンション協会:http://www.gifucvb.or.jp/index.php

お宿情報>>岐阜大仏の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<正法寺・岐阜大仏マップ>

大仏様の大きさ比較

  高さ 高さ(台座含) 重量 正式名 お寺
奈良の大仏 14.98m 約18m 250t 東大寺盧舎那仏像 東大寺(奈良県)
鎌倉大仏 11.39m 13.35m 121t 銅造阿弥陀如来像 高徳院(神奈川県)
京の大仏 約19m     方広寺盧舎那仏像 方広寺(京都府)
兵庫大仏 約11m 約18m 60t 薬師如来像 能福寺(兵庫県)
高岡大仏 7.43m 15.85m 約13トン 銅造阿弥陀如来坐像 大佛寺(富山県)
岐阜大仏 約13.7m     釈迦如来坐像 正法寺(岐阜県)

 

大仏のまとめ

日本には、全国各地の数多くの仏像があります。

人々が、仏像に願う気持ちは何だったのだろうか?
貧困や悲しみ・自由を求めて仏像に願いを託したのだろうか?

歴史を見てみると、日本の地形状訪れる天災や火災で仏像や仏殿は何度もなくなっていますが、その度に仏様へ願いを求め復興されています。

特に大仏は、大きさゆえ再建には長い時間と労力がかかります。
そのため、素晴らしい大仏でありながら今は存在しない大仏もありますが、歴史の狭間をくぐり抜け倒壊と復興の歴史を延々と続けながら、人々の思いと一緒に今に引き継がれているのが日本三大大仏と呼ばれている大仏様です。

仏像より遥かに大きいこの大仏は、小さな人間の願いを大きな心で優しく包んでくれる存在なのです。
そんな大仏様に、会いに行ってみてはいかがでしょうか。

見れば大きさに感動し、優しいお顔に心が癒されます。
大仏様は、間違いなく開運のパワースポットだと思います。

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