受験合格|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 生まれてから、行動することでおこりえる後天運をより良いものにするため開運(金運・愛情運・仕事運・健康運・人気運) に関する情報をお届けします。 Wed, 28 Jun 2023 00:41:45 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 https://kaiun.website/wp-content/uploads/2015/10/cropped-torii2-32x32.jpg 受験合格|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 32 32 「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット https://kaiun.website/archives/3194 Tue, 14 Nov 2017 06:27:15 +0000 http://kaiun.website/?p=3194 大山寺(だいせんじ)は、大山(だいせん:標高1729m)の鳥取県西伯郡大山町にあるお寺で、古くから山岳信仰の修験道場として知られており、正式名称は天台宗別格本山 角磐山 大山寺(かくばんざん だいせんじ)」です。

家内安全・厄払い・水子供養・所願成就御などのご利益と共に先祖の霊は大山に集まると信じられてきたため、御先祖様に会える寺として中国地方一帯から多くの人々が訪れています。

また、大山寺のある大山は、2018年、開山1300年となる中国地方最高峰の山で、別名:「伯耆富士」と言われ西側の伯耆町からみる姿はまさに富士山そのものです。

また、南北東西から見る大山は、形が大きく異なるのも特徴の一つです。

昭和11年に、日本で3番目の国立公園に指定され、後に蒜山・隠岐の島・島根半島・三瓶山が加わり「大山隠岐国立公園」となり、NHKの日本名峰ランキングでは、富士山・槍ヶ岳に継ぐ第3位に選ばれています。

ブナ森や大地や水など広大な自然に囲まれた大山は、古来から神の山、神仏の住む霊山として祀られており今もなお篤い信仰が続いています。

その大山信仰の中心がで大山寺あり大神山神社奥宮で、大山から流れ出る巨大な気が集まり、静けさの中に浄化された空気が漂い心身共に清うパワースポットです。

大山寺橋!白い河原・森の緑・空の青の対比が美しい絶景スポット

▲大山寺橋からの風景

南光河原駐車場の横にある大山寺橋(下ワタリ)は、大山北壁を遠くに望み佐陀川の白い河原と森の緑・空の青が絶妙なコントラストを描く絶景スポットです。

 

実際に見る風景は、写真で見るより遥かに雄大で美しく自然を満喫できます。

大山寺や大神山神社奥宮の参拝や大山登山。ハイキングなどで訪れた人の心を鷲掴(わしずか)みにすること間違いなしです。

 

「サンセットカフェ」オープンテラスから見る夕景の美しさは特別!

▲大山寺参道・御幸参道本通り入口

 

KOMORENITO

ここは大山寺参道の入口にあるこ「KOMOREBITO(こもれびと)」で、一階は大山町観光案内所となっており大山寺への出発地点となっています。

2階には、2017年にオープンのオープンテラスのある「サンセットカフェ」があり、食事やお茶を飲みながら大山の景色が一望できます。

 

何より、西向きのオープンテラスなので、日の落ちる夕方の夕景は特別で「サンセットカフェ」名もここから用いたようです。

 

大山寺参道脇には見所や体験場所が満載!

▲御幸参道本通り

ここから御幸参道本通りとなり、大山寺まで石畳と石段の少々急な坂を5~600m程登ります。

大山そばが人気の「そば処・土佐屋」

途中には、数多くの旅館や食事処・カフェなどが立ち並んでいます。

上の写真の「そば処・土佐屋」さんは、参道のすぐ入口を入った左手にあり、大山産の蕎麦粉を使った「大山そば(600円)」が人気のメニューで、寒い時には身体を温かくしてくれる格別の一杯です。

【そば処・土佐屋】
●営業時間:10:00〜18:00(年中無休)
●住所:鳥取県西伯郡大山町大山43
●電話:0859-52-2126

 

手軽に温泉が味わえる「豪円湯院」

「そば処・土佐屋」さんから、参道を少し上がると左手に見えてくるのが大山初の日帰り温泉施設の「豪円湯院」です。

入浴料は、大人380円(中学生以上)・小人(小学生)300円・幼児は無料とお値段は安く、バスタオルなどもレンタルになっていますので、何も持っていなくても入浴できます。

また、食事処やお土産屋さんも併設されていて、ひと休憩にはもってこいの場所です。

 

ここ「豪円湯院」の建物の横に「餓讖地蔵(がしんじぞう)」が建っています。

天保8年前後に、大飢餓で多くの人々が亡くなったため、将来二度とこのような災難が起きないように、祈りと弔いを込めて天保12年に建立されたものです。

【豪円湯院】<年中無休>
●営業時間:月~木11:00~20:00(最終受付19:30)
金~日・祝日11:00~21:00(最終受付20:30)
●住所:鳥取県大仙町大山25番地
●電話:0859-48-6801

 

利用料無料の疲れた足が癒せる「大山火の神岳温泉足湯」

「豪円湯院」の向かい側には、平成23年9月28日に開設された天然温泉の足湯「大山火の神岳温泉足湯」があります。

利用料は無料で、歩き疲れた足を癒せる人気のスポットとなっています。

利用期間 4月~11月(冬季閉鎖
利用時間 9時~18時
利用料 無料

 

どんな願いでも叶えてくれる「弘化の大地蔵」

▲弘化の大地蔵

大山は地蔵信仰の地でもあるため、大山寺参道にはいたるところにお地蔵様を目にします。
こちらのお地蔵様は、「弘化の大地蔵」と呼ばれていて高さ2.4mの南無地蔵大菩薩が彫られ、大山寺内に存在する三体の「立像石仏地蔵」の1つで、どんな願いでも叶えてくれるそうです。

大山には、この他にも多くのお地蔵様があり、お地蔵様を巡る7.2kmの「大山寺三十三カ所地蔵めぐり」コースも設定されています。

三十三のお地蔵様を巡ってお願いすれば、色んなご利益がいただけそうです。

足腰に自身がない方は参拝者駐車場が便利!

▲大山寺近くの参道にある参拝者駐車場

10台から15台程の駐車スペースですが、大山寺や大神山神社奥宮の参拝のみであれば一番近い駐車場で山門・鳥居までは100~150m程、トイレも完備され、何より足腰の弱い方には便利です(無料)。

大山の魅力を込めた詩が刻まれている「織田収詩碑」

▲織田収詩碑

織田収氏は、日本の政治家・実業家で山陰のジャーナリストです。
明治30年(1897年)に鳥取県米子市に生まれ、昭和63年(1988年)に91歳で死去されるまで、新聞記者や鳥取県県会議員・ラジオ山陰社長などを歴任し、ジャーナリストとして政治・経済・文化・スポーツなど幅広く活動をしました。

大山をこよなく愛した、織田収氏の詩が刻まれた「織田収詩碑」がここにあります。
「山のエスプリは山頂にあつまる 神はここにくだり 人はここにのぼる」と詠われています。

訳せばこんな感じでしょうか!
「大山の魂は山の頂上に集まって、天の神様はここに降り、人々は下界からそれを目指して登って行く」

大山の山登りの魅力をこの詩で表現したのだと思います。

「牛霊碑」大山は日本三大牛馬市の一つとして栄えた場所!

▲牛霊碑

基好上人(きこうしょうにん)が、大山寺の本尊である地蔵菩薩が牛馬の守護仏であると言われ、牛馬守護の守礼を施与されたことにはじまり、例年例祭に合わせて標高800mの高所の場所であるにもかかわわらず大山牛馬が開かれるようになりました。

その後、組織的な牛馬市となってから益々盛んとなり、年に5回も博労座(ばくろうざ)で開催され取り引数は1万頭に及び、広島の「久井牛市」や福島の「白河馬市」と並び日本三大牛馬市として、中・四国はもとより京阪神や中部地方からも多くの人が集まりました。

売買された牛の供養のために建てられたのが「牛霊碑」です。

「とう然の碑」多彩な才能を見せた円流院の住職・嗒然(とうねん)

▲とう然(ねん)の碑

嗒然(とうねん)は、円流院の住職で寛政8年(1796年)に皆生村(今の米子市)の漁師の家に生まれ、幼き頃より絵心があった。
文化3年(1806年)11歳の時に大山寺西明院谷の観解院入り、翌年には仏門に入り大貫と号す。

その後、師の円流院主大賢より教えをこい、仏学に優れ詩文書画とも才能を伸ばしていきます。

その一端を示すものとして、弘化3年(1846年)51歳の時に誌した「大山雑記」があります。
「大山雑記」は、大山寺の由来や行事・伝承など14話を収めたものです。

書画など多才であった嗒然は、文久元年(1861年)に享年66歳で死去、円流院には三代(大存・大賢・大貫)の院主の位牌があり、大山寺石段参道横には「とう然の碑」があります。

 

「信濃坊源盛の碑」後醍醐天皇が京へ帰る足がかり船上山の戦いで貢献!

大山寺山門の石段下右側に、「信濃坊源盛の碑」があります。

信濃坊源盛の功績を称(たた)え宮家御下賜金(ごかしきん)によって、明治24年に建てられたもので台石の上に1.6mの碑が立っています。
碑文は、文学博士の末松謙澄の筆による。

信濃坊源盛は、名和長年の弟で大山寺の僧となり金剛院の住職で「信濃法眼」と名乗っていました。

元弘3年(1333年)源盛31歳の時に、兄の長年から隠岐の島を脱出した後醍醐天皇を船上山にお迎えしたとの急な知らせを受け、同宿十余人を連れって船上山にはせ参じ、攻防のすえ幕府方を破り裏側の西坂を守った。

合戦は、3日間続き大山衆徒700人も大急ぎで駆けつけたと言われています。
この合戦の勝利は、後々の情勢が大きく変えることとなり、鎌倉幕府の崩壊、後醍醐天皇の「帰洛(きらく:京に帰る)
の足がかりとりました。

その後、源盛は九州の肥後八代で57歳の生涯を閉じる。

2ページ目⇒見落としがちな山門の金剛力士像や石段参道沿いのパワースポット!>

]]> 【比叡山延暦寺】パワースポット巡りと根本中堂に隠された5つの秘密 https://kaiun.website/archives/3092 Wed, 30 Aug 2017 23:11:21 +0000 http://kaiun.website/?p=3092 「比叡山延暦寺」は、京都市と滋賀県大津市をまたぎ東山三十六峰(標高848m)の北側に位置する比叡山にあり、平安京の鬼門を守護するために創建された天台宗の総本山。

1200年間、今も尚、最澄が祈りを続けていると言われる日本仏教の一大聖地です。

1994年(平成6年)に、古都京都の文化財の一部であり、代表的な日本仏教の聖地としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

比叡山全体が延暦寺の境内で、500ヘクタールもある広大な敷地の中に約150ものお堂が並び、大きく分けて東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三つのエリアで形成されています。

織田信長の焼き討ちなど多くの戦国武将とも関わりを持ち、又、多くの著名な僧を輩出している延暦寺は、日本仏教の母山とも言われるだけに多くのパワースポットも存在しますのでご紹介致します。

比叡山延暦寺は幾度の苦難を乗り越えてきた日本仏教の母山


延暦寺の開山は、788年(延暦7年)に最澄が薬師如来を本尊とする「一乗止観院(いちじょうしかんいん):現在の根本中堂」を創建し比叡山を開いたのがはじまりです。

延暦寺という寺号は、開創時の年号の延暦から付いており、最澄が亡くなった823年(弘仁14年)からです。

ここで最澄は、仏教によって国家を守護し安定させるため、指導者を育成する12年間の教育制度を作り、日本仏教に名を残す親鸞(しんらん)・法然(ほうねん)・日蓮(にちれん)・道元(どうげん)・一遍(いっぺん)・栄西(ようさい)などが修行をしたことから「日本仏教の母山」と仰がれています。

<親鸞聖人修行の地>

3000もの寺院が立ち並らんだ最盛期には、武力化も進み僧兵も大きな勢力となっていきます。

しかし、織田信長と敵対し1571年に織田信長の焼き討ちにあい、「一乗止観院」の跡に比叡山の総本堂である根本中堂を建てるも、瑠璃堂を除く全ての堂塔は焼失してしまいましたが、「不滅の法灯」は消えることなく1200年経った今でも柔らかな光を放ち灯り続けています。

その後、根本中道は1642年(寛永19年)に徳川家光により再建されました。

 

延暦寺境内は三つのエリアに分かれるご利益スポット!


境内は、あまりに広いため大きく三つのエリアに分けられ、「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の三塔とさらに細かく三塔十六谷二別所の堂塔が流麗な寺観を形造っています。

そして、境内全域がパワースポットになっています!


4000人いる天台宗の僧侶は、現在でも、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」や「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」の厳しい修行を続けている。

東塔(とうどう)エリア


比叡山の中心的な堂の根本中堂を中心としたエリアで、延暦寺発祥の地です。

その根本中堂は、最澄の開いた一乗止観院の場所にあたり、創建1200年以来一度も消えたことのない「不滅の法灯」が灯されています。

文殊楼・大講堂・阿弥陀堂・大黒堂・戒壇院や昭和55年に再建された法華総持院東塔などが堂々たる風格を感じさせる。

また、延暦寺の数々の国宝や重要文化財が収蔵された現代的なコンクリート作りの国宝殿もあります。

<東塔エリア-北谷・東谷・南谷・西谷・無動寺谷>

主なお堂 詳細
根本中堂 三塔の中堂の中でも最大の仏堂で、延暦寺の総本堂
大講堂 1964年に坂本の讃仏堂を移築したもので、ご本尊は大日如来
阿弥陀堂 檀信徒の先祖回向の道場で、1937年(昭和12)に建立され本尊は丈六の阿弥陀如来
法華総持院東塔 1980年(昭和55年)に再建された多宝塔型の塔で下層に大日如来と五智如来が祀られる
文殊楼 延暦寺の山門で二階建てとなっており、階上には文殊菩薩を安置されています
大黒堂 日本の大黒天信仰の発祥の地で、本尊は、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった「三面出世大黒天」

 

<大講堂>

<阿弥陀堂と法華総持院東塔>

西塔(さいとう)エリア


比叡山の中でも歴史的な建築物が残るエリアで、今でも古くからの修行が行なわれています。

東塔エリアとは違い、老杉に囲まれ静けさを感じさせる西塔エリア。

西塔は、第2世天台座主・寂光大師円澄によって開かれ、本堂は釈迦堂(転法輪堂)で第5世座主・智証大師円珍が三井寺の園城寺の金堂を西塔に移築したものです。

唯一、織田信長の焼き討ちに免れた瑠璃堂もあります。

<西塔-東谷、南谷、南尾谷、北尾谷、北谷>

主なお堂 詳細
釈迦堂 西塔の本堂にあたり、延暦寺に現存する建築中最古のもので、ご本尊は釈迦如来
浄土院 56歳で入寂された最澄の遺骸を安置した場所で今では十二年籠山の僧が毎日仕えている
常行動・法華堂(にない堂) 同形の2棟のお堂が左右に並び、法華堂の本尊は普賢菩薩で常行堂の本尊は阿弥陀如来
瑠璃堂(るりどう) 信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂

 

<にない堂>

<瑠璃堂>

http://lucky-day.at.webry.info/201510/index.html

横川(よかわ)エリア

横川エリアは、東塔や西塔より北へ少し離れた場所にあり、第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開かれました。

神秘的な感じの横川エリアは、修行地としての色合いが強く、鎌倉新仏教の親鸞や道元・道元などが修行をした場所で静寂な雰囲気に包まれています。

おみくじ発祥の地と言われる元三大師堂などがあり、比叡山の鬼門を守っています。

<横川エリア-香芳谷・解脱谷・戒心谷・都率谷・般若谷・飯室谷>

主なお堂 詳細
横川中堂 横川の本堂で、舞台作りは船の浮かぶ姿に見え、本尊は聖観音菩薩
四季講堂(元三大師堂) 元三大師堂は、慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡で、四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれます。
恵心堂 恵心僧都源信の旧跡で、仏三昧の道場、本尊は阿弥陀如来を祀る

 

<四季講堂(元三大師堂)>

<恵心堂>

 

日本仏教の礎を築いた天台宗開祖・伝教大師最澄とは!


767年に、最澄は近江国(滋賀県)の渡来人(とらいじん)家系で門前町の坂本に建つ生源寺に生まれ、12歳より地元の国分寺で学び、20歳になった時に東大寺にて具足戒(ぐそくかい)を受け正式な僧になります。

788年、比叡山に現在の延暦寺となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建立。

故郷の比叡山で修行中、中国天台宗の開祖である智顗(ちぎ)の法華経の利他(りた)「他人の救済を優先する」の教えに深く感銘する。

12年間の延暦寺での修行中に「一隅を照らす」の悟り開く。
「悪事を己に向かえ 好事を他に与え 己を忘れて他を利するには 慈悲の極みなり」

やがて、世俗化する南部六層の嫌気をさしていた桓武天皇と出会い、「空海(弘法大志)」と共に遣唐使として唐に渡り、天台学を学び大乗菩薩戒(だいじょうぼさつかい)を授かります。

帰国後、中国天台宗の法華経を基礎に善や密教・戒律を融合し日本独自の総合仏教を体系化、805年に天台宗を開く。

延暦寺を拠点に各地を布教、鎌倉新仏教となる名だたる開祖、法然(ほうねん)・親鸞(しんらん)・一遍(いっぺん)・栄西(えいさい)・日蓮(にちれん)・道元(どうげん)らが学び巣立っていきます。

最澄死後(767年~822年)、日本で初となる大師号「伝教大師」の称号を朝廷より贈られました。

 

普通の山門とは違う「文殊楼」は受験合格のパワースポット!


「文殊楼(もんじゅろう)」は、延暦寺全体の玄関にあたる建物で、延暦寺の正式な参拝ルートは門前町坂本から登り、比叡山にお参り後、この文殊楼を参り根本中堂へと向かいます。

文殊楼には、他のお寺の山門と違うポイントがある、それがお堂になっていることです。

二階へ上がれる山門は、昔、90日間の座禅を続ける「常座三昧(じょうざざんまい)」の修行が行われていました。

二階には、知恵を司る「文殊菩薩」が祀られており、受験合格・学業成就のパワースポットとなっているため多くの受験生が訪れます。

 

「大黒堂」祀られる大国様には三つの顔がありご利益も多い!

文殊楼から歩いて1分程の所にある「大黒堂(だいこくどう)」は、豊臣秀吉ゆかりのお堂で、日本で最初に大国様をお祀りしたお堂でもあります。

大黒天は、仏教では天部に属する神であり、神道では七福神の一柱の大国様として食物・財福・商売繁盛のご利益をもたらす神様です。

「大黒堂」の大黒天は少し変わっており、三つの顔を持った三面大黒天で「三面六臂大黒天(さんめんろっぴだいこくてん)」と呼ばれています。

三つの顔は、三つの仏が合体したもので、左側に毘沙門天・中央に大黒天・右側に弁財天の顔となります。

どうしてこの姿になったのか?逸話があります。

『最澄が、比叡山で修行を行っていた時に現れたのが大黒天で、世のため人のために頑張るのなら1000人の修行僧が来ても困らぬように食事の面倒を見ると告げられたのです。

しかし最澄は、もっと多くの人材を育てたいので1000人では足りないことを言うと、大黒天は毘沙門天様と弁財天様をお連れになり、3人合わせて3000人の修行が出来るように三体の仏様が一体となったと言われています。』

「三面六臂大黒天」一体で、大黒天の食物・財福・商売繁盛、毘沙門天の力と勇気、弁財天の美と才能のご利益が授かります、また、豊臣秀吉が深く信仰し活躍したことから出世運のご利益も授かります。

「開運の鐘」撞けば誰でも運が開けるご利益スポット!

東塔エリアの大講堂の近くにある鐘楼(しょうろう)には、「開運の鐘」または「平和の鐘」と呼ばれる梵鐘(ぼんしょう)があり、誰が撞(つ)いても名前のごとく運が開けると言われるパワースポットです。

梵鐘は、法要など仏事の予鈴として撞いたり、時報を知らせるなど仏教では重要な役割があります。

梵鐘の梵と言う字は、梵語(サンスクリット)で「神聖・清浄」という意味が込められており、この音に包まれているだけで心を浄化し清らかにしてくれます。

また、「魔」が逃げて行くという音でもあるのです。

By: James Gochenouer

延暦寺に訪れたなら、是非、試しておきたい開運スポットです!

撞くときは、願い事をしながら遠くまで音が響くよう力いっぱい撞けば、開運効果もUPするようです。ちなみに一叩き50円が必要です。

 

「根本中堂」最澄が仕掛けた5つの秘密が隠されている

「根本中堂」は、1200年前に最澄が比叡山を開くため最初にお堂を建てた「一乗止観院」の場所なので、比叡山の中心的なお堂となります。

現在の「根本中堂」は、織田信長による焼き討ちで焼失したため、徳川家光が9年の歳月をかけて1642年に再建したものです。

1955年(昭和30年)の昭和の大改修以来約60年振りに、2016年(平成28年)より10年かけて平成の大改修が始まりました。大改修中も参拝はできますし、工事間中だかこそ、普段見ることの無い貴重な改修作業も目にすることができますのでこの機会も見逃せません。

比叡山の中心となすお堂だけに、パワーを一番感じる場所なので、謙虚な気持ちなれ心が落ち着き思考も冴えてきます。また、「根本中堂」の内部には、ご利益が最大限に得られるよう最澄がお堂に仕掛けたものなど5つの秘密が隠されています。

「根本中堂」は三つのお堂が集まったもの(秘密①)

「根本中堂」を外観から見ると一つのお堂のように見えますが、実は経堂・薬師堂・文殊堂の三つのお堂が集まって建つ造りとなっています。

これは、比叡山の冬は雪の多い厳しい環境から考えられたもので、三つのお堂を大きな一つのお堂で囲ったので、建物の中にさらに建物がある造りとなっています。

仏様の高さはお参りされる人と同じ高さになっている(秘密②)

お堂内の内陣の床は外陣より3m低くなっており、内陣の厨子(ずし:仏像を安置する仏具)に安置される薬師如来像と参拝者の高さが等しくなっています。

法華一乗では、仏様と人は同じであるという教えがあり、誰でも等しく人は仏様になる素質を持っている、その意味で同じであることを「同じ高さ」で表しています。

本尊は薬師如来ですが最澄がそれを選んだ理由(秘密③)

普段は、最澄が一刀三礼して彫ったご本尊の「薬師瑠璃光如来」は秘仏のため拝めませんが、拝めるのは「御前立」の仏像です。

最澄がご本尊に薬師如来にした理由があり、それは過去でも未来でもなく、現在の世の中を良くしたい人々の悩みを救いたいという気持ちから、身体や心の病を治す薬の仏様である薬師如来を選ばれたのです。

天井に彩色で描かれる百花の図は仏様のお供えもの(秘密④)

根本中堂内は外陣・中陣・内陣に分かれており、中陣の天井には仏様のお供えとして「百花の図(花天井)」が描かれています。

「百花の図」は、織田信長の焼き討ちで焼失したお堂は徳川家光により再建さますが、この時に大名たちがそれぞれの地域を表す花として献上したものです。

生花と違い、いつまでも枯れない花として極彩色の二百もの草花が、静寂な雰囲気の中で仏様のお供えものとして天井に飾られています。

1200年間途絶えたことのない灯火「不滅の法灯」(秘密⑤)

ご本尊である薬師如来像の正面には、3つの釣燈籠が並び最澄が灯してから1200年間一度も絶えたことのない灯火があります。

これを「不滅の法灯」と言い、比叡山焼き討ちにより途絶えたかと思われた「不滅の法灯」は、6人の僧侶の努力によって山形県の立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていました。

<山形・立石寺>その後、根本中堂が復興されされたため、延暦寺に持ち帰り再びその火を灯し現在まで受け継がれています。

伝教大師最澄と根本中堂(動画)

 

比叡山で一番の聖地「浄土院」は過酷な修行の場でもある

「浄土院(じょうどいん)」は、根本中堂から歩いて約15分の東塔と西塔の境目にあり、比叡山の一番の聖地と言われています。

それは、今も人々の幸せを祈り続けている最澄の遺骸が、この裏の「伝教大師御廟(でんきょうたいしごびょう)」にあるからです。

「浄土院」には、12年間一人で生身の最澄に仕える僧侶の「待真(じしん)」「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」の修行を行っています。

待真は、約4000人いる天台宗の僧侶の中でたった一人しかなれません。

比叡山には、7年間山を歩き回り、途中9日間は食事も睡眠も取らず不動真言を唱える「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」がありますが、「十二年籠山行」はそれよりも更に厳しい修行となります。

毎日、厳しいお勤め行う修行僧の決意と最澄の思いが感じられる「浄土院」からは、静寂の中、厳そかな雰囲気の空気が流れているパワースポットです。

 

比叡山延暦寺の宿坊「延暦寺会館」で写経や座禅を体験!

延暦寺を一日ゆっくりと各エリアをお参りするのなら、境内の東塔エリアにある宿坊「延暦寺会館」一泊するのがおすすめです。

延暦寺にも一番近く、清い空気の中、宿坊ならではの写経や座禅の体験は自分を見つめなおす良い経験となるからです。

また、琵琶湖を望む景色の良さや精進料理を堪能して、朝の根本中堂でのお勤めを行えば、身も心も浄化され忘れえぬ旅の思いでになるのではと思います。

お寺参りの宿泊なら、一度は試してみたい宿坊ですね!
詳細⇒宿坊「延暦寺会館」

 

比叡山「延暦寺」の詳細情報

【天台宗総本山・比叡山延暦寺】
所在地 <延暦寺>〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町 4220
TEL:077-578-0001 (代)
FAX:077-578-0678
公式ホームページ⇒http://www.hieizan.or.jp/
参拝時間 【東塔エリア】
3月~11月:8:30~16:30
12月:   9:00~16:00
1月~2月: 9:00~16:30【西塔・横川エリア】
3月~11月:9:00~16:00
12月:   9:30~15:30
1月~2月: 9:30~16:00

拝観料:三エリア共通券(大人700円・中学生500円・小学生300円)
国宝殿拝観料:大人500円・中学生300円・小学生100円

アクセス 電車JR京都駅(湖西線)~比叡山坂本駅乗換~江若バス~
ケーブル坂本駅~坂本ケーブル~延暦寺駅~徒歩約8分マイカー名神自動車道(京都東I.C)降り~藤岡南ランプへ
西大津バイパス~近江神宮ランプ~山中越え~田の谷峠~
比叡山ドライブウェイ~延暦寺
駐車場比叡山・奥比叡ドライブウェイ内の駐車料金は無料
    東塔駐車場(270台)・西塔駐車場(75台)・横川駐車場(80台)
    他、比叡山登仙台・夢見ヶ丘・比叡山頂の全6箇所
お宿情報 >>比叡山延暦寺の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 日吉大社近江神宮琵琶湖ミシガンクルーズ滋賀近代県立美術館
ガーデンミュージアム比叡三井寺琵琶湖花噴水柳が崎湖畔公園庭園

 

<比叡山延暦寺の周辺マップ>

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春日大社のご利益に迫る!開運必至のパワースポット10選 https://kaiun.website/archives/2900 Tue, 01 Aug 2017 12:41:05 +0000 http://kaiun.website/?p=2900

「春日大社(かすがたいしゃ)」は、全国に約1000社あるとされる春日神社の総本社で、奈良市街地の東方に広がる連山の中央の三笠山(古名:三蓋(みかさ)山・春日山)より西麓の奈良県奈良市春日野町に鎮座します。

境内約30万坪という広大な聖域内には、神鹿(しんろく)である鹿が共存し、御祭神の4柱を祀る本殿他、若宮神社と人気の若宮15社めぐり、春日の燈籠呼ばれる3000基の燈籠、また摂社・末社は全部で六十一社もあり、まさに春日信仰の聖地と言うべきものです。

古都奈良の文化財として1998年(平成10年)に世界遺産に登録され、回廊が特徴的な春日造りに朱色の社殿の美しさで、国内はもとより多くの外国人も訪れています。

境内には、女性的で穏かな気が流れており、女性が参拝すれば
「仕事や才能が開花し出世運がアップするご利益」
授かるので女性におすすめのパワースポットでもあります。

男性には、「強い精神力・実行力がいただけ権力」
を手にできるご利益があります。

また、縁結びや夫婦円満・開運招福」など多くのご利益も授かる春日信仰の聖地、「春日大社」の開運スポットをご紹介します。

春日大社

〇境内約30万坪に、神鹿と共存する春日大社は、春日信仰の聖地として知られる。
〇女性には仕事や才能の開花、男性には強い精神力や権力を手にするご利益がある。
〇美しい朱色の社殿と回廊で有名な春日大社は、1998年に世界遺産に登録されている。
〇境内には60以上の摂社・末社があり、若宮15社めぐりや春日の燈籠など見所が豊富。〇 穏やかな気が流れる境内は、女性におすすめのパワースポットであり、多くの外国人も訪れる。

30万坪の広大な境内!しかし驚くことに明治新前は今の10倍

パワースポット!

原始林が広がる神山の三蓋山や草原の飛火野(とびひの)・御社頭・萬葉植物園・鹿苑などを含めた境内地は現在約30万坪と広大で、一之鳥居から社殿まで続く表参道も約1.4kmもありその大きさが伺える。

明治維新前にさかのぼれば、数多くの武将に庇護された春日大社は戦乱の世において一度も焼討ちに遭っておらず、国家鎮護の春日大神様として境内地は今の10倍の約300万坪に及んでいました。

しかし、都が東京となり明治迎えると春日山の花山と芳山が国へ上地されることとなり、境内は現在の広さとなっています。

都会の中にあって人と自然が共存するこの場所には、御神山の三蓋山から清らかな空気が流れ込み、人の心を落着かせてくれるそんなパワーが感じられます。

 

奈良公園!奈良だからこそできる貴重な体験

見所スポット!

奈良公園は、奈良市街の東側地域の総称で、その面積は660ヘクタールにおよび都市公園では国内では最大級です。

都市と自然と文化遺産が一体となった奈良公園は、春日大社の境内を含み、若草山や東大寺・正倉院・奈良国立博物館なども全てこの公園内に入ります。

中でも、奈良公園ならではの貴重な体験と言えば鹿と身近に触れ合えることです。

奈良公園の鹿の凄いところは、人間が飼育しているわけでなく、また、鹿はただ居るわけでもなく、人間と鹿とが共存しているのです。

都市のど真中に動物と人間が共存している場所は、世界を見ても奈良公園しかないと思います。
そんな凄い場所なんです。

そもそも何故、奈良の市街地に鹿が放たれているのか?

説によれば、奈良時代に平城京鎮護するため鹿島神宮(茨城)より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神として勧請する際、白い鹿に乗って奉還されたそうです。

奈良の鹿は白鹿の子孫と言うことで、それからは、神鹿(しんろく)として敬愛され、大切に保護し現在に至ります。

戦後の混乱期には、食糧難や野犬などで絶滅の危機に追いやられていましたが、現在は約1200頭程となり、奈良公園の重要な顔として観光客に親しまれています。

春日大社の創建と御祭神!本殿は平城京と同じ思想で建立

「春日大社」の始まりは、平城京遷都の際に、鹿島神宮より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を三蓋山に御祀りしたことからで、その後の768年(神護景雲2年)十一月九日に、藤原房前の息子の藤原永手(ながて)により香取の経津主命(ふつぬしのみこと)と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(あめのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)を併せ、御蓋山の麓に四つの社殿を創建したことからです。

日本の古社 春日大社

通常、御本殿に行くには三条通を突き当った所にある、第一之鳥居から入り参道を歩いて第二之鳥居・南門へと進んでいきます。

第一之鳥居から本殿まで約1.4km程あり、普通に歩いて約20分位かかります。

途中に、見所も沢山ありますので時間が有れば立ち寄るのも良いですね。

参道沿いの名所

見所スポット!

御神木の影向の松(ようごうのまつ)・・若宮おん祭では、この松の前で「松の下式」が行われます。

勝敗榊(しょうはいさかき)・・若宮おん祭の競馬の決勝点。

飛火野(とびひの)・・東西に芝生が広がる場所で、御祭神が春日へ着くさい日が暮れたため火を灯したが、その火は消えず飛び回ったのでこの名前になったと伝えられる。

萬葉植物園(まんようしょくぶつえん)・・昭和7年に日本で一番古い萬葉植物園として開園。春日大社の社紋は藤の花であることから、約9000坪の園内には、20品種・約200本の藤の木が植えられています。

 

御本殿には4柱の御祭神を祀る朱色の4殿が色鮮やかで美しい!

パワースポット!

御本殿は、写真右から第一殿・第二殿・第三殿・第四殿となり、式年造替(しきねんぞうたい)制度によって二十年に一度、御殿の建て替が行われ今までに60回を数え、現在、平成19年の一ノ鳥居から造替が始まっていて平成28年の御本社御本殿の正遷宮をもって終了します。

本殿配置  御祭神:春日神(4柱の総称) 藤原氏氏神 勧請元神社 
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 藤原氏守護神 常陸国鹿島の神(鹿島神宮)
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 藤原氏守護神 下総国香取の神(香取神宮)
第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 藤原氏の祖神 河内国平岡の神(枚岡神社)
第四殿 比売神(ひめがみ) 天児屋根命の妻 河内国平岡の神(枚岡神社)

 

ご本殿は、唐の思想に習った平城京と同様の考え方で建てられているため、南に正面を向き北が御本殿の背になる天子南面で建てられています。

色は鮮やかな朱色で施されており、これも平城京の大極殿(だいごくでん:朝廷の正殿)と同色となっています。

朱色は命の尊さを表す色で、「春日大社」は朱色を社殿に取り入れのが日本の中で最も早い神社の一つにあげられます。

<平城宮跡・大極殿>

「春日大社」は、奈良から明治時代の千年以上は「春日社」と呼ばれており、その後「官幣春日神社」となり、現在の「春日大社」と呼ばれるようになったのは戦後で、全国の春日神社の総本山であることからです。

社頭の大杉

パワースポット!

「社頭の大杉」は、中門の横にある樹齢約1000年とも言われる御神木です。

鷹さ25m・周囲8.7mの大木で、写真では見えませんが、この裏では一本の槙柏(しんぱく:伊吹といわれる)が斜めに伸びたため屋根に穴を開けて大切に保護しています。

1000年もの間生き続ける「社頭の大杉」のパワー強く、触れるだけで全てを浄化して貰える気がします。

本殿へ入る前に、一度立ち寄り御神木に触れ心の浄化してから、御祭神のご利益いただければ開運もアップするのではないでしょうか。

春日祭!古式ゆたかな祭は日本の三大勅祭の一つ

見所スポット!

「春日祭」は、平安時代の古式にのっとた例祭で、毎年三月十三日に宮中より天皇の勅使(ちょくし)をお迎えして行われます。

京都の賀茂祭(葵祭り:上賀茂神社・下鴨神社)石清水祭(石清水放生会:石清水八幡宮)と共に、日本の三大勅祭(さんだいちょくさい)の一つです

歴史は古く、奈良時代から行われてきた例祭ですが、現在のように盛大な「春日祭」となったのは、文徳(もんとく)天皇の時代の嘉祥(かしょう)二年(849年)で、毎年春の二月と冬の十一月の上の申(さる)の日に行われていました。

<春日祭は、中門前に高倉天皇が植樹した林檎の木(林檎の庭)を中心に行われる>

しかし、明治三年(1870年)に全国の神社の祭典の合一化によって年一回と変わりましたが、その後、明治天皇が明治十九年(1886年)に古い時代のものに戻され、この年の旧暦二月上の申の日が三月十三日であったため、以後この日を「春日祭」の祭日と定めました。

このような歴史から奈良市民は、「春日祭」を親しみをこめて「申祭(さるまつり)」ともよびます。

三月十日・十一・十二に前儀・十三日に本祭・十四日に後儀を古式ゆかしく行われます。

春日祭行事日程⇒こちら

「春日祭」勅使を迎えての儀(動画)

★御戸開之儀(みとびらきのぎ)・・御祭りにあたって御殿を開く重要な儀
★祓戸之儀(はらえどのぎ)・・二之鳥居内の祓戸神社にて中臣祓いを受ける儀
★御棚神饌(みたなしんせん)供進・・勅使みずから黒楉(くろもじ)の木の台にのせて、熟饌を本殿へ運ぶ式

祓戸神社!罪を祓ってくださる神がいる

パワースポット!

「祓戸神社(はらえどじんじゃ):末社」
は、第二之鳥居を入るとすぐ左手に見えます。

春日祭での勅使における祓戸の儀はこの神社の前で行われ、また、年々の大祓式もここで行われます。

御祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で祓いの神

犯した罪を改めて祈るとその罪をお祓いしてくださる、聖母様のような神様です。
自分が気ずいていない罪もあるかもしれません、是非、参拝しておきましょう。

 

若宮神社!奈良生まれの若く強い御子神様

パワースポット!

「若宮神社(わかみやじんじゃ)」は、本社南門から東南へ御間道(おあいみち)を歩いて約100mの所に鎮座しています。

「若宮神社」の始まりには誕生秘話があり、御本殿である第四殿の大床より3升ほどの水の塊りができ、その中から神様の化身が現れ第四殿内に入っていったのを中臣是忠が拝見したそうです。

その40年後、6歳の童子が神がかりとなり高く浮き上がり、「春日大明神は神饌(しんせん:お供え物)を受け入れない」とおっしゃられ、神よりの御加護はないことを知った者たちは大騒ぎとになり、新しく誕生された五所王子(ごしょのみこ)に神饌がお供えしていなかったことにきずきます。

それまでは、比売神(ひめがみ)の子として第四殿の相殿とし、一緒に神饌をお供えしていたのですが、子供が大きくなるのと同じようにその時期は過ぎていたのです。

そして、御本殿の第二殿と第三殿の間の「獅子の間」に五所王子を奉祀して、神饌を丁寧にお供えしました。

その後も、丁重に御祀りしましたが、天災や飢餓・疫病が流行るようになり、神霊新たかな春日の若宮様の御加護を得るために新しい御殿の建設に入り、保延元年(1135年)2月27日完成し本殿東南に御遷座されました。

これが若宮社で、若宮本殿は本殿の第一殿とほぼ同じ大きさで大宮(本殿)と若宮は同格とされています。

「若宮神社」の御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」で、第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神(みこがみ)です。

「天押雲根命」は生命の根源である水から生まれたため、生命力や知恵のご利益が授かります。

春日若宮おん祭!約900年間途切れずに続く贅をつくす大祭

見所スポット!

「春日若宮おん祭」は、若宮の御祭神(天押雲根命)のお祭で、若宮本殿が創建された次の年の保延二年(1136年)九月十七日に、若宮の御神助を願って五穀豊穣・天下泰平・万民和楽(全ての人が和やかに楽しく過ごせる事)を祈願し始められたものです。

当時、洪水や飢餓・疫病が流行っており政情も不安定であったため、水神の力を持つ若宮様の力が必要であったのです。

おん祭を開始してからは晴天が続き、人々の不安や同様は収まり、以後900年弱の間途切れることのなく毎年十二月十七日に行われれる贅を尽くした大祭です。

若宮おん祭行事日程⇒こちら

 

若宮15社めぐり!神々をまわれば一生の苦難を助けて下さる

※円形外側のピンク色は、納礼社名で円形内側の黄色は御神徳。

パワースポット!
「若宮15社めぐり」
とは、若宮神社の若宮様を中心に、人が一生を送る間に起こるさまざまな難関・難所・試練をお助けをして下さる神様が集まって鎮座しており、その神社15社を順番に参拝して自身の人生をたどりながら一生安泰を祈願するものです。

若宮15社めぐり手順

順路

1.「夫婦大國社」で、15社めぐりの受付を行います。
受付用紙をいただき名前・住所・電話番号・生年月日を記入し、初穂料1,000円を添えて申し込みます。

2.各神社・遥拝所に収める15枚の玉串木札の入った袋をいただきます。

3.「夫婦大國社」近くの手水舎で体と心を清めます。

4.納礼社の一番は若宮神社で、次に一童社(三輪神社)と続き15社全てを参拝します。(順番は下記参照)

5.15社全て満願すると15社最後の礼拝所となる「夫婦大國社」で「おしるし」がいただけます。
「おしるし」は、「若宮15社の御朱印」と「夫婦大國社」の御祭神である大国主命の「福杓字と福小槌」のお守り。

 

順番 納札社 御祭神 御利益
第一番 若宮(わかみや)神社 天押雲根命(あめのおしくもねのみこと) 正しい知恵
第二番 一童社(三輪神社)   少彦名命(すくなひこなのみこと) 子孫繁栄・子の成長 
第三番 兵主(ひょうす)神社   大巳貫命(おおなむちのみこと)  延命長寿
第四番  南宮(なんぐう)神社  金山彦神(かなやまひこのかみ)  金運守護
第五番 広瀬(ひろせ)神社   倉稲魂神(くらいなたまのかみ)  衣食住の守護
第六番  葛城(かつらぎ)神社  一言主神(ひとことぬしのかみ)  心願成就
第七番 三十八所神社 
(さんじゅうはっしょ)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと) 
 正しい勇気と力
第八番 佐良気(さらけ)神社   蛭子(ひるこのかみ)神:えびす神 商売繁盛・交渉成立 
第九番  春日明神遥拝所
(かすがみょうじん)
 春日皇大神(かすがすめおおかみ)  ひらめき
第十番  宗像(むなかた)神社  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 諸芸発達 
第十一 紀伊(きい)神社  五十猛命(いたけるのみこと)
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
抓津姫命(つまつひめのみこと) 
命の根源を守る 
第十二 伊勢神宮遥拝所 
(いせじんぐう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ) 
天地の恵みの感謝所 
第十三 元春日 枚岡(ひらおか)
神社遥拝所 
天児屋命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ) 
 延命長寿
第十四 金龍(きんりゅう)神社   金龍大神(きんりゅうおおかみ) 開運・財運の護守 
第十五 夫婦大國社
(めおとだいこくしゃ) 
大国主命(おおくにぬしのみこと)
須勢理姫命( すせりひめのみこと)
良縁・夫婦円満
福運守護 

 

若宮15社めぐりは、本殿参拝後に必ず訪れたい大人気のパワースポットです。

自分の歩んできた人生を振り返り、これからの人生の中であるであろう試練や苦悩を少しでもより良いものにするため、15社満願で自分の一生を開運へと導いて見てはいかがでしょうか。

 

末社で人気の開運スポット!

夫婦大国社!縁結びから夫婦まで男女の願いが叶う

パワースポット!

「夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)」は、若宮15社めぐりで最後の礼拝所となっており、御夫婦の大国様を祀っている日本唯一の神社です。

御祭神は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「須勢理姫命(すせりひめのみこと)」で、御厨子(みずし:仏像をあんちする仏具)に二人の彫刻像を安置しお祀りしたことが始まりです。

縁結びや夫婦円満・家内安全など男女に関するものにご利益があります。

夫婦大国社では、古くはしゃもじに願い事を書いて奉納していましたが、今ではハート型のピンクの縁結び絵馬も登場しています。

金龍神社!今人気の金運スポット

パワースポット!

「金龍神社」は若宮社の末社で、15社めぐり14番目の神社です。

南北朝時代の後醍醐天皇ゆかりの神社で、金龍名は天皇の御座所の禁裏(きんり)が発音がなまり「きんりゅう」になったと言われています。

御祭神は「金龍大神」で、開発・発達の神であるが最近では金龍名から金運や財運の神様として知られるようになり、15社を巡らずこの一社を目当てに参拝に訪れるという人気の金運スポットです。

白乳神社と赤乳神社!名前だけで女性のご利益が想像できる

パワースポット!

夫婦大国社の東側、礼拝所5番と6番の間に遥拝所が設けられ、社は境内南側の能登川沿いに鎮座します。

古くは、和歌山県の淡島(あわしま)神社とあったとされ、「白乳(しらち)神社」御祭神は志那斗弁神(しなとべのかみ)で、女性の腰から上の治してくださる神様

「赤乳(あかち)神社」御祭神は稚日咩神(わかひめのかみ)で、女性の腰から下を治して下さる神様です。

女性なら、15社めぐりの途中に訪れれば病気も安泰のパワースポットです。

 

春日大社の灯篭!その数驚きの3000基は歴史の証し

見所スポット!

「春日大社」は、通称「お春日さんの万灯篭」とも呼ばれるだけに、「灯篭」は境内と御本殿を合わせるとその数は約3000基もあると言われ、その内訳は境内に2000基の石灯篭、御本殿には1000基の釣灯篭があります。

神社仏閣の中でも、「春日大社」は数多くの灯篭を置いた最初の神社で、その後、全国の社寺に広がっていきました。

「春日大社」は、奈良で一番明るいところと言われ時代があり、3000基の灯篭の灯りは、幻想的で境内そのもを示す神聖な聖域となっていたのです。

言い伝えによれば、「一日で灯篭の数を正確に数えることが出来たなら長者様になる」と言われています。

約3000基の内、多くは商人や一般からの寄付で約8割を占めており、一部は貴族や武士などの有名な灯篭もあります。

灯篭が多種多様に揃う「春日大社」は、奈良時代から現在に至る歴史を灯篭により垣間見ることができ、また、時代における技巧の素晴らしさが伺える唯一の場所です。

3000基の灯篭が灯され幻想的な世界「中元万灯篭」

パワースポット!

「中元万灯籠(ちゅうげんまんとうろう)」は、石灯篭約2000基と釣灯篭約1000基の計約3000基が一斉に灯される幽玄で美しい神事で、年に2月の節分と8月14・15両日の夜7時から9時半まで行われます。

夜の静けさと暗闇の中に浮かぶ灯篭の火は、幻想的な優美な世界へと導いてくれます。

また、その前の夕方には「林檎の庭」にて、庭火を焚いて神楽や舞楽の奉納があります。

この時期に行けない人には、万灯籠を再現した「藤浪之屋(ふじなみのや)」で気分を味わうことができます。

江戸時代に神職の詰所であった「藤浪之屋」が開放され、多くの釣灯篭が灯されてます。

 

「砂ずりの藤」見頃には紫の花が2m以上も下がり地面を舞う

見所スポット!

は、「春日大社」の社紋であるため大事にされています。

社殿西回廊側の慶賀門を入ると棚が作られ藤の木があります。

この藤は、「砂ずりの藤」と呼ばれ、花の房が六から七尺ほど下がることからこの名が付けられ、摂関近衛家より奉納されたと伝えられる樹齢700年以上の名木です。

5月初旬が見頃となる藤なので、何時も見れるわけではありませんが、ゴールデンウィークに参拝されるのであれば立派な下藤の花が咲きますので、見落とさないようにしましょう。

 

「春日大社」の詳細情報

【春日大社】

所在地 〒630-8212
奈良県奈良市春日野町160
TEL:0742-22-7788
FAX:0742-27-2114
公式ホームページ⇒http://www.kasugataisha.or.jp/
参拝時間 【開門時間】
夏期(4月~9月)6:00~18:00 冬期(10月~3月)6:30~17:00
本殿前特別参拝は、8:30~16:45(初穂料500円)

【国宝殿】 <旧称春日大社宝物殿>
10:00~17:00(入館は16:30まで)
一般/500円・大学生・高校生/300円・中学生・小学生/200円

【萬葉植物園】
3月~11月 9:00~17:00(入園は16:30まで)
12月~2月 9:00~16:30(入園は16:00まで)
大人 /500円・小人 /250円

アクセス

【電車とバス】
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(春日大社本殿行:約12分)
        ⇒春日大社本殿下車
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(市内循環内回:約13分/外回:約8分)
        ⇒春日大社表参道下車⇒徒歩(約10分)

【マイカー】
名神高速道「京都南IC」⇒京奈和自動車道経由(約60分)
京奈和自動車道「木津IC」⇒県道754号線経由(約7km:約20分)
第2阪奈有料道路「宝来IC」⇒東方面へ(約8km)

【駐車場】
バス・乗用車合わせて100台(車駐車料金1,000円/1日)
利用時間:2月~11月(7:30~17:00)・12月~1月(7:30~16:30)

お宿情報  >>春日大社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地  平城宮跡・奈良公園・若草山山頂・萬葉植物園・東大寺・氷室神社・元興寺

 

<春日大社周辺マップ>

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「下鴨神社」癒しの森を通って縁結び!7つのパワースポットでご利益 https://kaiun.website/archives/2504 Mon, 08 May 2017 09:10:11 +0000 http://kaiun.website/?p=2504

「下鴨神社(正式名:賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】)」は、京都で最も清らかで尊導きの神様としてのご神徳を持ち、縁結びのご利益を頂けるパワースポットとして女性に大人気の神社です。

京都の最古の神社である「下鴨神社」は、紀元前から神々のおられる地で山城国一ノ宮として崇められ、JFA(日本サッカー協会)のシンボルである3本足の八咫烏(やたがらす)の伝説や七不思議など話題も豊富で、浄化・必勝・開運・子宝・美容・縁結びなど様々なご利益を頂ける神社です。

そんな「下鴨神社」に訪れたら、是非、行って欲しいパワースポットをご紹介します。

癒しの空気が流れる広大な「糺の森」

おすすめパワースポット!

「下鴨神社」の正式な参拝は、出町から賀茂川に架かる葵橋を渡り、十二万四千平方メートルの広大な「糺(ただす)の森」から表参道を社殿方面の北へと歩いて行くのが正しいとされています。

その理由は、社殿参拝と共に平安時代以前の原生林をそのまま残し、古代より精霊が住むとされる糺(ただす)の森を訪れ歩くことが身を清め心を癒してくれるからです。

表参道の両脇には、瀬見の小川と泉川が流れ、静かなせせらぎと共に癒しの空気が流れ込んでくるパワースポットです。

「下鴨神社」境内マップ

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 

メイクをすれば美人のご利益が得られる絵馬

人気スポット!

糺(ただす)の森の中、「下鴨神社」の境内に入り少し歩くと左側に「河合神社」が鎮座します。
この神社には、日本一美しいと言われる神様の玉依姫命(たまひめのみこと)が祀られています。

「河合神社」には、美人になるとされる絵馬の「鏡絵馬」があり、訪れた女性のほとんどが美のご利益を頂くため奉納しています。

手鏡に似せ顔が描かれた鏡絵馬に、自分の美しくなった顔を想像し、自分の持っているメイク道具で絵馬の顔にメイクします。(メイク道具が無い人には、色鉛筆が借りられます。)

裏には願い事を書き、出来上がった絵馬は飾られ、後日お焚上げが行われます。

女性の美への憧れは昔も今も同じ、美人になれるなら「鏡絵馬(初穂料800円)」メイク挑戦しておきたいですね!

「河合神社」は、古くから安産や育児など、女性ならではの願い事を叶えてくれる神社として信仰されています。

サッカー必勝の神様を祀る任部社

おすすめパワースポット!

「河合神社」の奥には、日本サッカー協会のシンボルマークである八咫烏命(やたがらすのみこと)を祀る「任部社(とべしゃ)」が鎮座します。

専女社とも呼ばれ、「河合神社」の創祀(そうし)と同時期から祀られている古いお社です。

八咫烏は三本足を持つ鳥で、初代天皇である神武天皇の東征の際に、黒い衣をまとって道案内をした八咫烏賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされてます。

この導き勝利の功績によって、天皇より八咫烏の称号が与えられた言われています。

御祭神である八咫烏命の御神徳により、勝利・武芸上達・交通安全・旅行安全のご利益が得られます。

 

ちょっと変わった参拝方法で縁結びのご利益が凄いご神木!

おすすめパワースポット!

縁結びのご利益が高いと評判のパワースポットが、境内にある「下鴨神社」の末社の「相生社(あいおいしゃ)」です。

「相生社」は、桜門のすぐ手前にあり、神皇産霊神(かむむすびのかみ)を祀るお社で、隣には神様のご神徳で結ばれたと言われる霊木「連理の賢木(れんりのさかき)」が立っています。

根元は2本に分かれた別の木が、途中で一つに結ばれた珍しい木で、縁を結ぶ力が強くて一つに成った言われ、夫婦和合を表しています。

又、現在の「連理の賢木」は四代目で、不思議なことにに寿命が来ると、糺(ただす)の森のどこかに自然と跡を継ぐ霊木ができるそうです。

そのため、「連理の賢木」は京の七不思議にも数えられパワースポットです。

他とは違う特徴的なここの参拝作法!

絵馬(初穂料500円)に願い事を書く。

絵馬の赤と白の糸を良縁の願いを込めて結ぶ

絵馬を持ち「相生社」の正面へ。

「連理の賢木」の周りを男性は右回り(時計方向)、
  女性は左回り(反時計方向)
に願い事を唱えながら回る。

まず、2週して3周目に後ろの絵馬掛けに絵馬を奉納します。

お社の正面に戻って、二礼二拍手一礼で参拝。

「連理の賢木」の正面より御生曳き(みあれびき)の綱を2回引いて終わり。

「縁結びや子宝・安産・家内安全・夫婦円満など縁を結ぶもの」のご利益を授かります。

 

可愛いと評判の女性に大人気の「媛守」

人気スポット!

中門横の授与所には、女性に大人気のちりめん生地の「媛守(ひめまもり)」があります。
ちりめん生地で作られたこのお守りは、女性用のお守りです。

一つとして同じ絵柄はなく、小振りでデザインも可愛いので、「下鴨神社」では評判の人気お守りです。

 

干支の守護神からご利益が得られる7つのお社

おすすめパワースポット!

舞殿の裏の中門を入ると社殿に向かって左側に3つ、正面に2つそして右側に2つ、合計7つのお社が鎮座します。

このお社は、「言社(ことしゃ)」で、大国主命の略称から大國さんとも呼ばれ人気のパワースポットです。

大国主命は、働きによって7つの名前があり、その名前事に7つのお社があります。
十二支の守り神を祀っており、それぞれのお社にご神徳があることから古くから多くの人に信仰されています。

7つのお社詳細

言社名 社名 神名 干支のお社とご神徳
一言社 東社 大国魂神
(おほくにたまのかみ)

巳歳の守護神
(国土創生と大地の神で、命の躍動の象徴)
未歳の守護神
国土創生と大地の神)

  西社 顕国魂神
(うつしくにたまのかみ)

午歳の守護神
(国土の守り神で物事をうまく運び営む力の神)

二言社 北社 大国主神
(おおくにぬしのかみ)
子歳の守護神(国づくりと縁結びの神)
  南社 大物主神
(おおものぬしのかみ)
丑歳の守護神(物を司り神仏のお使いの神)
亥歳の守護神(物を司り力を与える神)
三言社 北社 志固男神
(しこのかみ)
卯歳の守護神(天下一の強者で力の神)
酉歳の守護神(天下一の強者で希望のシンボルの神)
  中社 大巳貴神
(おほなむちのかみ)
寅歳の守護神(国づくりや医薬の神)
戌歳の守護神(国づくりや医薬の神)
  南社 八千矛神
(やちほこのかみ)
辰歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神で天子の象徴の神)
申歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神)


言社の参拝方法は、まず自分の干支、それから今年の干支を参拝
することで一度に多くのご利益が頂けます。

 

酉歳には特に参拝したい必勝・開運の本殿

http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka

社殿は、神社形式の代表的な形式で建てられ東西の本殿は国宝に指定され、「下鴨神社」は世界文化遺産でもあります。

平成27年には、21年に一度、社殿を修復する34回目の式年遷宮が行われました。
元来、式年遷宮はご神体を除く建物、社殿を造り替えるものですが、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されているため江戸時代以降は修復にとどめられています。

通常、本殿は言社の前の幣殿からしか拝めず、参拝はここで行います(上記写真)。

「下鴨神社」は賀茂建角身命とその娘の玉依媛命の二人をお祀りする神社

おすすめパワースポット!

ご本殿は、「下鴨神社」で最強のパワースポットです。

御本殿 御祭神
西本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと) 

 

<御本殿:西と東に分かれている>

「賀茂建角身命」は、神話で八咫烏に化身して重要な役割を担った神様のため、酉年には特に参拝をお勧めします!

「玉依媛命」の玉依(たまより)は、霊憑(たまより)からきているとされ、神に仕える巫女(みこ)のことだと言われています。
巫女の役割と共に子供を生む力など女性に関する総称でも有り、玉依媛命の祀られる神社は水と深い関係があることから、水や縁にも強いご神徳を持っています。

又、玉依媛命が鴨川の上流で流れ着いた丹塗りの矢を祀っていたところ、美しい男神となったため結婚したと伝わる。
二人の間に生まれた子供が、現在の「上賀茂神社」の祭神である賀茂別雷大神(かもべついかずちのおおかみ)です。

御祭神 ご利益
賀茂建角身命 導びきの神・勝利の神・方除・厄除け
入学・受験合格・交通・旅行・操業の安全
玉依媛命 縁結び・子宝・安産・育児・開運・方位除け
商売繁盛・豊作豊漁・災難除け

 

みたらし団子は「御手洗社」の井戸の泡から生まれた

みたらし団子は、「下鴨神社」が発祥の地です。

境内奥の東本殿側にある、「御手洗社(みたらししゃ)」の下には井戸があり、井戸から湧き出る白い泡を見て、みたらし団子が考えられたと言われています。

ここに来たら、是非、食べておきたいみたらし団子ですが、昔は神前に供えてご祈祷後、家に持ち帰っていただいたそうです。

上記写真でもわかるように、串に5つのお団子が付いていますが、1つ目から2つ目の間が少し離れているのが特徴的です。

みたらし池の湧きあがる白い泡が、1つ浮き少し経ってから2つ3つ4つと泡が湧き出る様子を表して作られたためで、人間の五体を表しているともいわれ縁起物です。

西参道にある「加茂みたらし茶屋」が人気のお店で、焼いて焦げ目をつけた米粉の団子に、蜜のたれをスプーンですくい、団子にたっぷりつけていただきます。

加茂みたらし茶屋
住所 京都府京都市左京区下鴨松ノ木町53
営業時間 9時30分~19時(定休:水曜日)
メニュー みたらし団子(3本420円)
わらび餅(550円)
磯巻(620円)

 

おすすめパワースポット!

「御手洗社」は、みたらし川から湧き出る井戸の上に建っていることから「井上社」とも呼ばれ、お祓いの神様の「瀬織津媛(せおりつひめ)」をお祀りしています。

南側に御手洗川が流れ、そこからお社の下を通って、前側にある「みたらし池」と続いており、この池を舞台に毎年土用の丑の日に「みたらし祭(別名:足つけ神事)」が催されます。

<みたらし池に架かる輪橋>

昔から、神の池「みたらし池」で手や足を洗い、罪や穢(けが)れを祓い落とし、病気を厄払いする夏のお祭りです。

「みたらし池」は、普段流れない水が、土用の丑の日は池から湧いてくるといわれ「鴨の七不思議」の一つになっています。

「さざれ石」生命力の象徴で神霊の宿る石

おすすめパワースポット!

南口鳥居を入った直ぐ左側には、神霊の宿る石「さざれ石」があります。

「さざれ石」とは、小さな石という意味があり、石灰石が長い年月をかけて雨水により溶けて固まり、岩石へとなったものです。
年月と共に成長する「さざれ石」は、神霊が宿る石とされています。

又、「さざれ石」を詠んだ古今和歌集があり、日本の国家の原典となっている。

古今和歌集<古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番>
「我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

そして、日本の国家の「君が代」
「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」です。

違いは、初めの部分だけですね!

「さざれ石の 巌となりて」は、石に宿る力、生命力は永遠で小さな石も大きくなることを表し、石には神霊が宿る神聖なものとして昔から崇められてきたのでしょう。

 

3つの的を神馬一体で打ち抜く勇壮な祓い清めの神事

糺の森に設けられた500mの馬場に100m間隔で3つの的が置かれ、公家装束をまとった射手(いて)が勇ましく駆けながら、馬上から厄けの「イン、ヨー(陰、陽)」の掛声と共に次々と矢を放ち、50cm四方の的を射る「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は、勇壮でその光景は平安時代にタイムスリップしたような感覚にもなります。

「流鏑馬神事」は毎年5月3日に行われ、「葵祭(あおいまつり)」が安全に行われるよう祓い清めるための神事で、約2万人もの多くの人が集まる「下鴨神社」の人気の行事です。

的に当たれば、豊作や諸願成就のご利益が得られ、 当たり的は縁起物として授与されるそうです。

年によっては、勇敢な女性や中学生の射手も登場します。

葵祭

「葵祭(正式名:賀茂祭)」は、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つで、下鴨神社(賀茂御 祖神 社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭。

♦王朝絵巻さながらの衣装をまとった総勢500名以上の人が行列をなして、 京都御所から出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かうお祭り。

8キロに渡る沿道には、約8万人以上の人が集まり華麗で優雅な平安王朝絵巻に見入ってしまいます。

 

下鴨神社の詳細情報

【下鴨神社(賀茂御祖神社)】

所在地 〒606-0807
京都府京都市左京区下鴨泉川町59
TEL: 075-781-0010
公式ホームページ⇒【下鴨神社】
参拝時間 開閉門時間:夏は午前5時30分~午後6時
      冬は午前6時30分~午後5時
大炊殿拝観:午前10時~午後4時迄
ご祈祷:午前9時~午後4時迄
アクセス

市バス:京都駅(4or205系統)~下鴨神社前下車
(糺ノ森を歩くなら葵橋西詰バス停下車)

電車:JR京都駅(JR奈良線)~東福寺駅(京阪電車に乗り換え)
   ~出町柳駅下車(徒歩約13分)

電車・バス:京都駅(地下鉄鳥丸線)~北大路駅(市バス1or205系統)
      ~下鴨神社前下車(所要時間約40分)

マイカー:名神高速京都東インター下車(三条通経由約30分)
     名神高速京都南インター下車(河原町通経由約31分)
駐車場:境内西駐車場(300台有料30分/200円)

お宿情報  >>下鴨神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】  
周辺観光地  上賀茂神社・京都市動物園・京都国際マンガミュージアム
六角堂頂法寺・京都国立博物館・京都御所 

 

<下鴨神社周辺マップ>

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【元乃隅稲成神社】CNNが選ぶパワースポット!賽銭箱がリニューアル https://kaiun.website/archives/2255 Tue, 07 Mar 2017 13:02:32 +0000 http://kaiun.website/?p=2255

山口県長門市油谷津黄に、美しくもありまた珍しい「元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)」が鎮座します。

「龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)」側から始まる参道には、朱色より少し赤い鳥居が100m以上も並び、トンネルをくぐっていくように参拝所の崖の上まで続き、海の青と木々の緑そして鳥居の赤が素晴らしいコントラストとなり、上から見る景観は絶景の一言です。

天・地・海・木の四つの美しい自然に囲まれた「元乃隅稲成神社」は、清々しい空気が心を洗う感動のパワースポットです。

また、この神社の創建は浅く、賽銭箱が鳥居の上にあるという珍しさが受けテレビや雑誌で注目の神社で、土日・祭日ともなると多くの日本人の他、外国人も訪れる人気のスポットなっています。

元乃隅稲成神社は日本で二つだけのいなり神社!

 

「元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)」は、2015年にアメリカのCNN発表の「日本の最も美しい場所31選 」に選ばれ、厳島神社(広島)や姫路城(兵庫)・鳥取砂丘(鳥取)などの日本の名だたる国宝や世界遺産と肩を並べる世界でも有名な絶景スポットになっています。

「元乃隅稲成神社」の由来は、ここの網元の枕元に白い狐が出現し、誰のおかげで漁ができるのかを述べ、自分を祀ることをお告げになられたため、島根県津和野町の「太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)」から分霊された神社だそうです。

稲成の「成」はお願い事がよく叶うという意味がある!

ここで注目したいのは、稲荷神社ではなく稲成神社であるということです。

稲荷神社や稲荷社は、稲荷神を祀る神社で全国に4万社もあり、総本社が京都伏見区の「伏見稲荷大社」ですが、「稲成」と書き「いなり」と読む稲成神社は島根県津和野町の「太鼓谷稲成神社」と「元乃隅稲成神社」の二つの神社だけなのです。

漢字が違うのは、稲成の「成」には願望成就・大願成就などお願い事がよく叶うという意味が込められているようです。

第一の大鳥居をくぐれば一二三の鳥居がトンネルへと変わる

第一大鳥居をくぐれば、やや小さめの真っ赤な鳥居123基が展望台へと続き、なだらかな参道も頂上に近づくにつれて急斜面は階段へと変わります。

鳥居の中は、隙間があるもののトンネルのようで、幻想的な雰囲気をかもしだす。
鳥居は、昭和62年から10年間かけて奉納されたもので、参道の幅は二人が並んで歩く程度の広さ。

参道に建てられる鳥居の数は123本が最大で、そのため一二三の鳥居と呼びます。
参道上部からみる、赤と緑と青のコントラストが美しい!

展望台間近は、斜面が急な階段になっています。

神社がある展望台まではこの高さ、海側から見ればもっと高く見え、断崖岸壁にそびえている感じがする。

こじんまりですがご利益が高い白狐の大神様を祀る拝殿と本殿

赤の鳥居の参道を昇りきったところに、鳥居とこじんまりとした「元乃隅稲成神社」の拝殿・本殿があります。

小さな拝殿ながらも、商売繁盛・大漁・海上安全・良縁・子宝・開運厄除・福徳円満・交通安全・学業成就・願望成就と稲成神社ならではの多くのご利益がいただけ、お礼参りも多いパワースポットです。

知名度もどんどん上がり、平成26年には3万人程の観光地であったのが、平成28年度は8月までには30万人を越えるほど今大ブームが起きている神社となっています。

お告げにより、島根県津和野町の「太鼓谷稲成神社」の分霊を祀る。

全国から注目の入らないお賽銭鳥居

裏側の参道には、高さ5mの鳥居の中央にはお賽銭箱があり、入れば願いが叶う言われていますが、入れるのは一苦労。
お賽銭箱はこの高さですから、何度も何度もトライしてようやく成功、その結果のご利益なのでしょう。

お賽銭箱には、可愛い子供の白いキツネがモチーフになって左右に施されています。

このお賽銭鳥居が有名になり、「ナニコレ珍百景」や「志村&所の戦うお正月」など多くのテレビ番組に取り上げられ全国で知られる神社となっています。

日本一の入らないお賽銭箱がリニューアルで更に高さ1mUP!

2016年11月1日に、あの日本一入らないお賽銭箱の鳥居がリニューアルして、今までの裏参道の場所から一つ上の場所に移設されました。

今までの場所は駐車場の近く、入らなかったお賽銭を取りに車と接触の恐れがあるため、祭主が移設を決意・完成しました。

By: gtknj

鳥居の高さは1mUPされ6mに、そして賽銭箱も白狐のモチーフもリニューアルされ5mの高さに取り付けられため、これまで以上に入れにくい賽銭箱となりました。

元乃隅稲成神社の御朱印は可愛い白キツネ

「元乃隅稲成神社」は、現在五色の白キツネの御朱印があります。
上左から、緑・黒・金色・左下から赤・青です。

可愛い御朱印ですので、五色全て揃えたいですね。

津黄の地はこれだけじゃない!見所はもう一つ「竜宮の潮吹」

「元乃隅稲成神社」と隣接して、津黄は「龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)」としても有名な場所です。

竜宮とは、宇津賀半島北端の海蝕地形の総称で、この一帯は、第4紀洪積世の玄武岩からなり、玄武岩の横臥の奥に竜宮があると伝えられています。

潮吹とは、打ち寄せる波が絶壁下海面近くの、わずか縦1m幅20cmの穴に突入し、置くの空洞に圧縮された空気が海水を激しく外に出そうとして、上方に海水を噴出させる現象をいいます。

秋から冬にかけて、波が高く北よりの風が吹くときが、最も潮が吹くときで最大30mも吹き上げ、まるで龍が天に昇る姿に見えるといいます。

龍宮の潮吹場所を近くで見るとこんな感じです(赤丸に潮が吹いている)。
運が良ければ、このような光景が見れるかも知れません。

昔、潮吹現象は龍神のなせる業として、干ばつの際に雨乞いの儀式が行われていたそうです。

By: gtknj

岸壁の隙間から潮が吹く光景は、太陽の光を浴び、銀色に輝く砂が舞っているようにも見えます。

「元乃隅稲成神社」が良くわかる長門人の動画

まとめ

「元乃隅稲成神社」は、今では年間40万人を越える参拝者が訪れる神社になっていますが、元は日本一入らない賽銭箱がブームの火付け役となった。

しかし、これだけで参拝者がこれほど訪れるわけはなく、実際は本州最西北端に位置し空や海・樹木など自然の美しい景色と赤の鳥居がマッチし、絶景のコントラストが人の心を動かした結果のものだと思います。

本殿は小さなものであるが、年々増加する参拝者と共にリニューアルが行われていますので、将来的には大きな本殿が創建されるかも知れません。

「元乃隅稲成神社」は、白狐の大神を祀り多くのご利益をいただけ、豊かな自然から溢れるパワーと清々しい空気の全てが合わさるパワースポットです。

近隣には、テレビや映画のロケ地として有名な角島(つのしま)や夕景が美しい角島大橋などがあるので、一緒に山口県の絶景ポイント巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

「元乃隅稲成神社」の詳細情報

【元乃隅稲成神社】

所在地

〒759-4712
山口県長門市油谷津黄498
ホームページ⇒ななび

参拝時間 日の出から日没まで(夜間の立入禁止)
アクセス

JR:山陰本線「長門古市駅」下車後タクシー利用で約20分
  JR山陰本線「長門市駅」下車後タクシー利用で約40分

マイカー:中国自動車道「美祢IC」を降りて車で約60分
<駐車場>全て無料(第1駐車場 24台・第2駐車場 22台)

お宿情報 >>元乃隅稲成神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】 
周辺観光地  千畳敷・東後畑棚田・立石観音
青海島・角島大橋 ・長門峡

 

<元乃隅稲成神社の周辺マップ>

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高野山のパワースポット巡り!ここを知っていれば開運効果が倍増 https://kaiun.website/archives/1725 Thu, 17 Nov 2016 00:59:07 +0000 http://kaiun.website/?p=1725 高野山・紀伊山地

「高野山」は、平安時代のはじめに弘法大師(空海)よって開かれ、開創1200年を迎えた真言密教の聖地で日本屈指のパワースポットです。

そんな高野山には、ご利益のある開運スポットが数多くあり、中でもご利益の高いこの三つのエリアのパワースポットをご紹介していきます。

ご利益の高い三つのエリア

平成27年には、開創1200年記念大法会もあり、参拝者数は199万人を越えました。

世界的旅行誌のミシュランガイドでは、日本で「わざわざ訪れる価値の場所」として三星に輝くなど外国の方にも人気の場所で、年々観光客も増加し、今では年間約5万6千人の外国の方が訪れています。

外国の方に人気の理由は、神秘的な景観やここにいるだけで不思議なパワーを感じるという人が多く、そんな特別なパワーに魅了されるようです。

高野山は、和歌山県北東部の伊都郡高野町に位置します。

高野山を山だと思っている人も多いのではないかと思われますが、実は山ではなく、四方を八つの山に囲まれた盆地のことを高野山と呼びます。

高野町の人口は、平成28年度約3、200人でその内約700人を僧侶が占め又、高野山境内にはコンビニが有ったり、国道も走り駐車場も点在する高野山一体そのものが宗教の町。

高野山は、聖域内に入る大門をくぐって最初に壇上伽藍(だんじょうがらん)エリア総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)エリアそして弘法大師が今も瞑想されていると言われる奥之院(おくのいん)エリア三つのエリアに分けられます。

壇上伽藍エリアと奥之院エリアは、山内の二大聖地とされ信仰の中心的存在です。

聖地高野山の第一歩は大門から始まる

高野山・ガイドマップと三エリア

普通思い浮かぶお寺には、本堂の建物がありその敷地を境内という概念ですが、高野山は通常のお寺違い「一山境内地」で高野山全体がお寺であり、境内地になっています。

山内にあるお寺は117ヶ所あり、これらのお寺を塔頭寺院(たっちゅうじいん)といい、高野山全体を大寺(だいじ)と見ればこの点在するお寺は小院です。

また、この内52ヶ寺には宿坊が完備され、参拝者の泊まれる宿となっています。

弘法大師・空海が開いた「真言密教」は、平安時代初期に大成され、「真言」とは、仏の真実の「ことば」を意味しており、さまざまの事柄の深い意味、隠された秘密の意味を知ることのできる教えが「密教」です。

空海以前の仏教は、国を守るなど国の繁栄祈願のような大きな話のものでしたが、空海の登場により、自分やその周辺の願いである病気平癒・出世・御縁など、個人の祈願もできるようになったきっかけの場所がこの高野山です。

高野山・大門

高野山の入口の第一歩は総門の大門から始まり、神聖な聖域に足を一歩踏み入れれば空気感も変わり清々しさを覚えます。

大門は、国の重要文化財で少し怖い感じの金剛力士像(仁王像)が、入門される人々を左右からあたかも監視しているかのよう立っています。

壇上伽藍(だんじょうがらん)エリア

「壇上伽藍エリア」は、弘法大師が真言密教を開くために最初に整備したエリアで、真言密教のシンボルとして創建された根本大塔(こんぽんだいとう)や金堂(金堂)・御影堂(みえいどう)などがある二大聖地の一つです。

高野山・壇上伽藍エリア詳細マップ

 

壇上伽藍をもう少し細かく見てみましょう。

高野山・壇上伽藍エリア拡大マップ

根本大塔(こんぽんだいとう)お賽銭を立てればご利益が高くなる開運スポット!

高野山・根本大塔

真言密教のシンボルの「根本大塔(こんぽんだいとう)」は、高さ48.5mの巨塔で空海が創建した日本初の多宝塔です。

「根本大塔」の外見の特徴は、一階部分が四角なのに対して二階部分が円形となっおり、この形式は真言宗ではよく使われる宇宙の中心の形で、宇宙は丸く回転していく思想を表しています。

大塔内は、真言密教の仏様である「大日如来像」が鎮座し、左右に2体、前後に2体の仏様が座り、そして菩薩様が画かれた16本の柱に囲まれています。

正方形の囲まれた中に、仏像を平然と並べることで真言密教の世界観である仏の世界・宇宙の世界を立体的に表現した、立体曼荼羅となっています。

こちらのお賽銭の供え方に特徴があり、仏様のすぐ横の壇上にお金を立ててお参りすると開運のご利益があると言われています。
仏様は、単にお金を供えるより難しい作業をこなしたあなに願いを叶えてあげましょうということらしく、いつからかこのお参り方法となったようです。

三鈷の松を拾うと幸せが訪れる開運スポット!

根本大塔のすぐ隣で、赤い柵の中に松の木があります。

通常松の葉は二つに分かれていますが、ここの松には三つに分かれた松の葉があり「三鈷の松」と呼ばれ、柵周辺に落ちている松の葉の中から三鈷の松を見つけ大事に持っていると幸せになれると言われています。

どうして、三つに分かれた松の葉にご利益があるのかは、弘法大師・空海が高野山開創の際のある伝説によるもので、中国・唐の浜辺より、真言密教を広めるための場所を探しておくれと法具の三鈷杵(さんこしょう)を日本に向けて投げた。

その後、帰国し高野近辺に訪れた時に、松の木を見上げると唐から投げた三鈷杵が掛かっていました。
そこで、この地が真言密教を開創する場所にふさわしいと決めたそうです。

その逸話から三鈷杵と同じ三葉の松の葉は、縁起が良いと言われ「三鈷の松」として祀られてきました。

回すだけで頭が良くなるご利益スポット!「六角経蔵」

「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」(別名:荒川経蔵)は、鳥羽法皇の供養のため、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された経典を収納する目的で建立された経蔵です。

現在の六角経蔵は、1934年(昭和9年)に、再建されたものです。

六角経蔵の基壇(きだん)部分に把手がついていて、比較的軽い力でも回すことができ、一周すれば中の経典を一通り読んだことになり、頭が良くなると言われています。

高野山の総本堂の「金堂」御本尊がご開帳されたのは1200年の歴史で一回だけ!

By: na0905By: na0905

重要な行事はほとんどここで行われる、高野山の総本山である「金堂」

現在8代目となる入母屋造りの建物は、高さ23.73m・梁間23.8m・桁行30mで、1926年(昭和元)に火災により全焼しましたが1934年(昭和9年)弘法大師千百年御遠忌に合わせ再建されました。

再建と同時に、金堂の御本尊である「秘仏・薬師如来(阿閦如来)」も、大仏師の高村光雲仏師によって造立された。

1200年という長い歴史の中で、初めて「秘仏・薬師如来」のご開帳が、平成27年の高野山開創1200年記念大法会で行われました。

薬師如来のご利益は病気平癒、さまざまな病気を治すお医者様なので、この歴史的イベントを目にした人たちは健康となるご利益を授かったに違いありません。

高野山を開創する際に空海が守り神とした御社

弘法大師・空海が、高野山に真言密教の聖地を開創する際に、丹生明神と高野明神を守り神として寺社に迎え奉安したお社。
お社には、丹生明神と高野明神、十二王子・百二十供神が祀られている。

このお社の前には「山王院」というお堂があり、お社に祀られる地主神の拝殿となっています。
神仏習合姿勢が見られる場所です。

蓮池の太鼓橋

高野山・蓮池の太鼓橋

蓮池は、壇上伽藍・中門の東側にあり、真中の小島を中心に二つの太鼓橋が架かっています。
この一直線上に架かる二つの太鼓橋は、遠望から見ると二つの太鼓を描く形となっている。

また、小島には祠(ほこら)があり善女竜王が祀られています。

総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)エリア

「金剛峯寺(こんごうぶじ)エリア」には、平成11年に平成の大修理落慶大法会以来、16年ぶりの平成27年にご開帳された、持仏の間に祀られる御本尊(弘法大師座像)や日本最大級の規模を誇る石庭の「蟠龍庭」・真田幸村が過ごしたとされる「蓮華定院」・豊臣秀吉の甥の豊臣秀次が自害した居間などがあります。

高野山の壇上伽藍・金剛峯寺エリア

金剛峯寺(こんごうぶじ)

金剛峯寺・正門

金剛峯寺の境内に入る正門。

金剛峯寺の建物の中でも一番古く、当時この正門から入ることができるのは、天皇や貴族・高野山の重職のみでした。
一般の僧侶は、右側にある小さな門から出入りしていたそうです。

金剛峯寺・大玄関と小玄関

「金剛峯寺」の奥側(ひさしが直線的)が大玄関(だいげんかん)で手前側(ひさしが曲線的)が小玄関(こげんかん)になります。

玄関にも決まりがあり、大玄関は天皇や貴族・高野山の重職が出入口、小玄関は上綱(じょうこう)職、一般の僧侶は裏口から出入りしていたようです。

高野山・金剛峯寺

写真でもわかるように金剛峯寺の屋根の上には、天水桶(てんすいおけ)という桶が設置されています。
普通は下に置いてある場合が多いのですが、金剛峯寺のように上に置いてあるのは非常に珍しいことです。

この天水桶には利用法があり、火事などが起きた場合に僧侶が屋根に上って水を組み消火するためのものです。
また、桶に7分ほどの水を入れておき地震で揺れると水がこぼれることを利用し、当時の地震計としても使われており震度4以上になったときに水があふれると言います。

<金剛峯寺の拡大図>高野山・金剛峯寺拡大マップ

金剛峯寺には、1943年(昭和9年)に別殿が建てられ、1984年(昭和59年)には、新たに大勢の参拝者の接待所として新別殿が建てられました。

日本最大級の石庭「蟠龍庭」奥殿の前でとぐろを巻く雄雌一対の龍

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別殿・新別殿・奥殿の間にある「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」は、日本最大級の石庭で2,340平方メートルの広さがあります。
蟠龍庭は、新別殿と同時期に造園されました。

名前の蟠龍とは、天に昇らず地上にうずくまりとぐろを巻いた龍のことで、奥殿を守るかのように左側に雄と右側に雌の一対の龍が、雲海のなか向き合っている姿を石で表現しています。

雲海には京都の白川砂が、龍には四国の花崗岩が使用されている。

金剛峯寺の台所の一度に僧侶2、000人分のご飯が炊ける釜

 

金剛峯寺の台所には、僧侶2、000人分のご飯が一回で炊けるというお釜があります。
写真のお釜がそのお釜で、一つのお釜で約七斗(98kg)三ついっぺんに炊けば約二十一斗(二石)となり、約2、000人分のご飯を炊くことができます。

三基並ぶお釜の上には、台所の神様の三宝荒神が祀られています。

触ると絆が深まるパワースポット!六時の鐘の石垣内に大泥棒が隠したもの

高野山・お寺の前の石垣内のかすがい

金剛峯寺入口の手前に、少し高い石垣の上に「六時の鐘(ろくじのかね)」があります。

福島正則が、父母の冥福を祈り1618年(元和4年)に建てた鐘楼で、今でも朝6時から夜の10時までの偶数時間に時刻を知らせています。

そして、この六時の鐘の下の石垣はパワースポットなっています。

あの天下の大泥棒と言われた石川五右衛門が、お寺に忍び込む時に見つかってしまい身体を調べられた際、泥棒であることをかくすためお寺へ昇る道具を石垣に隠したとされる。

この道具が「かすがい」というもので、写真の矢印の石垣内に残っています。

かすがい

 

鎹(かすがい)は、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む金具で、「つなぎ」「つなぐ」という意味で、触ると夫婦の絆がより深まると言われています。

弘法大師が自ら刻む仏像に命を救われた!最強パワーの秘仏「浪切不動明王」

高野山・浪切不動尊・南院

 

弘法大師が、自ら彫ったとされる秘仏「浪切不動明王」があります。
香木で、赤い色をした赤栴檀(しゃくせんだん)の木で作られた約1m程の仏像です。

この仏像があるのは、金剛峯寺の北西に位置する「浪切不動尊・南院」で、山外不出でめったに見ることのできませんが、6月28日のみご開帳できます。

「浪切不動明王」には、弘法大師を救ったとされる伝説があり、中国・唐から帰国時に嵐に遭い船が沈没しそうになったので、波を押さえるため自ら彫った「浪切不動明王」に祈りを捧げながら、不動明の剣から出る火焔で波を切り裂きながら無事帰国の途についたといわれています。

現在の「浪切不動明王」は、赤色ではなく黒色に染まっています。
それは、1200年間護摩壇に安置され、毎日焚く護摩のすすで染まった祈りの色で、弘法大師・空海から受け継がれる最強パワーの秘仏です。

高野山最強パワースポット奥之院エリア

高野山の奥之院エリアマップ

高野山最大のパワースポット「奥之院エリア」には、今も弘法大師・空海がいるという「御廟(ごびょう)」があります。

奥之院の終点の御廟までは、一の橋から約2kmの道のりが続きゆっくり歩いて約30分、その参道にはあらゆる階層の20万基のお墓が立ち並び高く伸びた杉と相まって神聖な澄んだ空気間をかもしだす。

一の橋の正式名は大橋と言い、御廟へ行く最初の橋で、弘法大師がこの橋まで送り迎えしてくれるといわれています。

<一の橋>

一の橋は、澱川に架かっており、日本人は古来から川を現世・来世・浄土の世界の境界とし、高野山はこれを象徴する三重構造を形成している。

橋は、安全に行く浄土への架け橋となっています。

<奥之院参道>高野山・奥之院参道

織田信長や豊臣秀吉・武田信玄・上杉謙信など戦国武将の名を連ねる墓所がある中、織田信長と謀反(むほん)を起こした明智光秀の墓所が同じ場所に存在したり、一般の人の墓所があったり、宗教・有名無名・敵味方・身分など関係なしに誰もがやすらげる場所、現世にこだわない高野山の寛大さがあり弘法大師・空海の思想が受け継がれています。

<奥之院・石田光成墓所>
高野山奥之院・石田光成墓所

いつも汗をかいている「汗かき地蔵」


中の橋を少し越えた所に、いつも汗をかいているお地蔵様「あせかき地蔵」が地蔵堂の中にいます。

何故いつも汗をかいているんでしょうか?
それは、この世の人々の苦しみや悲しみをこのお地蔵様が一身に背負い受け止めているため、汗をかいているんだと伝わっています。

顔が映らなければ怖い「姿見の井戸」!高野山七不思議の一つ

汗かき地蔵堂の左側後ろ(向かって右側)に、世にも奇妙な伝説をもつ井戸があります。

この小さな井戸は「姿見の井戸」と呼ばれ、言い伝えによれば、井戸を覗き込み自分の顔が井戸の中の水に映らないときは、3年以内に亡くなると言われています。

さてあなたは、この井戸に顔を覗き込む勇気はありますか!?

ご先祖の供養は「水向け地蔵」

By: Kadano

「水向け地蔵」は、御廟橋のすぐたもとの清流・玉川を背にした場所にある仏像様で、観音菩薩様や地蔵菩薩様などが鎮座し亡くなった方の御供養をします。

御供所で水向塔婆を求め、亡き人の名前を書きお地蔵様の下にある箱に供え、柄杓で水を手向けてご先祖様の冥福を祈ります。

「弥勒石」持ち上げれば願いが叶う開運パワースポット!

四角い小さなお堂の中に、持ち上げれば何でも願いが叶うといわれる「弥勒石(みろくいし)」があります。

この石に触れば、生命・未来の救世主である弥勒菩薩様とつながり、お堂の中は下の段と上の段に分かれていて、下から上へ石を持ち上げると願い事が叶うと言われています。

片手のみで石を持つので、女性は意外と難しいかもしれません。

高野山最大の聖域!空海が今も瞑想する「御廟」

弘法大師・空海は、今尚生きて瞑想を続け人々の救済をしているとされ、その瞑想を行っている場所こそ「御廟(ごびょう)」です。
そのため、御廟橋から先は高野山最大の聖域となり、写真撮影はできません。

高野山参拝に来て、奥之院に来なければ参拝に来た意味がないと言われるほど、弘法大師にとって重要で大切な場所です。

高野山・御廟橋

 

橋は、金剛界の37尊を表し、橋板36枚に橋そのものを1として足した37となる。
金剛界37尊は、多くの仏たちの代表的な緒尊で、金剛界曼荼羅を構成し、奥之院こそが清らかな世界であると昔より信じられている場所です。

これは、奥之院エリアの一の橋・中の橋も同様です。

ここからは、聖地に足を入れることになるので渡る際には一礼や合掌をしましょう。

御廟橋を渡れば、そこは聖域としてふさわしい雰囲気が漂い、深閑しピンと張りつめた空気の神秘的な空間。
この聖域の中では、誰もが心が清く洗われ、弘法大師・空海の有り難く強いご利益パワーを感じるといいます。

「燈籠堂」弘法大師のいる御廟を灯火で礼拝するお堂

弘法大師・空海へのお供えには、ロウソクの火が一番尊いものとされているため、常に灯火を灯しているのが「燈籠堂」で、御廟におられる空海に願いを聞いていただく拝殿です。

堂内には、数え切れないほどの燈籠があり、祈親(きしん)上人の祈親燈(きしんとう)や白河上皇の白河燈の他、一般の方々からの寄付による燈籠が所狭しと並び、その一つ一つに祈りが込められています。

出典:http://www.vt81.com/view/363373.htm出典:http://www.vt81.com/view/363373.htm

 

燈籠堂の正面はガラスになっており、ここから奥にある御廟の建物が見えます。
そして、御廟の地下には今も尚、空海は人々の幸せを祈り日々瞑想を行っています。

弘法大師のいる「御廟」は高野山最大最強のパワースポット!

空海は、生死の堺を越え魂の存在となり、これからも人々を救い続けるため西暦835年3月21日(満62歳)でご入定(にゅうじょう)されました。

その瞑想するお住まいが「御廟(ごびょう)」です。

この場所は、空海が今も生き続けていると信じる人々の最大信仰の場で、高野山最大最強のパワースポットです。

御廟の地下にいる空海へは、燈籠堂の地下階段を通って行けるようになっており、瞑想されている部屋の前には御影(ごえい)が飾られています。

1200年間続く生身供!お供え前に味見

高野山では、空海がご入定後、1200年間一度も欠かしたことがない儀式があります。
それは、空海が生きていると信じられているため朝6時と朝10時30分にお食事のお供えする「生身供(しょうじんく)」です

http://peacefullife.blog.so-net.ne.jp/2015-04-07http://peacefullife.blog.so-net.ne.jp/

お食事は、御廟橋近くの御供所と呼ばれる所で作られ空海のもとへ運ばれるのですが、その前に面白いのが「嘗試(あじみ)地蔵」というお地蔵さまに味見をしてもらいます。

よく時代劇で、殿様の食事前に味見役が毒味をするのと同じような意味合いでしょう。

「御衣切」弘法大師空海が着る衣の切れ端は最強の開運アイテム!

毎年一度、弘法大師はお衣替えをしているそうで、お衣替えになった衣を細かく切ったものが「御衣切(おころもぎれ)」です。

高野山奥之院・弘法大師の衣の布

弘法大師が身近に着けていたものなので、そのご利益は高くお守りとしては最強のアイテムです。
「御衣切」は、奥之院の燈籠堂で販売されていますので、訪れたら必ず購入しておきたいお守りです。

首都圏における弘法大師信仰の拠点「高野山 東京別院」

東京の港区高輪三丁目にも、首都圏における大師信仰の拠点である「高野山 東京別院」があります。

高野山学呂の江戸在番所として慶長年間に開創され、1673年(延宝元年)に、高野山江戸在番所高野寺として建立。
その後、火災により焼失・再興・礼所などを経て、1927年(昭和2年)に高野山東京別院と改称されました。

高野山・東京別院遍照殿

御府内八十八ヶ所の1番札所・江戸三十三観音の第29番札所・関東八十八ヶ所の特別霊場でもあります。

境内には、弘法大師の法号「遍照金剛(へんじょうこんごう)」に由来する遍照殿や不動堂・鐘桜などがあり、常に写経会やお茶会などの教室も開かれており、都民の心の拠り所となっています。

高野山開創1200年名所を訪ねて(動画)

誕生から弘法大師の諡号(しごう)賜るまでの簡略空海史

(誕生)
宝亀五年(774年)6月15日、讃岐の国(現在の香川県善通寺市)で誕生しました。
父は佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀家(あとうけ)の出身で、お大師さまの幼名は真魚(まお)といいました。

(空海改名)
各地で苦しい修行を続け、22才で名を『空海』に改め、最高の教えを求めて祈願したところおつげを得て、奈良の久米寺東塔にて「大日経」を発見します。

(唐へ渡る)

804年、31才の年、ついに努力と才能を認められ留学生(るがくしょう)として遣唐使船に乗り入唐。唐の都長安の名僧、真言密教第七祖・恵果阿闍梨を訪ねました。

(真言宗開宗)

810年、立教開宗の勅許を得て「真言宗」を開宗。多くの学僧が集まり、天台宗の最澄も高雄山寺にて空海の灌頂(かんじょう)をうけます。

(高野山)

816年、都に近からず遠からず、清逸な水が湧き霊感あふれる高野山を『密教修行の道場』と定め、勅許を得て伽藍造営に着手し、弟子と共に密教の流布に尽力しました。

(東寺)
823年、嵯峨天皇より東寺を賜ります。「教王護国寺」と称し『鎮護国家を祈る道場』とし、高野山を中心に両道場を往復する流布活動は朝野の尊崇を広く集めました。

東寺の立体曼荼羅は圧巻!境内は空海の気が満ちたパワースポット京都駅から徒歩約15分の南区九条町に、日本の仏教の原点・古い仏像の宝庫と言われる寺院「東寺」があります。 「東寺」全体はパワーに満ち溢...

(ご入定)
835年3月21日寅の刻。高野山にて、かねてより決意のとおり一週間の精進潔斎を済ませ、結跏趺坐(けっかふざ)して生身のまま金剛定に入ります。御年62才。

(奥の院)

入定から五十日後、弟子達は空海自身が定めた奥之院の霊窟にその御定身を納め御廟としました。今も日に2回、大師の召される食事を運ぶ生身供(しょうじんぐ)が続けられています。

(弘法大師)
入定から86年後の921年、醍醐天皇より『弘法大師』の諡号(しごう)を賜りました。

神秘的な宗教都市の高野山と僧侶の営みを描く映像

高野山の詳細情報

【高野山真言宗 総本山金剛峯寺】

所在地:〒648-0294 和歌山県伊都郡高野町高野山132
TEL:0736-56-2011 FAX:0735-56-4640
公式ホームページ:高野山

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【参拝時間・料金】
基本参拝時間無休・料金無料
参拝所によっては参拝時間有・料金有

<料金の掛かる拝観所>

拝観場所 参拝時間 参拝料金
金剛峯寺 午前8時30分~午後5時 一 般:500円 小学生:200円
未就学児無料
金堂 午前8時30分~午後5時 一 般:200円
根本大塔 午前8時30分~午後5時 一 般:200円
霊宝館 5~10月:午前8時30分~午後5時30分
11~4月:午前8時30分~午後5時
一 般:600円
高校生・大学生:350円(要 学生証)
小学生・中学生:250円 未就学児無料
高野山大師教会 午前8時30分~午後5時 無料(ギャラリー別料金) 授戒料:500円
徳川家霊台 午前8時30分~午後5時 一 般:200円

【アクセス】
電車:南海高野線「難波」(特急85分)~「極楽橋」ケーブルカー乗り換え(5分)~高野山
南海高野線「天下茶屋」(特急80分)~「極楽橋」ケーブルカー乗り換え(5分)~高野山

マイカー無料駐車場:壇上伽藍駐車場・金剛峯寺駐車場・中の橋駐車場・奥之院駐車場
<マイカーでのアクセスは下図参照>
高野山・車でアクセス

<高野山周辺マップ>

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四谷須賀神社の御利益は諸願成就「君の名は」ラストはここへ続く階段 https://kaiun.website/archives/1600 Sat, 29 Oct 2016 09:57:31 +0000 http://kaiun.website/?p=1600 「君の名は」涙する感動のラストシーンは四ツ谷・須賀神社へ続く階段。

「君の名は」のラストで、互いに探していた瀧と三葉が住宅街の上と下の階段ですれ違い、捜し求めた相手だとわかって涙し同時に名前を尋ねた場所が、実際では東京都新宿区須賀町に鎮座する「四谷・須賀神社」へ続く階段のようです。

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見比べてみると実際の場所とまったく似ていることから、ここの「四谷・須賀神社」で間違いなさそうです。

この場所、この場面は映画内でかなり重要度が高いようで、ポスターや関連グッズにも多く使われており、聖地巡礼の中でも、一番多く訪れている場所ではないかと思われます。

映画を見た人には感動の場所で、これから見る人にはストーリーを想像させる場所となりそうです。

須賀神社へ向かう階段は2つ瀧と三葉は鳥居正面側の階段で再会

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四谷・須賀神社へ向かう階段は2ヶ所あるのですが、瀧と三葉の再会場所は、上の立体マップで見ると黄色の押しピンが刺してある階段です。

 

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こちらが、その階段の全体写真です。
ここを上がって右に行けば、須賀神社の鳥居が見えます。

 

階段下を少し行った十字路付近。

 

そして、立体マップに青色の押しピンが刺さっているのがこちらの階段です。
ここの階段は、須賀神社へ鳥居の横から向かうかたちになります。

聖地巡礼!四ツ谷駅から須賀神社まで(動画)

さて、「君の名は」で聖地となったこの階段、またこの先にある「四谷・須賀神社」とはどういう神社なのか詳しくご紹介していきます。

 

須賀神社は四谷十八ヶ町の鎮守様!天王様と呼ばれる二柱の主祭神

出典:http://mymymemomemo.blogspot.jp/出典:http://mymymemomemo.blogspot.jp/

 

「四谷・須賀神社」は、東京都新宿区須賀町の四谷界隈の高台に江戸初期より鎮座する神社で、四谷十八ヶ町の総鎮守様です。

四谷十八ヵ町とは、須賀町・四谷一丁目・四谷二丁目・四谷三丁目・四谷四丁目・三栄町・本塩町・坂町・片町・愛住町・荒木町・舟町・若葉一丁目・若葉二丁目・若葉三丁目・左門町・南元町・信濃町の事です。

もともとは稲荷神社で一ツ木村の鎮守(今も赤坂)でしたが、1637年(寛永14年)に大名主馬込勘由が幕府の命の功績により現在の四谷一帯を拝領したのをきっかけに、1643年(寛永20年)の日本橋大伝馬町の守護神として、神田明神摂社に祀ってあった牛頭(ゴズ)天王(須佐之男命と習合)を四谷に合祀し御両社を祀るようになりました。

江戸時代は、「四谷牛頭天王社」「稲荷天王」などと呼ばれ親しまれていましたが、1868年(明治元年)神仏分離により社号をを須賀神社と改められた、旧社格は郷社。

須賀の名前はスサノオノミコトがヤマタノオロチ退治の故事より

インドの祇園精舎の守護神である牛頭天王(ゴズテンノウ)は、須佐之男命(スサノウノミコト)と同一視されており、明治までは須佐之男命を祀る神社を牛頭天王社と呼ばれていました。

須賀の名称は、須佐之男命(スサノオノミコト)が出雲の国で八俣の大蛇(ヤマタノオロチ)を討ち払い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付られました。

http://www.kotohogi-gift.com/http://www.kotohogi-gift.com/

この時、足名椎命と手名椎命夫婦の末娘の櫛名田比売(くしなだひめ)が、八俣の大蛇に食べられるのを結婚を条件に救った事で、二人は一緒になり出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地(須我神社)で暮らしたとされます。

須賀神社の御社殿は豪華で優雅!多くの御祭神に多くのご利益あり

<社殿>

出典:http://tokusatsuherotoy.jp/出典:http://tokusatsuherotoy.jp/

戦前の1819年(文政2年)に造営された御社殿は、終戦前の1945年(昭和20年)5月24日に東京大空襲によって焼失。

かろうじて免れたのが御本殿と御内陣・摂社の天白稲荷社ですが、後生まで保存できるものではなく、大修復の末、1989年(平成元年)にコンクリート製とし落成となりました。

太陽の光に反射してキラキラした輝きを見せる青緑の屋根と金色をふんだんに使った御社殿は、豪華で美しい!
また、夜見てもライトが金色をより輝かせ、優雅さを感じさせます。

 

四谷須賀神社の主祭神は二神であらゆるご利益が叶う

四谷・須賀神社の御祭神
主祭神 須賀大神 須佐之男命(すさのおのみこと)
  稲荷大神 宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)
相殿   櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
  右御子五男神 天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・熊野樟日命・活津彦根命
  左御子三女神 多紀理姫命・市杵島姫命・多岐都姫命
合殿 大鳥神社 祭神:日本武命(やまとたけるのみこと)・天日鷲大神・大鳥連祖大神
末社 大国社 祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)

 

祭神 四谷・須賀神社のご利益
須賀大神(暦神) 暦神・諸願成就・土木建築・悪霊退散・諸難・疫病除けの神
稲荷大神 五穀豊穣・開運招福・商売繁盛の神


★須佐之男命(すさのおのみこと)と櫛名田比売(くしなだひめ)が仲良く暮らした事から、二人の祭られる神社は良縁・縁結び・結婚のご利益をいただけます。

須賀神社の境内

境内は比較的コンパクトで、都内ありながらも高台という位置と樹木に囲まれているためか、清々しい空気が流れており、気分お心も落ち着きます。

そして須賀神社の特徴は、多くの祭神が祀られているためご利益も多いパワースポットです。

<境内の天白稲荷神社>

摂社の天白稲荷神社には、祭神に倉稲魂大命、相殿に天照大神・応神天皇・神功皇后・大山祇神・猿田彦神・大物主神等の17柱の神が祀られています。


<神楽殿>

例大祭の土・日には神楽殿で奉納神楽等を終日行われます。

<祖霊社>


祖先崇拝の精神を忘れず感謝の誠を捧げ、日々御神明への御奉仕が行われれる祖霊社。

 

例大祭は神楽・神輿・露店並ぶ大人気の恒例イベント

毎年、6月初めの金曜日から月曜日迄行われる、四谷18ヶ町が参加する「須賀神社恒例大祭」は、四谷周辺の人ならず遠方からも足を運ぶ大人気の恒例イベントです。

例祭は、【宵宮 (前夜祭)】・【例大祭々典・境内露店出店】・【本社神輿渡御・境内露店出店】・【修祭】の四日間に分かれて行われる神社最大のお祭です。

例大祭で、3日目の本社神輿渡御には2年に1度だけ行われる本社神輿の出御があり、大人約100人程が約1.2トンの本社神輿を「四谷担ぎ」と呼ぶ独特の担ぎ方で担いで町内を巡り、見ている方も盛り上がり興奮が抑えきれません。

<本社神輿渡御>

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<神輿・屋根は鳳凰>

http://hanarai.jugem.jp/?eid=724http://hanarai.jugem.jp/?eid=724

神輿の屋根上を見ると天王社の氏子地域では神輿の屋根を鳳凰とし、稲荷神社の氏子地域では擬宝珠に変えて担ぎます。

<神輿・屋根は擬宝珠>

http://rekishi-roman.jp/page-12-3-1.htmlhttp://rekishi-roman.jp/page-12-3-1.html

<神楽殿・御神楽の奉納>

 

大鳥神社大祭の四谷酉の市は「開運熊手守」購入で宝くじが引ける

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毎年、11月の酉の日には大鳥神社(須賀神社)で「四谷酉の市」がおこなわれます。
2016年の日程だと「一の酉」は11月11日(金)で、「二の酉」は11月23日(水)です。

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酉の市の日には、階段に提灯やのぼり旗も飾られお祭一色です。

 

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本殿前にも提灯やのぼり旗が飾られ、その横では巫女さんから「開運熊手守」や「お守り」を購入できます。

http://jgweb.jp/6158http://jgweb.jp/6158

こちらの巫女さんが持っている「開運熊手守(かいうんくまでまもり)」は、須賀神社限定の手作り品です。
「開運熊手守」は、古くから熊手で福をかっこむと伝われており、開運・商売繁盛のお守り。

「開運熊手守」一体800円で、一体購入ごとに一回宝くじを引くことが出来ます。
かなり、高額品の商品が用意されているとか!

 

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これは可愛い手招き猫!商売繁盛・福来たる!

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地元、四谷の老舗和菓子屋「坂本屋」の「切山椒」は、職人の技で作られる上新粉に山椒の粉と砂糖を加え、拍子木型に切った餅菓子で須賀神社の酉の市の名物で、山椒の香りが厄をはらう縁起物の一品です。

須佐之男命を主祭神とする全国の神社

牛頭天王(須佐之男命)祭神とする須賀名の神社は、全国に数多く存在し、「須我」「清」「素鵞」などの名称の神社も祭神は同じです。

須賀神社は、八坂神社・祇園神社・八雲神社などと同様に祇園信仰の神社で、東京都には他にも同名の神社が台東区や杉並区に鎮座します。

東京都内その他の須賀神社

<杉並区 成宗須賀神社>

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御祭神は、素盞嗚尊(スサノヲノミコト)で、社名の成宗須賀神社(なりむねすがじんじゃ)は出雲の須賀社にちなんでいる。
南阿佐ヶ谷駅から南西へ徒歩約5分距離にあり、写真の社殿は1958年(昭和33年)に新築されたもの。

<台東区 須賀神社>

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明治元年施行の神仏習合を禁止する神仏分離令で、宝現院大円寺から分離して、須賀神社と社名を変更。
震災や空襲により、社殿は被災したため1961年(昭和36年)にコンクリート造りで再建された。

御祭神は素盞嗚尊(スサノヲノミコト)家運隆昌、疫病退散などのご利益があり、JR総武線・都営浅草線「浅草橋駅」から徒歩約5分程の場所に鎮座します。

須佐之男命が主祭神の全国有名神社

須佐之男命を主祭神とする神社で有名なのは、櫛名田比売(くしなだひめ)と安住の地として暮らした山陰の島根県で、八重垣神社(島根県松江市)・須佐神社(島根県出雲市)があり、他に八坂神社(京都府京都市)や熊野本宮大社(和歌山県田辺市)がなどがあります。

<島根県八重垣神社>

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)と稲田姫命(イナタヒメノミコト)は結婚し、縁結びの道を開いた神でもある。
ご利益は、「縁結び」「夫婦和合」「子宝」「安産」「厄難除」。

<京都八坂神社>

 

御本殿十三座の内、中御座に素戔嗚尊(スサノヲノミコト)東御座に櫛稲田姫命(クシイナタヒメノミコト)が鎮座する。
御利益は、「良縁成就」「家内安全」「病気平癒」「商売繁昌」「開運成就」「試験合格」など。

「須賀神社例大祭」担ぐ人見てる人も大興奮の本社神輿渡御!(動画)

 

「君の名は」の聖地・須賀神社へ続く階段で思うこと

「君の名は」の聖地巡礼で、須賀神社へ続く階段に訪れる人やこの場所のみの写真撮影で帰られる人もいるようですが、ここまで来たら絶対「四ツ谷・須賀神社」の参拝も行って見てはいかがでしょうか。

何故か、新海誠監督がこの階段をラストシーンにしたのは意味があるからではないかと思われます。

須賀神社の御利益は諸願成就(しょがんじょうじゅ)、瀧と三葉の願いを叶えるにはこの神社が必要だったのでは?
諸願成就は、諸々(いろいろな)の願いを叶える事。

そこへ向かう二人の願いは、心の奥にある本当(記憶)を知ること。
そんな願いを叶える神社が、須賀神社ではなかったのか。

私自身は、そう感じています。

四谷・須賀神社の詳細情報

【四谷須賀神社】
所在地:〒160-0018 東京都新宿区須賀町5番地
TEL:03-3351-7023 FAX:03-3326-1544
公式ホームページ⇒四谷・須賀神社

【利用可能時間】
年中無休

【参拝料金】
無料
八方百難除(はっぽうひゃくなんよけ):
年の初めにその一年の間、身に降りかかる災いを神様に守って頂く伝統のお祓い。

ご祈願:午前9時00分~午後4時30分

【アクセス】
マイカー:参拝者用駐車場有り(他近隣にコインパーキング有り)

JR:中央線「四ツ谷駅」より徒歩10分程
JR:総武線「信濃町駅」から徒歩で12分程

地下鉄丸の内線・南北線で「四ツ谷駅」より徒歩10分程
地下鉄丸の内線で「四谷三丁目駅」より徒歩8分程(これが一番近い)

【お宿情報】:>>四ツ谷須賀神社の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

【須賀神社周辺のマップ】

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東寺の立体曼荼羅は圧巻!境内は空海の気が満ちたパワースポット https://kaiun.website/archives/1439 Tue, 20 Sep 2016 01:38:12 +0000 http://kaiun.website/?p=1439 東寺京都駅から徒歩約15分の南区九条町に、日本の仏教の原点・古い仏像の宝庫と言われる寺院「東寺」があります。

「東寺」全体はパワーに満ち溢れ場所パワースポットで、境内にある五重塔は現存する木造では日本一高く、京都のシンボルにもなっており京都駅を降りればその姿が見えてきます。

東寺は、「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」ともいい、桓武天皇が平安遷都(794年)とともに建立した官立(国立)の寺院です。
823年に嵯峨(さが)天皇より下賜(かし)され、弘法大師「空海」が作り上げた日本で始めての密教寺院で、1994年には世界遺産にも登録されています。

東寺を作り上げた伝説のお坊さん弘法大師空海!密教の伝道者

 

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遣唐使として唐に渡った空海は密教を学び、9世紀の初めに東寺を日本初の密教寺院として活動を始め、日本中に密教を広めて行きました。

空海は、真言密教を開いた偉大な伝説のお坊さんでありながら、芸術や文学から社会事業などさまざまな分野で活躍され、また庶民にも学問の門を開くため日本で初めての民間教育学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設しています。

弘法大師空海と高野山

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弘法大師空海と言えば「高野山」ですが、弘法大師にとって高野山は修行の地いわば聖地。
さとりを求める修行の地であり、そして入寂(亡くなった)の地です。

※「高野山」(和歌山県)
約1200年前に、弘法大師空海が開山し修行をした日本仏教の聖地で、現在も瞑想を続けていると伝わる場所。
高野山真言宗 総本山金剛峰寺は「一山境内地」と称し、高野山全体がお寺であることを意味する。

弘法大師空海と東寺

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一方で東寺は、都の民衆のために密教という新しい仏教を発信するための拠点、都の密教の発信基地なのです。

空海(弘法大師)
空海(くうかい)<宝亀5年(774年)~ 承和2年3月21日(835年4月22日>は、平安時代初期の僧。
弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。讃岐の国、今の香川県に生まれ、俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。-ウイキペディア-

皇族の信仰が強かった東寺も、鎌倉時代に入ると庶民の信仰も広がり、今では庶民信仰のお寺として愛されていて空海の思いが伝わっています。

東寺境内は空海パワーが充満!見所は盛だくさん

東寺境内の伽藍(ガラン)は、ほとんどが焼失して創建当時のものは残っていませんが、その後に再建され当時と同じ平安京の遺構を残しています。

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南大門から東寺境内に入ると右手に、ひときわ高くそびえる五重塔が目に入ってくる。
そして目の前には、東寺の本堂である堂々とした姿の金堂が見え、あらゆる病から人々を守る本尊の薬師如来像が鎮座する。

他にも、空海が居住していた御影堂(みえいどう)や夜景が綺麗な不二桜など見所満載の境内です。
また、境内に入れば空海の気を感じ、特に御影堂は空海の気が強いパワースポットです。

上にある東寺の境内図で分かるように、全てが無料拝観ではなくオレンジの点線内は有料拝観となります。
講堂・金堂は有料拝観となりますが、金堂の黄金に輝く巨大薬師如来三尊像や講堂の立体曼荼羅は圧巻です!
是非、見てご利益を授かって下さい。

有料拝観料(講堂・金堂・五重塔)
大人500円・高校生400円・中学生以下300円

※五重塔内に入ることは出来ません!近くからの観覧です。

東大門はあかずの門

一般的には南大門から境内に入りますが、東側にも東大門(ひがしだいもん)があります。

この門は、建武3(1336年)に足利尊氏が後醍醐天皇方の新田義貞の軍に攻められ、東大門から境内に逃げ込み門を閉じて以来、不開門(ふかいもん)あかずの門とよばれ、災害などの時以外人の手で開けられたことがありません。

しかし、2010年の4月に解体修理を行うため、670年ぶりに開門された事が大きな話題となりました。

http://www.shikoku-np.co.jp/http://www.shikoku-np.co.jp/

 

弘法大師空海の住居だった伝説の御影堂!東寺最強の開運スポット

 

東寺・御影堂(大師堂)入口門

境内の北西に位置する西院とよぶ一角に、弘法大師空海が約10年間住み密教を広めたと伝わる国宝「御影堂(みえいどう)」があります。
「大師堂」ともよばれ、お参りすると空海のパワーを頂け運が開ける特別な開運パワースポットです。

年間500万人以上の参拝者が訪れる、庶民信仰の拠点でもあります。

朝6時に、弘法大師空海が住まわれていた時と同じように、「生身供(しょうじんく)」という法要が行われます。
生身供は、御影堂の大師像に一の善・二の膳・お茶をお供えする40分程の法要で、空海が唐より持ち帰った仏舎利を頭と両手に授かります。

男女・年齢問わず、どなたでも無料で参拝することが出来ます。

【御影堂・南側の後堂】

http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/406f1c5c9b3e6bd1c375922c8ab54660http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/e/406f1c5c9b3e6bd1c375922c8ab54660

御影堂の南側の後堂には、空海の念持仏である国宝の「不動明王座像」が安置されています。

【御影堂・北側の礼堂】
東寺・御影堂(大師堂)北側の礼堂の奥には、現存する最古の「弘法大師空海の座像(国宝)」が祀られています。

この木製の弘法大師空海の座像は、運慶(うんけい)の四男の「康勝(こうしょう)」が1233年(天福元年)に、一刀三礼(いっとうさんらい)という手法で心を込めて作成しました。
※一刀三礼(いっとうさんらい)・・・仏像をひと彫りごとに三度の礼拝をする。

毘沙門堂は幸福の神である兜跋毘沙門天像が鎮座する

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御影堂の前に、「毘沙門堂(びしゃもんどう)」という小さなお堂があります。
堂内には、室町時代作の財宝と富貴をつかさどる「兜跋毘沙門天像(とばつびしゃもんてんぞう)」が鎮座します。

七福神の中で、唯一武具を身に着けている神で幸福をもたらす神様です。

東寺の本尊は黄金に輝く巨大な薬師如来!病気平癒のご利益を拝受

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本尊である黄金の巨大な薬師如来三尊像が鎮座するのは、東寺が796年に創建後に最初に建立された「金堂」です。

金堂は、文明18年(1486年)の土一揆で仏像と共に一度焼失しましたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により再建。 
再建と同時に、東寺大仏師の康正(こうしょう)が、本尊の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)と日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)の両脇侍像を復興安置されました。

この三尊像は、木製仏像の中でも最高傑作といわれ重要文化財に指定されています。

【薬師如来三尊像】
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薬師如来坐像の像高は2.88mで、台座と光背を合わせると約10mと巨大の仏像であることがわかる。

金堂に入って薬師如来三尊像を見た瞬間、その輝きの美しさと大きさではっと息をのんでしまいます。

薬師如来は、別名に医王如来ともいわれる医薬兼備の仏様ですので、身体以外に心の病にも病気平癒のご利益があるので是非、拝んでおきたい仏様です。

講堂の空海プロデュース!21体の仏像が並ぶ立体曼荼羅は圧巻!

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金堂の直ぐ北側にあるのが「講堂」で、空海によって天長2年(825年)に着工し承和2年(835年)頃完成しました。
しかし、土一揆により文明18年(1486年)に火災で焼失し、現在の講堂は室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたものです。

講堂は、密教を広く庶民に伝えるために建立されました。

講堂での見所は、幅24.5m、奥行6.3mの壇の上に21体の巨大な仏像が配置された世界でも類を見ない「立体曼荼羅」です。
平面に絵がかれた2Dの曼荼羅を実際の仏像を並べて作り上げた、まさに空海が絵がいた仏の世界を3Dで表しています。

21体の内、16体が国宝で5体が重要文化財に指定されています。

曼荼羅とは

密教(仏教)において、仏の世界や悟り世界観を仏像や菩薩・文字などを用いて絵など視覚的・象徴的に表したもの。

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立体曼荼羅とは

しかし空海は、図として画かれた平面の曼荼羅をもっと分かりやすくするために、仏像を並べ立体的に表現したもの、それが立体曼荼羅です。

曼荼羅は2Dで視覚化⇒立体曼荼羅は仏像を並べ3Dで視覚化したもの。

講堂には、1200年前に空海が手がけた立体曼荼羅が、創建当時と変わらない形で現在も東寺に残されています。

立体曼荼羅21体の配置

真中には、宇宙の神・真理である「大日如来」を中心とした五智(ごち)如来、右側に「金剛波羅密多(こんごうはらみった)菩薩」を中心に五大菩薩、左側には「不動明王」を中心に五大明王が配置されている。
※大日如来・・・密教で信仰される宇宙そのものをあらわす仏

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左の須弥壇の真中に「帝釈天半跏像」、右の真中に「梵天坐像」を配し、四方に四天王立像が配置される。
※四天王・・・広目天像(左上)増長天像(左下)多聞天像(右上)持国天像(右下)

 

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講堂内に入れば21体の立体(3D)曼荼羅の迫力に感動

講堂に入れば、目の前に現れる21体の仏像の大きさや美しさに圧倒されます。

講堂内の通路幅は比較的狭く、立体曼荼羅の前には多くの柱があるため全体を人目で見渡すのは難しい。
少しずつ移動しながら仏像の前に立ち、仏像様の姿を下から見上げれば迫力と壮大さに感動します。

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立体曼荼羅は、見る人によってどう感じるかは違ってきます。
ただ仏像が並んでいるだけという人もあれば、心が落ち着き癒されるという人もいるでしょう。

感じ方は人それぞれ、どう感じるかは自分の心しだいです。
自分の素直な心で感じれば、心に何かを感じさせてくれる素晴らしい場所だと思います。

仏像界のイケメンNO.1が帝釈天

仏像ガールが気になる超イケメンの仏像があります。
それが、「帝釈天」です。

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見て分かるように、他の怖い仏像様とは違って人間ぽい男前の仏像様です。
帝釈天こそ仏像界のNO.1の呼び声の高いイケメン仏像様なのです。

東寺の五重塔の高さは約55m!現存する木造塔では日本一

 

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境内の中で、ひときわ高く目を引くのが「五重塔」です。
現存する木造の塔で高さ約55mは、日本一。

東寺のシンボルともいえる五重塔は、空海により天長3年(826年)に講堂の次に着手した建造物ですが、実際に完成に至ったのは空海が入寂された後の9世紀末。

天災などで過去4回焼失しており、現在の五重塔は5代目で寛永21年(1644年)に徳川家光の寄進によるものです。

五重塔の初層内部は、心柱に大日如来が鎮座し、心柱の周囲に4体の如来と8体の菩薩を配置した曼荼羅を形成する弘法大師空海が表現した仏の世界があります。

http://www.my-fav.jp/spot/69441/http://www.my-fav.jp/spot/69441/

 

心柱は最上部まで貫いており、五重塔を支える要となっていて、心柱の下には仏舎利(お釈迦様の骨)が納められています。
空海は、唐から80粒の仏舎利を持ち帰ったとされる。

約2500年前から、仏舎利を持っているものは世界を治め権力を手にすることが出来るいわれおり、後醍醐天皇や足利義満・豊臣秀次などの天下人などがこの仏舎利の奉請(ぶっしゃりのぶじょう)を受けている。
※仏舎利の奉請・・・東寺にお願いし仏舎利を貰い受けること。

<足利義満の自筆仏舎利奉請状>

http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=26537http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=26537

足利義満直筆(上の写真)の仏舎利奉請状が残っており、鷹永13年9月10日に全部で18粒の仏舎利を東寺から受けています。

新春や京の冬の旅の特別拝観時や春や秋の特別展のある期間以外は、基本的に五重塔の初層内部を見ることは出来ません。外観のみの拝観です。

特別展は、毎年春と秋の2回行われており、この期間に訪れると五重塔の初層内部の拝観ができます。
講堂の立体曼荼羅とは違った、普段見ることのできない密教空間、空海が表現したの曼荼羅を見ることができますのでお勧めです。

五重塔初層特別公開(2016年度)
春期特別公開 4月29日~5月25日
秋期特別公開 10月28日~12月25日

 

拝観料金(金堂・講堂拝観含)
大人800円・高校生700円・中学生以下500円

 

美しさに感動!夜のライトアップ「春の桜」「秋の紅葉」

東寺のもう一つの見所は、春と秋に開催される夜のライトアップです。

春に開催される夜のライトアップは、拝観料金所を入ってすぐの場所、昼間の桜も綺麗で美しいのですが、ライトアップされると金色の輝きを見せる五重塔をバックに、樹齢120年高さ13mの不二桜(八重紅枝垂桜)の共演が幻想的で圧巻の美しさです。

<ライトアップで五重塔をバックに不二桜の美しさが映える>%e6%9d%b1%e5%af%ba%e3%83%bb%e6%94%af%e5%9e%82%e3%82%8c%e6%a1%9c%e3%81%a8%e4%ba%94%e9%87%8d%e5%a1%94

<昼間の不二桜と五重塔>%e6%9d%b1%e5%af%ba%e3%83%bb%e4%ba%94%e9%87%8d%e5%a1%94%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%a0%e3%82%8c%e6%a1%9c

<昼間では見れない金色に輝く五重塔>%e6%9d%b1%e5%af%ba%e3%83%bb%e6%98%a5%e3%81%ae%e5%a4%9c%e6%99%af%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%88%e3%82%a2%e3%83%83%e3%83%97

 

<秋の紅葉と五重塔が美しい夜景ライトアップ>

http://ei88.exblog.jp/25020113/

春には全体がピンク色に染まる夜景が、秋には紅葉のレッド色に染まり季節の移り変わりを様ような色合いで見せてくれます。
美しさは一見の価値あり!おすすめのスポットです。

季節 2016年度(開催期間) 開催時間
夜桜ライトアップ 3月18日(金)~4月17日(日) PM6:30~PM10:00
紅葉ライトアップ 10月28日(金)~12月4日(日) PM6:30~PM9:30

 

東寺・春のライトアップ動画

 

弘法さんで親しまれる東寺の縁日!露店数1000軒・来客数20万に以上

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毎月21日に、東寺境内で開催される「弘法市」

「弘法さん」で親しまれるこの骨董市は、出店の露店数が1000軒以上、来客数が20万人以上も訪れる大縁日です。

弘法大師空海が、835年3月21日に入滅されたこと偲んで行われた法要の「御影供(みえいく)」が始まりで、700年もの歴史があります。

露店の種類は様ようで、洋服や着物などの衣料店や骨董・美術品の店、小物やアクセサリー・雑貨・履物、食器や植木などさまざまお店が並び珍しいものも少なくはありません。
食に関しても充実、たこ焼きや焼きそばなどの屋台も出店されており、食べて・見て・買って一日中楽しめます。

朝5時頃には開店され、16時頃位までお店は続きます。

1月21日の初弘法(はつこうぼう)12月21日の終弘法(しまいこうぼう)の際は、全国各地から来客され特別なにぎわいになります。

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「東寺」の詳細情報

【東寺(正式名:教王護国寺)】
所在地:京都市南区九条町1番地
TEL:075-691-3325 FAX:075-662-0250
公式ホームページ⇒東寺

【休日】
年中無休

東寺開門時間
夏期 3月20火~4月17日 AM5:00~PM5:00
4月18日~9月19日 AM5:00~PM6:00
冬期 9月20日~3月19日 AM5:00~PM5:00

 

【参拝料金】
境内参拝は無料
金堂・講堂の拝観は有料

金堂・講堂・五重塔拝観料金
大人 500円
大学生 500円
高校生 400円
小・中学生 300円

※五重塔内部の初層は特別公開時のみ拝観可能

東寺有料拝観時間
夏期 3月20日~4月17日 AM8:30~PM5:00(受付PM4:30迄)
  4月18日~5月25日 AM8:30~PM6:00(受付PM5:30迄)
  5月26日~9月19日 AM8:30~PM6:00(受付PM5:30迄)
冬期 9月20日~3月19日 AM8:30~PM5:00(受付PM4:30迄)

 

【アクセス】
<マイカー>
名神高速道京都南ICから国道1号線経由し北へ3.5km
東寺境内駐車場50台(2時間600円以降30分毎に300円)
毎月21日の「弘法市」は駐車不可

<電車>
JR京都駅下車徒歩約15分
近鉄東寺駅下車徒歩約10分(近鉄京都線)

お宿情報:>>東寺の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<東寺の周辺マップ>

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シン・ゴジラが巨大化!その大きさに匹敵の日本の巨大仏像ランキング https://kaiun.website/archives/1052 Thu, 28 Jul 2016 12:45:48 +0000 http://kaiun.website/?p=1052

新作のゴジラ映画「シン・ゴジラ」では、身長が118.5mとこれまでで最大の大きさになっていますが、唯一これよりも大きい大仏が日本に一体あります。

それが「牛久大仏(うしくだいぶつ)」です。
像高120mの巨大仏像で、わずか1.5m程ですがゴジラを上回ります。
実物の牛久大仏を見れば、「シン・ゴジラ」内でのゴジラの大きさがいかに大きいのかがわかると思います。

他にも、100m級が2体など日本では西暦2000年迄に、シンボルとして数多くの巨大仏がバブルの景気と共に建立されました。

そんな日本の巨大仏像の中で最も高い順に、ベスト10をご紹介します。

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高さダントツ一位は牛久大仏!日本には50M以上が10体もある

日本の巨大仏ベスト10までが50m以上で、100m以上は3体もあります。

1位は「牛久大仏」の120mで、2位と3位に100m級の「仙台大観音」「世界平和大観音」が続きます。
立像が多い中、10位の「うさみ大観音」は坐像でありながら50mは立派です。

こうしてみると、巨大仏像は各地のシンボル的存在として点在しているようです。

順位 大仏名 像高 所在地 像型  像立日
1位 牛久大仏 120m 茨城県牛久市 立像 1993年
2位 仙台大観音 100m 宮城県仙台市 立像 1991年
3位 世界平和大観音像 100m 兵庫県淡路市 立像 1991年
4位 北海道大観音 88m 北海道芦別市 立像 1989年
5位 加賀大観音 73m 石川県加賀市 立像 1988年
6位 小豆島大観音 約68m 香川県小豆郡土庄町  立像 1994年
7位 久留米大観音 62m 福岡県久留米市 立像 1982年
8位 会津慈母大観音 57m 福島県会津若松市 立像 1987年
9位 東京湾観音 56m 千葉県富津市 立像 1961年
10位 うさみ大観音 50m 静岡県伊東市 座像 1982年

 

【1位】牛久大仏!名実共に日本一の巨大仏像でブロンズ製では世界一

開運・牛久大仏

「牛久大仏」は、茨城県牛久市にある日本最大の巨大仏像で、台座(20m)含めると像高が120mにもおよび、巨大仏といえば「牛久大仏」と言うほど今では有名です。

他の大仏、例えば奈良の大仏(14.7m)と比べれば約8倍、鎌倉大仏(13.35m)ならば約9倍もの大きさで、手の上にはこれらの大仏様が乗ってしまいます。

立像の高さとしては、世界第3位ですがブロンズ製としては世界1位を誇り、ギネスにも登録されている。

像建者は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺で霊園の牛久浄苑のエリア内に鎮座しています。

牛久大仏像上部から

こちらの仏像は、人型の建造物になっているので胎内にも入ることもでき、中は5階建で階毎に写経体験や大仏様の模型が展示されています。

胸にあたる85m部分は、展望台になっておりこの高さから見晴らす景色は絶景です。

牛久大仏をもっと詳しく見る!

牛久大仏の大きさと胎内拝観に感動!御朱印は4種と御朱印帳は3種類 「仏像」とは、仏教を信仰する上で対象となる仏を表した像で、本来は如来像(釈迦・阿弥陀)を指します。 しかし、今の広義には仏教関連の...

「牛久大仏」を動画でみてみよう!

【牛久大仏の詳細】

お寺 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 公式H・P⇒こちら
大仏 牛久大仏(うしくだいぶつ)
住所 〒300-1288 茨城県牛久市久野町2083
電話 TEL:029-889-2931 FAX:029-889-2935
参拝時間 年中無休 3月~9月9:30~17:00 10月~2月9:30~16:30
参拝料金 大人800円・小人400円(胎内参拝含) 無料駐車場有
お宿情報 >>【楽天たびノート】牛久大仏の周辺宿

【牛久大仏の周辺マップ】

【2位】仙台大観音!龍の口から胎内に入れば開運が訪れる

仙台大観音

「仙台大観音」は、牛久大仏に次ぐ大きさの像高100mで宮城県仙台市泉区に像立されています。

正面は、7km離れた仙台駅を向いており、仙台中心部の高いビルから「仙台大観音」を望むことができる。

「牛久大仏」同様、大仏内部へ入ることができます。

龍の口をした入口は、迫力満点で昇龍・登龍門で出世の道を表し、開運が訪れると言います。

出典:http://blog.livedoor.jp/ke1zo出典:http://blog.livedoor.jp/ke1zo

大仏胎内部は、12層に分かれていてエレベーターが利用できます。

3層から11層には108体の仏像が安置され、心臓部にある御心殿には、大仏様が右手に持っている如意宝珠(にょいほうじゅ)の珠と大日如来が鎮座する。

「仙台大観音」をスライドで見てみましょう!

【仙台大観音の詳細】

お寺 新界山大観密寺 公式H・P⇒こちら
大仏 仙台大観音(せんだいだいかんのん)
住所 〒 981-3217 宮城県仙台市泉区実沢字中山南31番地の36
電話 TEL 022-278-3331 (代) / FAX 022-278-7162
参拝
時間
夏季5/1~10/31 午前10時~午後4時
冬季11/1~4/30 午前10時~午後3時30分
参拝料金 観音様のご参拝は無料 但し、胎内ご参拝にはお札(守護札)を
受けて頂くため500円必要

【仙台大観音の周辺マップ】

【3位】世界平和大観音像!ユニークさでは1位 周辺には自由の女神も

出典:http://find-travel.jp/

「仙台大観音」の像高100mと同じ高さを誇るのが、兵庫県淡路市にある「世界平和大観音像」です。

他の大仏様と違い、写真を見ても分かるとおり、お顔や像全体の威厳のなさが伝わります。
又、大仏様の隣に見える十重の塔が目を引きます。

入口に、店名が「アメリカ」というレストランの看板が見えますが、お寺がつける名前にしては少々違和感があります。

違和感を感じつつも、ここにはもう一つアメリカンがあります。

出典:http://minkara.carview.co.jp/

これですね!
大仏様の近くには、小振りですがニューヨークの自由の女神も鎮座します。

「世界平和大観音像」に目を向けると、首周りには、大仏様にはそぐわない展望台のための欄干が付けられており、そのため「ムチ打ち観音」とも呼ばれています。

これらを見るだけで、寺院が像立したものではないことが見えてきます。

「世界平和大観音像」は、実業家で財をなした奥内豊吉が私財を投じて作った施設で、5階建ての博物館というのが実体です。
クラシックカーや時計・民族物を展示していました。

「豊清山平和観音寺」という寺院も併設されたのですが、宗教法人の認可はありません。

創業者である奥内豊吉は63年に亡くなり、所有者不在で2006年2月26日の閉館後は廃墟化しており、倒壊の恐れも出て処分には淡路市も頭を痛めているとか。

「追記」2021年6月
世界平和大観音像は2020年に国の所有となりましたが、老朽化が進み台風などの災害によって倒壊や外壁の崩れなど、周辺への危険が増したため惜しむ声もありますが2021年6月14日から解体工事が始まりました。

撤去が終わるのが2023年の予定ですので、実物の世界平和大観音像を見ることができるのはそれまでの間だけとなります。

「世界平和大観音像」を空撮動画で見てみましょう!

【世界平和大観音の詳細】

大仏 世界平和大観音
住所 〒656-2334 兵庫県淡路市釜口2006-1
参拝 現在廃墟

【世界平和大観音の周辺マップ】

【4位】北海道大観音!当時は大仏様までモノレールが繋がっていた

出典:http://www.dremi.jp/

「北海道大観音」は、当時の芦別レジャーランドの中に像立された高さ88mの立像の大観音様です。

芦別市の観光化を目指して、1970年に芦別レジャーランドを建設、その後バブル景気と共に中国風庭園の十二支苑やホテル五重の塔など宿泊施設を拡大し、1989年には計画から14年間かかったが、世界の平和と北海道の発展のシンボルとして北海道大観音が像立された。

この北海道大観音の像立により、ファミリー的なテーマパークから年配者をターゲットにした仏教的なテーマーパークとなり、名称も「芦別レジャーランド」から「北の京(みやこ)芦別」に変更されました。

宿泊施設ホテル三十三間堂や大観音様へ続くモノレールなど、施設は拡大されて行くもバブル終焉(しゅうえん)期を迎え、2008年以降は経営者が次々と変わり、北海道観大音は石川県金沢市の曹洞宗系の宗教法人・天徳育成会が購入して名前も「北海道天徳大観音」と改名される。

<当時は大観音様へと繋ぐモノレールが有った>

出典:http://kei.txt-nifty.com/daibutsu/

北海道大観音は胎内めぐりもあり、26階建てだが一般の参拝は展望台のある20階までになっており、エレベーターで上がることができる。

ここは一番礼所が20階になっていますで、エレベーターで一気に20階まで上がり、歩いて降りながら10番礼所のある入り口まで参拝して行きます。

礼所毎に、色んな観音様が祀られていますので、一階の十番礼所の千体観音様までお参りすれば全ての願いが叶うようです。

北海道大観音・御本尊

【北海道大観音の詳細】

大仏 北海道大観音(現在:北海道天徳大観音)
住所 〒075-0036北海道芦別市旭町31番1
施設 宗教法人天徳育成会 天徳院

【北海道大観音の周辺マップ】

【5位】加賀大観音!高さ73mは日本で5番目で金色の珍しい大仏

出典:http://www.panoramio.com/

石川県加賀市作見町にある「加賀大観音」は、立像の高さが73mと日本では5番目の大きですが、他の巨大物との違いに色が金色であると言うことです。

「加賀大観音」は、JR加賀温泉駅から直線で1Kmも満たない場所にあるため、駅からでもよく見えます。

1987年に、関西土地建物の社長が総工費280億もかけて、ホテルや遊園地を併設した総合レジャーランドとしてユートピア加賀の郷が作られました。
その中の加賀寺に、「加賀大観音」があります。

赤ちゃんを抱いた姿に、聖母マリアを意識させる「マリア観音」で子を授かる御利益があります。

当然胎内への霊場巡りも出来ますが、56mの最上階まで徒歩で螺旋階段を昇るので、足腰の弱い人はきついかも知れません。
階段外側の壁には、祈願された金色の観音様のパネルが所狭しと貼られている。

加賀大観音・螺旋階段-胎内

胎内には、四国八十八礼所などの各霊場があり、こちらでいっぺんに礼所参拝ができます。

しかし、ここでも開業当初の賑わいがバブルが消えると共に経営は悪化し、2000年頃には施設は閉鎖され廃墟化し、今では「加賀大観音」と加賀寺のみの拝観となっています。

「加賀大観音」を動画で見てみましょう!

【加賀大観音の詳細】

施設 観音院加賀寺
大仏 加賀大観音
住所 石川県加賀市作見町観音山1-1 TEL:0761-72-7001
入園料 500円
駐車場 約2000台無料

【加賀大観音の周辺マップ】

日本の巨大仏像、大きさランキング5位までをご紹介しました!
続いて6位から10位までのランキング2をご覧ください。

シン・ゴジラが巨大化!その大きさに匹敵の日本の巨大仏像ランキング2巨大仏像ランキング1では、1位から5位までをご紹介させていただきました。 こちらでは、巨大仏像ランキング2として6位から10位までをご...
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【首大仏】和歌山・無量光寺!ユーモアな顔でも受験生に人気の仏様 https://kaiun.website/archives/1075 Tue, 28 Jun 2016 08:51:24 +0000 http://kaiun.website/?p=1075

和歌山県和歌山市「寺町通り」の無量光寺境内に、首から上だけの願いなら何でも叶うと言われる首大仏様が鎮座しています。
ここ「寺町通り」には、多くの寺院が立ち並んでいますが、中でも無量光寺の「首大仏」様が有名です。

2代目となる「無量光寺の首大仏(むりょうこうじのおぼとけ)」は、約3mの首から頭部のみの大仏で盧舎那仏の銅像です。

首から上の大仏ですので、受験に関する合格や頭痛持ち・首や頭の病気などの病気平癒にもご利益があるため、沢山の人がお願いに訪れている人気の寺院です。

無量光寺の首大仏様は全身の座像なら約13mと鎌倉大仏よりも高い

和歌山・無量光寺・首大仏様

元々は、江戸時代に大福寺に建立された丈六佛(じょうろくぶつ)で、初代は高さ約5mの坐像でしたが天保6年(1835年)に火災で焼失後、2代目として初代の青銅を使って天保11年7月24日(1840年)に同寺に再興されました。

しかし、2代目の大仏さまは全身像ではなく約3mの首から頭部だけの大仏さまでした。

首から上だけの理由として、全身の仏像を製作する予定であったが、途中(首まで)で地震に遭いお寺側が費用を捻出することが困難になったためのようです。

もし、全身の座像が出来ていれば像高は約13mとなり、鎌倉大仏の11.39m(台座無)よりも高い大仏となります。
また、この首大仏のモデルになっているのが鎌倉大仏であるというのも興味深い。

鎌倉大仏様とお顔を比べてみると!

By: Ellie


<鎌倉大仏様>
開運スポット・鎌倉大仏上部
確かに似ている?ていうことはないですね。
きりっとした鎌倉大仏様に比べると少々ユーモラスな感はありますが、これも首大仏様の特徴でしょう。

和歌山県・無量光寺境内・首大仏

元々は大福寺にあった首大仏

「無量光寺」は浄土宗のお寺で、阿弥陀如来が本尊です。
文政12年(1829年)に、紀州藩10代藩主徳川治宝が日高郡出身の大行者徳本上人の功徳を讃えて建立された。
和歌山西国三十三箇所の八番目の礼所でもあり、明治19年に本堂は焼失、現在の本堂は傳法院から移築されたもの。

元々、大福寺にあった首だけの大仏が現在「無量光寺」にあるのは、安政元年(1854年)に発生した安政大地震によって大福寺が倒壊し維持することができなくなり、明治41年(1908年)廃寺に至ったため、首大仏様を本山である「無量光寺」に移されたためです。

無量光寺の首大仏様を動画で見てみましょう!

無量光寺「首大仏」の詳細情報

【無量光寺】

〒640-8137 和歌山県和歌山市吹上5-1-35
TEL:073-423-5738

拝観時間: 7時~16時30分(無休)
拝観料:無料

【アクセス】
マイカー:阪和自動車道和歌山ICを降りて約11分(駐車場20台無料)
列車:JR和歌山駅下車和歌山バス紀三井寺行15分

【お宿情報】:>>無量光寺「首大仏」の周辺宿はこちら【楽天たびノート】

<無量光寺の首大仏周辺マップ>

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