【アクセス】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 生まれてから、行動することでおこりえる後天運をより良いものにするため開運(金運・愛情運・仕事運・健康運・人気運) に関する情報をお届けします。 Fri, 01 Sep 2023 06:58:00 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.5 https://kaiun.website/wp-content/uploads/2015/10/cropped-torii2-32x32.jpg 【アクセス】タグの記事一覧|開運に導くおすすめパワースポット最新情報 https://kaiun.website 32 32 【一ノ宮倭文神社】安産のご利益は県内一!経塚は密なパワースポット https://kaiun.website/archives/3980 Sun, 08 Jul 2018 01:27:04 +0000 http://kaiun.website/?p=3980 「倭文神社(しとりじんじゃ)」は、鳥取県の中央部の東伯郡湯梨浜町に鎮座する神社で、正式名は伯耆一ノ宮倭文神社(ほうきいちのみやしとりじんじゃ)」です。

湯梨浜町には、周囲12kmある淡水湖「東郷湖」があり、湖底から温泉が噴き出ているため「東郷温泉」「はわい温泉」の2つの温泉を有しています。

その、「東郷湖」のわずか1kmの範囲に「倭文神社」があります。

「倭文」と名の付く神社は、全国には16社(延喜式神名帳)程あり、鳥取県内でも3社ありますが、格式が高く安産祈願のご利益は県内一といわれています。

出産を控えたママさんたちの強い味方、「倭文神社」をご紹介致します。

倭文神社は元来織物の神を祀る神社

元々、この地に氏族である倭文氏が住み着き織物を生業としていたため、機織の神である「建葉槌命(たけはづちのみこと)」を祀ったのが始めとされています。

しかし、出雲より渡ってきた下照姫命(したてるひめ)を加え祭神としましたが、倭文の織物業が次第にすたれてきたため、安産信仰だけが残り安産守護として崇拝されるようになりました。

駐車場手前の参道横には、「安産岩」が鎮座しています。

昔、常に難産に苦しむ婦人が願をかけ、満願の日に下照姫命が姿を現され、参詣の帰途この安山岩で簡単に出産し、以来、安山岩と称するようになった云われています。

倭文神社由緒説明板:写真をクリックすると拡大しますので読めます。

駐車場から境内まで近い!駐車スペースは約20台

「倭文神社」までは、東郷湖湖畔道路(県道234号線)から神社案内板が出ていますので、そこからやく曲がって1kmです。

宮内集落方面へと進み、迷うことなく真っすぐ進んで下さい。

駐車場手前の右側に「安産岩」、少し進んで左側に「夫婦岩」見えると駐車場は直ぐです。

駐車スペースは、約20台です。

 

この駐車場から、境内まで約50mほどです。

 

境内手前にも2~3台程の駐車スペースがあります。

 

ここから、「倭文神社」境内です。

一ノ宮倭文神社参拝!風格ある隋神門は150年の歴史

石段の参道を上がれば鳥居が見えてきます。

 

笠木に反り増しがあり、柱上部に台輪がないので鳥居は「明神(みょうじん)鳥居」のようです。

 

神額には、「伯耆一ノ宮倭文神社」と書かれています。
「一ノ宮」とは地域の中で最も由緒があり社格の高い神社のことで、「倭文神社」の旧格式は国弊小社です。

鳥居を越え、神の領域に入ると空気感が違い凛としパワーが感じられます。

 

一対の狛犬が隋神門の前で番をしています。
右の狛犬は、左手で毬(まり)を持ち口を開け、左側は右手で毬を持ち口を閉じています。

一方が口を開け、他方が口を閉じている狛犬の形式を「阿吽(あうん)」といいます。

「隋神門(ずいしんもん)」

明治5年(1872年)に建てられました。

基本的には、神社の門を隋神門や桜門といいます。
ちなみに、お寺の門は山門や仁王門です。

 

この門より神域になります。

 

隋神門は、邪悪な者が入らないように門番の神(隋神)を祀る門です。

 

こちらの随神様は、可愛らしいお人形さんのようです!
格子戸から少し見えます。

 

隋神門から本殿へと向かう。

ここから、本殿までは約150m程で、参道両脇には樹木が生い茂り新緑効果もあってか、清々しい空気に気持ち良さを感じます。

 

「手水舎(ちょうずや)」
ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃなどとも読まれ、手水(ちょうず)で手や口を漱ぎ清める場所です。

https://kaiun.website/archives/1827

社殿を取り囲むように石柵が施され、参道横に燈籠と狛犬が並んでいます。
格式の高さが伺えます。

 

狛犬の奥、赤い屋根の建物が社務所です。

御朱印やお守りは4時迄です。
お守りには、倭文神社だけの麻で作ったお守り袋に、かおりの元と願い事を書いた紙を入れてご利益を授かる「かおり袋」があります。

 

社殿前の狛犬は、隋神門前の狛犬と違ってお尻を上げ威嚇のポーズをしています。
邪悪な者は、ここから先は絶対通させないといった感じです。

こちらの狛犬も左右の片方が口を開け・もう一方が口を閉じた「阿吽(あうん)」形式です。

社殿は風格のある権現造り!本殿裏に乳神さま

倭文神社の創建は明らかではありませんが、寛永2年(1625年)に社殿を再建し改築をしました。

今現在の本殿は、文化15年(1818年)に建てられたものです。

 

大社や一ノ宮など社格の高い神社は、独自の社殿形式となっていることが多く、その中でも「倭文神社」は、社殿形式でいえば本殿の前に拝殿を置き、間に屋根を掛けた権現造り形式の部類です。

祭神は主祭神1名と配神6名

  祭神名 御神徳
主祭神 建葉槌命(たけはづちのみこと) 織物の神
配神 下照姫命(したてるひめのみこと) 安産の神
  建御名方命(たけみなかたのみこと) 軍神・農耕神・狩猟神・風の神
  事代主命(ことしろぬしのみこと) 海の神・五穀豊穣商売繁盛の神
  天稚彦命 (あめのわかひこのみこと) 穀物の神
  少彦名命(すくなびこなのみこと) 国造りの協力神・酒造の神
  味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと) 農業の神・雷の神・不動産業の神

 

▲拝殿

主祭神を始め、各配神には色んなご神徳がありますので、安産のご利益のみならず商売繁盛・職業守護・夫婦円満などなど開運のご利益がいただけます。

 

▲拝殿右横

 

▲拝殿右裏側

 

▲本殿

 

▲本殿裏側

 

▲拝殿左横

 

▲拝殿左側

 

拝殿内と中央奥の本殿

乳神さんと呼ばれていた御神木

神殿の裏には、「乳神(ちちがみ)」さんといわれ崇められている御神木あります、というより有りました。
周囲6.7m・推定樹齢600年であったが、折れたのか枯れたのか?今は無残にもこのようなお姿になっています。

この木には、乳房状の突起物が数個みられており、モチノキやナナカマドなど多くの草木が実生していた貴重な古木であったようです。

老いても乳神さま、まだまだパワーが感じられます!
お参りの時は、裏参道より乳神さまも参拝されると良いと思います。

伯耆一宮経塚を拝見!雨・雪の日は要注意!!

隋神門から本殿への途中に、「伯耆一宮経塚(きょうずか)」があります。

経塚とは
経典を主に経筒・経石・経瓦などを土中に埋納した塚

説明板より

国指定史跡・伯耆一ノ宮経塚
埋納年月日 平安時代後期
康和五年十月三日(西暦1103年)
発掘年月日 大正4年12月11日
史跡指定年月日 昭和10年12月24日
構造(石棺)長方形で長さ1.2m 幅0.9m 四方は約5cm程で輝石安山岩で構築

出土品
昭和28年に国宝指定(東京国立博物館に保存)
●銅経筒(平安時代)1口
●金観音菩薩立像(白鳳時代)1躯
●銅造千手観音菩薩立像(平安時代)1躯
●銅板線刻弥勒菩薩立像(平安時代)1面

その他
●銅鏡 2面
●桧扇残片 一括
●短刀刀子残闕 一括
●瑠璃玉 一括
●銅銭 2枚
●漆器残片 一括

かなり斜面が急ですが、上って見ました!

 

けもの道のようで、整備はされていません。

 

説明板には、この地は倭文神社の御祭神の下照姫命の墓だと云われていた場所が経塚であることが判明したと書かれています。

「元旦の朝に金の鶏が鳴く」金鶏伝説の場所でもあったようです。

経塚から出土された物は、当時の層や京尊が埋納したものです。

 

穴が囲われた場所が経塚。

金観音菩薩立像や銅造千手観音菩薩立像など国宝が発掘さてたことで、今やこの経塚はパワースポットとしても有名で、観光ガイドツアーの一つにもなっています。

 

経塚を裏から。

 

少し離れた場所に石造、長命・・・三十一番と彫られています?

 

経塚へは、行きもかなりの急坂なので息切れがするほどなんですが、雨などで地盤が緩んでいると帰りはもっと大変!滑ります。

参道横に謎の巨大な石!

隋神門から社殿に行く途中、伯耆一宮経塚(きょうずか)より少し手前の参道脇に長さ約2.5m位の巨大な石があります。

説明看板などもないので謎の石なんですが、何故かピーンときたので、何か云われがあるものなのかもしれません。

大小の石が重なる夫婦岩!夫婦円満のパワースポット

「安産岩」のすぐ近く、斜め向かい側にあるのが「夫婦岩(めおといわ)」といわれるパワースポットです。

説明板が無いので詳しい言い伝えはわかりませんが、下の石に上の大きな石が夫婦のように寄り添い離れないためそう呼ばれているのではないかと思います。

昔から、この石の前で夫婦円満・夫婦和合のお祈りをしていた場所ではないでしょうか。
社殿参拝前に、こちらも参拝を。

 

帰りには、カエルさんのお見送りがありました。

まとめ

「伯耆一ノ宮倭文神」は、一ノ宮として格式ある神社であることが境内に入ればわかります。
隋神門があり、広さや立派な社殿建造物など小さな神社では見られないものです。

また、安産祈願では県内一で遠方からも訪れる人が多く、経塚や安産岩・夫婦岩などパワースポットも多く点在しています。

東郷湖もすぐ目の前で、周りにはレジャー施設や温泉もあり、参拝後は湖畔周辺でのんびり一日過ごせます。

出産を控えている方なら、是非「伯耆一ノ宮倭文神」に訪れてみてはいかがでしょうか。
素晴らしい神社です。

伯耆一ノ宮倭文神社
所在地  〒689-0707
鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754
TEL 0858-32-1985
FAX 0858-32-1985)
公式ホームページ⇒こちら
参拝時間 ●境内は24時間いつでも。
●境内を見るだけなら無料。
●ご祈祷受付:09:30~15:30( 5000円~/一件)郵送可
●安産祈願:ご本人がご参拝になるか、お腹帯を持参

●お守り・ご朱印他:09:30~16:00
●毎年5月1日(例祭)10:00本祭典 14:00神輿渡御
アクセス 電車JR山陰本線・松崎駅下車~車で約10分
バス:松崎駅前から藤津入口停留所~徒歩20分
マイカー倉吉市内から約20分
駐車場伯耆一ノ宮倭文神社の駐車料金は無料(約20台)    
お宿情報 >>伯耆一ノ宮倭文神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 鳥取砂丘・白兎神社・鳥取城跡・魔尼寺・さじアストロパーク・わかさ氷ノ山
雨滝・砂の美術館・とっとり賀露かにっこ館・浦富海岸(山陰海岸ジオパーク) 東郷湖・若桜神社・竹田城跡

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「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット https://kaiun.website/archives/3194 Tue, 14 Nov 2017 06:27:15 +0000 http://kaiun.website/?p=3194 大山寺(だいせんじ)は、大山(だいせん:標高1729m)の鳥取県西伯郡大山町にあるお寺で、古くから山岳信仰の修験道場として知られており、正式名称は天台宗別格本山 角磐山 大山寺(かくばんざん だいせんじ)」です。

家内安全・厄払い・水子供養・所願成就御などのご利益と共に先祖の霊は大山に集まると信じられてきたため、御先祖様に会える寺として中国地方一帯から多くの人々が訪れています。

また、大山寺のある大山は、2018年、開山1300年となる中国地方最高峰の山で、別名:「伯耆富士」と言われ西側の伯耆町からみる姿はまさに富士山そのものです。

また、南北東西から見る大山は、形が大きく異なるのも特徴の一つです。

昭和11年に、日本で3番目の国立公園に指定され、後に蒜山・隠岐の島・島根半島・三瓶山が加わり「大山隠岐国立公園」となり、NHKの日本名峰ランキングでは、富士山・槍ヶ岳に継ぐ第3位に選ばれています。

ブナ森や大地や水など広大な自然に囲まれた大山は、古来から神の山、神仏の住む霊山として祀られており今もなお篤い信仰が続いています。

その大山信仰の中心がで大山寺あり大神山神社奥宮で、大山から流れ出る巨大な気が集まり、静けさの中に浄化された空気が漂い心身共に清うパワースポットです。

大山寺橋!白い河原・森の緑・空の青の対比が美しい絶景スポット

▲大山寺橋からの風景

南光河原駐車場の横にある大山寺橋(下ワタリ)は、大山北壁を遠くに望み佐陀川の白い河原と森の緑・空の青が絶妙なコントラストを描く絶景スポットです。

 

実際に見る風景は、写真で見るより遥かに雄大で美しく自然を満喫できます。

大山寺や大神山神社奥宮の参拝や大山登山。ハイキングなどで訪れた人の心を鷲掴(わしずか)みにすること間違いなしです。

 

「サンセットカフェ」オープンテラスから見る夕景の美しさは特別!

▲大山寺参道・御幸参道本通り入口

 

KOMORENITO

ここは大山寺参道の入口にあるこ「KOMOREBITO(こもれびと)」で、一階は大山町観光案内所となっており大山寺への出発地点となっています。

2階には、2017年にオープンのオープンテラスのある「サンセットカフェ」があり、食事やお茶を飲みながら大山の景色が一望できます。

 

何より、西向きのオープンテラスなので、日の落ちる夕方の夕景は特別で「サンセットカフェ」名もここから用いたようです。

 

大山寺参道脇には見所や体験場所が満載!

▲御幸参道本通り

ここから御幸参道本通りとなり、大山寺まで石畳と石段の少々急な坂を5~600m程登ります。

大山そばが人気の「そば処・土佐屋」

途中には、数多くの旅館や食事処・カフェなどが立ち並んでいます。

上の写真の「そば処・土佐屋」さんは、参道のすぐ入口を入った左手にあり、大山産の蕎麦粉を使った「大山そば(600円)」が人気のメニューで、寒い時には身体を温かくしてくれる格別の一杯です。

【そば処・土佐屋】
●営業時間:10:00〜18:00(年中無休)
●住所:鳥取県西伯郡大山町大山43
●電話:0859-52-2126

 

手軽に温泉が味わえる「豪円湯院」

「そば処・土佐屋」さんから、参道を少し上がると左手に見えてくるのが大山初の日帰り温泉施設の「豪円湯院」です。

入浴料は、大人380円(中学生以上)・小人(小学生)300円・幼児は無料とお値段は安く、バスタオルなどもレンタルになっていますので、何も持っていなくても入浴できます。

また、食事処やお土産屋さんも併設されていて、ひと休憩にはもってこいの場所です。

 

ここ「豪円湯院」の建物の横に「餓讖地蔵(がしんじぞう)」が建っています。

天保8年前後に、大飢餓で多くの人々が亡くなったため、将来二度とこのような災難が起きないように、祈りと弔いを込めて天保12年に建立されたものです。

【豪円湯院】<年中無休>
●営業時間:月~木11:00~20:00(最終受付19:30)
金~日・祝日11:00~21:00(最終受付20:30)
●住所:鳥取県大仙町大山25番地
●電話:0859-48-6801

 

利用料無料の疲れた足が癒せる「大山火の神岳温泉足湯」

「豪円湯院」の向かい側には、平成23年9月28日に開設された天然温泉の足湯「大山火の神岳温泉足湯」があります。

利用料は無料で、歩き疲れた足を癒せる人気のスポットとなっています。

利用期間 4月~11月(冬季閉鎖
利用時間 9時~18時
利用料 無料

 

どんな願いでも叶えてくれる「弘化の大地蔵」

▲弘化の大地蔵

大山は地蔵信仰の地でもあるため、大山寺参道にはいたるところにお地蔵様を目にします。
こちらのお地蔵様は、「弘化の大地蔵」と呼ばれていて高さ2.4mの南無地蔵大菩薩が彫られ、大山寺内に存在する三体の「立像石仏地蔵」の1つで、どんな願いでも叶えてくれるそうです。

大山には、この他にも多くのお地蔵様があり、お地蔵様を巡る7.2kmの「大山寺三十三カ所地蔵めぐり」コースも設定されています。

三十三のお地蔵様を巡ってお願いすれば、色んなご利益がいただけそうです。

足腰に自身がない方は参拝者駐車場が便利!

▲大山寺近くの参道にある参拝者駐車場

10台から15台程の駐車スペースですが、大山寺や大神山神社奥宮の参拝のみであれば一番近い駐車場で山門・鳥居までは100~150m程、トイレも完備され、何より足腰の弱い方には便利です(無料)。

大山の魅力を込めた詩が刻まれている「織田収詩碑」

▲織田収詩碑

織田収氏は、日本の政治家・実業家で山陰のジャーナリストです。
明治30年(1897年)に鳥取県米子市に生まれ、昭和63年(1988年)に91歳で死去されるまで、新聞記者や鳥取県県会議員・ラジオ山陰社長などを歴任し、ジャーナリストとして政治・経済・文化・スポーツなど幅広く活動をしました。

大山をこよなく愛した、織田収氏の詩が刻まれた「織田収詩碑」がここにあります。
「山のエスプリは山頂にあつまる 神はここにくだり 人はここにのぼる」と詠われています。

訳せばこんな感じでしょうか!
「大山の魂は山の頂上に集まって、天の神様はここに降り、人々は下界からそれを目指して登って行く」

大山の山登りの魅力をこの詩で表現したのだと思います。

「牛霊碑」大山は日本三大牛馬市の一つとして栄えた場所!

▲牛霊碑

基好上人(きこうしょうにん)が、大山寺の本尊である地蔵菩薩が牛馬の守護仏であると言われ、牛馬守護の守礼を施与されたことにはじまり、例年例祭に合わせて標高800mの高所の場所であるにもかかわわらず大山牛馬が開かれるようになりました。

その後、組織的な牛馬市となってから益々盛んとなり、年に5回も博労座(ばくろうざ)で開催され取り引数は1万頭に及び、広島の「久井牛市」や福島の「白河馬市」と並び日本三大牛馬市として、中・四国はもとより京阪神や中部地方からも多くの人が集まりました。

売買された牛の供養のために建てられたのが「牛霊碑」です。

「とう然の碑」多彩な才能を見せた円流院の住職・嗒然(とうねん)

▲とう然(ねん)の碑

嗒然(とうねん)は、円流院の住職で寛政8年(1796年)に皆生村(今の米子市)の漁師の家に生まれ、幼き頃より絵心があった。
文化3年(1806年)11歳の時に大山寺西明院谷の観解院入り、翌年には仏門に入り大貫と号す。

その後、師の円流院主大賢より教えをこい、仏学に優れ詩文書画とも才能を伸ばしていきます。

その一端を示すものとして、弘化3年(1846年)51歳の時に誌した「大山雑記」があります。
「大山雑記」は、大山寺の由来や行事・伝承など14話を収めたものです。

書画など多才であった嗒然は、文久元年(1861年)に享年66歳で死去、円流院には三代(大存・大賢・大貫)の院主の位牌があり、大山寺石段参道横には「とう然の碑」があります。

 

「信濃坊源盛の碑」後醍醐天皇が京へ帰る足がかり船上山の戦いで貢献!

大山寺山門の石段下右側に、「信濃坊源盛の碑」があります。

信濃坊源盛の功績を称(たた)え宮家御下賜金(ごかしきん)によって、明治24年に建てられたもので台石の上に1.6mの碑が立っています。
碑文は、文学博士の末松謙澄の筆による。

信濃坊源盛は、名和長年の弟で大山寺の僧となり金剛院の住職で「信濃法眼」と名乗っていました。

元弘3年(1333年)源盛31歳の時に、兄の長年から隠岐の島を脱出した後醍醐天皇を船上山にお迎えしたとの急な知らせを受け、同宿十余人を連れって船上山にはせ参じ、攻防のすえ幕府方を破り裏側の西坂を守った。

合戦は、3日間続き大山衆徒700人も大急ぎで駆けつけたと言われています。
この合戦の勝利は、後々の情勢が大きく変えることとなり、鎌倉幕府の崩壊、後醍醐天皇の「帰洛(きらく:京に帰る)
の足がかりとりました。

その後、源盛は九州の肥後八代で57歳の生涯を閉じる。

2ページ目⇒見落としがちな山門の金剛力士像や石段参道沿いのパワースポット!>

]]> 【比叡山延暦寺】パワースポット巡りと根本中堂に隠された5つの秘密 https://kaiun.website/archives/3092 Wed, 30 Aug 2017 23:11:21 +0000 http://kaiun.website/?p=3092 「比叡山延暦寺」は、京都市と滋賀県大津市をまたぎ東山三十六峰(標高848m)の北側に位置する比叡山にあり、平安京の鬼門を守護するために創建された天台宗の総本山。

1200年間、今も尚、最澄が祈りを続けていると言われる日本仏教の一大聖地です。

1994年(平成6年)に、古都京都の文化財の一部であり、代表的な日本仏教の聖地としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

比叡山全体が延暦寺の境内で、500ヘクタールもある広大な敷地の中に約150ものお堂が並び、大きく分けて東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三つのエリアで形成されています。

織田信長の焼き討ちなど多くの戦国武将とも関わりを持ち、又、多くの著名な僧を輩出している延暦寺は、日本仏教の母山とも言われるだけに多くのパワースポットも存在しますのでご紹介致します。

比叡山延暦寺は幾度の苦難を乗り越えてきた日本仏教の母山


延暦寺の開山は、788年(延暦7年)に最澄が薬師如来を本尊とする「一乗止観院(いちじょうしかんいん):現在の根本中堂」を創建し比叡山を開いたのがはじまりです。

延暦寺という寺号は、開創時の年号の延暦から付いており、最澄が亡くなった823年(弘仁14年)からです。

ここで最澄は、仏教によって国家を守護し安定させるため、指導者を育成する12年間の教育制度を作り、日本仏教に名を残す親鸞(しんらん)・法然(ほうねん)・日蓮(にちれん)・道元(どうげん)・一遍(いっぺん)・栄西(ようさい)などが修行をしたことから「日本仏教の母山」と仰がれています。

<親鸞聖人修行の地>

3000もの寺院が立ち並らんだ最盛期には、武力化も進み僧兵も大きな勢力となっていきます。

しかし、織田信長と敵対し1571年に織田信長の焼き討ちにあい、「一乗止観院」の跡に比叡山の総本堂である根本中堂を建てるも、瑠璃堂を除く全ての堂塔は焼失してしまいましたが、「不滅の法灯」は消えることなく1200年経った今でも柔らかな光を放ち灯り続けています。

その後、根本中道は1642年(寛永19年)に徳川家光により再建されました。

 

延暦寺境内は三つのエリアに分かれるご利益スポット!


境内は、あまりに広いため大きく三つのエリアに分けられ、「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の三塔とさらに細かく三塔十六谷二別所の堂塔が流麗な寺観を形造っています。

そして、境内全域がパワースポットになっています!


4000人いる天台宗の僧侶は、現在でも、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」や「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」の厳しい修行を続けている。

東塔(とうどう)エリア


比叡山の中心的な堂の根本中堂を中心としたエリアで、延暦寺発祥の地です。

その根本中堂は、最澄の開いた一乗止観院の場所にあたり、創建1200年以来一度も消えたことのない「不滅の法灯」が灯されています。

文殊楼・大講堂・阿弥陀堂・大黒堂・戒壇院や昭和55年に再建された法華総持院東塔などが堂々たる風格を感じさせる。

また、延暦寺の数々の国宝や重要文化財が収蔵された現代的なコンクリート作りの国宝殿もあります。

<東塔エリア-北谷・東谷・南谷・西谷・無動寺谷>

主なお堂 詳細
根本中堂 三塔の中堂の中でも最大の仏堂で、延暦寺の総本堂
大講堂 1964年に坂本の讃仏堂を移築したもので、ご本尊は大日如来
阿弥陀堂 檀信徒の先祖回向の道場で、1937年(昭和12)に建立され本尊は丈六の阿弥陀如来
法華総持院東塔 1980年(昭和55年)に再建された多宝塔型の塔で下層に大日如来と五智如来が祀られる
文殊楼 延暦寺の山門で二階建てとなっており、階上には文殊菩薩を安置されています
大黒堂 日本の大黒天信仰の発祥の地で、本尊は、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった「三面出世大黒天」

 

<大講堂>

<阿弥陀堂と法華総持院東塔>

西塔(さいとう)エリア


比叡山の中でも歴史的な建築物が残るエリアで、今でも古くからの修行が行なわれています。

東塔エリアとは違い、老杉に囲まれ静けさを感じさせる西塔エリア。

西塔は、第2世天台座主・寂光大師円澄によって開かれ、本堂は釈迦堂(転法輪堂)で第5世座主・智証大師円珍が三井寺の園城寺の金堂を西塔に移築したものです。

唯一、織田信長の焼き討ちに免れた瑠璃堂もあります。

<西塔-東谷、南谷、南尾谷、北尾谷、北谷>

主なお堂 詳細
釈迦堂 西塔の本堂にあたり、延暦寺に現存する建築中最古のもので、ご本尊は釈迦如来
浄土院 56歳で入寂された最澄の遺骸を安置した場所で今では十二年籠山の僧が毎日仕えている
常行動・法華堂(にない堂) 同形の2棟のお堂が左右に並び、法華堂の本尊は普賢菩薩で常行堂の本尊は阿弥陀如来
瑠璃堂(るりどう) 信長の焼き討ちをまぬがれた唯一の堂

 

<にない堂>

<瑠璃堂>

http://lucky-day.at.webry.info/201510/index.html

横川(よかわ)エリア

横川エリアは、東塔や西塔より北へ少し離れた場所にあり、第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開かれました。

神秘的な感じの横川エリアは、修行地としての色合いが強く、鎌倉新仏教の親鸞や道元・道元などが修行をした場所で静寂な雰囲気に包まれています。

おみくじ発祥の地と言われる元三大師堂などがあり、比叡山の鬼門を守っています。

<横川エリア-香芳谷・解脱谷・戒心谷・都率谷・般若谷・飯室谷>

主なお堂 詳細
横川中堂 横川の本堂で、舞台作りは船の浮かぶ姿に見え、本尊は聖観音菩薩
四季講堂(元三大師堂) 元三大師堂は、慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡で、四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれます。
恵心堂 恵心僧都源信の旧跡で、仏三昧の道場、本尊は阿弥陀如来を祀る

 

<四季講堂(元三大師堂)>

<恵心堂>

 

日本仏教の礎を築いた天台宗開祖・伝教大師最澄とは!


767年に、最澄は近江国(滋賀県)の渡来人(とらいじん)家系で門前町の坂本に建つ生源寺に生まれ、12歳より地元の国分寺で学び、20歳になった時に東大寺にて具足戒(ぐそくかい)を受け正式な僧になります。

788年、比叡山に現在の延暦寺となる一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建立。

故郷の比叡山で修行中、中国天台宗の開祖である智顗(ちぎ)の法華経の利他(りた)「他人の救済を優先する」の教えに深く感銘する。

12年間の延暦寺での修行中に「一隅を照らす」の悟り開く。
「悪事を己に向かえ 好事を他に与え 己を忘れて他を利するには 慈悲の極みなり」

やがて、世俗化する南部六層の嫌気をさしていた桓武天皇と出会い、「空海(弘法大志)」と共に遣唐使として唐に渡り、天台学を学び大乗菩薩戒(だいじょうぼさつかい)を授かります。

帰国後、中国天台宗の法華経を基礎に善や密教・戒律を融合し日本独自の総合仏教を体系化、805年に天台宗を開く。

延暦寺を拠点に各地を布教、鎌倉新仏教となる名だたる開祖、法然(ほうねん)・親鸞(しんらん)・一遍(いっぺん)・栄西(えいさい)・日蓮(にちれん)・道元(どうげん)らが学び巣立っていきます。

最澄死後(767年~822年)、日本で初となる大師号「伝教大師」の称号を朝廷より贈られました。

 

普通の山門とは違う「文殊楼」は受験合格のパワースポット!


「文殊楼(もんじゅろう)」は、延暦寺全体の玄関にあたる建物で、延暦寺の正式な参拝ルートは門前町坂本から登り、比叡山にお参り後、この文殊楼を参り根本中堂へと向かいます。

文殊楼には、他のお寺の山門と違うポイントがある、それがお堂になっていることです。

二階へ上がれる山門は、昔、90日間の座禅を続ける「常座三昧(じょうざざんまい)」の修行が行われていました。

二階には、知恵を司る「文殊菩薩」が祀られており、受験合格・学業成就のパワースポットとなっているため多くの受験生が訪れます。

 

「大黒堂」祀られる大国様には三つの顔がありご利益も多い!

文殊楼から歩いて1分程の所にある「大黒堂(だいこくどう)」は、豊臣秀吉ゆかりのお堂で、日本で最初に大国様をお祀りしたお堂でもあります。

大黒天は、仏教では天部に属する神であり、神道では七福神の一柱の大国様として食物・財福・商売繁盛のご利益をもたらす神様です。

「大黒堂」の大黒天は少し変わっており、三つの顔を持った三面大黒天で「三面六臂大黒天(さんめんろっぴだいこくてん)」と呼ばれています。

三つの顔は、三つの仏が合体したもので、左側に毘沙門天・中央に大黒天・右側に弁財天の顔となります。

どうしてこの姿になったのか?逸話があります。

『最澄が、比叡山で修行を行っていた時に現れたのが大黒天で、世のため人のために頑張るのなら1000人の修行僧が来ても困らぬように食事の面倒を見ると告げられたのです。

しかし最澄は、もっと多くの人材を育てたいので1000人では足りないことを言うと、大黒天は毘沙門天様と弁財天様をお連れになり、3人合わせて3000人の修行が出来るように三体の仏様が一体となったと言われています。』

「三面六臂大黒天」一体で、大黒天の食物・財福・商売繁盛、毘沙門天の力と勇気、弁財天の美と才能のご利益が授かります、また、豊臣秀吉が深く信仰し活躍したことから出世運のご利益も授かります。

「開運の鐘」撞けば誰でも運が開けるご利益スポット!

東塔エリアの大講堂の近くにある鐘楼(しょうろう)には、「開運の鐘」または「平和の鐘」と呼ばれる梵鐘(ぼんしょう)があり、誰が撞(つ)いても名前のごとく運が開けると言われるパワースポットです。

梵鐘は、法要など仏事の予鈴として撞いたり、時報を知らせるなど仏教では重要な役割があります。

梵鐘の梵と言う字は、梵語(サンスクリット)で「神聖・清浄」という意味が込められており、この音に包まれているだけで心を浄化し清らかにしてくれます。

また、「魔」が逃げて行くという音でもあるのです。

By: James Gochenouer

延暦寺に訪れたなら、是非、試しておきたい開運スポットです!

撞くときは、願い事をしながら遠くまで音が響くよう力いっぱい撞けば、開運効果もUPするようです。ちなみに一叩き50円が必要です。

 

「根本中堂」最澄が仕掛けた5つの秘密が隠されている

「根本中堂」は、1200年前に最澄が比叡山を開くため最初にお堂を建てた「一乗止観院」の場所なので、比叡山の中心的なお堂となります。

現在の「根本中堂」は、織田信長による焼き討ちで焼失したため、徳川家光が9年の歳月をかけて1642年に再建したものです。

1955年(昭和30年)の昭和の大改修以来約60年振りに、2016年(平成28年)より10年かけて平成の大改修が始まりました。大改修中も参拝はできますし、工事間中だかこそ、普段見ることの無い貴重な改修作業も目にすることができますのでこの機会も見逃せません。

比叡山の中心となすお堂だけに、パワーを一番感じる場所なので、謙虚な気持ちなれ心が落ち着き思考も冴えてきます。また、「根本中堂」の内部には、ご利益が最大限に得られるよう最澄がお堂に仕掛けたものなど5つの秘密が隠されています。

「根本中堂」は三つのお堂が集まったもの(秘密①)

「根本中堂」を外観から見ると一つのお堂のように見えますが、実は経堂・薬師堂・文殊堂の三つのお堂が集まって建つ造りとなっています。

これは、比叡山の冬は雪の多い厳しい環境から考えられたもので、三つのお堂を大きな一つのお堂で囲ったので、建物の中にさらに建物がある造りとなっています。

仏様の高さはお参りされる人と同じ高さになっている(秘密②)

お堂内の内陣の床は外陣より3m低くなっており、内陣の厨子(ずし:仏像を安置する仏具)に安置される薬師如来像と参拝者の高さが等しくなっています。

法華一乗では、仏様と人は同じであるという教えがあり、誰でも等しく人は仏様になる素質を持っている、その意味で同じであることを「同じ高さ」で表しています。

本尊は薬師如来ですが最澄がそれを選んだ理由(秘密③)

普段は、最澄が一刀三礼して彫ったご本尊の「薬師瑠璃光如来」は秘仏のため拝めませんが、拝めるのは「御前立」の仏像です。

最澄がご本尊に薬師如来にした理由があり、それは過去でも未来でもなく、現在の世の中を良くしたい人々の悩みを救いたいという気持ちから、身体や心の病を治す薬の仏様である薬師如来を選ばれたのです。

天井に彩色で描かれる百花の図は仏様のお供えもの(秘密④)

根本中堂内は外陣・中陣・内陣に分かれており、中陣の天井には仏様のお供えとして「百花の図(花天井)」が描かれています。

「百花の図」は、織田信長の焼き討ちで焼失したお堂は徳川家光により再建さますが、この時に大名たちがそれぞれの地域を表す花として献上したものです。

生花と違い、いつまでも枯れない花として極彩色の二百もの草花が、静寂な雰囲気の中で仏様のお供えものとして天井に飾られています。

1200年間途絶えたことのない灯火「不滅の法灯」(秘密⑤)

ご本尊である薬師如来像の正面には、3つの釣燈籠が並び最澄が灯してから1200年間一度も絶えたことのない灯火があります。

これを「不滅の法灯」と言い、比叡山焼き討ちにより途絶えたかと思われた「不滅の法灯」は、6人の僧侶の努力によって山形県の立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていました。

<山形・立石寺>その後、根本中堂が復興されされたため、延暦寺に持ち帰り再びその火を灯し現在まで受け継がれています。

伝教大師最澄と根本中堂(動画)

 

比叡山で一番の聖地「浄土院」は過酷な修行の場でもある

「浄土院(じょうどいん)」は、根本中堂から歩いて約15分の東塔と西塔の境目にあり、比叡山の一番の聖地と言われています。

それは、今も人々の幸せを祈り続けている最澄の遺骸が、この裏の「伝教大師御廟(でんきょうたいしごびょう)」にあるからです。

「浄土院」には、12年間一人で生身の最澄に仕える僧侶の「待真(じしん)」「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」の修行を行っています。

待真は、約4000人いる天台宗の僧侶の中でたった一人しかなれません。

比叡山には、7年間山を歩き回り、途中9日間は食事も睡眠も取らず不動真言を唱える「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」がありますが、「十二年籠山行」はそれよりも更に厳しい修行となります。

毎日、厳しいお勤め行う修行僧の決意と最澄の思いが感じられる「浄土院」からは、静寂の中、厳そかな雰囲気の空気が流れているパワースポットです。

 

比叡山延暦寺の宿坊「延暦寺会館」で写経や座禅を体験!

延暦寺を一日ゆっくりと各エリアをお参りするのなら、境内の東塔エリアにある宿坊「延暦寺会館」一泊するのがおすすめです。

延暦寺にも一番近く、清い空気の中、宿坊ならではの写経や座禅の体験は自分を見つめなおす良い経験となるからです。

また、琵琶湖を望む景色の良さや精進料理を堪能して、朝の根本中堂でのお勤めを行えば、身も心も浄化され忘れえぬ旅の思いでになるのではと思います。

お寺参りの宿泊なら、一度は試してみたい宿坊ですね!
詳細⇒宿坊「延暦寺会館」

 

比叡山「延暦寺」の詳細情報

【天台宗総本山・比叡山延暦寺】
所在地 <延暦寺>〒520-0116
滋賀県大津市坂本本町 4220
TEL:077-578-0001 (代)
FAX:077-578-0678
公式ホームページ⇒http://www.hieizan.or.jp/
参拝時間 【東塔エリア】
3月~11月:8:30~16:30
12月:   9:00~16:00
1月~2月: 9:00~16:30【西塔・横川エリア】
3月~11月:9:00~16:00
12月:   9:30~15:30
1月~2月: 9:30~16:00

拝観料:三エリア共通券(大人700円・中学生500円・小学生300円)
国宝殿拝観料:大人500円・中学生300円・小学生100円

アクセス 電車JR京都駅(湖西線)~比叡山坂本駅乗換~江若バス~
ケーブル坂本駅~坂本ケーブル~延暦寺駅~徒歩約8分マイカー名神自動車道(京都東I.C)降り~藤岡南ランプへ
西大津バイパス~近江神宮ランプ~山中越え~田の谷峠~
比叡山ドライブウェイ~延暦寺
駐車場比叡山・奥比叡ドライブウェイ内の駐車料金は無料
    東塔駐車場(270台)・西塔駐車場(75台)・横川駐車場(80台)
    他、比叡山登仙台・夢見ヶ丘・比叡山頂の全6箇所
お宿情報 >>比叡山延暦寺の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 日吉大社近江神宮琵琶湖ミシガンクルーズ滋賀近代県立美術館
ガーデンミュージアム比叡三井寺琵琶湖花噴水柳が崎湖畔公園庭園

 

<比叡山延暦寺の周辺マップ>

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春日大社のご利益に迫る!開運必至のパワースポット10選 https://kaiun.website/archives/2900 Tue, 01 Aug 2017 12:41:05 +0000 http://kaiun.website/?p=2900

「春日大社(かすがたいしゃ)」は、全国に約1000社あるとされる春日神社の総本社で、奈良市街地の東方に広がる連山の中央の三笠山(古名:三蓋(みかさ)山・春日山)より西麓の奈良県奈良市春日野町に鎮座します。

境内約30万坪という広大な聖域内には、神鹿(しんろく)である鹿が共存し、御祭神の4柱を祀る本殿他、若宮神社と人気の若宮15社めぐり、春日の燈籠呼ばれる3000基の燈籠、また摂社・末社は全部で六十一社もあり、まさに春日信仰の聖地と言うべきものです。

古都奈良の文化財として1998年(平成10年)に世界遺産に登録され、回廊が特徴的な春日造りに朱色の社殿の美しさで、国内はもとより多くの外国人も訪れています。

境内には、女性的で穏かな気が流れており、女性が参拝すれば
「仕事や才能が開花し出世運がアップするご利益」
授かるので女性におすすめのパワースポットでもあります。

男性には、「強い精神力・実行力がいただけ権力」
を手にできるご利益があります。

また、縁結びや夫婦円満・開運招福」など多くのご利益も授かる春日信仰の聖地、「春日大社」の開運スポットをご紹介します。

春日大社

〇境内約30万坪に、神鹿と共存する春日大社は、春日信仰の聖地として知られる。
〇女性には仕事や才能の開花、男性には強い精神力や権力を手にするご利益がある。
〇美しい朱色の社殿と回廊で有名な春日大社は、1998年に世界遺産に登録されている。
〇境内には60以上の摂社・末社があり、若宮15社めぐりや春日の燈籠など見所が豊富。〇 穏やかな気が流れる境内は、女性におすすめのパワースポットであり、多くの外国人も訪れる。

30万坪の広大な境内!しかし驚くことに明治新前は今の10倍

パワースポット!

原始林が広がる神山の三蓋山や草原の飛火野(とびひの)・御社頭・萬葉植物園・鹿苑などを含めた境内地は現在約30万坪と広大で、一之鳥居から社殿まで続く表参道も約1.4kmもありその大きさが伺える。

明治維新前にさかのぼれば、数多くの武将に庇護された春日大社は戦乱の世において一度も焼討ちに遭っておらず、国家鎮護の春日大神様として境内地は今の10倍の約300万坪に及んでいました。

しかし、都が東京となり明治迎えると春日山の花山と芳山が国へ上地されることとなり、境内は現在の広さとなっています。

都会の中にあって人と自然が共存するこの場所には、御神山の三蓋山から清らかな空気が流れ込み、人の心を落着かせてくれるそんなパワーが感じられます。

 

奈良公園!奈良だからこそできる貴重な体験

見所スポット!

奈良公園は、奈良市街の東側地域の総称で、その面積は660ヘクタールにおよび都市公園では国内では最大級です。

都市と自然と文化遺産が一体となった奈良公園は、春日大社の境内を含み、若草山や東大寺・正倉院・奈良国立博物館なども全てこの公園内に入ります。

中でも、奈良公園ならではの貴重な体験と言えば鹿と身近に触れ合えることです。

奈良公園の鹿の凄いところは、人間が飼育しているわけでなく、また、鹿はただ居るわけでもなく、人間と鹿とが共存しているのです。

都市のど真中に動物と人間が共存している場所は、世界を見ても奈良公園しかないと思います。
そんな凄い場所なんです。

そもそも何故、奈良の市街地に鹿が放たれているのか?

説によれば、奈良時代に平城京鎮護するため鹿島神宮(茨城)より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神として勧請する際、白い鹿に乗って奉還されたそうです。

奈良の鹿は白鹿の子孫と言うことで、それからは、神鹿(しんろく)として敬愛され、大切に保護し現在に至ります。

戦後の混乱期には、食糧難や野犬などで絶滅の危機に追いやられていましたが、現在は約1200頭程となり、奈良公園の重要な顔として観光客に親しまれています。

春日大社の創建と御祭神!本殿は平城京と同じ思想で建立

「春日大社」の始まりは、平城京遷都の際に、鹿島神宮より武甕槌命(たけみかづちのみこと)を三蓋山に御祀りしたことからで、その後の768年(神護景雲2年)十一月九日に、藤原房前の息子の藤原永手(ながて)により香取の経津主命(ふつぬしのみこと)と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(あめのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)を併せ、御蓋山の麓に四つの社殿を創建したことからです。

日本の古社 春日大社

通常、御本殿に行くには三条通を突き当った所にある、第一之鳥居から入り参道を歩いて第二之鳥居・南門へと進んでいきます。

第一之鳥居から本殿まで約1.4km程あり、普通に歩いて約20分位かかります。

途中に、見所も沢山ありますので時間が有れば立ち寄るのも良いですね。

参道沿いの名所

見所スポット!

御神木の影向の松(ようごうのまつ)・・若宮おん祭では、この松の前で「松の下式」が行われます。

勝敗榊(しょうはいさかき)・・若宮おん祭の競馬の決勝点。

飛火野(とびひの)・・東西に芝生が広がる場所で、御祭神が春日へ着くさい日が暮れたため火を灯したが、その火は消えず飛び回ったのでこの名前になったと伝えられる。

萬葉植物園(まんようしょくぶつえん)・・昭和7年に日本で一番古い萬葉植物園として開園。春日大社の社紋は藤の花であることから、約9000坪の園内には、20品種・約200本の藤の木が植えられています。

 

御本殿には4柱の御祭神を祀る朱色の4殿が色鮮やかで美しい!

パワースポット!

御本殿は、写真右から第一殿・第二殿・第三殿・第四殿となり、式年造替(しきねんぞうたい)制度によって二十年に一度、御殿の建て替が行われ今までに60回を数え、現在、平成19年の一ノ鳥居から造替が始まっていて平成28年の御本社御本殿の正遷宮をもって終了します。

本殿配置  御祭神:春日神(4柱の総称) 藤原氏氏神 勧請元神社 
第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 藤原氏守護神 常陸国鹿島の神(鹿島神宮)
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 藤原氏守護神 下総国香取の神(香取神宮)
第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 藤原氏の祖神 河内国平岡の神(枚岡神社)
第四殿 比売神(ひめがみ) 天児屋根命の妻 河内国平岡の神(枚岡神社)

 

ご本殿は、唐の思想に習った平城京と同様の考え方で建てられているため、南に正面を向き北が御本殿の背になる天子南面で建てられています。

色は鮮やかな朱色で施されており、これも平城京の大極殿(だいごくでん:朝廷の正殿)と同色となっています。

朱色は命の尊さを表す色で、「春日大社」は朱色を社殿に取り入れのが日本の中で最も早い神社の一つにあげられます。

<平城宮跡・大極殿>

「春日大社」は、奈良から明治時代の千年以上は「春日社」と呼ばれており、その後「官幣春日神社」となり、現在の「春日大社」と呼ばれるようになったのは戦後で、全国の春日神社の総本山であることからです。

社頭の大杉

パワースポット!

「社頭の大杉」は、中門の横にある樹齢約1000年とも言われる御神木です。

鷹さ25m・周囲8.7mの大木で、写真では見えませんが、この裏では一本の槙柏(しんぱく:伊吹といわれる)が斜めに伸びたため屋根に穴を開けて大切に保護しています。

1000年もの間生き続ける「社頭の大杉」のパワー強く、触れるだけで全てを浄化して貰える気がします。

本殿へ入る前に、一度立ち寄り御神木に触れ心の浄化してから、御祭神のご利益いただければ開運もアップするのではないでしょうか。

春日祭!古式ゆたかな祭は日本の三大勅祭の一つ

見所スポット!

「春日祭」は、平安時代の古式にのっとた例祭で、毎年三月十三日に宮中より天皇の勅使(ちょくし)をお迎えして行われます。

京都の賀茂祭(葵祭り:上賀茂神社・下鴨神社)石清水祭(石清水放生会:石清水八幡宮)と共に、日本の三大勅祭(さんだいちょくさい)の一つです

歴史は古く、奈良時代から行われてきた例祭ですが、現在のように盛大な「春日祭」となったのは、文徳(もんとく)天皇の時代の嘉祥(かしょう)二年(849年)で、毎年春の二月と冬の十一月の上の申(さる)の日に行われていました。

<春日祭は、中門前に高倉天皇が植樹した林檎の木(林檎の庭)を中心に行われる>

しかし、明治三年(1870年)に全国の神社の祭典の合一化によって年一回と変わりましたが、その後、明治天皇が明治十九年(1886年)に古い時代のものに戻され、この年の旧暦二月上の申の日が三月十三日であったため、以後この日を「春日祭」の祭日と定めました。

このような歴史から奈良市民は、「春日祭」を親しみをこめて「申祭(さるまつり)」ともよびます。

三月十日・十一・十二に前儀・十三日に本祭・十四日に後儀を古式ゆかしく行われます。

春日祭行事日程⇒こちら

「春日祭」勅使を迎えての儀(動画)

★御戸開之儀(みとびらきのぎ)・・御祭りにあたって御殿を開く重要な儀
★祓戸之儀(はらえどのぎ)・・二之鳥居内の祓戸神社にて中臣祓いを受ける儀
★御棚神饌(みたなしんせん)供進・・勅使みずから黒楉(くろもじ)の木の台にのせて、熟饌を本殿へ運ぶ式

祓戸神社!罪を祓ってくださる神がいる

パワースポット!

「祓戸神社(はらえどじんじゃ):末社」
は、第二之鳥居を入るとすぐ左手に見えます。

春日祭での勅使における祓戸の儀はこの神社の前で行われ、また、年々の大祓式もここで行われます。

御祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で祓いの神

犯した罪を改めて祈るとその罪をお祓いしてくださる、聖母様のような神様です。
自分が気ずいていない罪もあるかもしれません、是非、参拝しておきましょう。

 

若宮神社!奈良生まれの若く強い御子神様

パワースポット!

「若宮神社(わかみやじんじゃ)」は、本社南門から東南へ御間道(おあいみち)を歩いて約100mの所に鎮座しています。

「若宮神社」の始まりには誕生秘話があり、御本殿である第四殿の大床より3升ほどの水の塊りができ、その中から神様の化身が現れ第四殿内に入っていったのを中臣是忠が拝見したそうです。

その40年後、6歳の童子が神がかりとなり高く浮き上がり、「春日大明神は神饌(しんせん:お供え物)を受け入れない」とおっしゃられ、神よりの御加護はないことを知った者たちは大騒ぎとになり、新しく誕生された五所王子(ごしょのみこ)に神饌がお供えしていなかったことにきずきます。

それまでは、比売神(ひめがみ)の子として第四殿の相殿とし、一緒に神饌をお供えしていたのですが、子供が大きくなるのと同じようにその時期は過ぎていたのです。

そして、御本殿の第二殿と第三殿の間の「獅子の間」に五所王子を奉祀して、神饌を丁寧にお供えしました。

その後も、丁重に御祀りしましたが、天災や飢餓・疫病が流行るようになり、神霊新たかな春日の若宮様の御加護を得るために新しい御殿の建設に入り、保延元年(1135年)2月27日完成し本殿東南に御遷座されました。

これが若宮社で、若宮本殿は本殿の第一殿とほぼ同じ大きさで大宮(本殿)と若宮は同格とされています。

「若宮神社」の御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)」で、第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神(みこがみ)です。

「天押雲根命」は生命の根源である水から生まれたため、生命力や知恵のご利益が授かります。

春日若宮おん祭!約900年間途切れずに続く贅をつくす大祭

見所スポット!

「春日若宮おん祭」は、若宮の御祭神(天押雲根命)のお祭で、若宮本殿が創建された次の年の保延二年(1136年)九月十七日に、若宮の御神助を願って五穀豊穣・天下泰平・万民和楽(全ての人が和やかに楽しく過ごせる事)を祈願し始められたものです。

当時、洪水や飢餓・疫病が流行っており政情も不安定であったため、水神の力を持つ若宮様の力が必要であったのです。

おん祭を開始してからは晴天が続き、人々の不安や同様は収まり、以後900年弱の間途切れることのなく毎年十二月十七日に行われれる贅を尽くした大祭です。

若宮おん祭行事日程⇒こちら

 

若宮15社めぐり!神々をまわれば一生の苦難を助けて下さる

※円形外側のピンク色は、納礼社名で円形内側の黄色は御神徳。

パワースポット!
「若宮15社めぐり」
とは、若宮神社の若宮様を中心に、人が一生を送る間に起こるさまざまな難関・難所・試練をお助けをして下さる神様が集まって鎮座しており、その神社15社を順番に参拝して自身の人生をたどりながら一生安泰を祈願するものです。

若宮15社めぐり手順

順路

1.「夫婦大國社」で、15社めぐりの受付を行います。
受付用紙をいただき名前・住所・電話番号・生年月日を記入し、初穂料1,000円を添えて申し込みます。

2.各神社・遥拝所に収める15枚の玉串木札の入った袋をいただきます。

3.「夫婦大國社」近くの手水舎で体と心を清めます。

4.納礼社の一番は若宮神社で、次に一童社(三輪神社)と続き15社全てを参拝します。(順番は下記参照)

5.15社全て満願すると15社最後の礼拝所となる「夫婦大國社」で「おしるし」がいただけます。
「おしるし」は、「若宮15社の御朱印」と「夫婦大國社」の御祭神である大国主命の「福杓字と福小槌」のお守り。

 

順番 納札社 御祭神 御利益
第一番 若宮(わかみや)神社 天押雲根命(あめのおしくもねのみこと) 正しい知恵
第二番 一童社(三輪神社)   少彦名命(すくなひこなのみこと) 子孫繁栄・子の成長 
第三番 兵主(ひょうす)神社   大巳貫命(おおなむちのみこと)  延命長寿
第四番  南宮(なんぐう)神社  金山彦神(かなやまひこのかみ)  金運守護
第五番 広瀬(ひろせ)神社   倉稲魂神(くらいなたまのかみ)  衣食住の守護
第六番  葛城(かつらぎ)神社  一言主神(ひとことぬしのかみ)  心願成就
第七番 三十八所神社 
(さんじゅうはっしょ)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと) 
 正しい勇気と力
第八番 佐良気(さらけ)神社   蛭子(ひるこのかみ)神:えびす神 商売繁盛・交渉成立 
第九番  春日明神遥拝所
(かすがみょうじん)
 春日皇大神(かすがすめおおかみ)  ひらめき
第十番  宗像(むなかた)神社  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 諸芸発達 
第十一 紀伊(きい)神社  五十猛命(いたけるのみこと)
大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
抓津姫命(つまつひめのみこと) 
命の根源を守る 
第十二 伊勢神宮遥拝所 
(いせじんぐう)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ) 
天地の恵みの感謝所 
第十三 元春日 枚岡(ひらおか)
神社遥拝所 
天児屋命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ) 
 延命長寿
第十四 金龍(きんりゅう)神社   金龍大神(きんりゅうおおかみ) 開運・財運の護守 
第十五 夫婦大國社
(めおとだいこくしゃ) 
大国主命(おおくにぬしのみこと)
須勢理姫命( すせりひめのみこと)
良縁・夫婦円満
福運守護 

 

若宮15社めぐりは、本殿参拝後に必ず訪れたい大人気のパワースポットです。

自分の歩んできた人生を振り返り、これからの人生の中であるであろう試練や苦悩を少しでもより良いものにするため、15社満願で自分の一生を開運へと導いて見てはいかがでしょうか。

 

末社で人気の開運スポット!

夫婦大国社!縁結びから夫婦まで男女の願いが叶う

パワースポット!

「夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)」は、若宮15社めぐりで最後の礼拝所となっており、御夫婦の大国様を祀っている日本唯一の神社です。

御祭神は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「須勢理姫命(すせりひめのみこと)」で、御厨子(みずし:仏像をあんちする仏具)に二人の彫刻像を安置しお祀りしたことが始まりです。

縁結びや夫婦円満・家内安全など男女に関するものにご利益があります。

夫婦大国社では、古くはしゃもじに願い事を書いて奉納していましたが、今ではハート型のピンクの縁結び絵馬も登場しています。

金龍神社!今人気の金運スポット

パワースポット!

「金龍神社」は若宮社の末社で、15社めぐり14番目の神社です。

南北朝時代の後醍醐天皇ゆかりの神社で、金龍名は天皇の御座所の禁裏(きんり)が発音がなまり「きんりゅう」になったと言われています。

御祭神は「金龍大神」で、開発・発達の神であるが最近では金龍名から金運や財運の神様として知られるようになり、15社を巡らずこの一社を目当てに参拝に訪れるという人気の金運スポットです。

白乳神社と赤乳神社!名前だけで女性のご利益が想像できる

パワースポット!

夫婦大国社の東側、礼拝所5番と6番の間に遥拝所が設けられ、社は境内南側の能登川沿いに鎮座します。

古くは、和歌山県の淡島(あわしま)神社とあったとされ、「白乳(しらち)神社」御祭神は志那斗弁神(しなとべのかみ)で、女性の腰から上の治してくださる神様

「赤乳(あかち)神社」御祭神は稚日咩神(わかひめのかみ)で、女性の腰から下を治して下さる神様です。

女性なら、15社めぐりの途中に訪れれば病気も安泰のパワースポットです。

 

春日大社の灯篭!その数驚きの3000基は歴史の証し

見所スポット!

「春日大社」は、通称「お春日さんの万灯篭」とも呼ばれるだけに、「灯篭」は境内と御本殿を合わせるとその数は約3000基もあると言われ、その内訳は境内に2000基の石灯篭、御本殿には1000基の釣灯篭があります。

神社仏閣の中でも、「春日大社」は数多くの灯篭を置いた最初の神社で、その後、全国の社寺に広がっていきました。

「春日大社」は、奈良で一番明るいところと言われ時代があり、3000基の灯篭の灯りは、幻想的で境内そのもを示す神聖な聖域となっていたのです。

言い伝えによれば、「一日で灯篭の数を正確に数えることが出来たなら長者様になる」と言われています。

約3000基の内、多くは商人や一般からの寄付で約8割を占めており、一部は貴族や武士などの有名な灯篭もあります。

灯篭が多種多様に揃う「春日大社」は、奈良時代から現在に至る歴史を灯篭により垣間見ることができ、また、時代における技巧の素晴らしさが伺える唯一の場所です。

3000基の灯篭が灯され幻想的な世界「中元万灯篭」

パワースポット!

「中元万灯籠(ちゅうげんまんとうろう)」は、石灯篭約2000基と釣灯篭約1000基の計約3000基が一斉に灯される幽玄で美しい神事で、年に2月の節分と8月14・15両日の夜7時から9時半まで行われます。

夜の静けさと暗闇の中に浮かぶ灯篭の火は、幻想的な優美な世界へと導いてくれます。

また、その前の夕方には「林檎の庭」にて、庭火を焚いて神楽や舞楽の奉納があります。

この時期に行けない人には、万灯籠を再現した「藤浪之屋(ふじなみのや)」で気分を味わうことができます。

江戸時代に神職の詰所であった「藤浪之屋」が開放され、多くの釣灯篭が灯されてます。

 

「砂ずりの藤」見頃には紫の花が2m以上も下がり地面を舞う

見所スポット!

は、「春日大社」の社紋であるため大事にされています。

社殿西回廊側の慶賀門を入ると棚が作られ藤の木があります。

この藤は、「砂ずりの藤」と呼ばれ、花の房が六から七尺ほど下がることからこの名が付けられ、摂関近衛家より奉納されたと伝えられる樹齢700年以上の名木です。

5月初旬が見頃となる藤なので、何時も見れるわけではありませんが、ゴールデンウィークに参拝されるのであれば立派な下藤の花が咲きますので、見落とさないようにしましょう。

 

「春日大社」の詳細情報

【春日大社】

所在地 〒630-8212
奈良県奈良市春日野町160
TEL:0742-22-7788
FAX:0742-27-2114
公式ホームページ⇒http://www.kasugataisha.or.jp/
参拝時間 【開門時間】
夏期(4月~9月)6:00~18:00 冬期(10月~3月)6:30~17:00
本殿前特別参拝は、8:30~16:45(初穂料500円)

【国宝殿】 <旧称春日大社宝物殿>
10:00~17:00(入館は16:30まで)
一般/500円・大学生・高校生/300円・中学生・小学生/200円

【萬葉植物園】
3月~11月 9:00~17:00(入園は16:30まで)
12月~2月 9:00~16:30(入園は16:00まで)
大人 /500円・小人 /250円

アクセス

【電車とバス】
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(春日大社本殿行:約12分)
        ⇒春日大社本殿下車
JR奈良駅(東口)⇒奈良交通バス(市内循環内回:約13分/外回:約8分)
        ⇒春日大社表参道下車⇒徒歩(約10分)

【マイカー】
名神高速道「京都南IC」⇒京奈和自動車道経由(約60分)
京奈和自動車道「木津IC」⇒県道754号線経由(約7km:約20分)
第2阪奈有料道路「宝来IC」⇒東方面へ(約8km)

【駐車場】
バス・乗用車合わせて100台(車駐車料金1,000円/1日)
利用時間:2月~11月(7:30~17:00)・12月~1月(7:30~16:30)

お宿情報  >>春日大社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地  平城宮跡・奈良公園・若草山山頂・萬葉植物園・東大寺・氷室神社・元興寺

 

<春日大社周辺マップ>

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秩父「聖神社」金運のパワースポット! 宝くじ高額当選者の声がずらり https://kaiun.website/archives/2602 Sun, 11 Jun 2017 01:47:43 +0000 http://kaiun.website/?p=2602

「聖神社(ひじりじんじゃ)」は、埼玉県秩父市黒谷の和銅山山麓に鎮座し、和同開珎のモニュメントが拝殿横に置かれたユニークな神社です。

日本初の流通通貨の和同開珎(わどうかいちん)発祥の地として有名となり、地元では「銭神様」と呼ばれ、近年ではテレビで取り上げられたこともあり、金運上昇や宝くじ祈願・ビジネス開運を願って多くの人々が訪れるパワースポットとなっています。

ここから約600m(歩いて約15分)程先に、大きな和同開珎のモニュメントのある「和銅露天掘り跡」に行って、持ち金全部を川で洗い、その後に本殿へ参拝するのが良いとされ、スピリチュアルで最大のご利益を得る方法でもあります。

そんな、今人気の金運UPスポット「聖神社」をご紹介致します。

自然銅を主神として祀ったことが「聖神社」の始まり

慶雲5年(708年)に、武蔵国秩父郡から自然銅(ニキアカガネ)が発見され、第43代元明天皇へ献上すると喜んだ天皇は元号を「和銅」と改め、鋳造により日本初の流通通貨「和同開珎」が誕生しました。

そして、この神社の始まりは自然銅の発見を記念して、祝山(はうりやま)に神のよりしろとして神籬(ひもろぎ)を建て自然銅を主神として祀ったことからで、創建は和銅元年の二月十三日です。

また、自然銅の発見地はこの神社の周辺であると伝わっています。

その後、自然銅を神体とし、今の主祭神が合祀されました。

聖神社の五神

「聖神社」の主祭神
金山彦命(カナヤマヒコノミコト)
国常立尊(クニノトコタチノミコト)
大日孁貴尊(オオヒルメノムチノミコト)
神日本磐余彦命(カンヤマトイワレヒコノミコト)
を四柱に元明金命(ゲンメイカガミノノミコト)を合祀した五神
主祭神名 神格 ご利益
金山彦命(カナヤマヒコノミコト) 鉱山・鉱物の神 金運
商売繁盛
国常立尊(クニノトコタチノミコト) 国土形成根源の神 開運招福
国土安泰
大日孁貴尊(オオヒルメノムチノミコト:天照大神) 太陽神 子孫繁栄
国土安泰
神日本磐余彦命(カンヤマトイワレヒコノミコト:神武天皇) 軍神・農業神 開運将来
延命長寿
元明金命(ゲンメイカガミノノミコト:元明天皇) 女性天皇 金運招福
仕事運

「聖神社」のご利益スポット!境内と本殿参拝

「聖神社」の場所と駐車場

「聖神社」は、秩父鉄道の「和銅黒谷駅」を下車後5~6分歩いた所にあります。
車で東京方面からですと国道299号線を秩父方面に進み、上野交差点を右折し国道140号線に入り約15分です。

神社下には約10台ほどの無料駐車場があります。

2つの階段を上がれば境内

境内までは、若干急な階段となっていますが距離はさほどないので苦労はしないと思います。
一段目の階段を上れば鳥居があり、二段目の階段までは平坦な参道になっています。

 

二段目の階段の右手前に手水舎があり、ここでお清めして本殿へ向かいます。

拝殿横の和同開珎のモニュメントが目を引く

二段目の階段を上れば境内となり、そんなに広さはなくこじんまりとしていますが、神社特有の静けさと清い空気感があり赤朱色の拝殿と横に飾られた大きな和同開珎のモニュメントが目を引きます。

「聖神社」の本殿・拝殿は、昭和38年(1963)に秩父市中町の「今宮神社」本殿から移築したもので、旧本殿は本殿左脇に鎮座する「和銅出雲神社」となり大国主命を祀っています。

「聖神社」の聖とは、「この上なく耳聡く口すべらかな」(何を言ってもそのことをよく理解してくれ、人の心に染み入る言葉をかけてくれる神)の意味が込められているようです。

4月13日には、春季例大祭が行われ「黒谷の雨乞ササラ」と呼ばれている獅子舞が、大祭後に奉納されます。

御朱印やお守りの頂き方が特徴的

この神社の特徴的なのは、拝殿に並べられた御朱印やお守り等です。
普通は、社務所で授かる御朱印(300円)やお守りですが、料金箱に初穂料を入れていただくセルフサービス形式となっています。


御朱印帳や絵馬・お守り・開運グッズのほとんどに、黄色やゴールドが使われていて金運を予感させる。

現本殿は「今宮神社」から移築されたもの

「今宮神社」から移築された現本殿は、宝永6~7年(1709~1710)の江戸中期に建立されたもので、一間社流造銅板葺の本殿と入母屋造銅板葺の拝殿からなっており、彫刻に桃山期の遺風を残す。

江戸中期の優れた建物として、昭和40年(1965)に秩父市有形文化財(建造物)となっています。

横から見ると和同開珎のモニュメントは意外と薄い。

「和銅出雲神社」は縁結びのパワースポット!

本殿左側には、旧本殿の「和銅出雲神社」が見えます。

一間社流造銅板葺造りの「和銅出雲神社」は、昭和39年に旧本殿を移築したもので大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られています。

大国主命は、縁結びの神として全国の神社に祀られており、代表的な神社が島根県の「出雲大社」です。
別名が大国さんですから、縁結びの他に商売繁盛や五穀豊穣・子宝・夫婦和合などのご利益が授かるパワースポットでもあります。

https://kaiun.website/archives/87

本殿の金運参拝と共に、縁を結ぶもの全てにご利益がありますので必ずお参りしておきましょう。
金運であれば、より金運縁を上昇させてくれるはずです。

11月3日の「和銅出雲神社」の例祭にも、「黒谷の雨乞ササラ」の獅子舞が奉納されます。

宝くじ・ロトの高額当選者多数!感謝の言葉がズラリ!

本殿左横には、宝くじやナンバーズ・ロトなどで当選した方々が、お礼参りに来た際の感謝の言葉がずらりと並んでいます。

 

目を引くのがサマージャンボの一等2,000万円です!
他にも、ロト6で2回目当選で632,300円や競馬で的中率が上がったなど多数の当選者がでています。

ざっと見て70件ほどはあるでしょうか、これもご利益のおかげなんでしょうね。

足を運んでお願いをすれば、神様も「わざわざ遠い所まで来てくれたからお願いを聞いてやろう」とご利益を授けたのでしょう。

今、金運に恵まれないなぁと思っている人は、参拝に訪れて見る価値があるパワースポットのようです。

御神木に手を触れ開運パワーをあやかる!(境内)

境内には、2本の杉の木が仲の良い夫婦のように寄り添いそびえ立つ御神木があります。

御神木に手を触れパワーをいただきましょう!
金運上昇はもとより、夫婦円満・夫婦和合・子宝などのご利益が授かります。

和銅鉱物館に祀られる「聖神社」の御神宝

「和銅出雲神社」の前側に「和銅鉱物館」があり、ここには自然銅と共に世界の和銅に関連する350点もの鉱石類が展示されています。

また、秩父市内の小学校から出土した和同時代の遺物である「蕨手刀(わらびてのとう):柄頭が蕨の曲がり形に似た刀」も展示されています。

「和銅鉱物館」には、「聖神社」の御神宝として「和同開珎」と創建当時に採掘された13個の和銅石の内、大小2個と鎮座祭に元明天皇より賜った「銅製の蜈蚣(ムカデ)」雌雄一対が祀られています。

蜈蚣は百足と書かれ、文武百官を遣わすところ百足に代えて参列したとの意味が含まれており、銅の採掘穴を百足穴と呼ぶことや、鉱業も長く栄えることでお金も潤うなどに由来するともいわれます。

和銅遺跡にある巨大な和同開珎のモニュメント!

「和銅採掘露天掘跡」へは、「聖神社」の階段を下り左手に向かいます。

途中3ヶ所に指導標があり、目的地までは歩いて約15分程です。

 

指導標とのぼり旗が見えたら、ここを下り「露天掘跡」までは約200mです。

少々急な階段を下って行きます。

緑溢れる森を森林浴と自然の爽やかの空気を味わいつつ、少し歩けば「露天掘跡」が見えてきます。

ここには、和同開珎発祥の証しとして高さ5メートルもある「和同開珎」を模したモニュメントが建てられています。

和同開珎の円は「天」をあらわし、四角が「地」をあらわしていて、人々が集まり仲良く暮らす良い国となるよう記念して造られたそうです。

写真ではわかり難いですが、かなり大きなものです。

モニュメントの横に流れる小川は、銅洗堀(ドウセンボリ)と言われ、ここで持ち金を全部洗って「聖神社」の賽銭にしたり、宝くじやロト・馬券などを購入すると良く当ると言われています。

なので、先にこの「露天掘跡」を訪れ、「聖神社」への参拝が最もご利益をいただける順路となります。

 

通販でも買える開運グッズ

開運グッズは、拝殿で授与できますが通販でも購入可能です。

「聖神社」の開運グッズを取り扱っているのが、神社より1.5km程離れた場所にある栗助本店です。
「栗助」は、秩父の和菓子や洋菓子を作るお土産やさんです。

このお店の代表的なお菓子が栗助で、甘さ控えめの白餡と栗一粒のお饅頭です。

開運グッズは、店舗でも購入できますし通販も行っています。
詳しくは、栗助公式ホームページへ⇒秩父菓子処栗助

 

まとめ

秩父・「聖神社」は、テレビで紹介されてから連日賑わいを見せる金運神社です。
境内はこじんまりとしていますが、拝殿横には70近くもお礼の言葉が並ぶようにご利益は高いようです。

森林浴を浴び自然に触れながら「和銅遺跡」の見学、そして金運上昇を願い「聖神社」の参拝と二つの楽しみ方が出来るスポットです!

ドライブをかねて、ご家族で訪れて見ても良いと思います。

秩父「聖神社」の詳細情報

【聖神社:和銅遺跡】

所在地 <聖神社>〒368-0001
埼玉県秩父市黒谷2191
TEL : 0494-23-5631 (秩父市和銅保勝会)
<和銅遺跡>〒368-0001
埼玉県秩父市黒谷1918
0494-23-5631 (秩父市和銅保勝会)
公式ホームページ⇒http://www.wadoh.co.jp/wado1300/index.htm
参拝時間 参拝は時間自由
アクセス

電車:JR東京駅(上越新幹線or高崎線)~熊谷駅乗換
秩父鉄道(三峰口行)~和銅黒谷駅下車~徒歩約5分

マイカー:東京方面から(関越自動車道)~花園ICで降り
R140号~途中、皆野寄居有料道路を経由して約30分
駐車場:神社入口10台(無料)他にも有り

お宿情報 >>秩父・聖神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地  三峰神社・秩父神社・長瀞渓谷・橋立鍾乳洞・丸神の滝

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「下鴨神社」癒しの森を通って縁結び!7つのパワースポットでご利益 https://kaiun.website/archives/2504 Mon, 08 May 2017 09:10:11 +0000 http://kaiun.website/?p=2504

「下鴨神社(正式名:賀茂御祖神社【かもみおやじんじゃ】)」は、京都で最も清らかで尊導きの神様としてのご神徳を持ち、縁結びのご利益を頂けるパワースポットとして女性に大人気の神社です。

京都の最古の神社である「下鴨神社」は、紀元前から神々のおられる地で山城国一ノ宮として崇められ、JFA(日本サッカー協会)のシンボルである3本足の八咫烏(やたがらす)の伝説や七不思議など話題も豊富で、浄化・必勝・開運・子宝・美容・縁結びなど様々なご利益を頂ける神社です。

そんな「下鴨神社」に訪れたら、是非、行って欲しいパワースポットをご紹介します。

癒しの空気が流れる広大な「糺の森」

おすすめパワースポット!

「下鴨神社」の正式な参拝は、出町から賀茂川に架かる葵橋を渡り、十二万四千平方メートルの広大な「糺(ただす)の森」から表参道を社殿方面の北へと歩いて行くのが正しいとされています。

その理由は、社殿参拝と共に平安時代以前の原生林をそのまま残し、古代より精霊が住むとされる糺(ただす)の森を訪れ歩くことが身を清め心を癒してくれるからです。

表参道の両脇には、瀬見の小川と泉川が流れ、静かなせせらぎと共に癒しの空気が流れ込んでくるパワースポットです。

「下鴨神社」境内マップ

http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 

メイクをすれば美人のご利益が得られる絵馬

人気スポット!

糺(ただす)の森の中、「下鴨神社」の境内に入り少し歩くと左側に「河合神社」が鎮座します。
この神社には、日本一美しいと言われる神様の玉依姫命(たまひめのみこと)が祀られています。

「河合神社」には、美人になるとされる絵馬の「鏡絵馬」があり、訪れた女性のほとんどが美のご利益を頂くため奉納しています。

手鏡に似せ顔が描かれた鏡絵馬に、自分の美しくなった顔を想像し、自分の持っているメイク道具で絵馬の顔にメイクします。(メイク道具が無い人には、色鉛筆が借りられます。)

裏には願い事を書き、出来上がった絵馬は飾られ、後日お焚上げが行われます。

女性の美への憧れは昔も今も同じ、美人になれるなら「鏡絵馬(初穂料800円)」メイク挑戦しておきたいですね!

「河合神社」は、古くから安産や育児など、女性ならではの願い事を叶えてくれる神社として信仰されています。

サッカー必勝の神様を祀る任部社

おすすめパワースポット!

「河合神社」の奥には、日本サッカー協会のシンボルマークである八咫烏命(やたがらすのみこと)を祀る「任部社(とべしゃ)」が鎮座します。

専女社とも呼ばれ、「河合神社」の創祀(そうし)と同時期から祀られている古いお社です。

八咫烏は三本足を持つ鳥で、初代天皇である神武天皇の東征の際に、黒い衣をまとって道案内をした八咫烏賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされてます。

この導き勝利の功績によって、天皇より八咫烏の称号が与えられた言われています。

御祭神である八咫烏命の御神徳により、勝利・武芸上達・交通安全・旅行安全のご利益が得られます。

 

ちょっと変わった参拝方法で縁結びのご利益が凄いご神木!

おすすめパワースポット!

縁結びのご利益が高いと評判のパワースポットが、境内にある「下鴨神社」の末社の「相生社(あいおいしゃ)」です。

「相生社」は、桜門のすぐ手前にあり、神皇産霊神(かむむすびのかみ)を祀るお社で、隣には神様のご神徳で結ばれたと言われる霊木「連理の賢木(れんりのさかき)」が立っています。

根元は2本に分かれた別の木が、途中で一つに結ばれた珍しい木で、縁を結ぶ力が強くて一つに成った言われ、夫婦和合を表しています。

又、現在の「連理の賢木」は四代目で、不思議なことにに寿命が来ると、糺(ただす)の森のどこかに自然と跡を継ぐ霊木ができるそうです。

そのため、「連理の賢木」は京の七不思議にも数えられパワースポットです。

他とは違う特徴的なここの参拝作法!

絵馬(初穂料500円)に願い事を書く。

絵馬の赤と白の糸を良縁の願いを込めて結ぶ

絵馬を持ち「相生社」の正面へ。

「連理の賢木」の周りを男性は右回り(時計方向)、
  女性は左回り(反時計方向)
に願い事を唱えながら回る。

まず、2週して3周目に後ろの絵馬掛けに絵馬を奉納します。

お社の正面に戻って、二礼二拍手一礼で参拝。

「連理の賢木」の正面より御生曳き(みあれびき)の綱を2回引いて終わり。

「縁結びや子宝・安産・家内安全・夫婦円満など縁を結ぶもの」のご利益を授かります。

 

可愛いと評判の女性に大人気の「媛守」

人気スポット!

中門横の授与所には、女性に大人気のちりめん生地の「媛守(ひめまもり)」があります。
ちりめん生地で作られたこのお守りは、女性用のお守りです。

一つとして同じ絵柄はなく、小振りでデザインも可愛いので、「下鴨神社」では評判の人気お守りです。

 

干支の守護神からご利益が得られる7つのお社

おすすめパワースポット!

舞殿の裏の中門を入ると社殿に向かって左側に3つ、正面に2つそして右側に2つ、合計7つのお社が鎮座します。

このお社は、「言社(ことしゃ)」で、大国主命の略称から大國さんとも呼ばれ人気のパワースポットです。

大国主命は、働きによって7つの名前があり、その名前事に7つのお社があります。
十二支の守り神を祀っており、それぞれのお社にご神徳があることから古くから多くの人に信仰されています。

7つのお社詳細

言社名 社名 神名 干支のお社とご神徳
一言社 東社 大国魂神
(おほくにたまのかみ)

巳歳の守護神
(国土創生と大地の神で、命の躍動の象徴)
未歳の守護神
国土創生と大地の神)

  西社 顕国魂神
(うつしくにたまのかみ)

午歳の守護神
(国土の守り神で物事をうまく運び営む力の神)

二言社 北社 大国主神
(おおくにぬしのかみ)
子歳の守護神(国づくりと縁結びの神)
  南社 大物主神
(おおものぬしのかみ)
丑歳の守護神(物を司り神仏のお使いの神)
亥歳の守護神(物を司り力を与える神)
三言社 北社 志固男神
(しこのかみ)
卯歳の守護神(天下一の強者で力の神)
酉歳の守護神(天下一の強者で希望のシンボルの神)
  中社 大巳貴神
(おほなむちのかみ)
寅歳の守護神(国づくりや医薬の神)
戌歳の守護神(国づくりや医薬の神)
  南社 八千矛神
(やちほこのかみ)
辰歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神で天子の象徴の神)
申歳の守護神
(邪悪を断ち切る武勇に優れた神)


言社の参拝方法は、まず自分の干支、それから今年の干支を参拝
することで一度に多くのご利益が頂けます。

 

酉歳には特に参拝したい必勝・開運の本殿

http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka

社殿は、神社形式の代表的な形式で建てられ東西の本殿は国宝に指定され、「下鴨神社」は世界文化遺産でもあります。

平成27年には、21年に一度、社殿を修復する34回目の式年遷宮が行われました。
元来、式年遷宮はご神体を除く建物、社殿を造り替えるものですが、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されているため江戸時代以降は修復にとどめられています。

通常、本殿は言社の前の幣殿からしか拝めず、参拝はここで行います(上記写真)。

「下鴨神社」は賀茂建角身命とその娘の玉依媛命の二人をお祀りする神社

おすすめパワースポット!

ご本殿は、「下鴨神社」で最強のパワースポットです。

御本殿 御祭神
西本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと) 

 

<御本殿:西と東に分かれている>

「賀茂建角身命」は、神話で八咫烏に化身して重要な役割を担った神様のため、酉年には特に参拝をお勧めします!

「玉依媛命」の玉依(たまより)は、霊憑(たまより)からきているとされ、神に仕える巫女(みこ)のことだと言われています。
巫女の役割と共に子供を生む力など女性に関する総称でも有り、玉依媛命の祀られる神社は水と深い関係があることから、水や縁にも強いご神徳を持っています。

又、玉依媛命が鴨川の上流で流れ着いた丹塗りの矢を祀っていたところ、美しい男神となったため結婚したと伝わる。
二人の間に生まれた子供が、現在の「上賀茂神社」の祭神である賀茂別雷大神(かもべついかずちのおおかみ)です。

御祭神 ご利益
賀茂建角身命 導びきの神・勝利の神・方除・厄除け
入学・受験合格・交通・旅行・操業の安全
玉依媛命 縁結び・子宝・安産・育児・開運・方位除け
商売繁盛・豊作豊漁・災難除け

 

みたらし団子は「御手洗社」の井戸の泡から生まれた

みたらし団子は、「下鴨神社」が発祥の地です。

境内奥の東本殿側にある、「御手洗社(みたらししゃ)」の下には井戸があり、井戸から湧き出る白い泡を見て、みたらし団子が考えられたと言われています。

ここに来たら、是非、食べておきたいみたらし団子ですが、昔は神前に供えてご祈祷後、家に持ち帰っていただいたそうです。

上記写真でもわかるように、串に5つのお団子が付いていますが、1つ目から2つ目の間が少し離れているのが特徴的です。

みたらし池の湧きあがる白い泡が、1つ浮き少し経ってから2つ3つ4つと泡が湧き出る様子を表して作られたためで、人間の五体を表しているともいわれ縁起物です。

西参道にある「加茂みたらし茶屋」が人気のお店で、焼いて焦げ目をつけた米粉の団子に、蜜のたれをスプーンですくい、団子にたっぷりつけていただきます。

加茂みたらし茶屋
住所 京都府京都市左京区下鴨松ノ木町53
営業時間 9時30分~19時(定休:水曜日)
メニュー みたらし団子(3本420円)
わらび餅(550円)
磯巻(620円)

 

おすすめパワースポット!

「御手洗社」は、みたらし川から湧き出る井戸の上に建っていることから「井上社」とも呼ばれ、お祓いの神様の「瀬織津媛(せおりつひめ)」をお祀りしています。

南側に御手洗川が流れ、そこからお社の下を通って、前側にある「みたらし池」と続いており、この池を舞台に毎年土用の丑の日に「みたらし祭(別名:足つけ神事)」が催されます。

<みたらし池に架かる輪橋>

昔から、神の池「みたらし池」で手や足を洗い、罪や穢(けが)れを祓い落とし、病気を厄払いする夏のお祭りです。

「みたらし池」は、普段流れない水が、土用の丑の日は池から湧いてくるといわれ「鴨の七不思議」の一つになっています。

「さざれ石」生命力の象徴で神霊の宿る石

おすすめパワースポット!

南口鳥居を入った直ぐ左側には、神霊の宿る石「さざれ石」があります。

「さざれ石」とは、小さな石という意味があり、石灰石が長い年月をかけて雨水により溶けて固まり、岩石へとなったものです。
年月と共に成長する「さざれ石」は、神霊が宿る石とされています。

又、「さざれ石」を詠んだ古今和歌集があり、日本の国家の原典となっている。

古今和歌集<古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題しらず、読人しらず、国歌大観番号343番>
「我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

そして、日本の国家の「君が代」
「君が代は 千代に 八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」です。

違いは、初めの部分だけですね!

「さざれ石の 巌となりて」は、石に宿る力、生命力は永遠で小さな石も大きくなることを表し、石には神霊が宿る神聖なものとして昔から崇められてきたのでしょう。

 

3つの的を神馬一体で打ち抜く勇壮な祓い清めの神事

糺の森に設けられた500mの馬場に100m間隔で3つの的が置かれ、公家装束をまとった射手(いて)が勇ましく駆けながら、馬上から厄けの「イン、ヨー(陰、陽)」の掛声と共に次々と矢を放ち、50cm四方の的を射る「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」は、勇壮でその光景は平安時代にタイムスリップしたような感覚にもなります。

「流鏑馬神事」は毎年5月3日に行われ、「葵祭(あおいまつり)」が安全に行われるよう祓い清めるための神事で、約2万人もの多くの人が集まる「下鴨神社」の人気の行事です。

的に当たれば、豊作や諸願成就のご利益が得られ、 当たり的は縁起物として授与されるそうです。

年によっては、勇敢な女性や中学生の射手も登場します。

葵祭

「葵祭(正式名:賀茂祭)」は、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つで、下鴨神社(賀茂御 祖神 社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)の例祭。

♦王朝絵巻さながらの衣装をまとった総勢500名以上の人が行列をなして、 京都御所から出発し、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かうお祭り。

8キロに渡る沿道には、約8万人以上の人が集まり華麗で優雅な平安王朝絵巻に見入ってしまいます。

 

下鴨神社の詳細情報

【下鴨神社(賀茂御祖神社)】

所在地 〒606-0807
京都府京都市左京区下鴨泉川町59
TEL: 075-781-0010
公式ホームページ⇒【下鴨神社】
参拝時間 開閉門時間:夏は午前5時30分~午後6時
      冬は午前6時30分~午後5時
大炊殿拝観:午前10時~午後4時迄
ご祈祷:午前9時~午後4時迄
アクセス

市バス:京都駅(4or205系統)~下鴨神社前下車
(糺ノ森を歩くなら葵橋西詰バス停下車)

電車:JR京都駅(JR奈良線)~東福寺駅(京阪電車に乗り換え)
   ~出町柳駅下車(徒歩約13分)

電車・バス:京都駅(地下鉄鳥丸線)~北大路駅(市バス1or205系統)
      ~下鴨神社前下車(所要時間約40分)

マイカー:名神高速京都東インター下車(三条通経由約30分)
     名神高速京都南インター下車(河原町通経由約31分)
駐車場:境内西駐車場(300台有料30分/200円)

お宿情報  >>下鴨神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】  
周辺観光地  上賀茂神社・京都市動物園・京都国際マンガミュージアム
六角堂頂法寺・京都国立博物館・京都御所 

 

<下鴨神社周辺マップ>

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「米子城跡・鳥取」絶景スポット!山頂の眺望は360度の大パノラマ https://kaiun.website/archives/2416 Sun, 02 Apr 2017 02:03:58 +0000 http://kaiun.website/?p=2416

鳥取県の米子市に、天守閣跡の山頂から望めば市街を360度の大パノラマビジョンで堪能できる絶景ポイント「米子城跡」があり、城跡は国史跡に指定されています。

建物は残っていませんが、本丸石垣など城郭の形をとどめた城跡で、お城があった頂上には天守の礎石が残されています。

本丸エリアまで登って来た時、最初に見える立派な石垣は美しく、大きさに圧倒されます。
城跡の中でも、ここまで原型をとどめている石垣は少なく貴重で、かつてのお城の姿を創造させる。

「米子城跡」は、JR山陰線米子駅から比較的近い場所にあり、タクシーで5分弱、歩いても約20分程で行け、そこから山頂までは約15分ですので1.5~2時間位あれば、城跡と素晴らしい景色の両方を満足することができる観光ポイントで、春には桜の美しい名所として隠れスポットにもなっています。

標高90mの湊山(みなとやま)山頂に、山陰で最初に築城された米子城は、天守のある本丸を中心にした典型的な平山城で、高さ20mの五重の天守閣と高さ15mの四重の副天守閣を持った山陰随一の名城であったいわれています。

米子城は別名「久米城」と呼ばれ大小二つの天守閣を持つ壮麗な名城

上記の米子城絵図で、当時は山頂に四層五重の天守閣と四重櫓(しじゅうやぐら)の副天守閣の二つの天守を持っていた壮麗なお城であることがわかります。

二つの天守を持つものは、全国でもまれで希少なお城であったといえます。


米子城の配置

標高90mの湊山山頂には、総石垣の本丸と北尾根に内膳丸(ないぜんまる)、東尾根の飯山(いいのやま)に采女丸(うねめまる)、山麓には二の丸・三の丸・船手郭(ふなてくるわ)が配置されていました。

北側には丸山があり、東側には飯山、そして南西側には中海を配する天然の要衝で囲まれた立地で、内堀・外堀を巡らせ外郭に武家屋敷のある、典型的な平山城としての形態をなすお城です。

米子城絵図と城跡現在のマップを比較して見ると全体的に森で囲まれてはいますが、標高90メートルの湊山の頂上にある、本丸の石垣や輪郭はしっかりと当時を面影をとどめています。

米子城の築城と廃城の悲しい歴史

米子城のはじまりは、応仁から文明年間に山名宗之(やまなむねゆき)が飯山(いいやま)に砦として築いたとされ、その後、本格的な城として築城が開始したのは天正19年(1591年)西伯耆の領主であった吉川広家(きっかわひろいえ)で、関が原の合戦で敗れ完成をみずに国替えとなった、この時7割程の完成だったといわれます。

慶長6年(1601年)に、伯耆国の領主となった中村一忠(なかむらかずただ)が、築城を再会し慶長7年(1602年)に、米子城の完成となる。

明治2年(1869年)に藩庁へ引き渡されるまで、城主は3人変り、最後の城主は鳥取藩の家老であった荒尾成利(あらおなりとし)でした。

その後廃城、士族に払い下げられた米子城は、明治6年(1873年)にわずかな値段で建物の大部分が売られ、数年後には解体となり風呂屋の薪になってしまったという、悲しくもはかない米子城だったのです。

天守台のある湊山頂上へ!絶景を360度大パノラマで眺める

西登山口側からの登山入口。

西登山入口側(下記写真赤字)の直ぐ前に湊山公園の駐車場がありますので、マイカーで来られる方はこの駐車場を利用して登るのが良いです。

西登山口側付近にある案内板。
山頂まで約15分ですが、比較的斜面が急なのできついです。

西登山口から登る

 西登山口側から本丸へ出発です。

幾重にも曲がった石段を登っていきます。

こんな階段や斜面が続きますので、ヒールや革靴は足が痛くなります。
運動靴や登山靴がお勧めです。

本丸の守りを強化した内膳丸

本丸への途中に、「内膳丸跡(ないぜんまる)」があります。

内膳丸は、本丸の守りをより強くするため丸山に作られた郭で、伯耆城主の中村一忠の家老であった横田内膳が築いたので内膳丸と呼ばれます。

「内膳丸」入口階段の左右に石垣が設置されている。
一の段郭と二の段郭の二段に構成された「内膳丸」は、二の段郭に角櫓と蔵がありました。

階段上は「内膳丸虎口」の左右の石垣。

 

「内膳丸虎口」を入ると内膳丸下段は広い平地で、奥にもう一つ石段と左右に石垣が見える。

内膳丸上段も広く、当時は二重櫓がいくつか建てられいたといいます。

西の防衛のため、「内膳丸」から本丸にかけて石垣が設けられていました。
現在は、一部を残し崩落しています。

中海の美しい景色を眺めることができます。

市営湊山庭球場。

 東側にも入口!東登山口から登る

二の丸は、現在、市営湊山庭球場になっており、テニスコート裏側にもう一つ、「東登山口」があります。
米子駅から徒歩で来た場合は、東登山口側から登る方が近いです。

こちらも、急斜面が続く道となっています。

途中、本丸跡の案内板が見えてきました。
山頂まで、約8分です。

下から見えてくる本丸跡は大きくて感動の素晴らしさ!

本丸が見えてきました。
ここまで来ると本丸山頂までもう少しですが、普段、運動していないせいか息が切れ足がパンパンでした。

本丸は、天守郭・水手郭・遠見郭・番所郭を高石垣で囲った構成で築城されていす。

本丸には崩れることなく、しっかり石垣が残されていて見て感動で、また当時のお城も創造させられる。
右上側が天守台の石垣、左側の石垣が副天守台です。

番所や蔵が配置されていた番所郭

番人が詰めている施設があった「番所跡」

天守郭の東下段にあたる番所郭には、当時、番所や蔵が配置されていました。
番所は、本丸を警備する他、領内の産物が他領へ流出するのを監視したり,出入りする物資に一定の割合で徴税をしていたといわれています。

本丸南虎口のようす。

天守の入口をかためる鉄御門

「鉄御門跡(くろがねごもん)」
天守の入口を厳重にかためる鉄張りの堅固な門で、間口約12m・奥行4.5mの2階建。

右手を見れば、副天守台の石垣がそびえる。

「鉄御門跡」左に曲がれば本丸が見えてきます。

広い本丸には天守台と副天守台が当時の形を残す!

本丸のようす。

本丸と礎石。

左の石垣が天守台で、右側が副天守台となります。

本丸の天守台は広く、石垣が当時の形態を保っている。

天守台から眺める絶景ポイント!

天守台の先端近くにベンチが一つ設置されています。
この位置が、景色を最も楽しめる絶景ポイントとなります。

天守台から見る米子市街。
まさに、360度大パノラマの眺望には感動します。

米子市街には大きな建物が無いので、天守台先端から見る景色は絶景!
北に日本海、西に中海や弓ヶ浜半島、東に大山、出雲の平野部や島根半島も一望でき、見下ろせば城下町の米子と圧巻の眺望です。

春はこのポイントの桜が美しい遠見櫓跡

天守郭の北下段(写真奥の下段)に遠見櫓跡が見えます。

桜の名所でもありますので、春には美しい桜が咲き誇り多くの人々で賑わいます。

「遠見櫓跡(とおみやぐら)」
遠見郭には、遠見櫓と二重櫓を配していて「着見櫓跡」とも呼ばれます。

船小屋へ通ずる水手御門

本丸から、こちら石垣を抜ければ水手御門跡へ。

中海側に配置される「水手御門跡」
ここから船小屋へと続く道があります。

昔内堀だった場所に今は医大病院が建っている!

内膳丸方面の内堀には、現在、鳥取大学医学部付属病院が建っています。

米子駅前

米子駅前の米子市文化ホールと前方にハーベストINホテル。
米子駅から徒歩であれば、米子市文化ホール前の道を真直ぐ北へ進めば、約20分程で「米子城跡」に到着します。

まとめ

「米子城跡」は、米子市街地にあるため米子駅から近く、立地の良い場所にあります。

のんびりと季節の木々や花を楽しみながら湊山を登れば、目の前に名城といわれた城跡が現れます。
大きさや保存状態が良く、下から見る石垣や天守台の素晴らしさに感動です。

そして何と言っても、天守台からの眺望は絶景で360度見渡せる大パノラマです。
また、昼のみならず初日の出のスポットでもあり、夜には市街地のネオンが美しく、ロマンティックな場所としておすすめです。

湊山公園や日本庭園、36基の彫刻作品のある米子彫刻ロード、中海などの見所も隣接していますので、カップルや子供連れでも楽しい場所となっています。

米子城跡の詳細情報

【米子城跡】

所在地 〒683-0824
鳥取県米子市久米町
TEL:0859-23-5436(米子市・文化課)
料金・時間 無料・時間自由
アクセス

JR:山陰本線・米子駅より徒歩約20分 タクシーで約5分
マイカー:山陰道・米子中ICより県道300号線経由で約10分
駐車場:湊山公園駐車場(100台無料)

お宿情報 米子城跡の周辺宿詳細【楽天旅ノート】
周辺観光地 米子水鳥公園・水木しげるロード・大山と大山寺
トムソーヤ牧場・鳥取花回廊足立美術館


<米子城跡周辺マップ>

 

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【太鼓谷稲成神社】千本鳥居のトンネルは絶景!津和野のパワースポット https://kaiun.website/archives/2342 Wed, 22 Mar 2017 07:42:28 +0000 http://kaiun.website/?p=2342

島根県鹿足郡津和野町に鎮座する「太鼓谷稲成神社」は、日本五大稲荷の一つで、アメリカのCNN発表の「日本の最も美しい場所31選 」に選ばれ、天・地・海・木の四つの美しい自然のコントラストが評判になっている山口県の「元乃隅稲成神社」に分霊した神社です。

五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満など多くのご利益をいただけるパワースポットですが、願望成就(良縁・受験他)は特に強いとされる神様が祀られています。

 

また、千本鳥居と呼ばれる朱色の千本の鳥居が、トンネルのように参道に連なっている光景は圧巻で、「太鼓谷稲成神社」のシンボルになっています。

島根県では、縁結びとして全国でも有名な「出雲大社(いずもたいしゃ):初詣数約59万人」がありますが、それに次ぐ、約25万人で年間100万人越えの参拝者数を誇る人気の神社です。

津和野は、山陰の小京都と呼ばれる山あいの城下町、津和野川に沿って開けた盆地を「太鼓谷稲成神社」の高台から見下ろせば、赤い屋根の町並みがどこか懐かしさを感じる風情のある場所です。

太鼓谷稲成神社は京都の伏見稲荷大社の分霊を迎えた神社

「太皷谷稲成神社」の創建は、安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が、津和野藩の領民の安寧のために京都の「伏見稲荷大社」から分霊を迎え、三本松城(津和野城)の鬼門となる東北端の太皷谷の峰に社(現在の元宮)を建て祀ったのが始まりです。

慶應3年7月、津和野乙女山の熊野権現社を稲成神社に移して相殿とし、熊野神社と称するようになりました。

大正12年に現社殿を建立、昭和2年に熊野神社から稲成神社と改称

旧社格は郷社で、歴代の藩主から崇敬され藩主以外は参拝不可でしたが、廃藩後には一般庶民にも参拝されるようになり、昭和30年代には参拝者の増加も有って、昭和44年12月に境内地西側の山を切り開き新社殿が建立されました

<元宮>

遷宮斎行後の旧社殿は、「元宮(もとみや:旧熊野神社)」として残し、御分霊をつつしみきよめて祀っています。

稲成と書く稲荷神社は日本に二社だけ

稲荷(いなり)でなく稲成(いなり)の神社は、分霊した山口県長門市の「元乃隅稲成神社」と「太皷谷稲成神社」の二社しか日本にはありません。

稲成の「成」は願望成就の意味が込められている

元来、稲荷神社の稲荷は稲が生えるの稲生(いねなり)が変化し、イナリから稲荷(いなり)と書くようになったと言われています・

「太皷谷稲成神社」の稲成の「成」には、津和野藩主亀井矩貞公がお願い事がよく叶うように「成るように」との意味が込められており「願望成就」「大願成就」の願いが叶いやすい神社となっています。

太皷谷名の由来は太鼓が鳴り響く谷間だった

太皷谷の社名は、津和野城があった一角に位置するこの地は、江戸時代に、時刻を知らせる太鼓が鳴り響く谷間にあったことからこの名前が付けられたといいます。

また、この地は鬼門にあたり古くから神聖な地であったようです。

御祭神は二神の女神

御祭神は、 宇迦之御魂神(稲成大神)と伊弉冉尊(熊野大神)で、この二人の神様は女神とされています。

「太皷谷稲成神社」は、二神の女神から多くのご利益をいただくことができます。

御祭神名 神の種類  御利益
宇迦之御魂命(うがのみたまのかみ) 稲成大神 五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除
福徳円満・願望成就・失せ物(紛失物)発見
伊弉冉尊(いざなみのみこと) 熊野大神 創造開拓・夫婦円満・良縁成就・開運
病魔退散 延命長寿・鬼門除け・方災除け

 

宇迦之御魂命は、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とされ、うかは食物を意味し穀物・食物の神様で通称はお稲荷さんと呼ばれ、稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社の主祭神でもあります。
古くから女神とされている。

伊弉冉尊は、日本神話の女神で伊弉諾神(いざなぎ)の妻で、日本の国造り、母なる大地の神として万物を生む力のある神様です。
古事記では、伊邪那美神命(イザナミノミコト)と書かれます。

太皷谷稲成神社は日本五大稲荷神社の一つ!

「太皷谷稲成神社」は、日本五大稲荷神社の一つに挙げられています。

日本五大稲荷神社、日本全土で稲荷神を祀る寺社の内、主要な五社のことをいいます。
日本五大稲荷神社は、以下の神社です。

 日本五大稲荷神社イメージ  神社名 所在地  ご利益 

伏見稲荷大社 京都府京都市
伏見区 
五穀豊穣・商売繁昌・産業興隆
家内安全・交通安全・芸能上達 
  笠間稲荷神社 茨城県笠間市
笠間

五穀豊穣・商売繁盛・家内安全
厄除け・交通安全 

  竹駒神社 宮城県岩沼市
稲荷町
五穀豊穣・商売繁盛・航海安全
家内安全・
交通安全・厄除
安産祈願

祐徳稲荷神社 佐賀県鹿島市
古枝
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全
交通安全・
縁結び・必勝祈願
金運上昇

太皷谷稲成神社 島根県鹿足郡
津和野町

五穀豊穰・産業発展・商売繁昌
開運厄除・
福徳円満・願望成就
創造開拓・夫婦円満・
良縁成就
開運・病魔退散・鬼門除け 

方災除け

 

シンボルの千本鳥居!息を切らせ263段の石段を登る

「太皷谷稲成神社」は、JR山陰線津和野駅から下車後、車で約5分、歩いて約30分程の場所に位置します。

京都の伏見稲荷大社で有名な千本鳥居ですが、「太皷谷稲成神社」にも同様のシンボルとも言える「千本鳥居」があります。

鮮やかな朱色の千本鳥居の参道は、本殿のある高台まで約300mもあり、263段の石段を登ることになります。
比較的斜面が急であるため、息を切らし登っていくことになると思います。

昇って行く途中、鳥居の隙間から見える、津和野の美しい景色が四季折々で赤や緑と変化して、疲れた足を和らげてくれます。

表参道を登り切ると鮮やかな朱色の扉「神門」が本殿へと向かい入れる

千本鳥居の参道を登りきった所に、でんと構えた朱色の美しい「神門(しんもん)」が目の前に現れます。

ここまで来るとかなり高く、眼下を見下ろせば、津和野の特徴である赤茶の石州(せきしゅうがわら)の家が連なり、山の緑・空の青と相まって素晴らしい景観を見ることができます。

石州(せきしゅうがわら)は、三州、淡路と並ぶ日本三大の一つで、島根県の石見地方で生産される粘土瓦。

中央の門は、新年や祭事の時以外は閉じていますので、左右の開いている門から入ります。

境内下まで車で来ることもできる!

本来、表参道の千本鳥居を歩いて登るのがベストな方法だと思いますが、車で境内下まで行くこともできます。

裏参道は舗装されていて、駐車場(約100台:無料)は広く、車を降りれば本殿までは階段一つなので、あまり歩かずに参拝出来るのもこの神社の特徴かも知れません。


<境内案内図>

駐車場側の龍の手水舎

駐車場から境内に上がる階段そばに、「龍の手水舎(てみずしゃ)」があり龍の口からでる聖水で、身も心も清めて参拝に向かいます。

駐車場から、朱色の鳥居をくぐり階段を登れば境内となります。

納車された新車・中古車の車のお祓いができる!

納車間もない新車や中古車をお持ちなら、交通安全のお祓いがこの駐車場のすぐ側の「車祓所(くるまはらえしょ):初穂料5000円~」で行えます。

ご祈願受けの人には、社紋を金であしらった専用ステッカーが授与され、夜でも輝くこのステーカーを後方に貼っていれば追突防止の役目を果たすそうです。

太皷谷稲成神社の参拝は境内の四ケ所参りが習わし

「太皷谷稲成神社」には、独特の参拝形式があり、参拝に訪れたら境内の四ケ所を順にお参りする「四ケ所参り」が習わしです。

参る順番もありますので、順番通り参拝してみてはいかがでしょうか。

四ケ所参りの順序

一、「本宮(もとみや)」
    ⇓
二、「命婦社(みょうぶしゃ)」
    ⇓
三、「新殿(本殿)」
    ⇓
四、「神殿裏奉拝所」となります。

 

順路一番目「本宮(もとみや)」

「元宮(もとみや)」は、表参道を登りきり神門を通った直ぐ右横に鎮座します。

「元宮」の拝殿は、古さのある素朴な木の感じと大きな注連縄(しめなわ)が印象的です。
注連縄の上には、龍の彫刻が施されています。

順路二番目「命婦社(みょうぶしゃ)」

元宮の裏には、ある狐様を祀ったお社の「命婦社(みょうぶしゃ)」があります。

御祭神は、白狐神の命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)で、稲荷大明神の神令使。

命婦というのは、西暦660年頃から始まった立令制により官僚制が実施され、従五以上の位階を有する女官を内命婦(うちのみょうぶ)もしくは、五位以上の官人の妻を外命婦(げのみょうぶ)の事です。

平安時代以降は、宮人と命婦は区別され命婦の奉仕する対象は内侍司(ないしのつかさ)の努めで、やがて稲荷社の巫女と呼ばれるようになり、中世では、稲荷明神の使いとされる狐様を意味するようになりました。

順路三番目「新殿(本殿)」

昭和44年(1969年)に建て直された「朱色の拝・本殿」は美しく眩しく輝き、「元宮」よりさらに大きな注連縄が存在感を増している。

年間行事の中で、2月初めの午の日に催される初午大祭や5月の春季大祭・11月の例祭・秋季大祭には、境内は参拝・祈願に訪れる多くの人で溢れ変える。

本殿では毎日、五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就・病気平癒・縁結びなどのご祈願を受け付け、ご祈祷が行われています。

順路四番目「新殿裏奉拝所」

「新殿裏奉拝所」は、大神様に最も近い場所で御本殿を背後から拝する神聖なる神域。

本殿の裏なので目立ちませんが、古くより稲荷信仰では、ご祭神は本殿の背後から出入りすると言われており、信仰に篤い方々の心静かなお参りの場所となっています。

稲成大神様のお供え物は狐の好物の油揚げ!

「太皷谷稲成神社」では、稲成大神様のお供え物として「油揚げとローソク」をお供えすることが習わしです。

狐は、油揚げが好物であることから、神の使いの狐様にも油揚げをお供えするようです。

四ケ所参りの参拝所には、それぞれお供え用の献供台と燭台(ローソク台)が設置されていますので、境内駐車場の手水舎前と売店にて150円で購入し、参拝時にお供えします。

油揚げとローソクのお供え方法

本殿参拝を例にしますと、まずローソクに火をつけ、本殿正面両脇の神狐像の前方にあるローソク台に供えます。

次に、賽銭箱の両脇にある御供物台の上に油揚げをお供えします。

お供え後、神社で普通に行う二礼二拍手一礼の作法で、お願いごとを聞いてもらいましょう。

火焚(ひたき)祭は火の霊力により心身を清浄にする!

毎年、12月8日の午後一時から行われる「火焚(ひたき)祭」は、穀神の荒神を春の祈年祭で招き、秋の火焚祭によって山に還られる祭で、火の持つ霊力が罪や穢れを祓い心身を清め、生業に活力を甦らせるものでもあります。

参拝者より奉納された、お願い事が書かれた一年分の火焚串(初穂料1本200円)を大祓を奉唱しながら神職が焚きあげ願望成就・罪障消滅・万福招来を祈る神聖な儀式です。

津和野周辺の見所スポット

津和野は狭いところに見所が多く密集しており、歴史とアートが共存する観光スポットです。

鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した津和野城の跡の津和野城跡や掘割に錦鯉が優雅に泳ぐ殿町通り、幕末の浮世絵師の葛飾北斎と門下生の版画など1000点を収蔵する葛飾北斎美術館など、城下町らしい情緒の漂う津和野の町並みながらも、山陰の美術都市としての顔をみせるアートスポットでもあります。

幼少時代に森鴎外が過ごした森鴎外旧宅や悲劇のキリシタンを慰霊する津和野キリシタン教会も見逃せません!

まとめ

「太皷谷稲成神社」は、島根県ではあの「出雲大社」に次ぐ有名な神社で、境内に鎮座する新旧の社殿や朱色の千本鳥居など美しさと共に多くのご利益をいただけ、「願望成就」の開運にはとても強いパワースポットです。

境内には、この他に御紹介していない宝物殿があり、貴重な津和野藩の天文・算術の大家であった堀田仁助作成の天球儀・地球儀や神狐彫刻・神狐子連彫刻など一見の価値のある多くの社宝や美実工芸品はものが収蔵されています。

「太皷谷稲成神社」の参拝を兼ねて、津和野の見所も訪ねて見てはいかがでしょうか。

太鼓谷稲成神社の詳細

【太皷谷稲成神社】

所在地

〒699-5605
島根県鹿足郡津和野町後田409
TEL: 0856-72-0219 FAX:0856-72-3105
公式ホームページ⇒【太鼓谷稲成神社】

参拝時間 無料・時間自由
ご祈願・車祓所:受付時間(午前9時から午後4時迄)受付:社務所にて
アクセス JR:JR山口線津和野駅~徒歩約30分 またはタクシーで約5分

マイカー:
<九州方面から>
中国高速 小郡IC~国道9号線を益田・津和野方面へ(約70分)
<大阪方面から>
中国高速 六日市IC~国道187号線を益田・津和野方面へ(約60分)
<駐車場>:100台(無料)

お宿情報  >>太鼓谷稲成神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】
周辺観光地 津和野城跡・葛飾北斎美術館・森鴎外記念館・津和野町郷土館
津和野町立安野光雅美術館・津和野カトリック教会

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【元乃隅稲成神社】CNNが選ぶパワースポット!賽銭箱がリニューアル https://kaiun.website/archives/2255 Tue, 07 Mar 2017 13:02:32 +0000 http://kaiun.website/?p=2255

山口県長門市油谷津黄に、美しくもありまた珍しい「元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)」が鎮座します。

「龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)」側から始まる参道には、朱色より少し赤い鳥居が100m以上も並び、トンネルをくぐっていくように参拝所の崖の上まで続き、海の青と木々の緑そして鳥居の赤が素晴らしいコントラストとなり、上から見る景観は絶景の一言です。

天・地・海・木の四つの美しい自然に囲まれた「元乃隅稲成神社」は、清々しい空気が心を洗う感動のパワースポットです。

また、この神社の創建は浅く、賽銭箱が鳥居の上にあるという珍しさが受けテレビや雑誌で注目の神社で、土日・祭日ともなると多くの日本人の他、外国人も訪れる人気のスポットなっています。

元乃隅稲成神社は日本で二つだけのいなり神社!

 

「元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)」は、2015年にアメリカのCNN発表の「日本の最も美しい場所31選 」に選ばれ、厳島神社(広島)や姫路城(兵庫)・鳥取砂丘(鳥取)などの日本の名だたる国宝や世界遺産と肩を並べる世界でも有名な絶景スポットになっています。

「元乃隅稲成神社」の由来は、ここの網元の枕元に白い狐が出現し、誰のおかげで漁ができるのかを述べ、自分を祀ることをお告げになられたため、島根県津和野町の「太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)」から分霊された神社だそうです。

稲成の「成」はお願い事がよく叶うという意味がある!

ここで注目したいのは、稲荷神社ではなく稲成神社であるということです。

稲荷神社や稲荷社は、稲荷神を祀る神社で全国に4万社もあり、総本社が京都伏見区の「伏見稲荷大社」ですが、「稲成」と書き「いなり」と読む稲成神社は島根県津和野町の「太鼓谷稲成神社」と「元乃隅稲成神社」の二つの神社だけなのです。

漢字が違うのは、稲成の「成」には願望成就・大願成就などお願い事がよく叶うという意味が込められているようです。

第一の大鳥居をくぐれば一二三の鳥居がトンネルへと変わる

第一大鳥居をくぐれば、やや小さめの真っ赤な鳥居123基が展望台へと続き、なだらかな参道も頂上に近づくにつれて急斜面は階段へと変わります。

鳥居の中は、隙間があるもののトンネルのようで、幻想的な雰囲気をかもしだす。
鳥居は、昭和62年から10年間かけて奉納されたもので、参道の幅は二人が並んで歩く程度の広さ。

参道に建てられる鳥居の数は123本が最大で、そのため一二三の鳥居と呼びます。
参道上部からみる、赤と緑と青のコントラストが美しい!

展望台間近は、斜面が急な階段になっています。

神社がある展望台まではこの高さ、海側から見ればもっと高く見え、断崖岸壁にそびえている感じがする。

こじんまりですがご利益が高い白狐の大神様を祀る拝殿と本殿

赤の鳥居の参道を昇りきったところに、鳥居とこじんまりとした「元乃隅稲成神社」の拝殿・本殿があります。

小さな拝殿ながらも、商売繁盛・大漁・海上安全・良縁・子宝・開運厄除・福徳円満・交通安全・学業成就・願望成就と稲成神社ならではの多くのご利益がいただけ、お礼参りも多いパワースポットです。

知名度もどんどん上がり、平成26年には3万人程の観光地であったのが、平成28年度は8月までには30万人を越えるほど今大ブームが起きている神社となっています。

お告げにより、島根県津和野町の「太鼓谷稲成神社」の分霊を祀る。

全国から注目の入らないお賽銭鳥居

裏側の参道には、高さ5mの鳥居の中央にはお賽銭箱があり、入れば願いが叶う言われていますが、入れるのは一苦労。
お賽銭箱はこの高さですから、何度も何度もトライしてようやく成功、その結果のご利益なのでしょう。

お賽銭箱には、可愛い子供の白いキツネがモチーフになって左右に施されています。

このお賽銭鳥居が有名になり、「ナニコレ珍百景」や「志村&所の戦うお正月」など多くのテレビ番組に取り上げられ全国で知られる神社となっています。

日本一の入らないお賽銭箱がリニューアルで更に高さ1mUP!

2016年11月1日に、あの日本一入らないお賽銭箱の鳥居がリニューアルして、今までの裏参道の場所から一つ上の場所に移設されました。

今までの場所は駐車場の近く、入らなかったお賽銭を取りに車と接触の恐れがあるため、祭主が移設を決意・完成しました。

By: gtknj

鳥居の高さは1mUPされ6mに、そして賽銭箱も白狐のモチーフもリニューアルされ5mの高さに取り付けられため、これまで以上に入れにくい賽銭箱となりました。

元乃隅稲成神社の御朱印は可愛い白キツネ

「元乃隅稲成神社」は、現在五色の白キツネの御朱印があります。
上左から、緑・黒・金色・左下から赤・青です。

可愛い御朱印ですので、五色全て揃えたいですね。

津黄の地はこれだけじゃない!見所はもう一つ「竜宮の潮吹」

「元乃隅稲成神社」と隣接して、津黄は「龍宮の潮吹(りゅうぐうのしおふき)」としても有名な場所です。

竜宮とは、宇津賀半島北端の海蝕地形の総称で、この一帯は、第4紀洪積世の玄武岩からなり、玄武岩の横臥の奥に竜宮があると伝えられています。

潮吹とは、打ち寄せる波が絶壁下海面近くの、わずか縦1m幅20cmの穴に突入し、置くの空洞に圧縮された空気が海水を激しく外に出そうとして、上方に海水を噴出させる現象をいいます。

秋から冬にかけて、波が高く北よりの風が吹くときが、最も潮が吹くときで最大30mも吹き上げ、まるで龍が天に昇る姿に見えるといいます。

龍宮の潮吹場所を近くで見るとこんな感じです(赤丸に潮が吹いている)。
運が良ければ、このような光景が見れるかも知れません。

昔、潮吹現象は龍神のなせる業として、干ばつの際に雨乞いの儀式が行われていたそうです。

By: gtknj

岸壁の隙間から潮が吹く光景は、太陽の光を浴び、銀色に輝く砂が舞っているようにも見えます。

「元乃隅稲成神社」が良くわかる長門人の動画

まとめ

「元乃隅稲成神社」は、今では年間40万人を越える参拝者が訪れる神社になっていますが、元は日本一入らない賽銭箱がブームの火付け役となった。

しかし、これだけで参拝者がこれほど訪れるわけはなく、実際は本州最西北端に位置し空や海・樹木など自然の美しい景色と赤の鳥居がマッチし、絶景のコントラストが人の心を動かした結果のものだと思います。

本殿は小さなものであるが、年々増加する参拝者と共にリニューアルが行われていますので、将来的には大きな本殿が創建されるかも知れません。

「元乃隅稲成神社」は、白狐の大神を祀り多くのご利益をいただけ、豊かな自然から溢れるパワーと清々しい空気の全てが合わさるパワースポットです。

近隣には、テレビや映画のロケ地として有名な角島(つのしま)や夕景が美しい角島大橋などがあるので、一緒に山口県の絶景ポイント巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

「元乃隅稲成神社」の詳細情報

【元乃隅稲成神社】

所在地

〒759-4712
山口県長門市油谷津黄498
ホームページ⇒ななび

参拝時間 日の出から日没まで(夜間の立入禁止)
アクセス

JR:山陰本線「長門古市駅」下車後タクシー利用で約20分
  JR山陰本線「長門市駅」下車後タクシー利用で約40分

マイカー:中国自動車道「美祢IC」を降りて車で約60分
<駐車場>全て無料(第1駐車場 24台・第2駐車場 22台)

お宿情報 >>元乃隅稲成神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】 
周辺観光地  千畳敷・東後畑棚田・立石観音
青海島・角島大橋 ・長門峡

 

<元乃隅稲成神社の周辺マップ>

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箱根神社・九頭龍神社は成功も恋愛も万事に開運の最強パワースポット https://kaiun.website/archives/2180 Wed, 01 Mar 2017 10:58:31 +0000 http://kaiun.website/?p=2180

「箱根神社」は、勝負運には最強ともいわれる御神徳を持っている「箱根大神」を祀り、関東で働くならまずは「箱根神社」にご挨拶と言われるほどその力を実感する人も多く、毎年どころか年に何回も参拝される関東では屈指のパワースポットです。

また、「箱根神社」の末社である「九頭龍神社」は、縁結びで有名なパワースポットで、境外社の本宮と現在「箱根神社」に隣接する境内社に新宮があります。

「箱根神社」創建後、神と仏を結ぶ聖僧(しょうそう)である万巻上人(まんがんしょうにん)が、里人たちを苦しめる芦ノ湖に棲む毒龍を「箱根大神」様から戴いた霊力で祓い、それ以来、芦ノ湖の守護神「九頭龍大神」として甦らせ祀られるようになりました。

そのため、関東の鎮守神の「箱根神社」と水を司る神の「九頭龍神社」2つの神社の関係は深く、両者参りをすれば国運・財運・仕事運・心願成就・恋愛運・健康運」などなど多くのご利益をいただくことができます。

箱根山は古来から山岳信仰の場で箱根三所権現を祀る

「箱根神社」は、神奈川県足柄下郡箱根町に鎮座する神社で、かつては箱根大権現(はこねだいごんげん)、箱根三所権現(はこねさんしょごんげん)とも呼ばれいましたが、明治維新の神仏分離令(神道と仏教を区別する宗教政策)により「箱根神社」へと改称されました(旧社格は国幣小社)。

修行僧の万巻上人(まんがんしょうにん)は、天平宝字元年(757年)に朝廷の命により箱根山に入山し、芦ノ湖の水辺で3年間の苦行の末、三所権現(法躰・俗躰・女躰)の道理を悟り、現境内地に箱根三所権現を祀る社殿(今の箱根神社)を建立しました。

三所権現:三神は法体・俗体・女体の三形で法体は文殊菩薩・俗体は弥勒菩薩・女体は観世音菩薩

また、里人を悩ませた芦ノ湖に住む九頭龍を鎮め「九頭龍神社」を建立し、龍を祀ったと伝えられている。

箱根はその後、関東の修験霊場として多くの修験者が箱根山に入山し栄えていきます。

140年ぶりに蘇った箱根関所


平安時代には旅人の安全祈願、鎌倉時代には源頼朝の篤い崇敬を受けて多くの武士が心願成就を祈願し、江戸時代に箱根の関所が置かれ、東海道が整備されると共に箱根権現は益々信仰されていくこととなります。

箱根神社は本殿まで神の領域を表す五つの鳥居が続く

第一鳥居

第一鳥居は、元箱根の入口に国道1号線をまたぐかたちで建っており、誰もが知ってるお正月の箱根駅伝では往路のゴール・復路のスタートとしての拠点でもあります。

<箱根駅伝の銅像>

第一鳥居から徒歩2~3分程の芦ノ湖畔沿いには、記念碑として「東京箱根間大学駅伝競走記念碑」と「駅伝を讃えて」の詩碑、そして箱根駅伝のブロンズ像が建てられています。

巨大な鳥居は、箱根神社・元宮のある駒ヶ岳を配し、神の領域への第一歩となっています。
ここから第二鳥居まで200m、箱根神社まで約500mです。

第二鳥居

第二鳥居は、元箱根中央交差点を越えた門前町の奥側に建っていて、道路を挟んで左右には観光バスや自家用車の参拝者専用駐車場があり、ここから箱根神社へ歩いて参拝する拠点となる。

第三鳥居

第二鳥居を道沿いに進んで行くと箱根神社境内に入り、道路が二つに分かれ右側に第三鳥居が見えてきます。

左側を進めば、境内の駐車場へと続いています。

数段の石段を上がって朱色の第三鳥居をくぐれば、ゆるやかな勾配の参道となり、左右には高い杉並木と朱色の燈籠が鮮やかでここからは空気感も変ってきます。

 

身も心も清める箱根神社の手水舎

<第四鳥居横の手水舎>

第三鳥居を進むと最初に見えるのが「手水舎(てみずしゃ)」です。

神様の前に出る前に、ここで心と身を清めるための手水を行います。

昔は、神の聖域に入る前に河川や湧水などで心と身を清めていましたが、川の汚染や湧水の場所が徐々に少なくなったため、代替の施設として手水舎が設置されました。

手水舎での手水の作法はこちらから

https://kaiun.website/archives/1827


<手水舎の龍神>

水は命の根源、迫力ある龍神様の口から出る水はご神水なのです。
ご神水で清めれば、身も心も祓われて新鮮な気持ちで神様のもとへと向かうことができます。

初代征夷大将軍「坂上田村麻呂」が所願成就を祈願した「矢立ての杉」

手水舎の向かい側にそびえるのは「矢立ての杉」で、かながわ名木100選にもなっています

平安時代に、第五十代桓武天皇より初代征夷大将軍を任じられた「坂上田村麻呂」は、東北平定に向かう際、途中に箱根権限に訪れ参詣し「表矢(おもてや)」献じ武運長久を祈願したのがこのスギの木で、東北平定が無事に所願成就できたのはこの御神徳のお陰であったとされ、後の武将達もこれに習ったといわれています。

樹高は35mと高く、樹齢約1200年と伝わっています。

「矢立の杉」は、箱根神社の神木の一つ、所願成就・心願成就を願うなら必ず立ち寄りたいパワースポットです。

 

他と土台が違う平和の鳥居!湖畔に浮かび美しく幻想的なスポット

「矢立の杉」から湖畔側の正参道の真直ぐ石段を降りて行くと、湖水に建つ「平和の鳥居」が見えてきます。

芦ノ湖の水中に立つこの「平和の鳥居」は、明神鳥居(みょうじんとりい)ではありますが、他の鳥居と違い土台に補助(控柱)が付いた両部(りょうぶ)鳥居の形態になります。

この形態は、広島の「厳島神社」の大鳥居が最も有名で、水中では適した鳥居の形なのでしょう。

https://kaiun.website/archives/689

 

昭和27年に、今上陛下の立太子礼と日本の独立(講和条約締結)を記念して建てられたものです。

鳥居の中央まで石段が続き間近で見ることができ、夕暮れ時の湖畔に浮かぶ鳥居は美しく、正面から見ると幻想的なスポットとなっています。

第四鳥居

手水舎を越えて次に見えるのが第四鳥居です。

この鳥居から社殿までは真直ぐで、正参道の途中90段の石階段を上がって行けば、神門まではもう直ぐです。

そんなに広くはない正参道の左右には、老木であろう木々が高くそびえ立ち、少しひんやりとした感じもする。
この感じは、本殿が近いという証しなのかも知れません。

 

正参道の途中には曽我神社が鎮座!「曽我兄弟の仇討」は日本三大仇討の一つ

階段の上がって行く途中、左側に「曽我神社」が鎮座します。

日本三大仇討で知られる「曽我兄弟の仇討」の曽我兄弟を祀る神社です。

領土争いにより、河津祐泰(かわずすけやす)は工藤祐経(くどうすけつね)の家来に弓にて討たれた。

河津祐泰の遺児であった曽我十郎祐成(じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄弟は、源頼朝が富士山の裾野で大巻狩り(軍事演習)行っている最終日に、17年の思いを込め工藤祐経を討ち仇をとったされています。

しかし、この兄弟が無念なのはこの騒ぎにより見つかり、兄は斬られ弟は捕まったが翌日に斬首された。

兄の曽我十郎祐成は若干22歳、弟の五郎時致も20歳と若くしてこの世を去っていったのです。

尚、日本三大仇討「曽我兄弟の仇討」の他「伊賀越えの仇討ち」「赤穂浪士の討ち入り」となります。

第五鳥居

正参道の階段を最後まで上がれば、そこは空間が広がり最後の第五鳥居をくぐります。
厳粛な雰囲気と共に空気感もまた変り、聖域からのパワーが感じられる。

第五鳥居(神門側:上記写真)から下を見れば、第四鳥居が遠く小さく見えます。

ここからは、神門まで広く左右には神楽殿や絵馬殿・社務所などが建ち、神門をくぐればいよいよ拝殿・本殿です。

<箱根神社・神門>

<神門左側の中央:神楽殿と右側:社務所>

安産の杉!母胎を思わせる姿は子孫繁栄の象徴

境内の絵馬殿裏にあり、古代から栄木として崇められ、今では子孫繁栄の象徴として敬仰されているのが「安産の杉」です。

根っこが二つに分かれた姿が、母の母胎を思わせることから古くより子孫繁栄や安産祈願参りが多いご神木。

鎌倉幕府の創設者である源頼朝は、「箱根神社」を高く崇敬しており、その妻である北条正子は子宝を授かるよう安産祈願をし、無事に実朝(さねとも:鎌倉幕府第3代征夷大代将軍)が生まれ祈願が成就されため、この風習が武家や庶民にも伝わり、今でも安産祈願のご神木として多くの人が訪れるパワースポットなっています。

箱根神社拝殿・本殿は親子である箱根大神様を祀る!

神門をくぐれば、濃い朱色の拝殿が目をひく。

「箱根神社」の御祭神は、「箱根大神(ハコネノオオカミ)様」と呼ばれ御三神の総称で、御三神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)です。

瓊瓊杵尊は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたり、日本が平和な豊かな国になるように日向国高千穂峰(ひゅうがのくにたかちほのみね)に降臨した神で、木花咲耶姫命瓊瓊杵尊の妻であり、彦火火出見尊はこの二人の子供で三人は親子となります。

瓊瓊杵尊は霧島神宮(鹿児島)・木花咲耶姫命は浅間神社(山梨県)・彦火火出見尊は鹿児島神宮(鹿児島県)の御祭神でもあります。

<駒ヶ岳山頂とロープウェー山頂駅>

古来から、箱根山など山岳信仰が篤く神山は特にその信仰が強かったため、遠くから拝むことのできる駒ヶ岳山頂を神霊祭祀の場所としました。

2400年以上前、五代孝昭天皇の時代に聖占上人(しょうせんじょうにん)が駒ヶ岳に神仙宮を開き、神山を神体山としてお祀りしたことが特に山岳信仰を盛んにさせることとなります。

万巻上人(まんがんしょうにん)が天平宝字元年(757年)に、現在の場所に「関東総鎮守箱根大権現(箱根神社)」を創建して以来、2017年には御鎮座1260年の歴史ある神社です。

関東で成功を収めるなら「箱根神社」を必ず参拝しなさいと言われる程、心願成就や勝負運の強い神社で、政財界や経営者も毎年数多く訪れる。

箱根神社・元宮は箱根のパワースポットの聖地

「箱根元宮(はこねもとつみや)」は、古来、駒ヶ岳(1357m)山頂に神仙宮が開かれた場所に、昭和39年堤康次郎氏(西武グループ創業者)の寄進により再建され神社で、本殿は無く拝殿奥は神体山の神山(カミノヤマ)に向いていて、山岳信仰をより強く感じさせる箱根のパワースポットの聖地ともいえます。

御祭神は「箱根神社」と同じ箱根大神(はこねのおおかみ)様天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)・高皇産巣日之神(タカミムスビノカミ)・神皇産巣日之神(カミムスビノカミ)造化三神(ゾウカサンシン)です。

造化三神:古事記では天地が定まっていない頃、最初に現れた神。

霊山の神山を望みこれら御祭神を見ても、駒ヶ岳山頂にある「箱根元宮」は強力なパワーがあり、心願成就や開運成就・何かを始める時には必ず参拝したい神社です。

奥宮として、三社参りする人も多く、箱根園から駒ヶ岳ロープウェーを利用して片道7分(全長1,783m)で駒ヶ岳山頂まで行けます。

山頂は、広い広場となっており「箱根元宮」や展望台があり、天気の良い日は芦ノ湖を一望でき、北西に位置する富士山の雄大な姿を拝めます。

駒ヶ岳山頂からのタイムラプス(時間の経過を早回しで見る)が美しい!

 

九頭龍神社・新宮は縁結びで注目の人気のパワースポット

「箱根神社」拝殿・本殿に隣接して、末社で龍神様を祀る「九頭龍神社・新宮」が鎮座します。

「九頭龍神社・本宮」は、芦ノ湖畔の森深い所にあり交通の便が悪く、船での往来が主であったため平成12年に「箱根神社」の横に分社を建てて新宮としました。

「九頭龍神社」は、龍神様の御神徳として「縁結び」が注目を集める人気のパワースポットです。

「縁結び」以外にも、開運・金運・商売繁盛などの御神徳を授かるため、若い男女はもとより有名人など多くの人が参拝に訪れます。

鳥居の斜め横にある、九つの龍の口から湧き出る「龍神水」は、縁結びをアップさせるための必須のアイテムです。

「龍神水」は、箱根山を源泉とし九頭龍神様が守護する芦ノ湖を満たし龍神甘露の水で、この霊水で口を漱(すす)げば一切の不浄を洗い清め、神棚に供(そな)えておくと家庭内が清浄され縁起・縁も良くなるといわれています。

「龍神水」は、誰でも持ち帰ることができますので、事前に用意しておきましょう。
容器が必要であれば、100円で「龍神水」専用ペットボトルが境内のお礼所にて購入できますので、必ず持ち帰ることをお勧めします。

かなり強力な浄化作用のがあるようで、飲んでも供えてもパワーを感じる人が多く、宝石やパワーストーンの浄化に使っている人もいます。

九頭龍神社・本宮!毎月の月次祭には縁を求めて数千人が集まる

「九頭龍神社・本宮」は、箱根山の下で芦ノ湖の東側に位置する場所にひっそりと鎮座する神社です。

里人に被害を与えていた九頭の毒龍を万巻上人(まんがんしょうにん)が祓い、改心した九頭龍を龍神として祀ったのが九頭龍神社です。

そののち、水の神・良縁の神として里人より親しまれ、多くの人々が参拝に訪れ、今では「縁結びの神様」として大人気のパワースポットです。

奥深い場所のため、普段訪れる人も少ないのですが、毎月13日の「月次祭」には元箱根港から参拝船が出港し、数千名の人が参拝に訪れます。

同じ13日でも、6月13日の年に一回の「例大祭」では、九頭龍伝説を再現する龍神湖水の神事や祭りが盛大に催され、数多くの参拝者で賑わいます。

【九頭龍神社・本宮】の動画

後朱印

http://photozou.jp/photo/show/2927612/177673074

「箱根神社」「九頭龍神社」「箱根元宮」の御朱印です。

まとめ

「箱根神社・九頭龍神社」は関東屈指のパワースポット!

勝負運が強く、関東で成功したいなら「箱根神社」参りと言われるほど心願成就・願望実現に強く、政財界や有名人の参拝者が多く訪れる場所です。

「九頭龍神社」も、縁結びで大変人気のスポットですが、財運・仕事運・健康運・恋愛運・人間関係などなど多くの運をもたらす神社です。

「箱根神社」「九頭龍神社・本宮」の両社参りをして、多くのご利益をいただきましょう。

箱根神社・九頭龍神社の詳細

【箱根神社・九頭龍神社新宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
TEL:0460-83-7123 FAX:0460-83-6669
公式ホームページ:箱根神社(九頭龍神社)

参拝:自由・無休(8:30~17:00駐車場)

【宝物殿:時間】 開館時間 9:00~16:30(入館は16:00迄です)
【宝物殿:料金】 中学生以上500円、小学生300円

<アクセス>
JR:新幹線(東京駅~小田原駅まで約35分-JR小田原駅-伊豆箱根バス「元箱根・箱根町」行きで約60分)(関西方面からは三島駅・小田原駅下車)

小田急ロマンスカー:(新宿から箱根湯本約90分-伊豆箱根バスか箱根登山バス「元箱根・箱根町」行きで約40分-元箱根バス停下車後徒歩約10分)
(小田原から箱根湯本経由で元箱根へ約60分)
(三島から箱根関所経由で元箱根へ約60分

高速バス:直通(東京新宿から元箱根)

マイカー駐車場は下記のマップにて

【箱根元宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根110
TEL:0460-83-7123<アクセス>
箱根駒ヶ岳ロープウェーで「箱根園」~「山頂駅」約7分
(上りの最終16時30分・下りの最終16時50分)

参拝:無休、自由(但し、駒ケ岳ロープウェーの運転状況による)

【九頭龍神社本宮】
住所:〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根 箱根九頭龍の森
TEL:0460-83-7123 FAX:0460-83-6669

参拝時間:陸からは箱根九頭龍の森の営業時間内(9:00~16:45)

<アクセス>
陸からはザ・プリンス箱根芦ノ湖で駐車(1,000円)徒歩約30分

毎月の祭りと四季の祭り・三社参り:九頭龍神社本宮


<宿泊・休憩・食事処>

【お宿情報】
>>箱根神社の周辺宿はこちら【楽天旅ノート】


<箱根神社周辺と駐車場マップ>

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