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「大山寺・鳥取」霊峰大山の気が満ちる開山1300年の開運スポット

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大山寺(だいせんじ)は、大山(だいせん:標高1729m)の鳥取県西伯郡大山町にあるお寺で、古くから山岳信仰の修験道場として知られており、正式名称は天台宗別格本山 角磐山 大山寺(かくばんざん だいせんじ)」です。

家内安全・厄払い・水子供養・所願成就御などのご利益と共に先祖の霊は大山に集まると信じられてきたため、御先祖様に会える寺として中国地方一帯から多くの人々が訪れています。

また、大山寺のある大山は、2018年、開山1300年となる中国地方最高峰の山で、別名:「伯耆富士」と言われ西側の伯耆町からみる姿はまさに富士山そのものです。

また、南北東西から見る大山は、形が大きく異なるのも特徴の一つです。

昭和11年に、日本で3番目の国立公園に指定され、後に蒜山・隠岐の島・島根半島・三瓶山が加わり「大山隠岐国立公園」となり、NHKの日本名峰ランキングでは、富士山・槍ヶ岳に継ぐ第3位に選ばれています。

ブナ森や大地や水など広大な自然に囲まれた大山は、古来から神の山、神仏の住む霊山として祀られており今もなお篤い信仰が続いています。

その大山信仰の中心がで大山寺あり大神山神社奥宮で、大山から流れ出る巨大な気が集まり、静けさの中に浄化された空気が漂い心身共に清うパワースポットです。

大山寺橋!白い河原・森の緑・空の青の対比が美しい絶景スポット

▲大山寺橋からの風景

南光河原駐車場の横にある大山寺橋(下ワタリ)は、大山北壁を遠くに望み佐陀川の白い河原と森の緑・空の青が絶妙なコントラストを描く絶景スポットです。

 

実際に見る風景は、写真で見るより遥かに雄大で美しく自然を満喫できます。

大山寺や大神山神社奥宮の参拝や大山登山。ハイキングなどで訪れた人の心を鷲掴(わしずか)みにすること間違いなしです。

 

「サンセットカフェ」オープンテラスから見る夕景の美しさは特別!

▲大山寺参道・御幸参道本通り入口

 

KOMORENITO

ここは大山寺参道の入口にあるこ「KOMOREBITO(こもれびと)」で、一階は大山町観光案内所となっており大山寺への出発地点となっています。

2階には、2017年にオープンのオープンテラスのある「サンセットカフェ」があり、食事やお茶を飲みながら大山の景色が一望できます。

 

何より、西向きのオープンテラスなので、日の落ちる夕方の夕景は特別で「サンセットカフェ」名もここから用いたようです。

 

大山寺参道脇には見所や体験場所が満載!

▲御幸参道本通り

ここから御幸参道本通りとなり、大山寺まで石畳と石段の少々急な坂を5~600m程登ります。

大山そばが人気の「そば処・土佐屋」

途中には、数多くの旅館や食事処・カフェなどが立ち並んでいます。

上の写真の「そば処・土佐屋」さんは、参道のすぐ入口を入った左手にあり、大山産の蕎麦粉を使った「大山そば(600円)」が人気のメニューで、寒い時には身体を温かくしてくれる格別の一杯です。

【そば処・土佐屋】
●営業時間:10:00〜18:00(年中無休)
●住所:鳥取県西伯郡大山町大山43
●電話:0859-52-2126

 

手軽に温泉が味わえる「豪円湯院」

「そば処・土佐屋」さんから、参道を少し上がると左手に見えてくるのが大山初の日帰り温泉施設の「豪円湯院」です。

入浴料は、大人380円(中学生以上)・小人(小学生)300円・幼児は無料とお値段は安く、バスタオルなどもレンタルになっていますので、何も持っていなくても入浴できます。

また、食事処やお土産屋さんも併設されていて、ひと休憩にはもってこいの場所です。

 

ここ「豪円湯院」の建物の横に「餓讖地蔵(がしんじぞう)」が建っています。

天保8年前後に、大飢餓で多くの人々が亡くなったため、将来二度とこのような災難が起きないように、祈りと弔いを込めて天保12年に建立されたものです。

【豪円湯院】<年中無休>
●営業時間:月~木11:00~20:00(最終受付19:30)
金~日・祝日11:00~21:00(最終受付20:30)
●住所:鳥取県大仙町大山25番地
●電話:0859-48-6801

 

利用料無料の疲れた足が癒せる「大山火の神岳温泉足湯」

「豪円湯院」の向かい側には、平成23年9月28日に開設された天然温泉の足湯「大山火の神岳温泉足湯」があります。

利用料は無料で、歩き疲れた足を癒せる人気のスポットとなっています。

利用期間4月~11月(冬季閉鎖
利用時間9時~18時
利用料無料

 

どんな願いでも叶えてくれる「弘化の大地蔵」

▲弘化の大地蔵

大山は地蔵信仰の地でもあるため、大山寺参道にはいたるところにお地蔵様を目にします。
こちらのお地蔵様は、「弘化の大地蔵」と呼ばれていて高さ2.4mの南無地蔵大菩薩が彫られ、大山寺内に存在する三体の「立像石仏地蔵」の1つで、どんな願いでも叶えてくれるそうです。

大山には、この他にも多くのお地蔵様があり、お地蔵様を巡る7.2kmの「大山寺三十三カ所地蔵めぐり」コースも設定されています。

三十三のお地蔵様を巡ってお願いすれば、色んなご利益がいただけそうです。

足腰に自身がない方は参拝者駐車場が便利!

▲大山寺近くの参道にある参拝者駐車場

10台から15台程の駐車スペースですが、大山寺や大神山神社奥宮の参拝のみであれば一番近い駐車場で山門・鳥居までは100~150m程、トイレも完備され、何より足腰の弱い方には便利です(無料)。

大山の魅力を込めた詩が刻まれている「織田収詩碑」

▲織田収詩碑

織田収氏は、日本の政治家・実業家で山陰のジャーナリストです。
明治30年(1897年)に鳥取県米子市に生まれ、昭和63年(1988年)に91歳で死去されるまで、新聞記者や鳥取県県会議員・ラジオ山陰社長などを歴任し、ジャーナリストとして政治・経済・文化・スポーツなど幅広く活動をしました。

大山をこよなく愛した、織田収氏の詩が刻まれた「織田収詩碑」がここにあります。
「山のエスプリは山頂にあつまる 神はここにくだり 人はここにのぼる」と詠われています。

訳せばこんな感じでしょうか!
「大山の魂は山の頂上に集まって、天の神様はここに降り、人々は下界からそれを目指して登って行く」

大山の山登りの魅力をこの詩で表現したのだと思います。

「牛霊碑」大山は日本三大牛馬市の一つとして栄えた場所!

▲牛霊碑

基好上人(きこうしょうにん)が、大山寺の本尊である地蔵菩薩が牛馬の守護仏であると言われ、牛馬守護の守礼を施与されたことにはじまり、例年例祭に合わせて標高800mの高所の場所であるにもかかわわらず大山牛馬が開かれるようになりました。

その後、組織的な牛馬市となってから益々盛んとなり、年に5回も博労座(ばくろうざ)で開催され取り引数は1万頭に及び、広島の「久井牛市」や福島の「白河馬市」と並び日本三大牛馬市として、中・四国はもとより京阪神や中部地方からも多くの人が集まりました。

売買された牛の供養のために建てられたのが「牛霊碑」です。

「とう然の碑」多彩な才能を見せた円流院の住職・嗒然(とうねん)

▲とう然(ねん)の碑

嗒然(とうねん)は、円流院の住職で寛政8年(1796年)に皆生村(今の米子市)の漁師の家に生まれ、幼き頃より絵心があった。
文化3年(1806年)11歳の時に大山寺西明院谷の観解院入り、翌年には仏門に入り大貫と号す。

その後、師の円流院主大賢より教えをこい、仏学に優れ詩文書画とも才能を伸ばしていきます。

その一端を示すものとして、弘化3年(1846年)51歳の時に誌した「大山雑記」があります。
「大山雑記」は、大山寺の由来や行事・伝承など14話を収めたものです。

書画など多才であった嗒然は、文久元年(1861年)に享年66歳で死去、円流院には三代(大存・大賢・大貫)の院主の位牌があり、大山寺石段参道横には「とう然の碑」があります。

 

「信濃坊源盛の碑」後醍醐天皇が京へ帰る足がかり船上山の戦いで貢献!

大山寺山門の石段下右側に、「信濃坊源盛の碑」があります。

信濃坊源盛の功績を称(たた)え宮家御下賜金(ごかしきん)によって、明治24年に建てられたもので台石の上に1.6mの碑が立っています。
碑文は、文学博士の末松謙澄の筆による。

信濃坊源盛は、名和長年の弟で大山寺の僧となり金剛院の住職で「信濃法眼」と名乗っていました。

元弘3年(1333年)源盛31歳の時に、兄の長年から隠岐の島を脱出した後醍醐天皇を船上山にお迎えしたとの急な知らせを受け、同宿十余人を連れって船上山にはせ参じ、攻防のすえ幕府方を破り裏側の西坂を守った。

合戦は、3日間続き大山衆徒700人も大急ぎで駆けつけたと言われています。
この合戦の勝利は、後々の情勢が大きく変えることとなり、鎌倉幕府の崩壊、後醍醐天皇の「帰洛(きらく:京に帰る)
の足がかりとりました。

その後、源盛は九州の肥後八代で57歳の生涯を閉じる。

2ページ目⇒見落としがちな山門の金剛力士像や石段参道沿いのパワースポット!>

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